死靈解脫物語聞書下(3) 菊人々の憐を蒙る事
[やぶちゃん注:本書の解説や底本等は、冒頭の「累が最後之事」を参照されたい。]
菊人々の憐を蒙(あわれみ)る事
去程(さるほど)に、祐天和尚、餘りの事のうれしさに、假寐(かりね)の夢も結びたまはず、まだ、夜ふかきに、寮を、たち、惣門さして、出給ふ。
門番、あやしみ、
「夜も、いまだ明(あけ)ざるに、いづ地へか、おはします。」
と、いへば、和尚のたまわく、
「我は羽生ヘ行なり。夜中に、何共[やぶちゃん注:「なんとも」。]、左右(さう)やなかりしか。」
と問たまへば、門守がいわく、
「されば、夜前(やぜん)の仰(おゝせ)により、隨分、心懸(こゝろかけ)待(まち)候へ共、いまに何のたよりも御座なく候。羽生への道すがら、山狗(いぬ)もいで申さん。それがしも、御供仕らん。」
とぞ申ける。
和尚のたまはく、
「汝をつれゆけば、跡の用心、おぼつかなし。とかふせば、夜も明(あけ)なんに、行(ゆく)さきは、別義あらじ。かたく、門を守り居(お)れ。」
とて、只一人、すごすごと、羽生村に行着(ゆきつき)、件(くだん)の所を見たまへば、菊を始め、二人のばん衆、前後もしらず、臥(ふ)して有。
和尚、立(たち)ながら高聲(こうしやう)に十念したまへば、二人の者、目をさまし、「是は、御出候か。」
とて、おきなをる時、和尚のたまはく、
「各各は、何のための番ぞや。いねたるな。」
と仰せらるれば、二人の者、申やう、
「いかで、しばしも、やすみ申さん。宵のまゝにて、菊も、正體なく、いね申候。其外、何のかわりたる義も御座なく、夜もいまだ明やらず候まゝ、しばし、やすらひ、御左右(さう)も申さまじ。」[やぶちゃん注:最後の部分は、祐天の叱責に対して、「そのように厳しいことを申されますな」と弁解しているのであろう。]
など、かれこれいふ内に、菊も目さまし、うづくまり、ぼうぜんたるていなり。
和尚、其有樣を見たまへば、
『嵐(あらし)も寒きあけがたの、内もさながら、そと成[やぶちゃん注:「なる」。]家(いゑ)に、かきかたびらのつゞれひとへ、目も当られぬていたらく、縱ひ、死㚑ものゝけは、はなれたり共、寒氣(かんき)、はだへを、とをすならば、何とて、命(いのち)のつゞくべき。』
と思しめし、名主・年寄を恥(はち[やぶちゃん注:ママ。])しめ、
「各々は、餘り、心づき、なし。いかで、此菊に、古着ひとへは、きせたまわぬ。かれが夫(おつと)は、いづくに在ぞ[やぶちゃん注:「あるぞ」。]。」
と、よびたまへば、金五郞、よろをい出て、古(ふる)むしろを、打はたき、菊が上におゝはんとすれば、菊がいわく、
「いやとよ、重し。着すべからず。」
といふ時、名主・年寄、申すやうは、
「そのぶんは、たつて、御苦勞になさるまじ。所のものゝならひにて、生れながら、みな、かくのごとし。」
といへば、和尚のたまはく、
「それは達者にはたらくものゝ事よ。此女は、まさしく正月はじめより煩付(わつらひつき[やぶちゃん注:ママ。])、ものも、くらわで、やせおとろヘたるものなれば、とにかくに、各各が、めぐみなくては、そだつまじ。万事、賴む。」
と、のたまへば、二人の者、畏(かしこまつ)て
「此上は、隨分、見づぎ、申べし。」[やぶちゃん注:「見つぎ」「見繼ぎ・見次ぎ」で、
見届けること・見守り続けること」の意。]
と、ことうけすれば、其時、和尚も、きげんよく、急ぎ、寺に歸りつゝ、すぐに方丈へ行たまひ、納所敎傳(なつしよきやうでん)に近付、
