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2023/01/14

芥川龍之介書簡抄151 追加 大正三(一九一四)年三月二十一日 井川恭宛

 

大正三(一九一四)年三月二十一日・井川恭宛・封筒欠

 

どうしてかう君の手紙と僕の手紙とは行きちがひになるのだらう 今日かへつたら君のが來てゐた 僕のは昨日出したんだから今頃やつと君がよんでゐる時分だらう

君の手紙をみて大へんうれしかつた 前の手紙にかいたやうに皆京都へゆく 僕はその人たちとはなれて行かうかと思つてゐた 君の手紙をよんだ時にはすぐにも行くと云ふ手紙を出さうかと思つた位だ けれども手紙のおしまい[やぶちゃん注:ママ。]へ來たら君が東京へ來るとかいてある けれども東京で君とあふのはあまり平凡で、あまりPROSAICなやうな氣がする、君さへ都合がよければ藤澤あたりで落ちあつて一緖に鎌倉へ行つて菅先生をお訪ねしやうかと思つてゐるがどうだらうか

僕の方は二十五六日頃迄授業がありさうだが少しはすつぽかしてもいゝ なる可く早く君にあいたい[やぶちゃん注:ママ。]と思ふ 人間はあはないでゐると外部の膜が固くなるものだ 誰にでもとは云はない 少くも君に對して膜が固くなるのは嫌だ

 

發音矯正會は山宮さんがやつたのだ 僕があとから訂正を申込んだが間に合はなかつた シンヂはまだいゝにしろ山宮さん自身のかいた論文の中の片かなにも誤謬はありさうだ

 

僕の生活は不相變單調に不景氣にすゝんでゆくばかりだ すゝんでゆくのだか止つてゐるのだかわからない程緩漫だが蝸牛の殼は中々はなれない はなれたらスケツチブツクの始の QUOTATION にあるやうな醜いものになるだらう

新思潮へかく事は僕は全く遊戲のやうに思つてゐる(作をする事ではない 出すと云ふ事だ) 從つて同人の一人となつたと云ふ事についてもSERIOUSな事として考へてやつたのでも何でもない が今になつてみるとたとヘ一號の卷頭に同人を結びつけるものが唯〝使宜〟にある事を聲明したにせよ 全く傾向の異つた人間と同じ名の下に立つ事は誤解を招きやすいのみならず 僕自身にとつても不便があるかもしれないと思つてゐる 僕自身の不便が單に不便に止らず種々事情から不便のまゝで押通す事になるかもしれないと思つてゐる しかしこれは僕は自由にやぶれる障害だと信じる

その外に勿論多少VANITYも働いてゐたにちがひないけれども最力づよかつたのは靜平な生活が靜平すぎるまゝに化石しやしないかと云ふ惧だつた

 

云ひ訣けのやうなものにならないやうに氣をつけてかいたが結局云ひ訣けに完つたかもしれない 唯體裁のいゝうそはついてないつもりだ それから序に二つかきそへる事がある 一は幸にして僕がまだ何にもかぶれない事 一は接觸する機會が前より多くなつた爲に同人の多くに對する僕の見方が(僕から云つて)正確になつた事 正確になつた結果は不幸にして前よりも以上の尊敬と同情とを失ふに止つた事とである

 

此頃は大へんDISILLUSIONがつゞいてこまる 紀念祭の事で矢内原君と二三度あつたらすつかり矢内原君が嫌になつてしまつた 其他なまじい口をきかなければよかつたと思ふ人が澤山ある 前にはそんなに思はなかつた人でも大分大ぜいいやになつた

三四郞とはまだ一人も口をきいた事がない

劍道部の水野と云ふあばれものの兄さんが僕の級にゐる 英語は英文三年を通じて一番出來るかもしれない クリスチヤンで西洋人のうちにゐる 靑山學院の英文科の卒業生だ 語學者のやうな人で今の英文科の模範的秀才のやうな氣がする 人はいゝ人だ その人だけにはあふとおぢぎをする

 

氣がつかずにゐるうちに 自分自身に對して寬大になつてこまる 君はそんな事がなささうでうらやましい

 

東京へくる迄にもう一ぺん返事をくれ給ヘ 一には鎌倉へゆく都合がいゝかわるいかしらせる爲に さやうなら

    廿一日朝            龍

   井 川 君

 

[やぶちゃん注:文中の欧文は総て縦書である。当時は東京帝国大学英吉利文学科一年で満二十二歳。本文にも出る通り、この前月の二月十二日、第三次『新思潮』が創刊されている。当初の同人は一高出身の東京帝大文科大学の学生が中心で、豊島与志雄・山本有三・山宮允(さんぐうまこと)(以上は大正元(一九一一)年入学組)、芥川龍之介・久米正雄・佐野文夫・成瀬正一・土屋文明(大正二年入学組)、松岡譲(発刊の翌大正三年九月入学)の十名であった。

「PROSAIC」 「散文の・散文的な」、「(文章・話などが)詩趣に乏しい」、「平凡な・退屈な・面白くない」の意の英語。筑摩全集類聚版では『写』しで、この書簡が載るが(恐らく恒藤恭の「旧友芥川龍之介」(昭和二四(一九四九)年朝日新聞社刊)の書簡集からの転載)、そちらでは、この部分は『PROSAIK』となっており、注にドイツ語とし、『散文的、無趣味』とある。

