「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 「話俗隨筆」パート 平賀源内機智の話
[やぶちゃん注:「續南方隨筆」は大正一五(一九二六)年十一月に岡書院から刊行された。
以下の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した。今回の分はここ。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊)を使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集4」の「続南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)で校合した。
注は文中及び各段落末に配した。彼の読点欠や、句点なしの読点連続には、流石に生理的に耐え切れなくなってきたので、向後、「選集」を参考に、段落・改行を追加し、一部、《 》で推定の歴史的仮名遣の読みを添え(丸括弧分は熊楠が振ったもの)、句読点や記号を私が勝手に変更したり、入れたりする。漢文脈部分は後に推定訓読を添えた。冒頭の漢文には「選集」を見るに、不審な箇所があるため、勝手に「賣」の字を入れて返り点を追加し、「梱」を「捆」に変えた。]
平賀源内機智の話 (大正二年九月『民俗』第一年第二報)
明治十四年に出た『東洋學藝雜誌』卷一の一一五頁、片山沖堂《ちゆうだう》撰、平賀氏の傳に云く、『源内在二志度浦一也、浦人問二活計一、時近二歲暮一、曰汝多買二黃橙一、捆二載小舟一、又取二海紅柑一、置二之上層一、航抵二浪華一、叫ㇾ賣二黃橙一、如二其言一、都人見ㇾ之、謂二田舍漢一不一ㇾ辯二柑橙一、問二其價一、乃以爲ㇾ橙則貴矣、在ㇾ柑則太廉、擧二一舟一、買ㇾ之、撤二其上層一、則悉皆橙也、然價已定、不ㇾ可二中輟一、遂得ㇾ利而還、是雖二瑣事一、亦足三以見二其機敏一。』〔源内の志度浦に在るや、浦人に活計を問はるる。時に歲暮に近し。曰はく、「汝、多く黃橙(きだいだい)を買ひて、小舟に捆載(こんさい)し、又、海紅柑(かいこうかん)を取りて、之れを上層に置け。」と。航して浪華(なには)に抵(いた)り、「黃橙を賣らん。」と叫ぶこと、其の言のごとし。都人、之れを見て、『田舍漢(いなかもの)の、柑(かん)と橙(だいだい)を辯(わきま)へざるもの。』と謂(おも)ひ、其の價(あたひ)を問ふ。乃(すなは)ち、橙と爲(な)せば、則ち、貴(たか)く、柑にて在れば、則ち、太(はなは)だ廉(やす)きにて、一舟(ひとふね)を擧げて、之れを買ふ。其の上層を撤(てつ)するに、則ち、悉(ことごと)く、皆、橙なり。然(しか)れども、價は已に定めたれば、中(なかば)にて輟(や)むべからず。遂に利を得て、還る。是れは瑣事(さじ)と雖も、亦、以つて其の機敏を見るに足らん。〕
之と趣を同《おなじ》うせる談、一八九四年板、「バートン」譯「千一夜譚(ゼ・ブツク・オブ・ゼ・サウンド[やぶちゃん注:ママ。]・ナイツ・エンド・・ア・ナイト)」卷二、頁三八〇に有り。云く、猴を畜ひ、盜を業とする者、有り。市場に入る每に、必ず、多く竊《ぬす》んで出づ(註に「アラビア」・波斯等の人、何れも猴を呼ぶに、吉祥の名を以てす云々とある。吾國と等しく、猴舞《さるまは》しを吉兆として歡迎するので、此人、之を職と見せ掛《かけ》て、盜《ぬすみ》を業としたのだらう)。一日、市《いち》に入《いり》て麁衣《そい》を賣る者、有りしが、誰《たれ》も買はぬ故、憊《つか》れて憩《やす》む。盜《ぬすびと》、其邊に猴を舞《まは》せ、暇《すき》に乘じ、麁衣を盜み、猴を伴ひ、閑處に之《ゆ》き、一枚の美布もて、麁衣を裹《つつ》み、他の市に趣き、之を鬻《ひさ》ぐ。愚人、有り、其價、外面の美なるに比して、頗る低き故、内容全く麁衣なるを知《しら》ず、其場で開き見ずに購《あがな》ひ、家に還《かへり》て、妻に叱らる、と。蕭齊《せうさい》の朝《てう》、所譯《やくすところ》「百喩經《ひやうくゆきやう》」卷上には、是等と似て、趣きが全く反せる話を載す。乃《すなは》ち、賊が富家に入《いり》て、錦繡を偸《ぬす》んで、弊《やぶ》れた毛布や雜物を裹んだので、智人に笑はれた。愚人が佛法に入り乍ら、貪利の爲に、淸淨戒や諸功德を破り、世に笑はるるは、之と同樣だ、と。
[やぶちゃん注:「明治十四」(一八八一)「年に出た『東洋學藝雜誌』卷一の一一五頁、片山沖堂撰、平賀氏の傳」「国立国語研究所」公式サイト内の『東洋学芸雑誌』のページから同十月発行の原本の「目錄」の「論說之部」を確認することが出来、確かに片山沖堂の「平賀源内傳」が当該ページから載ることは判ったが(「目録1」をクリックされたい)、残念ながら、本文は見ることが出来なかった。
「志度浦」現在の香川県さぬき市志度の志度湾。グーグル・マップ・データで志度湾に近接する「平賀源内記念館」をポイントした。かの奇体な才人平賀源内(享保一三(一七二八)年~安永八(一七八〇)年)は、この讃岐国寒川郡志度浦の白石家の三男として生まれている。詳しくは参照した当該ウィキを見られたい。
「黃橙」ムクロジ目ミカン科ミカン亜科ミカン連ミカン亜連 ミカン属ダイダイ Citrus aurantium を指すか。
「捆載」括り束ねて載せること。
「海紅柑」ミカン属ザボン Citrus maxima の異名らしい。文旦(ぶんたん)とも呼ぶ。
「麁衣」粗末な衣服。襤褸着(ぼろぎ)。
「蕭齊の朝」中国の南北朝時代に江南にあった斉(せい 四七九年~五〇二年)国。
「百喩經」当該ウィキによれば、『古代インドの寓話を収めた仏典。全名は』「百句譬喩集經」。五『世紀インド中部の』沙門であった『サンガセーナ(僧伽斯那)が経蔵から比喩譚などの説話を抜き出してまとめたもの』『とされ、その弟子のグナヴリッディ(求那毘地(中国語版))が南朝斉に渡り』永明一〇(四九二)年に『サンスクリットから漢訳した』。『その文体にはサンスクリットからの訳語と当時の六朝文化で見られた駢文が入り混じっている』。『一般にはあまり広まらず、僧侶と一部の文人の間で読まれた』とある。]
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