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2023/01/16

芥川龍之介書簡抄155 追加 大正六(一九一七)年四月一日 井川恭宛

 

大正六(一九一七)年四月一日・田端発信・井川恭宛(転載)

 

拜復

ボクの病氣はもう大へんいゝから安心してくれ給へ。一時 三十九度五分も熱が上つて悲觀したが

藤岡君の件について藤岡君にさうする意志さへあれば確にいい緣談だと思ふ いや僕は君の妹さんをよく知らないからその知らないことも勘定に入れての上でだが

但藤岡君には今緣談が一つあつてそれが着々進行中らしい どの程度まで進行してゐるか最近に會はないから知らないがもう見合ひもすみはしないかと思ふ 僕はあした東京を去らなげればならないので會つてゆくひまがないが君の妹さんの事には少しも touch しずに今の緣談がどの位進んでゐるか手紙で聞いて見てもいい

もし或程度まで進んでゐるとすると僕はそいつを打壞すのはとても恐しくて出來ない

ボクはどんな意味でも人の運命に交涉を持つ事にはこの頃益々神經質になりつゝある。

まだ病後の疲勞が囘復しないせゐか、何としても疲れ易い。これでよす。

それから今月の中央公論へ出した僕の小說は大に自信のない事を廣告しておく。

    四月一日夜          龍

 

[やぶちゃん注:最後の署名は下四字上げインデントであるが、引き上げた。この「転載」については、底本の岩波旧全集の後記に、岩波の第三次新書版全集(昭和二九(一九五四)年から翌年にかけて刊行)で、「一時 三十九度五分も熱が上つて悲觀したが」の箇所から「とても恐しくて出來ない」までの部分が『(中略)』となった状態で公開されていたものを、後の角川書店版「芥川龍之介全集別巻」(昭和四四(一九六九)年刊)で、完全版が補塡され、それにに基づいたものである旨の記載がある。

「ボクの病氣」体温から想像出来る通り、前月三月末にインフルエンザに罹患して発熱し、前年十二月に着任した海軍機関学校も一週間ほど休んでいた。

「藤岡君」藤岡蔵六(ぞうろく 明治二四(一八九一)年~昭和二四(一九四九)年)のことであろう。愛媛県生まれで、一高以来の井川とも共通の友人で哲学者。東京帝大哲学科を卒業後、ドイツに留学し、帰国後、甲南高等学校教授となった。「芥川龍之介書簡抄8 / 明治四五・大正元(一九一二)年書簡より(1) 八通」の「明治四五(一九一二)年六月二十八日・井川恭宛」の私の彼の注を見られたいが、低人氏のブログ「あほりずむ」の「藤岡蔵六」によれば、芥川・恒藤とともに「一高の三羽烏」と称された才人であったが、『和辻哲郎に学者生命を絶たれた』と穏やかならぬ記載があった。その紹介本である関口安義「悲運の哲学者 評伝 藤岡蔵六」(二〇〇四年イー・ディー・アイ刊)を見れば判りそうだが、藤岡と恒藤の妹の縁談話がどこが発端の起点なのかが判らないが、あったようである。ところが藤岡には同時に別な縁談話があって「それが着々進行中らしい」と釘を刺した上、「どの程度まで進行してゐるか」は「最近」彼とは逢っていないから判らないとしつつも、さらに「もう」そっちの方の「見合ひも」そこそこに済んでおり、そのまま進むように思うと、警告染みたことを記している。それを悪く感じたか、よかったら、「君の妹さんの事には少しも」触れ「ずに今の」そっちの方の「緣談がどの位」まで「進んでゐるか」を藤岡に「手紙で聞いて見てもいい」と思いやりめいた言い添えをしている、一方、しかし、「もし或程度まで進んでゐるとすると」、「僕はそいつを打壞すのは」、「とても恐しくて出來ない」し、僕「はどんな意味でも」、「人の運命に交涉を持つ事には」、「この頃」、「益々」、「神經質になりつゝある」からと多重の忌避感丸出しのダメ押しをしている。これは二年前の春の吉田彌生との忌まわしい破局がフラッシュ・バックしているのは明らかであり、私が彌生との破恋がトラウマとなっていることを如実に示している、龍之介にしては、珍しい妙に捩じくれた雰囲気のある文章となっているところが興味深い。「病後の疲勞が囘復しないせゐか、何としても疲れ易い」から「これでよす」というのも、弁解のために添えた印象で、こうした縁談のゴタゴタには触れたくないという本音が見え見えである。吉田彌生との一件は、それほどの心の疼き続ける傷痕となっていたのである。

「今月の中央公論へ出した僕の小說」この四月一日発行の『中央公論』に発表した「偸盗」の第一回分を指す(「一」~「六」。第二回分は七月一日発行の同誌で「續偸盗」で「一」~「三」)。龍之介は執筆の最中からこの作品に不満を持ち、初回発表前後、ここにある通り、複数の友人に出来に不信を示す言葉を書いている。七月分公開後もこの不満は膨らみ、龍之介は早期から全面的に改作する強い希望を持っていたが、結局、着手することなく、「未完」と称されることと、現在はなっている。但し、私は、若き日に読んだ折り、「偸盗」を断絶した未完とは感じなかったし、寧ろ、精緻に計算された冷徹な「羅生門」や「芋粥」などよりも、遙かに血の匂いのするもの凄い、これはこれで完結された〈王朝物〉の名篇とさえ感じている。]

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