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2023/01/22

死靈解脫物語聞書上(4) 菊本服して冥途物語の事

 

[やぶちゃん注:本書の解説や底本等は、冒頭の「累が最後之事」を参照されたい。二行割注。]

 

     菊本服(ほんぶく)して冥途物語(めいどものかたり)の事

 

Kikujigokumeguri

 

[やぶちゃん注:本シークエンスの挿絵左右見開きで続きのワンカット二枚。上方に地獄の想起が吹き出しで描かれてある。底本には挿絵はなく、これは所持する国書刊行会『江戸文庫』版に挿入された東京大学総合図書館蔵本のそれをトリミング補正した。枠外は清拭したが、絵の内部は、一切、手をつけていない(因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である)。キャプションがある。右の図は、右上方の鬼女めいた累の図の右に、

「かさねが

  おんりやう」

左手の菊の脇に、

「 きく

 ごぢごく ごくらくの

 ものかたり」

左の図の右下方に。

「村の人よりあひ

  ねんぶつを

   くうぎやう」

とある。「くうきやう」は「供養」。左の上中央には、本文には出ないが、私の大好きな「浄玻璃の鏡」が描かれてある。]

 

「今度[やぶちゃん注:「このたび」。]、ふしぎ成事ありて、与右衞門が娘の菊、累と云ものゝ亡魂にさそはれ、地獄・極乐(ごくらく)、見し。」

など云(いふ)に、

「いざ、行(ゆ)ひて、聞べし。」

と、村中の男女、あつまり、いろいろの物語する中に、先(まづ)、ある人、問(とい)ていわく、

「菊よ、此比、累にさそわれて、何国(いづく)にか、行きし。又、其累といふものゝ姿は、いかやうにか、有し。」

と、いへば、菊、荅ていわく、

「されば、累と云女は、まづ、いろ黑く、かた目、くされ、鼻は、ひしげ、口ののはゞ、大きに、すべて、顏の内には、もがさのあと、所せきまで、ひきつり、手もかゞまり、あしも、かたみぢかにして、世にたぐひなく、恐ろしき老婆成しが、折々、夢現(ゆめうつゝ)に來り、我を、さそひ行んとせしか共、あまり恐ろしくて、いろいろ、わびことし居(ゐ)たる所に、有時、又、來(きたつ)て、是非をいわせず、終(つゐ)に我身をひじさげ[やぶちゃん注:「肘」に「提げ」。]はしり行(ゆき)しが、刀(かたな)の葉の木かやのしげりたる、山のふもとに我を捨ておき、其身は、いづ地ともなく、消へうせぬ。」[やぶちゃん注:「木かや」裸子植物門マツ綱マツ目イチイ科カヤ属カヤ Torreya nucifera 。葉は長さは二~三センチメートル、幅は二~三ミリメートルで、線形を成し、断面は扁平で表面が膨らみ、先端は鋭く尖っていて、触れると痛い。葉の表面は黒緑色から濃緑色で、光沢があり、革質で硬く、枝に羽状に互生する。]

と、いへば、又、有人、聞ていわく、

「それは、正(まさ)しく『劔山(けんざん)ぢごく』とやらんにてあるべし。いかなる人や登りつらん。」[やぶちゃん注:「劔山ぢごく」地獄思想で「剣葉林」「剣樹林」「刀葉林」「刀葉樹」と呼ばれる、私の最も好きな地獄のヴァリエーションの一つ。色々な様態表現があるが、一般的には、殺生・偸盗に邪淫の罪を加えた亡者は落ちる「衆合(しゅごう・しゅうごう)地獄」のそれがオーソドックスで、例えば、ウィキの「八代地獄」の「衆合地獄」の記載を、一部、借用すると、『相対する鉄の山が両方から崩れ落ち、おしつぶされて圧殺されるなどの追い込まれた苦を受ける』(次段の「谷尾」がそれ)。『剣の葉を持つ林の木の』頂きに『美人が』立って、『誘惑して招き』、覚えず淫を発して無我夢中で『罪人が登ると』、ずたずたに全身を傷つけられ、ふと見れば、『今度は木の下に』かの『美人が現れ、その昇り降りのたびに罪人の体から血が吹き出す』という、シジフォス的円環苦患(くげん)を受けるものである。]