「菅先生」菅虎雄(すがとらお 元治元(一八六四)年~昭和一八(一九四三)年)はドイツ語学者で書家。芥川龍之介の一高時代の恩師。名物教授として知られた。夏目漱石の親友で、芥川龍之介も甚だ崇敬し、処女作品集「羅生門」の題字の揮毫をしたことでも知られる。「芥川龍之介書簡抄19 / 大正二(一九一三)年書簡より(6) 十一月十九日附井川恭宛書簡」を参照。

「二十五六日頃迄授業がありさうだが少しはすつぽかしてもいゝ なる可く早く君にあいたいと思ふ」この時、井川(恒藤)恭が上京したかどうかは、年譜では不明である。

 人間はあはないでゐると外部の膜が固くなるものだ 誰にでもとは云はない 少くも君に對して膜が固くなるのは嫌だ

「發音矯正會は山宮さんがやつたのだ 僕があとから訂正を申込んだが間に合はなかつた シンヂはまだいゝにしろ山宮さん自身のかいた論文の中の片かなにも誤謬はありさうだ」よく判らないが、「發音矯正會」というのは、不全な英語の発音を正すという山宮が指導したグループのリーフレットか何かか? 「山宮」は一高・東帝大の一年上級の山宮允(さんぐうまこと 明治二三(一八九〇)年~昭和四二(一九六七)年)で、後に詩人・英文学者。山形県生まれ。県立荘内中学校(現在の山形県立鶴岡南高等学校)から一高に進んだ。一高時代から『アララギ』の歌会に参加している。大正三(一九一四)年、帝大在学中に、中心となって第三次『新思潮』を創刊、大正四(一九一五)年に東京帝国大学英文科を卒業後、大正六年に川路柳虹らと『詩話会』を結成、大正七年には評論集「詩文研究」を上梓した。後、第六高等学校教授・東京府立高等学校教授・法政大学教授を務めた。ウィリアム・バトラー・イェーツやウィリアム・ブレイクの翻訳紹介で知られ、昭和二四(一九四九)年に日夏耿之介・西條八十・柳沢健らとともに『日本詩人クラブ』の発起人の一人として創立、常務理事長を務めた。「シンヂ」“shindig”(賑やかなパーティー)の略か?

「蝸牛の殼は中々はなれない はなれたらスケツチブツクの始の QUOTATION にあるやうな醜いものになるだらう」筑摩全集類聚版第七巻「書簡一」(昭和四六(一九七一)の本書簡の注に、アメリカの作家ワシントン・アーヴィング(Washington Irving 一七八三年~ 一八五九年)が「ジェフリー・クレヨン」(Geoffrey Crayon)というペン・ネームで発表した書いたスケッチ風の物語集(イギリスの見聞記を中心として短編小説・随筆を含む三十四篇から成る)「スケッチ・ブック」(The Sketch Book of Geoffrey Crayon, Gent.:「紳士ジェフリー・クレヨンのスケッチ・ブック」)アメリカでは一八一九年から一八二〇年に亙って分冊で出版されたものの中の一篇、『「自己を語る」に引用されている。ジョン・リリーの「ユーフユーズ」の中の文章。かたつむりは殻を離れるとひきがえるになり、やむなく住み家を自分で見つけなければならなくなる。人も旅に出るとすっかり変わって、どんな所にでも住めるようになるものだというのが大意』とある。「プロジェクト・グーテンベルク」で原文を確認、タイトルは、‘THE AUTHOR’S ACCOUNT OF HIMSELF’で、その冒頭に以下のようにある。

   *

   I am of this mind with Homer, that as the snaile that crept out of her shel was turned eftsoones into a toad I and thereby was forced to make a stoole to sit on; so the traveller that stragleth from his owne country is in a short time transformed into so monstrous a shape, that he is faine to alter his mansion with his manners, and to live where he can, not where he would.—LYLY’S EUPHUES.

   *

ジョン・リリー(John Lyly 一五五四年~一六〇六年)はエリザベス朝イングランドの作家・戯曲家で、この教訓物語「ユーフュイーズ」(Euphues:正編一五七八年・続編一五八〇年刊)で知られる。

「SERIOUS」「真面目な・厳粛な ・言辞が本気である」の意。

「VANITY」「自分に対する過度の自信・賛美または人にほめられたいという過度の欲望・虚飾」の意。

「完つた」「をはつた」。

「DISILLUSION」「幻滅」の意。

「紀念祭」二十日前、卒業した第一高等学校の三月一日の創立記念日の記念祭のこと。芥川龍之介も出席している。

「矢内原君」矢内原忠雄(明治二六(一八九三)年~昭和三六(一九六一)年:芥川龍之介の一つ年下)は一高の同期生。後に経済学者・植民政策学者となり、敗戦後、東京大学総長を務めた。無教会主義キリスト教の指導者としても知られる。

「三四郞」夏目漱石の「三四郎」の主人公のように、地方の高等学校を卒業して東京帝大に入学した人物の意。

「水野」新全集「人名解説索引」に、水野秀とあり、ここに出る東京帝大時代の英文科の同級生豊田実(明治一八(一八八五)年~昭和四七(一九七二)年:福岡生まれ。龍之介より七つ年上。青山学院高等科を経て、大正元(一九一二)年、青山学院神学科卒業後に、東京帝大英文科に進んだ。後に英語英文学者となった。年青山学院大学初代学長でキリスト教徒)の弟。『久留米の水野家に養子として入』り、『一高を経て』、帝大の法科を『卒業後間もなく病没』とある。]

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