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2023/01/31

「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 「話俗隨筆」パート 紀州の民間療法記

 

[やぶちゃん注:「續南方隨筆」は大正一五(一九二六)年十一月に岡書院から刊行された。

 以下の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した。今回の分はここから。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊)を使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集4」の「続南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)で校合した。

 注は文中及び各段落末に配した。彼の読点欠や、句点なしの読点連続には、流石に生理的に耐え切れなくなってきたので、向後、「選集」を参考に、段落・改行を追加し、一部、《 》で推定の歴史的仮名遣の読みを添え(丸括弧分は熊楠が振ったもの)、句読点や記号を私が勝手に変更したり、入れたりする。漢文脈部分は後に推定訓読を添えた。]

 

      紀州の民間療法記  (大正二年九月『民俗』第一年第二報)

 

 田邊の老人に聞く。曾て、童子、指を火傷(やけど)せしに、其母、直ちに其子の指を自分の陰戶に入れしめた。卽効ありと云ふ。又、斬髮屋《さんぱつや》の斬髮に、婦女の陰毛、三本、混じ、煎じ飮めば、淋病、いかに重きも治すとて、貰ひに來る人有りと、斬髮屋の話だ。〔(增)(大正十五年九月十六日記)「本草網目」五二に、湯火傷灼《たうくわしやうしやく》に、女人の精汁を以て、頻々、之れを塗れと、「千金方」より引た。又、髮髲(髲は他人の髮を自分の髮を飾るに用いたので、「カモジ」の事)利小便水道〔髮髲(かもじ)、小便・水道を利す。〕。之を燒《やき》て粉にし、石淋を治するため、服する、とある。又、婦人隂毛主五淋及隂陽易病〔婦人の陰毛は、五淋及び陰陽の易病(えきびやう)を主(つかさど)る。〕とあり、『陰陽易病』とは、病後交接、卵腫或縮入、腹絞痛欲ㇾ死〔病後に交接し、卵(たま)[やぶちゃん注:睾丸。]、腫れて、或いは、縮んで腹に入り、絞らるる痛みにて死なんと欲(す)る。〕を云ひ、[やぶちゃん注:以上の「を云ひ、」は底本にはない。「選集」の『をいい、』を参考に私が添えた。]それを治するに、取婦人隂毛、燒ㇾ灰飲服、仍以洗ㇾ隂水飲ㇾ之〔陰毛を取りて、灰に燒き、飮みて服(ぶく)すに、仍(なほ)、陰を洗へる水を以つて、之れを飮むなり。〕とある。然らば、本《も》と、支那說で、本邦に傳はつて俗人迄も知り行ふたのだ。〕

[やぶちゃん注:『「本草網目」五二に、湯火傷灼に、……』同巻の「人精」の一節。「漢籍リポジトリ」[122-29b]の影印を参照されたい。「精汁」は女性生殖器の正常な分泌液を指す。

「婦人隂毛主五淋及隂陽易病」前と同じページの「陰毛」の一節。[122-33b]を見られたい。]

 拙妻、話に、古傳に、『韮《にら》の雜水《ざうすい》は冷たきを服すれば、寬利し、温かなるを用うれば、腹を固むる。』と。また、西牟婁郡上芳養村(かみはやむら)の人いわく、「以前、婦女、其夫抔を毒するに、鐵針の碎屑(くず)を飯に入れ、知らずに食《くは》せる事、有り。夫、何とも知らずに煩ひ出し、醫師にも、病原、分らぬ。斯る時、韮(にら)を食へば、針屑、悉く、下り出て、平治すと。〔(增)(大正十五年九月十六日記)巖谷小波君の「東洋口碑大全」上の八三五章に「三國傳記」より、丹波の村人が靑鷺を射傷《いきずつ》くると、翌夜より、其家の後に栽《うゑ》た薤(「倭名類聚抄」にオオミラと訓じ、狩谷棭齋の「箋注」九に、辣韭(らつきう[やぶちゃん注:ママ。「らつきやう」が正しい。])の事と、しある。「大和本草」・「本草啓蒙」・「本草圖譜」、みなラツケウとしある)「和漢三才圖會」には、ラツケウと薤を別物と立《たて》て、薤を、韮の葉長く廣いオオニラというものと、しある。「三國傳記」は「和三」と同じく、薤を大ニラ、韮をコニラと心得、大小いずれか分からず、たゞニラなる名を薤の字で書いたらしい)を盜む者あるので、或夜、伺うて、射ると。靑鷺が死におり、盜み食《くふ》た薤が、矢根《やのね》に卷付《まきつい》て出居《でをつ》たので、傷の療治に薤を盜みにきたと知り、直に弓を捨て、入道した話を引きおる[やぶちゃん注:以上最後は底本は「聞きおる」。「選集」をとった。]。『民俗』二年二報には、山崎麓氏が「雪窓夜話」・「旅行集話」・「金石譚」、種彥の小說「白縫譚」より、鐵を呑んだ大鯰や、大鯉や、雀が、韮を食て、自ら鐵を出した例をひきおる。また、種彥から、かかる俗信が支那から出た證として「續醫說」を引《ひか》れた。「本草綱目」二六には、魚の骨が咽に立《たつ》たり、誤つて釵鐶《さいくわん》(カンザシやユビワ抔)を呑んだ者が薤を食ふたら出てくるとある。されば、これも、本と、支那傳來の療法で、支那で薤の藥功として擧げたのを、日本で大ニラを用ひ、それから「和漢三才圖會」九九に云る通り、日本で大ニラは少ないに由《よつ》て、專ら、小ニラ乃《すなは》ち、今、單にニラといふ奴を用ゆる事に成たでせう。〕