と、いへば、菊、こたへて、いわく、

「さればとよ。おとこ、女は、いかほどゝいふ數かぎりなき其中に、たまたま、法師なども、うち交じりて見ゆめるが、ある女のうつくしく、やさしげなるかほつきし、色よき小袖をうちはをり、少し、谷尾(たにお)をへだてたる向ひのかたの山ぎわにて、うちわ、さしかざし、ゑもしれぬ事をいふて招く時、老たる若きおのこども、あるひは、法師まじりに、心も、うかうかしく、そらになりて、我さきにはしり行き、彼(かの)の女に近付(ちかづか)んとあらそひ行に、林の切かぶ、さながら、劔にて、足を、つんざき、あるひは、ゆん手(で)、め手の、木(き)かやの葉にさわれば、はだへを、やぶり、しゝむらを、けづる。また、空よりは、風のそよふくに、劔の木の葉は、たえず落ちかゝつて、首(かふべ)を、くだき、なづき[やぶちゃん注:頭。]を、とをすゆへ、五体より血を流す事、いづみのわき出るごとく、道(みち)も木草(きくさ)も、血しほに、そみ、谷の流れもそのまゝ、あかねをひたせるに同じ。かく、からくして、やふやふ、行付くと見れば、あらぬ野山の刀の木の梢にうそぶき、さきのごとく、人をまねき、たぶらかす。かやうに、男は、女にばかされ、おふなは、おのこに、たぶらかされて、たがひに身を刄(やいば)にかけ、かばねに血をそゝくを見れば、かはゆくもあり、又、おかしくも有し。」

と、いへば、又、問ていわく、

「さて、其劔刄(つるぎやいば)は、汝が身には、たゝざるや。其外には、何事か有し。」

と、いへば、菊、こたへていわく、

「さればにや、彼(かの)つるぎ、我身に、かつて、あたらず。しげれる中を、わけて行くに、道の木かやも外になびき、空よりふる刄も、我が身にはかゝらず、すべて、いかなる故やらん、おそろしき事、少(すこし)も、なかりき。さて、其山を過(すぎ)て、じやうじやうたる野原(のばら)を行けば、何に當(あたつ)て、結構なる門がまへの屋(いゑ)あり。番衆(ばんしゆ)とおぼしき人、よき衣裳にて、あまた居(い)られしに、近付き、事のやうをたづねければ、[やぶちゃん注:「じやうじやうたる」「擾擾たる」であろう。但し、歴史的仮名遣は「ぜうぜう」。入り乱れてごたごたするさま。同義の「冗冗」でも「じようじよう」。「何に」「いづくに」か。「何処だかわからないが」。]

「爰は極乐の東門。」

と仰せられし。ゆかしさのまゝ、さしのぞきながめやれば、内より、僧の有が[やぶちゃん注:「あるが」。]、出て[やぶちゃん注:「いでて」。]、我が手を取て、引(ひき)入れ、所所[やぶちゃん注:「ところどころ」。]を、ことわけて、いゝきかせ給ひしが、中々、結講に奇麗なる事、かたらんとするに、言葉をしらず。先[やぶちゃん注:「まづ」。]、地(ぢ)には、白かね・こがねなどの沙(すな)いさごを敷(しき)て、所所には、いろいろに、ひかる玉などにて、垣(かき)を、しわたし、さて、其間々(あいたあいた)に、さまさまのうへ木・草花、うねなみ、よく、うへ、そろへ、花も有、実(このみ)も有、靑葉も有、紅葉(もみぢ)もあり。つぎほに、つぎ穗をかさね、ゑもいわぬ香(にほ)ひ、かうばしき樹(うへき)ども、いくらと云(いふ)數、かぎりなし。

[やぶちゃん注:「うねなみ」「壠並み」。積み重ねるように植え並べてあり。]

 さて、其次には、たからの玉にて堤(つゝみ)を築(づい)たる池の中に、蓮(はす)の花の、色よく、赤く、白く、靑く、黃色に、まんまんと咲(さき)みだれたる花のうへに、はだへも、すきとをりたる人の、遊びたわむれ居(ゐ)られしなど、面白く、うら山しく、我も、もろ共に、あそびたくこそ思ひけめ。

[やぶちゃん注:「築(づい)たる」は「築(つ)きたる」のイ音便の濁音化。]

