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2023/01/09

「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 「話俗隨筆」パート 蟻の道

 

[やぶちゃん注:「續南方隨筆」は大正一五(一九二六)年十一月に岡書院から刊行された。

 以下の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した。今回の分はここと次のコマ。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊)を使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集4」の「続南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)で校合した。

 注は文中及び各段落末に配した。彼の読点欠や、句点なしの読点連続には、流石に生理的に耐え切れなくなってきたので、向後、「選集」を参考に、段落・改行を追加し、一部、《 》で推定の歴史的仮名遣の読みを添え(丸括弧分は熊楠が振ったもの)、句読点や記号を私が勝手に変更したり、入れたりする。漢文脈部分は後に推定訓読を添えた。

 本篇には図が附帯する。以上の底本からダウン・ロードしてトリミングし補正を加えた。]

 

     蟻 の 道   (大正二年九月『民俗』第一年第二報)

 

Arinomiti

[やぶちゃん注:キャプション十字型下方の右端から三本目の線の下で切れた頭部分に指示線をして「カキハジメ」とあり、左方に突き出た部分の最上方の線の端に「書き終わり」の出口よろしく「↖」が外へ示されてある。]

 

 四十年許り前、予、幼少の頃、和歌山市で小兒の戯れに、蟻の道と云《いふ》のが有《あつ》た。圖の如く十字形の四瑞每に、又、小《ちさ》き十字有るを、尖つた小石で地上に畫き、扨、其一部に最《いと》近き一點より、「蟻の道はどうよ、こう、きて、こうよ。」と唱へ乍ら、氣長く、成《なる》べく本形に沿《そつ》て相觸れぬ樣に渦紋を畫き廻る。其線が成べく細かくて、多く重なり廻るを上手とす。單獨で出來る時間漬しの最上乘な戯れだった。田邊抔にも古く有たそうだが、今の小兒は一向知らぬ樣だ。「義經記(ぎけいき)」五の二、靜女(しづか)、御嶽(みたけ)の藏王權現の前で、法樂(はうらく)の謠《うたひ》に、「蟻のすさみの惡(にく)きだに、步《あり》きの跡は戀しきに」と有れば、昔より、邦人が蟻の道に注意したと分るが、件《くだん》の兒戯を物に記したのを、予は見ぬ。十六、七年前、故「ウヰリアム・フーセル・カービー」氏、蟻類の槪說を著はし、内に特に蟻に關する民俗傳說の一章を設けたのを、一本、予に贈られた。其にも右樣の遊びは一向見えぬ。

[やぶちゃん注:残念なことに、ネット上にも、この遊戯は見当たらない。

『「義經記(ぎけいき)」五の二、靜女(しづか)、……』「義経記」(源義経と、その主従を中心に書かれた作者不詳の軍記物。全八巻。南北朝から室町初期に成立したと考えられている)の巻第五の二章目、運命的な別離を描く「靜(しづか)吉野山に棄てらるゝ事」の一場面。実際には本篇との強い連関性はないのだが、「義経記」は私の好きな作品であるから、以下に所持する「日本古典文学大系」版(昭和三四(一九五九)年刊・岡見正雄校注)で電子化しておく。読みは一部に留めた(一部は推定で添えた)。踊り字「〱」は正字化した。補塡された丸括弧は省略した。読み易さを考え、段落を成形し、読点・記号も加えた。「謠ひ」の詞は句読点を排除し独自に表記・改行をした。挿絵が底本にある(国立国会図書館支部東洋文庫蔵本)ので、トリミング補正して添えておく。

   *

 

Sizu

 

 供したる者ども、判官(はうぐわん)の賜(た)びたる財寶を取りて、搔消(かきけ)す樣にぞ失せにける。

 靜は日の暮るゝに隨ひて、

「今や今や。」

と待ちけれども、歸りて事問ふ人もなし。せめて思ひの餘りに、泣く泣く、古木(こぼく)の下(もと)を立出でて、足に任せてぞ迷ひける。

 耳に聞ゆるものとては、杉の枯葉を渡る風、眼に遮(さへぎ)るものとては、梢(こずゑ)まばらに照(てら)す月、そゞろに物悲しくて、足をはかりに行く程に、高き峯に上りて、聲を立てて喚(おめ)きければ、谷の底に木魂(こだま)の響きければ、

「我を言問(ことと)ふ人のあるか。」

とて、泣く泣く、谷に下りて見れば、雪深(ふか)き道なれば、跡踏みつくる人も、なし。

 又、谷にて、悲しむ聲の、峯の嵐にたぐへて聞えけるに、耳を欹(そばだ)てて聞きければ、幽(かすか)に聞ゆるものとては、雪の下行く細谷(ほそたに)河の水の音、聞くに辛さぞ、勝りける。

