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2023/01/08

恒藤恭「旧友芥川龍之介」 「芥川龍之介のことなど」(その29) /「二十九 芥川の社会思想」

 

[やぶちゃん注:本篇は全四十章から成るが、その初出は、雑誌『智慧』の昭和二二(一九四七)年五月一日発行号を第一回とし、翌年七月二十五日を最終回として、全九回に分けて連載されたものである。

 底本は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」の恒藤恭著「旧友芥川龍之介」原本画像(朝日新聞社昭和二四(一九四九)年刊)を視認して電子化する(国立国会図書館への本登録をしないと視認は出来ない)。

 本篇「芥川龍之介のことなど」は、底本本書が敗戦から四年後の刊行であるため、概ね歴史的仮名遣を基本としつつも、時に新仮名遣になっていたり、また、漢字は新字と旧字が混淆し、しかも、同じ漢字が新字になったり、旧字になったりするという個人的にはちょっと残念な表記なのだが、これは、恒藤のせいではなく、戦後の出版社・印刷所のバタバタの中だから仕方がなかったことなのである。漢字表記その他は、以上の底本に即して、厳密にそれらを再現する(五月蠅いだけなのでママ注記は極力控える)。但し、活字のスレが激しく、拡大して見てもよく判らないところもあるが、正字か新字か迷った場合は正字で示した。傍点はこのブログ版では太字とした。

 なお、向後の本書の全電子化と一括公開については、前の記事「友人芥川の追憶」等の冒頭注を参照されたい。

 また、全体を一遍に電子化注するには本篇はちょっと長く、また、各章の内容は、そこで概ね完結しているものが多いことから、ブログ版では分割して示すこととした。]

 

        二十九 芥川の社会思想

 

 大正七年の春のことであつたかと思ふが、芥川が入洛して、しばらく祇園の下河原のあたりの宿屋に滯在してゐたことがあつた。ほど好く樹木の茂つた閑靜な庭に面した四疊半くらゐの部屋で食事を共にしたことなどを記憶してゐる。

 その折り「社会思惣について知りたいから、手ごろの書物を貸して欲しい」といふ芥川の依賴に應じて、幾册か持参した。彼はかなり熱心にそれを読んだらしい。どの本とどの本とを貸したか、はつきりとおぼえてゐないけれど。有名なエルツバッハの著書 “Der Anarchismus, 1900” の英訳本がその一つであつたことだけは記憶してゐる。「この本はなかなか便利な本だけれど、大分tediousだね」と芥川が云つたことをおぼえてゐるからだ。当時は前の世界大戰の影響をうけて、わが國の言論界や思想界にさまざまの社会思想が澎湃 とみなぎりはじめた頃であつたので、芥川もそれに興味をいだき、一と通り組織立つた知識をそれについて持ちたいと考へたものらしかつた。いろいろと彼から質問を持ち出されたものであつたが、当時私自身もその方面の硏究をはじめて間も無いことであつたので、それに應答するのには骨が折れたものの、とにかく熱心に論じ合つたことを記憶してゐる。「芥川龍之介全集」第六卷の見返しには、芥川ゑがくところの薄墨いろの蜻蛉二つが茶色の地のうへに飛んでゐるが、その次に

 

     あてかいな、あて宇治のうまれどす。

   茶畑に入日しづもる在所かな

     恒藤恭とエンゲルスの話をする。

     僕曰、エンゲルスは金があつたのだろ。

     恭曰、西洋人は中々蕨ばかりは食はんさ。

     僕曰、僕も蕨ばかり食ふのは御免だ。即戯れに

   山住みの蕨も食はぬ春日かな

 

 といふやうな文句が刷り出してある。これは其の時のことであつたか、もつと後年のことであつたか、記憶に残つてゐない。

 

[やぶちゃん注:「大正七」(一九一八)「年の春」「これは其の時のことであつたか、もつと後年のことであつたか、記憶に残つてゐない」これは恒藤恭の誤認ではなかろうか。この年は二月二日に文と結婚しており、十三日には大阪毎日新聞社社友の件が決まり、月末には名作「地獄變」を起筆、三月には鎌倉大町辻の旧小山別邸内(グーグル・マップ・データ:因みに、私の父方の実家はこの直ぐ近くである)に転居しており、海軍機関学校の仕事も重なっており、凡そ京都でゆっくり滞在というのは無理がある。これは「春」というにはやや後になるが、翌大正八年五月の長崎行の帰りのことではあるまいか? 宮坂年譜に五月十五日と十六日に京都滞在(祇園で遊んでいるから、前の句の前書との親和性もある)の記録がある。

「エルツバッハの著書 “Der Anarchismus, 1900” 」ドイツの弁護士でユダヤ系ドイツ人の法学教授にして、ボルシェビズムの支持者であったルドルフ・ミュラー・エルツバッハ(Paul Eltzbacher 一八六八年~一九二八年)の著になる一九〇〇年刊の「アナキズム」。

「芥川ゑがくところの薄墨いろの蜻蛉二つが茶色の地のうへに飛んでゐる」この恒藤の解説通りの絵は所持する複数の芥川龍之介の画集や図集を見たが、見当たらない。知られた蜻蛉の絵はあるが、二匹ではなく、一匹で、地面も描かれていない。国立国会図書館デジタルコレクションの昭和一〇(一九三五)年刊の普及版第六巻の画像を視認したが、そこにはない。

「茶畑に入日しづもる在所かな」この句は前書ともに芥川龍之介が精選した「澄江堂句集」に含まれる。私の「やぶちゃん版芥川龍之介句集 一 発句」を参照されたい。この二句と前書全部を含むのは、芥川龍之介の未発表の「蕩々帖」(同名の二冊目)に出る。私の「やぶちゃん版芥川龍之介句集 二 発句拾遺」を参照されたいが、そちらでは、古い電子化注であるため、漢字の正字化が一部不全で、前書にも手を入れて恒藤の示すように改行してしまっているから、ここで、改めて正確な表記のそれを示す。

   *

 

  あてかいな あて宇治のうまれどす

茶畑に入日しづもる在所かな

 

  恒藤恭とエンゲルスの話をする 僕曰エン
  ゲルスは金があつたのだろ 恭曰西洋人は
  中々蕨ばかりは食はんさ 僕曰僕も蕨ばか
  り食ふのは御免だ 卽戲れに

山住みの蕨も食はぬ春日かな

 

   *

二句目の前書と句は、言うまでもなく、「史記」の「伯夷叔齊」のパロディである。この前の句については、『ホトトギス』大正一二(一九二三)年六月発行のそれに「その後製造した句」として公開している。]

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