 さて、其次には、大き成屋(いへ)の門に入てみれば、弘經寺(ぎきやうじ)の佛殿などよりも、中中、すぐれたる構へにて、黃(き)げさ・黃衣[やぶちゃん注:「くわうえ」。僧の僧の上着。]をめされたる御僧達の、いくらともなく並居(なみゐ)たまへるに、どりどりに、名もしらぬ、かざり物共をならべたて、或は佛事・作善(さぜん)などやうの所もあり、あるひは、談義・法會(ほうゑ)のていに見へたる所もあり。あるひは、世にとうとげなる僧達の集り居て、何とも物をいわで、もくもくとして居られし座敷も有。あるひは、かね・太鼓・笛・尺八や、其外、いろいろの鳴(なり)物共、拍子をそろへて、舞ひあそばるゝ座敷も有。此外、いく間も有しかども、爰(こゝ)にて、たとふる物、なきゆへに、つぶさには語られず。

[やぶちゃん注:「弘經寺(ぐきやうじ)」今は「ぐぎょうじ」と読む。現在の茨城県常総市羽生町にある浄土宗寿亀山天樹院弘経寺(グーグル・マップ・データ)。当該ウィキによれば、応永二一(一四一四)年、鎌倉の『名越流北条氏一族の出で、増上寺開山聖聡弟子だった嘆誉良肇(りょうちょう)の開山により、下総国岡田郡飯沼村』(現在の茨城県常総市羽生町の古い村名)『に創建された』。『『良肇により僧侶の教育に力が入れられ、二世の松平氏宗家第四代松平親忠開基の大恩寺開山了暁(りょうぎょう)慶善、弘経寺三世の曜誉酉冏(ゆうげい)、徳川将軍家菩提寺大樹寺開山の勢誉愚底(ぐてい)、知恩院』二十二『世周誉珠琳(しゅりん)、松平氏宗家第三代松平信光開基の信光明寺開山釋誉存冏(そんげい)など』を『輩出』した。『のち、北条氏と争っていた下妻城主多賀谷重経の陣が寺内に置かれ、戦禍により荒廃するが、徳川家康次男結城秀康の開基で、結城弘経寺(茨城県結城市)が再建された』。『家康からも信仰されていた』十『世了学により』、『再興され、江戸期には浄土宗の檀林がおかれた。了学から五重相伝を受けた千姫から本堂の寄進もなされた』、比較的新しいが、浄土宗の名刹であり、上記の地図で判る通り、舞台である旧羽生村の東のごく直近にある。

「作善」仏縁を結ぶためのさまざまな善事を行うこと。造仏・造塔・写経など。]

 さてまた、空より、いろいろの花ふるゆへに、『是は。』と思ひ、見あげたれば、塔とやらん、殿(でん)とやらん、光りかゝやく屋作りの、雲のごとくに、立並(たちなら)ぶ。其間〻[やぶちゃん注:「そのあひだあひだ」。]のきれと[やぶちゃん注:「切戶」。V字形に山稜の切れ込んで低くなっている急な崖。]には、いろどりなせるかけ橋を、かなたこなたへ引はへて、其上をわたる人々の、かずかず、袖をつらねて、行通ふ有樣、あぶなげもなきていたらく、月日よりも、あきらかに、つらなる星のごとくにて、かきりなき空の氣色(けしき)、何(なに)とも何とも、詞(ことば)には、のべられず。かやうに、いつとなく、こゝかしこを、見めぐれとも、夜(よる)昼(ひる)昏(よい)曉(あかつき)の差別(しやべつ)もなく、雨風(あめかぜ)雷電(らいでん)のさたも、せず。惣じて、何に付ても、せわくしき事なく、世にたぐひなき、ゆたか成所にて有しか。」

とぞ、かたりける。

 又、問て、いわく。

「其極乐にては、何をか、てには、しけるぞや。」

と。

 菊、こたへて、いわく、

「樹(うへき)に成[やぶちゃん注:「なりたる」。]たるだんす[やぶちゃん注:「團子」(だんご)に同じ。]のやう成ものを、与へられしまゝ、たべたり。」

と。

 又、問て、いわく、

「その味(あぢはひ)は、いか樣にか、有し。」

と。

 菊、荅へて、いわく、

「爰にて、くらはぬ物なれば、何とも、ことばには語られぬが、今に、其氣味は、口のうちに殘りたり。誠にたくさんに有しものを。いくらも拾ひ來て、たれたれにも、一ツあて成共[やぶちゃん注:「なりとも」。]、とらせんものを。」