 泣く泣く、嶺に歸り、上りて見ければ、わが步みたる後(あと)より外に、雪踏み分くる人も、なし。

 かくて、谷へ下り、峯へ上りせし程に、履きたる靴も、雪に取られ、著(き)たる笠も、風に取らる。足は、皆、踏み損じ、流るゝ血は、紅(くれなゐ)をそそくが如し。

 吉野の山の白雪(しらゆき)も、染めぬ所ぞ、なかりける。袖は淚に萎(しほ)れて、袂に垂氷(たるひ)ぞ、流れける。裾は氷柱(つらら)に閉ぢられて、鏡を見るが如くなり。されば、身もたゆくして、働かされず。

 其夜は、夜もすがら、山路に迷ひ明(あか)しけり。

 十六日の晝程に、判官には離れ奉りぬ。今日、十七日の暮まで、獨り、山路に迷ひける、こゝろの中(うち)こそ悲しけれ。

 雪、踏み分けたる道を見て、

『判官の、近所にや、おはすらん。又、我を棄てし者どもの、この邊にやあるらん。』

と思ひつゝ、足を計(はか)りに行く程に、やうやう、大道(だいだう)にぞ出でにけり。

『これは、何方(いづかた)へ行く道やらん。』

と思ひて、暫く、立ち休らひけるが、後(のち)に聞けば、宇陀(うだ)[やぶちゃん注:現在の奈良県宇陀市(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。]へ通ふ道なり。

 西を指して行く程に、遙(はるか)なる深き谷に、燈火(ともしび)、幽に見えければ、如何なる里やらん、賣炭(ばいたん)の翁(おきな)も通(かよ)はじなれば、唯、炭竈(すみがま)の火にても、あらじ。秋の暮ならば、澤邊(さはべ)の螢かとも疑ふべき。

 斯くて樣々(やうやう)近づきて見ければ、藏王權現の御前の燈籠(とうろ)の火にてぞありける。差入(さしい)り、見たりければ、寺中には、道者、大門に滿ち滿ちたり。

 靜、これを見て、

『如何なるところにて渡らせ給ふらん。』

と思ひて、或御堂の側(かたはら)に、暫らく、休み、

「是は、何處(いづく)ぞ。」

と人に問ひければ、

「吉野の御嶽(みたけ)。」

とぞ申しける。

 靜、嬉しさ、限りなし。月日こそ多けれ、今日は十七日、この御緣日ぞかし。

 尊(たうと)く思ひければ、道者に紛(まぎ)れ、御正面に近づきて、拜み參らせければ、内陣・外陣の貴賤、中々、數知らず。

 大衆(たいしゆ)の所作(しよさ)の間は、苦(くるし)みの餘りに、衣、引被(ひきかつ)ぎ、伏したりけり。

 務めも果てしかば、靜も起きて、念誦してぞ、居たりける。

 藝に從ひて、思ひ思ひの馴子舞(なれこまひ)[やぶちゃん注:底本頭注に、『酒宴や宴会で初めて会った人が互に親しむためにする歌舞などの芸づくしをいうか。或いは神に親しむという意味を含めているかもしれない』とある。]する中にも、面白かりし事は、近江國より參りける猿樂、伊勢國より參りける白拍子も、一番、舞ふてぞ、入りにける。

 靜、これを見て、

「あはれ、われも打解(うちと)けたりせば、などか、丹誠を運ばざらん、願はくは權現、今度(このたび)、安穩(あんをん)に都へ歸し給へ、また飽(あ)かで別れし判官、事故(ことゆゑ)なく、今一度、引合(ひきあ)はせさせ給へ。さもあらば、母の禪師と、わざと參らん。」

とぞ祈り申しける。

 道者、みな、下向して後(のち)、靜、正面に參りて、念誦して居たりけるところに、若大衆(わかだいしゆ)の申しけるは、

「あら、美(うつく)しの女(むすめ)の姿や、只人共(とも)覺えず、如何なる人にておはすらん。あの樣(やう)なる人の中にこそ、面白き事も、あれ。いざや、勸めてみん。」

とて、正面に近づきしに、素絹(そけん)の衣(ころも)を著たりける老僧の、半裝束(はんしやうぞく)の數珠(じゆず)[やぶちゃん注:半分が水晶、半分が瑪瑙などの玉を交えた数珠。]持ちて立ちしが、

「あはれ、權現の御前にて、何事にても候へ、御法樂候へかし。」

と、ありしかば、靜、これを聞きて、

「何事を申すべきとも覺えず候。近き程の者にて候。每月に參籠申すなり。させる藝能ある身にても候はばこそ。」

と申しければ、

「あはれ、此權現は靈驗無雙(れいげんぶさう)に渡らせ給ふ物を。且は、罪障懺悔(さんげ)の爲にてこそ候へ。此垂跡(すいじやく)は藝有る人の、御前にて、丹誠(たんぜい)運ばぬは、思ひに思ひを重ね給ふ。面白からぬ事なりとも、わが身に知る事の程を、丹誠を運びぬれば、悅びに、又、悅びを重ね給ふ權現にて、わたらせ給ふ。これ、私(わたくし)に申すにはあらず、一重(ひとへ)に權現の託宣にて渡らせ給ふ。」

