死靈解脫物語聞書上(5) 累が靈魂再來して菊に取付事
[やぶちゃん注:本書の解説や底本等は、冒頭の「累が最後之事」を参照されたい。]
累が㚑魂再來して菊に取付事
此比、累が怨㚑、あらはれ、因果の理りを示し、与右衞門が恥辱ならびに村中の騷ぎなりし所に、ほどなく他力本願の称名ゑかうによつて、亡魂、すみやかにさり、人々、安堵の思ひをなすのみぎり、又、明る二月廿六日の早朝より、彼㚑、來(きたつ)て菊に取付、責(せめ)る事、前のごとし。
[やぶちゃん注:「二月廿六日」寛文十二年二月二十六日はグレゴリオ暦一六七二年三月二十五日。供養によって累の霊が菊から離れて、正気に戻ったのは、「正月廿六日の晚」((3)末参照)であった。寛文十二年一月は大の月で三十日あるから、一月二十七日から数えて、丁度、三十日後に累の霊は、再度、菊に憑依したことになる。]
時に、父も、夫も、大きに騷ぎ、早々、名主・年寄に、
「かく。」
と告れば、兩人、おどろき、すなはち、彼か家に來て、三郞左衞門、問ていわく、
「汝、累が怨㚑(おんれう)なるが、すでに、其方が望(のぞみ)にまかせ、菩提所の住持を請(せう)じ、其外、地下中(ぢげぢう)、打寄、念佛をつとめ、其上、惣村(そうむら)のあわれみを以て、五錢、三錢の志(こゝろざし)をあわせ、一飯の齋(とき)を僧に施し、重苦拔濟(ぢうくばつさい)、頓證菩提(とんじやうのだい)のゑかう、すでに畢(おわり)て、聖㚑(せいれい)、得脫(とくだつ)するゆへに、菊、まさに本複(ほんぶく)せり。今、何の子細有てか、妙林(めうりん)、爰に來らんや。恐らくは累が㚑魂に、あらじ。狐狸(きつねたぬき)の所以(そい)、成るべし。」[やぶちゃん注:「妙林」累の戒名。「(1)」を参照。]
と、あらゝかにいへば、菊か苦痛、たちまち止むで、起直(おきなを)り、いふやう、
「いかに、名主どの、此間[やぶちゃん注:「このあひだ」。]の念佛興行、齋(とき)の善根(ぜんごん)、村中の志、慥に請取、悦ひ入て[やぶちゃん注:「よろこびいりて」。]候。去(さり)ながら、仏果は、いまだ、成さず。その上、一つの望有て[やぶちゃん注:「のぞみありて」]、來る事、かくのごとし。」
といへば、年寄、問ていわく、
「汝、實(まこと)の累ならば、心をしづめて、能(よく)、聞け。夫(それ)、本願の稱名は、一念十念の功德によつて、いかなる三從(じう)五障(しやう)の女人も、すみやかに成仏し、其外、八逆謗法無間墮獄(ぎやくほうぼうむけんだごく)の衆生も、必ず往生すと、智者・學匠達の勸化(くわんけ)にも、たしかに、聞傳へたり。しかるに、先日、一挺(てう)ぎりの念佛は、村中、挙(こぞつ)て、異口同音(いくどうおん)に称名する事、幾千万といふ、その數を知ら。併(しかしまた)、是、汝がために回向す。此上に、何の不足、有あつて、ふたゝび來て、菊を、なやまさん。但し、『一つの願ひ有て來れり』といふ。既に成佛得脱の所におゐて、娑婆の願ひ有べしとも覚ず。能々(よくよく[やぶちゃん注:左の読み。右はなし。次の「理」も同じ。])、此理(ことわ)りを、わきまへて、すみやかに、去れ。」[やぶちゃん注:「一念十念」「念」は浄土教では、善導以後、特に、「仏名を唱えること」の意で、認識に多様な解釈があるが、基本、思念誦を含めて、心を込めておれば、一回の称名念仏でも、十度のそれでも、度数に関係なく、等しく極楽往生できるという浄土宗での教えを指す。
