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2023/01/16

恒藤恭「旧友芥川龍之介」 「芥川龍之介書簡集」(十九) (標題に「一八」とあるのは誤り)

 

[やぶちゃん注:本篇は松田義男氏の編になる「恒藤恭著作目録」(同氏のHPのこちらでPDFで入手出来る)には初出記載がないので、以下に示す底本原本で独立したパートとして作られたことが判る。書簡の一部には恒藤恭の註がある。書簡数は全部で三十通である。ただ、章番号には以下のような問題がある。実はこれより前で、「六」の後が「八」となってしまって、その次が「七」、その後が再び「八」となって以下が最後の「二十九」まで誤ったままで続いて終わるという誤りがある。私のこれは、あくまで本書全体の文字部分の忠実な電子化再現であるから、それも再現する。

 底本は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」の恒藤恭著「旧友芥川龍之介」原本画像(朝日新聞社昭和二四(一九四九)年刊)を視認して電子化する(国立国会図書館への本登録をしないと視認は出来ない)。

 本「芥川龍之介書簡集」は、底本本書が敗戦から四年後の刊行であるため、概ね歴史的仮名遣を基本としつつも、時に新仮名遣になっていたり、また、漢字は新字と旧字が混淆し、しかも、同じ漢字が新字になったり、旧字になったりするという個人的にはちょっと残念な表記なのだが、これは、恒藤のせいではなく、戦後の出版社・印刷所のバタバタの中だから仕方がなかったことなのである。漢字表記その他は、以上の底本に即して、厳密にそれらを再現する(五月蠅いだけなのでママ注記は極力控える)。但し、活字のスレが激しく、拡大して見てもよく判らないところもあるが、正字か新字か迷った場合は正字で示した。

 なお、向後の本書の全電子化と一括公開については、前の記事「友人芥川の追憶」等の冒頭注を参照されたい。

 また、私は一昨年の二〇二一年一月から九月にかけてブログ・カテゴリ「芥川龍之介書簡抄」百四十八回分割で芥川龍之介の書簡の正規表現の電子化注を終えている。そちらにあるものについては、注でリンクを示し、注もそちらの私に譲る。但し、以上に述べた通り、表記に違いがあるので、まず、本文書簡を読まれた後には、正規表現版と比較されたい。

 各書簡部分はブログでは分割する。恒藤恭は原書簡の表記に手を加えている。]

 

    一八(大正五年 田端から京都へ)

 

       I

   白ふぢの花のにほひときくまでにかそけかれどもかなしみはあり

   夕やみにさきつゝにほふ白藤の消なば消ぬべき恋もするかな

   わが恋はいよよかすかにしかはあれいよよきよけくありさびにけり

       Ⅱ

   朝ぼらけひとこひがてにほのぼのとあからひく頰をみむと思へや

       Ⅲ

   たまゆらにきえし光とみるまでにそのたをやめはとほく行きけり

       Ⅳ

   天ぎらふ雲南省ゆ來りたる埴輪童女(をとめ)に FUMIKO は似るも

                          (白木屋の展覽会あり)

   朝づけば観音堂の尾白鳩ふくだめるこそ FUMIKO には似ね

   ふと見たる金の蒔絵の琴爪(つめ)箱をかひてやらむと思ひけりあはれ

 

 君と同じ理由で Extra-Re-Echo を要求する資格があるかと思ふ。

 自賛すればⅡが一番得意。Ⅲはどうしても一番まづい。実感がうすいのかしらとも思つてみる。Ⅳをかく時は氣樂に出來る。Iはともすればありあはせの SENTIMENT で間に合はせてしまひさうで良心がとがめる。それでつくつた歌はもつと沢山あつたが、三首だけしか書かなかつた。君のはがきの絵のやうに、はじめに書いた奴だけ書いたわけだ。

 短篇を二つ書いた。發表したらよんでもらふ。

 朝は早くおきるやうになつたから感心だ。尤も必要にせまられてだが。

 今朝君が結婚したら何を祝はうかと思つていろいろ考へた。BEETHOVEN の MASK ではいけないかな。僕はこの頃この天才と BERLIOZ との傳記をよんで感心してしまつた。

 

[やぶちゃん注:原書簡は「芥川龍之介書簡抄69 / 大正五(一九一六)年書簡より(十六) 二通」の一通目で電子化注してあるので参照されたい。

「Extra‐Re‐Echo」対象芸術作品に対する相手の「特別な反響」を提示すること。それは必ずしも批評とは限らず、感応した芸術作品であってもよい。]

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