と、わきまへもなく、語りけり。

 其中に、さかしきものの有て、いふやうは、

「誠に極乐の叓[やぶちゃん注:「事」の異体字]。]は、阿弥陀如來、因位(いんゐ)[やぶちゃん注:如来になる前の修行の菩薩の身分であった時。]のむかし、大慈大悲の眞實智惠(しんじつちゑ)より、無量淸淨不思議(むりやうしやうじやう)の境(けう)を巧み顯せる御事なれば、いかで、汝が語りも、つくさん。さて、此方[やぶちゃん注:「こなた」。]へは、何として歸りけるぞ。」

と問(とい)ければ、菊、荅へて、いわく、

「去(され)ば、先の一人の御僧、我に仰せらるゝは、

『汝は、いまだ、爰へ來るものにはあらねども、異成故(ことなるゆへ)有て、かりに此所へきたれり。今より、しやばに歸りなば、名を「妙槃(めうはん)」と付(つ)ひて[やぶちゃん注:ママ。]、魚鳥(うをとり)を喰(くら)はで、よく念佛申し、かさねて、こゝに、來よ。此外、あまた面白き所どもを見せなんぞ。かまへて、本の在所に行き、こゝの事、めたと、人にかたるな。』[やぶちゃん注:「めたと」副詞。原義は「ある状態が程度を越えてはなはだしく現われるさま」或いは「ある行為が次々に激しくなされるさま」を表わすが、この場合は呼応の副詞法で「めったに・決して~(してはならぬ)」の意。]

とて、數珠一れんと、錢百文とを、くれられ、門の外へ、おくり出されし時、彼(かの)累、此度(たび)は、引かへ、美しき姿となり、色よき小袖をきて、我に向ひ、かすかす[やぶちゃん注:「數々」。]に禮をのべて云やう、

『わらわが、かほどの位(くらゐ)に成事、ひとへに、汝が「とく」によれり。今は汝を本の在所へ歸すなり。是よりさきは、地獄海道にして、世に恐ろしき道すがらぞ。かまへて、わきひら[やぶちゃん注:「側邊(わきひら)」。道の脇。]を見るな。物をいふ事、なかれ。そこを過(すぐ)れば、白き道、有。それまでは、我、おくるぞ。』

とて、あたりを見れば、類(たぐ)ひなく、けつこう成[やぶちゃん注:「なる」。]裝束したる人、六人、有[やぶちゃん注:「ある」。]が、「御經(おきやう)かたひら」を賣りて居られしを、一衣(ゑ)、かいとり、是を、かさねが、我身に打はをり、そのわきに、我を、かいこみ、

『かならず、目を、ふたぎ、息をも、あらくなせそ。』

といふて、足ばやに過る時、わらわが思ふやう、

『いか成事やらん、見てまし物を。』

と、袖の内より垣間見てければ、さてもさても、すさましや。有所には、人を、たはら[やぶちゃん注:「俵」。]に入れ、よく、くびり置き、つらばかりを出させ、はゞ、ひろく、さき、とがり、『もろは』[やぶちゃん注:「兩刃(もろは)」。]のついたる柄(ゑ)のながき刀にて、『づふづふ』と、つらぬけば、血けふり、たつとひとしく、『わつ。』と泣き叫ぶ声、耳の底に通りて、今に、其聲、あるやうに、おぼへたり。」

「又、有所には、人を、あまた、くろがねの臼(うす)に入れて、かみ・ひげも、そらさまに、はへのぼり、牛のつらのごとく成ものどもが、大勢、集まり、くろがねのきね[やぶちゃん注:「杵」。]にて、『ゑい』聲、出して、つきはたけば、多くのからだ、手足五体も、みぢんに成、麦粉(むぎこ)のごとくに成を、くろがねの箕(み)にうつし、何か、一口、ものをいふて、𧣀(ひ)ければ[やぶちゃん注:「角で突く」の意。牛頭の獄卒だから角がある。]、そくじに、本の人となり、泪(なみだ)をながして居るも有。」

「又、有所を見れば、大き成池(いけ)の中に、くろがねの湯の、『くらくら』と、わきかへりたる、兩方の山の岩のはなに、縄を引渡し、人の背中に、すりぬか俵(だはら)ほど成[やぶちゃん注:「なる」。]石をせおわせ、其外、つゞら・椀・櫃(ひつ)・ふくろ・荷桶(におけ)の類ひまで、つむりにさゝえ、肩にかけさせ、彼の縄のうへを、いくらも、いくらも、追(おひ)わたせば、よろめきながら、やうやう、『中ば過るまで渡るか。』とみれば、ぼたり、ぼたりと、池の中に落つるとひとしく、白くされたる[やぶちゃん注:白く漂白された。]かうべ、つがひばなれたる[やぶちゃん注:関節(「つがひ」)が完全に外れてしまった骨々。]白骨ばかり、わきかへり、汀(みぎは)によるを、また、おそろしきもの共が、鉄のぼうを以て、彼ほね共を、かきあつめ、何とかいふて、一うち、二うち、打てば、そのまゝもとの姿となり、なきさけんで居るも有。」。