「三從五障」仏教に長く附帯した女性差別認識。女人は、生来、身に持ってしまっている五種の障害「五障」(ごしょう:梵天・帝釈・魔王・転輪聖王(てんりんじょうおう)・仏(ほとけ))の五つの存在にはなれないというもの。それらになるためには「変成男子」(へんじょうなんし)、則ち、男に生まれ変わらねばならないとする。いやさ、極楽往生するにはその転生が必要というトンデモ差別なのである。後代には、その辺りをぼかしてゆくようになる)と、女性が現世で従わねばならないものとされた三つの道「三從」(さんしょう:幼時にあっては父母に従い、結婚後は夫に従い、老いたる時には子に従うこと)によって著しく制限されているのである。
「八逆謗法無間墮獄」「八逆」は本邦の律令制における八種の重罪(謀反(むへん:王(天皇)を弑することを計る)・謀大逆(陵(みささぎ)や皇宮の破壊を計る)・謀叛(むほん:(日本国外の敵国と内通しようとする)・悪逆(祖父母・父母・伯叔父・兄姉・夫の父母などを殺さんとする)・不道(親族の一つ家の者の三人を殺さんとすること等)・大不敬(大社の破壊・毀損や祭具の偸盗等)・不孝(祖父母・父母を訴えたり、罵ったり、その存命中に別籍にしたり、亡き父母の喪に服さない等)・不義(上司・上官・教師などを殺すことや、夫の喪に服さない等)の八罪。天皇・国家・神祇・尊属に対する罪で、重刑に処せられた。唐制に倣って定められたものだが、多少の違いがあり、それが、本邦の仏教禁制に判りがいいので取り入れられたもの。「謗法」は正しい歴史的仮名遣「はうぼう」で「仏法を謗(そし)り、真理を蔑(ないがし)ろにすること」。而して、「八逆謗法」を行ったものは、死後、最大最悪(堕獄時間も最長)の地獄の最下層にある無間(むけん)地獄(=阿鼻(あび)地獄(堕獄事由は一派には、殺生・偸盗・邪淫・飲酒・妄語・邪見・犯持戒人・父母阿羅漢(聖者殺害が挙げられる)「堕」(お)ちるとされた。
「一挺(てう)ぎり」「一挺切」(現代仮名遣:いっちょうぎり)サイト「日国友の会」のこちらに、『葬式の終わった夜、ろうそくを一本だけにして、それが消えるまで読経』『念仏すること。または、その行事。特に茨城県地方で行なわれる』とあった。本事件のロケーションは現在の茨城県常総市羽生町(グーグル・マップ・データ)であるから、極めて納得出来る。]
と、いへば、累、こたへて、いわく、
「庄右衞門殿、今の教化(けうけ)、近比(ちかころ)、うけたまはり事、甘心(かんしん)せられ候。去ながら、先日、菊にも、ことわるごとく、我、地獄のくるしみを脱(のが)れ、位を、すこし、のぼる事、各々、念佛の德によるゆへなり。しかれども、成仏の、いまだしき事は、よく案じても見たまへよ。目蓮(もくれん)の神足(しんそく)、那律(なりつ)の道眼(だうげん)、其外、六通無碍の聖者(せうじや)達、直(じき)に來り、直に見て、救ひたまふすら、まぬかれがたきは、墮獄の罪人なり。しかる所に、念佛の功德は、能々、甚深微妙(しんしんみめう)なればこそ、各々ごとき三毒具足の凡夫達の𢌞向心によつて、我、既に地獄の責(せめ)を脱れ、少し、位をすゝむ事を得たりき。さて又、望みといふは、別義にあらず。我がために、せきぶつ一體、建立して得させたまへ。」