「夜前(やぜん)の㚑魂は、いよいよ、去、菊は本復したれども、衣食(ゑじき)倶(とも)に、貧しければ、命をさそふる、たより、なし。尒るに[やぶちゃん注:「しかるに」。]、かれを存命さするならば、多くの人の化益(かやく)なるべし。なにとぞ、命を扶(たす)けたく思ふに、先(まつ[やぶちゃん注:ママ。])、各々も、古着のあらば、一つあて、とらせよ。我も一つは、おくるべし。さて、方丈の御膳米を、かゆにたかせ、あたへたく思ふ。」[やぶちゃん注:「納所敎傳」雑務(特に寺院の経済関係)を務める下級の僧侶。納所坊主。「敎傳」はあまり見かけないが、正規の修行僧と区別するための謂いか。]
などして、寮に歸り給ふ時、方丈[やぶちゃん注:ここは弘経寺の住職。]は、廊下にたちやすらひ、此事を聞し召、納所を近付(ちかつけ)、仰せられしは、
「実(げ)にも、かのものゝいふごとく、此女のいのちは、大切なるぞや。それそれの用意して、つかはせ。さて、是を、はだに、きせよ。」
とて、かたじけなくも、上にめされし、さやの御小袖をぬがせたまひ、下し[やぶちゃん注:「くだし」。]つかはされける時、名主・年寄兩人を、急度(きつと)、めし寄(よせ)られ、直(じき)に仰らるゝは、[やぶちゃん注:「さや」「紗綾」。卍(まんじ)を崩して繋いだ模様などを織り出した、艶(つや)のある絹織物を指す。]
「汝ら、よく合點して、菊が命を守るべし。其ゆへは、我々、經釈(きやうしやく)をつたへて、千万人、度(ど)すれども、皆、是、道理至極(だうりしごく)の分(ぶん)にして、いまだ、現證(げんしやう)を顯さず。尒るに、此女は、直に、地獄・極乐を見て、よく因果を顯す者なれば、万(ばん)人化益(けやく)の證拠なり。隨分、大切に介抱せよ。なをざりにもてなし、死なせたるなど聞ならば、此弘經寺が怨念、汝らにかゝるべし。」
と、はげしく敎訓したまへば、二人の者ども、なみだをながし、畏(かしこまつ)て御前を立、急ぎ羽生へ歸りつゝ、方丈の仰せども、一〻にかたりつたへ、扨、下しつかわされたる御小袖を着せんとすれば、菊がいわく、
「あら、もつたいなし。何とてか、弘經寺樣の御小袖を、我等が手にも、ふれられん。」
と、いへば、
「実(げに)、尤(もつとも)なり。」
とて、後日に、是を打敷(うちしき)にぬい、法藏寺の佛殿にぞかけたりける。
[やぶちゃん注:「打敷」仏壇の荘厳具(しょうごんぐ)の一種。仏壇に置かれる卓の天板の下に挟んで正面に垂らすようにして飾る。「内敷」「打布」「内布」とも呼ぶ。]
扨、祐天和尚の御ふるぎ、其外、人々よりあたへられたる着物をも、いろいろ、辭退せしかとも[やぶちゃん注:ママ。]、かれこれと、ぬいなをし、さまさまに方便してこそ、きせたりけれ。
さてまた、弘經寺より下されたる食物(じきもつ)は、申に及ばず、其外の食事(しよくじ)をも、一圓(ゑん)に、くらわず、たまたま、少も[やぶちゃん注:「すこしも」。]食せんとすれば、すなはち、胸に、みちふさがり、あるひは、ひふを、そんさす。惣じて、此㚑病(れびやう)を受(うけ)し正月始の比(ころ)より、三月中旬にいたるまで、大かた、湯水のたぐひのみにて暮らせしかども、さのみ、つよくやせおとろへも、せざりければ、人々、是をふしんして、問けるに、
「何とはしらず、口中に、味(あちはひ[やぶちゃん注:ママ。])有て、外の食物(しよくもつ)に、望(のぞみ)、なし。」
と、いへば、
「扨は。極乐の飮食(おんじき)を、時々、食するにもや、あらん。」
とて、さながら、
「淨上より、化來(けらい)せる者か。」
と、あやしみ、うやまひ、めぐむ事、かぎりなし。
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