恒藤恭「旧友芥川龍之介」 「芥川龍之介書簡集」(二十四) (標題に「二三」とあるのは誤り)
[やぶちゃん注:本篇は松田義男氏の編になる「恒藤恭著作目録」(同氏のHPのこちらでPDFで入手出来る)には初出記載がないので、以下に示す底本原本で独立したパートとして作られたことが判る。書簡の一部には恒藤恭の註がある。書簡数は全部で三十通である。ただ、章番号には以下のような問題がある。実はこれより前で、「六」の後が「八」となってしまって、その次が「七」、その後が再び「八」となって以下が最後の「二十九」まで誤ったままで続いて終わるという誤りがある。私のこれは、あくまで本書全体の文字部分の忠実な電子化再現であるから、それも再現する。
底本は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」の恒藤恭著「旧友芥川龍之介」原本画像(朝日新聞社昭和二四(一九四九)年刊)を視認して電子化する(国立国会図書館への本登録をしないと視認は出来ない)。
本「芥川龍之介書簡集」は、底本本書が敗戦から四年後の刊行であるため、概ね歴史的仮名遣を基本としつつも、時に新仮名遣になっていたり、また、漢字は新字と旧字が混淆し、しかも、同じ漢字が新字になったり、旧字になったりするという個人的にはちょっと残念な表記なのだが、これは、恒藤のせいではなく、戦後の出版社・印刷所のバタバタの中だから仕方がなかったことなのである。漢字表記その他は、以上の底本に即して、厳密にそれらを再現する(五月蠅いだけなのでママ注記は極力控える)。但し、活字のスレが激しく、拡大して見てもよく判らないところもあるが、正字か新字か迷った場合は正字で示した。
なお、向後の本書の全電子化と一括公開については、前の記事「友人芥川の追憶」等の冒頭注を参照されたい。
また、私は一昨年の二〇二一年一月から九月にかけてブログ・カテゴリ「芥川龍之介書簡抄」百四十八回分割で芥川龍之介の書簡の正規表現の電子化注を終えている。そちらにあるものについては、注でリンクを示し、注もそちらの私に譲る。但し、以上に述べた通り、表記に違いがあるので、まず、本文書簡を読まれた後には、正規表現版と比較されたい。
各書簡部分はブログでは分割する。恒藤恭は原書簡の表記に手を加えている。
以下の書簡は未電子化であったため、先ほど、「芥川龍之介書簡抄158 追加 大正六(一九一七)年十月七日 井川恭宛」として正規表現で電子化注をしておいた。標題に特異点で「東京」とあるが、田端の自宅である。]
二三(大正六年十月七日 東京から京都へ)
今日又東京へかへつて來た。態々難有う。
あらしはずゐぶん東京がひどかつた。本鄕藪下のよく君と散步した通り(まつすぐゆくと森さんの家の前へ出る細い通り)では、あの大きな欅が三本根元からひつくり返つて、向う側の家を二つつぶしちまつた。大学の木も大分やられた。上野もひどい。銀座の柳がならんで何本も仆れたのも奇観だつたし、朝方々の看板が往來へたくさん落ちてゐたのも盛だつた。僕のうちは垣根が仆れただけだが、前の柏倉(屋根に鳩のあるうち)では、庇が何間か風にさらはれて、うちの中へ雨が土砂降にふりこんださうだ。うしろの小山君の庇も風にやられて、画を大分痛めたらしい。
学校の方は大分忙しくなつた。和文英譯を敎へるんだから、やりきれない。近々大阪每日へ半月位の豫定で短篇をかく。
雅子さんによろしく。
十月七日 芥 川 龍 之 介
« 芥川龍之介書簡抄158 追加 大正六(一九一七)年十月七日 井川恭宛 | トップページ | 恒藤恭「旧友芥川龍之介」 「芥川龍之介書簡集」(二十五)+(二十六) (標題に「二四」及び「二五」とあるのは誤り) »