[やぶちゃん注:「目蓮の神足」サイト「通信用語の基礎知識」の「目連」によれば、『釈迦の十大弟子の一人。梵名モッガラーナ。漢字では目犍連子、大目犍連と音写される』。『釈迦の弟子の中で最も神通に優れ、神通第一と言われる。舎利弗の友人であり、バラモンの裕福な家系に生まれたが』、『後に出家』し、『共に教団に入信した舎利弗とともに教団をまとめ、阿羅漢果(あらかんか、悟り)を得た』、『ある日』、『目連は神通力の一つ神足通』(じんそくつう:思いのままに行きたいところに行け、また、姿を変えることが出来たり、環境を変えることも可能な神通力を指す)『により、亡き母を六道中』に『捜し回り、遂に餓鬼道』で『見つけた。ここで苦しむ母の姿を知り』、『釈迦に相談、雨安居(うあんご)が終わる日』(七月十五日)、『十万の衆僧に百味の飲食を供養し、衆僧らも施主目連のために成仏を祈願したところ、目連の母は衆僧の神力により餓鬼道の苦悩から解放されたとされる。これがお盆の起源となった』。『目連は釈迦の護衛をしたと伝えられている。舎利弗と共に釈迦の後継と目されていたが、釈迦よりも先に入滅してしまった』とある。
「那律の道眼」釈迦十大弟子の一人。釈迦が説法していた際に居眠りをし、なんのために出家したのかと叱られて以後、「仏陀の前では決して眠るまい」と誓いをたて、ついに失明してしまったが、そのために天眼(てんげん:対象や事態を見通す能力)を得たとして「天眼第一」と称される。第一回結集(けつじゅう)にあって「増一阿含経」(ぞういちあごんきょう)の集成に貢献している(小学館「日本大百科全書」に拠った)。
「六通無碍」通常、「六通」は「六神通」で、仏・菩薩に備わる六種の超人的な能力(神足通・天眼通・天耳(てんに)通・他心通・宿命(しゅくみょう)通・漏尽(ろじん)通)を指す。ここは聖者である阿羅漢が「融通無礙」(何ものにもこだわることがなく、思考や行動が自由自在であること)であることを言う。
「三毒」人間の持つ根元的な三種の悪徳。自分の好むものをむさぼり求める「貪」欲(とんよく:「と」と濁らないのが普通)、自分の嫌いなものを憎み嫌悪する「瞋」恚(しんい)、物事に的確な判断を下すことが出来ずに迷い惑う愚「痴(癡)」の三つ。]
と、いへば、名主がいわく、
「流轉をいとひ、出離を願ふて、念佛を乞もとむるは、其道理、至極せり。今、石佛の望み、いさゝか、以て心得られず。但し、念佛の功德より、石佛の利益(りやく)、すぐれたるゆへに、かくは願ふか。」
と、たづぬれば、累がいわく。、
「愚かにも、とわせ給ふものかな。縱(たと)ひ百千の起立塔像(きりうとうざう)も、もし、功德の淺深(せんしん)を論ぜば、何そ、一念の称名に及ばんや。しかるに、今、石佛を乞(こい)もとむるには、いろいろの子細、有。先、一つには、村中の人々、昼夜を分たず、我を介抱し、其上、大念佛を興行して、我に与へたまふ報恩のため。二には、往來遠近の道俗、当村に來り、彼の石佛を拜見して、因果の道理を信し、称名懺悔(せうみやうさんげ)せば、是、すなわち、永き結緣利益(けちゑんりやく)と思ふ。三には、かゝる衆善(しゆぜん)の因緣(ゐんゑん)により、廣く念佛の功德を受て、すみやかに成佛得脱せん事を願ふゆへに、再び、爰に來れり。」
と、いへば、
名主、又、問ていわく、