「その外、いろいろの責(せめ)どもを見侍りしが、思ひいづるも、心うく、語れば、胸もふさがりて、さのみは、ことばに述られず。されども、世にも希有(けう)とき責めの、かずかず多き、其中に、をかしくもあり、又、いとおしくもありしは、ある僧の、左右の足に、かねのくさりを、からげつけ、門ばしらのかさ木に、引はたけて[やぶちゃん注:「裸にして」或いは「旗のようにぶら下げて」の意であろう。]、つなぎ置き、さかさまにぶらめかし、彼わきかへるねつ鉄を、柄(ゑ)のながき口のある『ひしやく』にて、後門(こうもん)[やぶちゃん注:肛門。]よりつぎ込めば、腹の中に煑(にへ)とをりて、へそのまわり、むね・喉(のど)・目・口・鼻・耳、てへん[やぶちゃん注:「天邊」。てっぺん。頭頂。]より、くろがねの湯の、『ふりふり』とわき出る[やぶちゃん注:「いづる」。]時、彼(かの)僧、声をあげて、

『あら、あつや、堪へがたや、「かゝる事の有べし。」と、かねて佛の、ときおかれしを知ながら、つくりし罪の、くやしさよ、くさしさよ、』

と、さけぶ声とひとしく、腐れごも[やぶちゃん注:腐った薦(こも)。]のおつるやうに、ほねぼね、ふしぶし、つぎめ、つぎめ、皆、はなれて、『めそめそ』と、地(ぢ)におちつき、なを、もへあがる有樣、いとふしかりし事、其なり。」[やぶちゃん注:「めそめそ」、小さくなるさま。]

と、泪ぐみてぞ、語りける。

 聞居(きゝゐ)たるものどもも、惧(とも)に淚をながしけり。

「さて、地獄海道を、悉く、行過(ゆきす)ぎ、約束のごとく、白き道に出たる時、かさね、我を脇より、かい出し、

『是より、一人、ゆけ。』

と、いゝて、うせるけるが、いつしか、我は、家に、ふせり居たるに、人々、大勢、集まり、念佛𢌞向したまひて、

『やれ、怨㚑(おんれう)は、さりたるぞ。』

とて、たちさわがれし時成。」

とぞ。

 思ひ出し、思ひ出し、來る日も、來る夜も、寄合(よりあい)て、只、此事のみにて有しか[やぶちゃん注:「が」の誤刻か]、いと珍しき事共也。

 さても。此度(このたび)、菊が地獄極乐の物かたり、かれこれを、問いきわめらるれば、あるいは、淨土の依正二報(ゑしやうにはう)、五妙境界(めうけいうがい)の快乐(けらく)等、あるひは、地獄の噐界有情(きかいうじやう)、三𢙣火坑(あくくわけう)の苦患(くげん)等(とう)、其名をしらず、そのことをわきまへずといへども、あるひは、なれし村里の噐(うつわ)によそへ、あるひは、近き寺院の嚴(かざり)にたぐゑて、しどろもどろに語りしを、傳へ聞ば[やぶちゃん注:「きかば」。]、皆、

「經論の實説に契(かな)ゑり。」

とぞ。

[やぶちゃん注:「依正二報」自分自身の過去の業の報いとして、まさしく得られた有情(うじょう)の身心を「正報」と呼び、有情の生存のよりどころとなる山川草木などの外的な環境を「依報」という。「依報」は多数の有情が共同で造る業(共業(ぐうごう))の結果とされる。詳しくは、参照した「WEB版新纂浄土宗大辞典」の「依報・正報」を参照されたい。

「五妙境界」「きやうがい」の読みが正しい。眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)の五つの感覚器官の対象である色(しき)・声(しょう)・香(こう)・味(み)・触(そく)の五つの感覚世界が清浄(しょうじょう)、且つ、優れている楽しみを言う。

