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2023/01/05

恒藤恭「旧友芥川龍之介」 「芥川龍之介のことなど」(その14) /「十四 澄江堂の遺品について」

 

[やぶちゃん注:本篇は全四十章から成るが、その初出は、雑誌『智慧』の昭和二二(一九四七)年五月一日発行号を第一回とし、翌年七月二十五日を最終回として、全九回に分けて連載されたものである。

 底本は「国立国会図書館デジタルコレクション」の「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」の恒藤恭著「旧友芥川龍之介」原本画像(朝日新聞社昭和二四(一九四九)年刊)を視認して電子化する(国立国会図書館への本登録をしないと視認は出来ない)。

 本篇「芥川龍之介のことなど」は、底本本書が敗戦から四年後の刊行であるため、概ね歴史的仮名遣を基本としつつも、時に新仮名遣になっていたり、また、漢字は新字と旧字が混淆し、しかも、同じ漢字が新字になったり、旧字になったりするという個人的にはちょっと残念な表記なのだが、これは、恒藤のせいではなく、戦後の出版社・印刷所のバタバタの中だから仕方がなかったことなのである。漢字表記その他は、以上の底本に即して、厳密にそれらを再現する(五月蠅いだけなのでママ注記は極力控える)。但し、活字のスレが激しく、拡大して見てもよく判らないところもあるが、正字か新字か迷った場合は正字で示した。傍点はこのブログ版では太字とした。私がブログ・カテゴリ「芥川龍之介書簡抄」で注したもの等については、一切、注は附さない。それぞれのところで当該書簡等にリンクさせあるので、そちらを見られたい。

 なお、向後の本書の全電子化と一括公開については、前の記事「友人芥川の追憶」等の冒頭注を参照されたい。

 また、全体を一遍に電子化注するには本篇はちょっと長く、また、各章の内容は、そこで概ね完結しているものが多いことから、ブログ版では分割して示すこととした。]

 

       十四 澄江堂の遺品について

 

 この稿の書きはじめに「戰火に燒け失せた澄江堂」といふ題目の下に、一昨年の四月十三日に田端の芥川家が戰火のために灰となつてしまつたといふ未亡人からのたよりを引き合ひに出したうへ、次男の多加志君が南方の遠い地域で戰死した翌日に、『故人の生前をしのぶよすがとなるさまざまの遺書や遺品と共に澄江堂の建物が戰火のために燒けうせてしまつたといふことは、奥さんが手紙の中に書かれてゐるやうに、なにか不思議なめぐり合はせだといふ感じがする。』と述べたのであつたが、(前出七五頁)この文句の一部分を訂正せねばならぬことがわかつた。

 といふのは、右の拙稿を載せた雜誌が秋田屋から郵送され、その中の拙稿をよまれた未亡人が戰後の感想をかいて寄越された手紙の中に、故人の遺書や遺品は鵠沼の現在の芥川家の住居の方に疎開してあつた爲に無事であつたといふことがしたためてあり、故人が愛藏または愛用してゐた其れらの品々は澄江堂の建物と運命を共にしたのでなかつた事実を知ことができたからである。

 はじめの未亡人のたよりの中の『田端の家も昨年四月十三日に灰になつてしまひました。』といふ文句に、胸を撲たれた爲に、さまざまの遺品も一しよに灰となつてしまつたものとすつかり思ひ込んでしまつた次第であつた。若しも周到に考へたのであつたならば、当然に家具家財の疎開といふことにも思ひ及ぶべきはずであつたのだし、此のやうな訂正の言葉を書きつらねる必要も生じなかつたわけであるが、おもへば愚かな私自身の早吞みこみであつた。

[やぶちゃん注:「(前出七五頁)」[やぶちゃん注:本パート冒頭の「一 戰火に燒け失せた澄江堂」の私の太字の注の「遺品・遺書は焼失していない」とある前の本文部分を指す。

「秋田屋」本パートが連載された雑誌『智慧』の発行元である奈良の出版社。前リンクの私の注を参照。

「鵠沼の現在の芥川家の住居の方に疎開してあつた」無批判に考えると、芥川龍之介が晩年の一時期を過ごした鵠沼の貸家を想起するのだが、あの貸家を「芥川家」の借り物として戦中・戦後を通じて借り続けていたとは、当時の状況を考えると、かなりおかしい気がする。私はこの「芥川家」というのは、妻文の母鈴と弟八洲がいた塚本家(結核であった八洲の療養のために龍之介の晩年に鵠沼に移っていた)のことではあるまいか?]

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