「後(のち)の二義は、さもあらんか、初(はじめ)の一義につゐて、大きに、ふしん、あり。凡そ恩を報ずといふは、親の恩、國主の恩、主の恩、衆生の恩、是、皆、報ずべき重恩なり。しかるに、汝、來て、菊を責(せむ)れば、親の与右衞門、甚(はなはだ)、もつて、めいわくす。さてこそ、菊は大不孝ものよ。是はこれ、汝が与ふる不孝なれば、親の報恩にそむけり。次に國主の恩にそむく事は、一夫(ふ)、耕(たがやさ)ざれば、其国、飢(き)を受け、一婦(ふ)、織(おら)ざれば、其国、寒(かん)を受(うく)る。されば、民(たみ)一人にても、飢寒(きかん)の憂(うれひ)を蒙(かうむ)る事、尤[やぶちゃん注:「もつとも」。]、國主のいたむ所也。しかるに汝、菊をなやますゆへに、村中の男女が紡績(ぼうせき/うみつむぐ)のいとなみを忘れ、稼穡(かしよく)のはたらきを止めて、昼夜(ちうや)、此事に、隙を、ついやす。豈(あに)、是、飢寒のもとひにあらずや。さあらば、国主の恩にそむかん事、必(ひつ)せり。又、衆生の恩にそむく事は、汝、來て、菊を責る故に、我々、既に苦勞す。かくのごとく、他人に苦をかくるを以て、衆生、恩を報ずとせんや。上(か)み、件(くだん)の三恩正にそむけり。汝、若(もし)、主人あらば、不忠ならん事、疑ひなし。さては、何を以てか報恩のしるべとせん。此道理を聞分(きゝわけ)、あらぬ願ひを、ふりすて、只一筋に極乐へ參らんと思ひ、すみやかに、爰を、はなれよ。」
とぞ敎へける。
[やぶちゃん注:「稼穡」「稼」は「植える」、「穡」は「収める」の意で、穀物の植え付けと刈り入れ。広く農事の意。
「三恩正」不詳。「三正」には、「書経」の「甘誓」にある、「天・地・人」の三つの正道の意と、「礼記」の「哀公問」に基づく、「君臣の義・父子の親・夫婦の別」の三つが正しく守られていることを言う語がある。「恩」から考えれば、後者の意か。]
累、
「につこ」
と、打笑ひて、云樣は、
「誠に、そなたは、他在所(たざいしよ)の人なれども、おさなきより、器用なる仁と聞及び、しうとめ御前の、こい婿(むこ)になり、當村の名主を、もたるゝ甲斐ありて、只今、一々の御敎化、実(まこと)に、以て、聞事(きくこと)なり。去ながら、其道理の趣く所、たゞ当前(たうせん)の少利をとつて、幽遠廣博(ゆうをんくわうばく)なる深妙功德の大報恩を、かつて以て、わきまへたまわず。我が報恩の所存を、よくよく聞せられて、早々(そうそう)、石佛を建て、其上に念佛供養をとげられ、我に、手向(たむけ)たまへ。」
「其故は、若(もし)、此石仏、じやうじゆして、我ねがひのかなふならば、菊は亡母(もうぼ)に孝をたて、其緣にもよほされ、与右衞門が後世をも、たすくならば、これ、眞實の報恩なるべし。扨、當村の人々、此しるしを見るごとに、我事を思ひ出し、一返の念佛をも唱へたまふものならば、みづから、大利を得たまふべし。その上、此石佛のあらんかぎりは、當村の子々孫々、『是ぞ、因果をあらはす證據よ。』と見る時は、与右衞門ごときのあく人も、一念、其心を改め、善心におもむかば、『一念発起菩提心 勝於造立百千塔(せうおざうりうひやくせんとう)』、豈(あに)、是(これ)、天下の重寶(てうほう)ならずや。しからば、国主の大報恩、是に過(すぎ)たる事、あらじ。」