と申されければ、靜、これを聞きて、

『恐しや、われはこの世の中に名を得たる者ぞかし。神は正直の頭(かうべ)に宿り給ふなれば、斯くて空しからん事も恐れあり。舞までこそなく共(とも)、法樂の事は苦しかるまじ。我を見知りたる人は、よも、あらじ。』

と思ひければ、物は多く習ひ知りたりけれども、別して白拍子の上手にてありければ、音曲(おんきよく)、文字うつり、こゝろも言葉も及ばず、聞く人、淚を流し、袖を絞らぬは無かりけり。終に斯くぞ謠(うた)ひける。

  在(あ)りのすさみのにくきだに

  在りきの後(あと)は戀しきに

  飽かで離れし面影を

  何時(いつ)の世にかは忘るべき

  別れの殊に悲しきは

  親の別れ 子の別れ

  勝(すぐ)れて げに悲しきは

  夫妻(ふさい)の別れなりけり

[やぶちゃん注:底本頭注にある通釈。『ただ漫然としている時は憎い時もあったのに、いなくなった時は悲しいのに、まして十分思いを語らわない中に死別されてしまっては恋しい人の面影を何時の世に忘れよう。色々の別れのうちに特に悲しいのは親に死に別れることと、子に死なれることであるが、それに勝って悲しいのは夫婦の別れである』とあり、「古今六帖」や「源氏物語」に見える「ある時はありのすさびに憎かりきなくてぞ人は戀しける」などの『歌を踏まえている』とある。但し、巻末補注に、『同工異曲のものが』「曾我物語」(原初形態は鎌倉中・後期にかけて成立し、後に本書と同じく南北朝から室町時代にかけて発展したものと推定される作品である)『巻七の五、母の勘当許さるゝ事の条に五郎の舞としえ見える』ともある。]

と、淚の頻りに進みければ、衣、引被きて、臥しにけり。

 人々、これを聞き、

「音聲(をんじやう)の聞き事かな。何樣、只人にては、なし。殊に夫を戀ふる人と覺ゆるぞ。如何なる人の、この人の夫となり、是程、こゝろを焦るらん。」

とぞ申しける。

 治部法眼(ぢぶのほうげん)と申す人、これを聞きて、

「面白きこそ理(ことわり)よ。誰(た)そと思ふたれば、是こそ、音に聞えし靜よ。」

と申しければ、同宿、聞きて、

「如何にして見知りたるぞ。」

と言へば、

「一年(ひととせ)、都に百日の日照(ひでり)のありしに、院の御行(ごかう)ありて、百人の白拍子の中にも、靜が舞ひたりしこそ、三日の洪水、流れたり。『さてこそ、日本一。』といふ宣旨を下されたりしか、その時、見たりしなり。」

と申しければ、若大衆共、申しけるは、

「さては判官殿の御行方(おんゆくゑ[やぶちゃん注:ママ。] )をば、この人こそ、知りたるらめ。いざや、止(とゞ)めて、聞かん。」

と申しければ、同心に、

「尤も。然るべし。」

とて、執行(しふぎやう)の坊[やぶちゃん注:寺務全般を統括する僧職のいる僧房。]の前に、關(せき)を据へて、道者の下向を待つ處に、人に紛れて下向しけるを、大衆、止めて、

「靜と見奉る、判官は何處におはしますぞ。」

と問ひければ、

「御行方(おんゆくゑ[やぶちゃん注:ママ。] )知らず候。」

とぞ申しける。小法師ばらども、荒(あら)らかに言ひけるは、

「女なりとも、所に、な置きそ。唯、放逸(はういつ)に當(あた)れ。」[やぶちゃん注:底本頭注に『身体のどこにでも遠慮するな、残酷な仕打ちをしろの意か』とある。]

と罵(のゝし)りければ、靜、

『如何にもして、隱さばや。』

と思へども、女のこゝろのはかなさは、わが身、憂目(うきめ)に逢はん事の恐ろしさに、泣く泣く、ありの儘にぞ、語りける。

 さればこそ、

「情ありける人にて、ありける物を。」

とて、執行の坊に取入(とりい)れて、やうやうに勞(いたは)り、その日は、一日、止めて、明けければ、馬に乘せて、人を附け、北白川(きたしらかは)[やぶちゃん注:この附近。]へぞ送りける。これは、衆徒の情とぞ、申しける。

   *

『「ウヰリアム・フーセル・カービー」氏、蟻類の槪說を著はし』イギリスの昆虫学者で民俗学者でもあったウィリアム・フォーセル・カービー(William Forsell Kirby  一八四四年~一九一二 年)。南方熊楠は大英博物館の自然史のスタッフ助手であった彼と交友があった。当該作は一八九八年刊の‘Marvels of Ant Life’(「蟻の一生の驚異」)か。]

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