「噐界有情」自然環境としての世界を指す仏語。仏教では世界は生じ、また、滅するものと考え、その世界を構成するものの内、生命を持つものを「衆生世間」或いは「有情世間」と呼び、さらに、これらの生命を生きとし生ける全衆生が生存する場所である国土・山川・海洋などを包括して「器世間」と呼ぶ。

「三𢙣火坑」正しくは「さんあくくわきやう(さなくかきょう)」。地獄・餓鬼・畜生の三悪趣(三悪道:さんまくしゅ・さんまくどう)を「業火の巨大な坑(あな)」に喩えたもの。]

 誠成かな[やぶちゃん注:「まことなるかな」。]、いんが必然の理(ことは)りを、恐るべし、信(しん)すべし。『佛種(ぶつしゆ)は緣(えん)より生ず。』とあれば、此聞書(ききがき)、あわれ、廃𢙣修善(はいあくしゆぜん)の因緣共[やぶちゃん注:「とも」「。]ならんかし、と。

 沙門受苦の所に至ては、惠心先德(ゑしんせんどく)「往生要集」の意(こゝろ)を、少々、書加(くわ)へて、筆者【某甲残壽。】罪障懺悔(ざいせうさんげ)のため、彼の菊が見し所の僧の呵責に因んて[やぶちゃん注:ママ。]、野僧が身に敢て、破戒無漸・不淨説法・虛受信施(こじゆしんせ)・放逸邪見(はういつじやけん)の当果をのぶるゆへ、恐々[やぶちゃん注:「おそるおそる」。]名を記すものなり。仰(あをぎ)願(ねがはく)は、此ものがたり、一覽の人々、彼(かの)墮獄の僧の業因、いかにとならば、全く、是、他の事にあらず。筆者が『罪科(ざいくわ)成(なり)。』と見取(けんしゆ)したまひて、性具(せうぐ)大悲の方便法施(ほうへんほつせ)、必ず、あいまつものなり。

[やぶちゃん注:「惠心先德」天慶五(九四二)年~寛仁元(一〇一七)年]は平安中期の天台僧。大和出身。俗姓は卜部。比叡山で名僧良源に師事。横川(よかわ)の恵心院に隠棲して修行と著述に専念し、「恵心僧都」「横川僧都」と呼ばれた。

「往生要集」横川恵心院に隠遁していた源信が寛和二(九八五)年に、中国で盛んであった浄土教の観点に従って、多くの仏教の経典や論書などから、極楽往生に関する重要な文章を集めた仏教書で、全三巻からなる。宋でも高く評価された。源信は本書及び念仏結社の指導をするなど、後の浄土教教団形成に大きな影響を与えたため、本邦の「浄土教の祖」とされる。私は人間としての親鸞に強く惹かれ(「教行信証」を始めとする知られた著作は殆んど読んでいる。但し、私は無宗教である)、そこから「往生要集」へ遡って、全文を読んでいる。言っておくと、その「大文第一 厭離穢土」(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天人の六道を説く)は頗るつきで面白い(逆に「大文第二 欣求浄土」以下の往生論・念仏論は聊か退屈であった。

「筆者【某甲残壽。】」本書の作者であるが、不詳。噺である。

 作者は、本文にも出るが、「殘壽」なる人物であるが、事績は不詳。(1)の冒頭注で記したが、祐天上人の直弟子(本文末に祐天の口述筆記を担当したと思われる記載がある)に当たる浄土宗の説教僧の一人であると目されている。

「虛受信施」僧が、不当に、或いは、信心の実が伴わない状態で、施し(懇志)を受けることを言う。

「当果」通常、「当果無礙」(とうかむげ)は「来世に極楽往生の果報を得ることに対して全く障りとなるものが無い状態」を指すが、ここは逆に、因果応報の結「果」として「当」然受ける科(とが)を指す。

「性具」天台大師智顗(ちぎ)の教えの中核の一つ。小学館「日本大百科全書」によれば、『われわれはこの世界を実在するものと単純に解したり、逆に実有(じつう)ならざるものと解することもある。その解し方は無数であるが、実はその無数の了解の仕方に応じて、われわれの善悪さまざまのあり方が現出してくる。自らの認識の仕方に従って、いろいろのあり方をとりえて、しかも現に具体的にあるものとして生きているという衆生』『のあり方の構造を、衆生の心のなかにもともと「具(そな)」わっているもの(=心具)と見て取って立言されたのが、性具説である』とある。]

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