[やぶちゃん注:「勝於造立百千塔」「百千塔(ひやくせんたふ)を造立(ざうりふ)するに勝(まさ)れり」(本文の読みの歴史的仮名遣は誤りが多い)。しかし、これは少し相応しない謂いと言える。「一念発起した菩提心は、百千の供養塔を造立するよりも遙かに勝っている。」の意であるから、一基の石像を立てるのも、同様に、不要のことと言えるからである。]
「さはいへど、かゝる廣大無邊なる佛法の深意(じんい)は、各々(おのおの)ことき[やぶちゃん注:ママ。「ごとき」。]の小智小見にては、聞ても、中々、其理を信ずる事、あたわじ。さあらば、たち歸て、当前の利を、見よ。すでに、此かさね、親のゆづりを得て、持(もち)來る[やぶちゃん注:「きたる」。]田畑(でんばた)七石目(こくめ)あり。此田畑は、村中一番の上田なりし所に、与右衞門、一念のあく心によつて、われを害せし故、先度も云ことく[やぶちゃん注:ママ。]、廿六年以來、不作して、いま、朝夕を送るにまづしく、餘寒(よかん)甚しき春の空に、只一人ある娘の煩ふにすら、くされかたびら一重のていたらく。是、見たまヘ、一念の𢙣心にて、ながく飢寒のうれひをかふむるにあらずや。さて又、菊に不孝の罪をあたふると云事、是、猶、与右衞門が自業自得の報ひなれば、あながち、菊が不孝にあらず。そのうへ、与右衞門が当來のおもき業(ごふ)を、今、此現世(げんぜ)に苦をうけて、少も[やぶちゃん注:「すこしも」。]、つぐなふものならば、轉重輕受(てんぢゆうきやうじゆ)のいわれゆへ、菊は、かへつて親の苦をすくふ孝々[やぶちゃん注:ママ。]の子なるべし。又、各々も、子孫のためを、おぼしめさば、当分の苦勞をかへりみず、はやく、我が願ひにまかせ、石佛をたてゝたび候へ。」[やぶちゃん注:「轉重輕受」「重きを轉じて輕く受く。」。過去世の重い罪業によって、現世だけでなく、未来世に亙って、重い苦しみの報いを受けなくてはならないところを、現世に正法を信じて広めるならば、その実践の功徳の力によって、重罪の報いを一時(いっとき)に軽く受けるだけで、罪業は総て消滅させることが出来るという意。]
と、いゝければ、庄右衞門がいふやうは、
「汝がいふ所の道理、詞は至極に聞ゆれ共、願ふ所は、かなひがたき望也。凡(およそ)、起立塔像の事善(じぜん)を修(しゆ)するには、相應の財產なくては成就せず。与右衞門が家、まづしくして、少分(せうぶん)のたくわへなき事は、汝が知て、今いふ所也。此上は名主殿の下知を以て、最前(さいぜん)のとをり、村中のこらず、五錢、十錢のさしつらぬきを、なさるゝとも、人のこゝろざし、不同(ふどう)にして、あるひは、おしみ、あるひは、腹、たち、或ひは、迷惑に思ふものあらば、是、淸淨(しやうじやう)の善に、あらず。しからば、汝が遠き慮(おもんはかり)も、おそらくは、相違せんか。只、おなじくは、先づ、はやく成佛して、一切滿足の位を得、思ひのまゝに報恩し、心にまかせて、人をも、導(みち)びけ。自證(じせう)も、いまた[やぶちゃん注:ママ。]埒(らち)あかで、いわれざる報恩化他(けた)の願望、せんなし、せんなし。」[やぶちゃん注:「化他」他人を教化すること。]
と、いひければ、怨㚑、こたへて、いわく、
「其事よ。庄右衞門どの。自證とくだつのためにこそ、かゝる化他の願ひもすれ。且、又、貧者のかなわぬ望とは、心得られぬ仰かな。与右衞門こそ、貧者なれ、累は正しく七石目の田畑あり。これを代替(しろかへ)、石佛領(りやう)になしてたべ。」[やぶちゃん注:「領」主要なる代金。]
といふ時、庄右衞門、息をもつがせず、
「さてこそよ、累どの、報恩しやとくは違ひたり。汝、已に地獄をのがれ出て、位を增進する事、ひとへに菊が恩ならずや。しからば、菊を、たすけおき、衣食を与へめぐむならば、報恩ともいゝつべし。その上、田畑・資財は、本より、天地の物にして、定(さだま)れる主[やぶちゃん注:「あるじ」。]、なし。時にしたがつて、かりに名付ける我物なれば、汝が存生(そんじやう)の時は、汝が物、今は、菊が物なり。しかるに、これを沽却(こきやく)して、汝が用所につかはん事、是に過(すぎ)たる橫道(わうだう)、なし。かたはらいたき望み事や。」[やぶちゃん注:「報恩しやとく」「報恩謝德」。受けた恵みや恩に対して報いようと、感謝の気持ちを持つこと。「沽却」売り払うこと。]
と、あざわらつてぞ、敎化しける。
其時、怨㚑、氣色(きしよく)かわつて、
「あゝ、六ケ敷[やぶちゃん注:「むつかしき」。]の理屈爭ひや。なにともいへ、我願(わがねがひ)のかなわぬ内は、こらへは、せぬぞ。」
と云聲の下よりも、泡、ふき出し、目を見はり、手あしを、もがき、五たいを、せめ、悶絕顛倒(もんぜつてんどう)の有さまは、すさまじかりける次第なり。
時に、名主、見るに忍びず、
「しばらく、しばらく、苦痛を、やめよ。汝が望にまかせ、石佛をたてゝ与(あ)たふべし。此間、三海道(みつかいだう)に石佛の如意輪像、二尺あまりと見えたるが、其領(りやう)をたづねるに、『金子貳分』とかや、荅へたり。かほどなるにても、堪忍するや。」[やぶちゃん注:現在の茨城県常総市水海道地区。旧羽生村の南直近の鬼怒川対岸(左岸)で一番近い水海道森下町は一キロも離れていない。]
と問ひければ、累、こたへて、いふよう、
「大小に望みなし。只、はやく立て得させたまへ。」
と云時、常使(じやうつかひ)を呼寄せ、直に累が見る[やぶちゃん注:「みえる」か。]所にて、件(くだん)の石塔をあつらへ畢(おはり)て、
「さては、汝が望み足ぬ。すみやかに、され。」
と、いへば、㚑魂がいわく、
「石佛は、外の望み。我が本意(ほんい)は、『念佛の功德をうけて成佛せん』と思ふなり。急ぎ、念佛を興行し、我を極乐へ送りたまへ。さなくは、いづくへも、行所、なし。」
と、いゝおわつて、本(もと)のごとく、せめければ、名主、年寄、惣談して、
「此上は、村中へふれ𢌞し、一夜(や)、念佛、興行して、大勢の男女、異口同音に、眞實(しんじつ)にゑかうして、累が菩提を、とむらはん。」
といふ時、一同に云けるは、
「名主・年寄へ申す。今夜、村中、打寄、一夜の大念佛を興行し、累に手向たまはゞ、かれが成佛、疑ひなし。しかるに、彼者(かのもの)、廿六年、流轉して、冥途の事をよく知(しり)つらんなれば、我々が親兄弟の、死果生所(しやうしよ)をも尋ね、聞度(きゝたく)、侍る。」[やぶちゃん注:以上の台詞の話者が示されていない。「年寄」ととっておく。]
と、あれば、名主、聞て、
「よくこそ、いゝたれ。此事、我等も聞度候へば、今日は、もはや、日も暮ぬ。明日早々、寄合ん。」
と、各々、約諾(やくだく)、相究(きはめ)、みな、我が屋にぞ歸りける。
[やぶちゃん注:「常使」名主や年寄が公私の連絡に雇っている者であろう。]
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