[やぶちゃん注:「韮」単子葉植物綱キジカクシ目ヒガンバナ科ネギ属ニラ Allium tuberosum

「西牟婁郡上芳養村」「Geoshapeリポジトリ」の「歴史的行政区域データセットβ版」のこちらで旧村域が確認出来る。現在の和歌山県田辺市上芳養(グーグル・マップ・データ)に合致する。

「巖谷小波君の「東洋口碑大全」上の八三五章に「三國傳記」より、丹波の村人が靑鷺を射傷くると……」国立国会図書館デジタルコレクションのここで同書(大正二(一九一三)年刊)の当該部が視認出来る。「三國傳記」は室町時代の説話集で沙弥(しゃみ)玄棟(げんとう)著(事蹟不詳)。応永一四(一四〇七)年成立。八月十七日の夜、京都東山清水寺に参詣した天竺の梵語坊(ぼんごぼう)と、大明の漢守郎(かんしゅろう)と、近江の和阿弥(わあみ)なる三人が月待ちをする間、それぞれの国の話を順々に語るという設定。全十二巻各巻三十話計三百六十話を収める。

「薤」「オオニラ」はネギ属ラッキョウ Allium chinense の別称。

『「倭名類聚抄」にオオミラと訓じ』巻十七の「菜蔬部第二十七葷菜類第二百二十五」に、

   *

薤 「唐韻」に云はく、『薤【「胡」「介」の反。「械」と同じ。】葷菜(くんさい)なり。「本草」に云はく、『薤、味、辛苦、無毒。【和名「於保美良(おほみら)」。】。』と。蘇敬注に云はく、『是れ、韮の類なり。』と。

   *

とある。

「本草圖譜」本草学者岩崎灌園(かんえん)によって文政一一(一八二八)年に完成された本邦初の本格的植物図鑑。全九十六巻から成り、約二千種の植物を分類、彩色した絵を交えて紹介したもの。

「山崎麓」(ふもと 明治二一(一八八三)年~昭和一八(一九四三)年)は国文学者。横浜生まれ。第四高等学校・東京帝大文科大学国文科卒。逓信省機関逓信協会主幹嘱託・英字新聞『ジャパンマガジン』編集嘱託・年駿台英和女学校教員嘱託を経て山口高等学校教授から國學院大學教授となった。]

 黃楊(つげ)を西牟婁郡で、なべわりと云ふ。その生葉を燒くと、パチパチと烈しく音して、鍋を破相《やぶりさう》だからだ。之を煎じて服すると、胃病を治すと云ふ。

 「おとなえそう」と云物、「リュウマチ」に神効ありとて、熊野邊を求め行く人、多し。前年、予、那智に居つた時、二十里斗り旅して、求めに來た人が有た。予、諸處で、其草を大切に藏するのを見ると、箱根草と云ふ羊齒に外ならぬ。「和漢三才圖會」九二末に、相傳云、能治產前產後諸血症及痰飮、往年阿蘭陀人見ㇾ之稱ㇾ有良草、請採得之、甚以爲ㇾ珍。〔相ひ傳へて云ふ、「能く產前產後の諸血症及び痰飮を治す。」と。往年、阿蘭陀人、之れを見て、「良き草、有り。」と稱し、請ひて之れを採り得て、甚だ以つて珍と爲せり。」と。〕箱根で採つたから、箱根草と云たらしい。

[やぶちゃん注:「おとなえそう」「箱根草と云ふ羊齒に外ならぬ」シダ植物門シダ綱シダ目ホウライシダ科ホウライシダ属ハコネシ Adiantum monochlamys 。画像は当該ウィキを参照されたい。小学館「日本大百科全書」によれば、『短く匍匐』『する根茎から長さ』十五『センチメートルほどの葉を出す』。『扇状倒卵形の羽片となる。青森県を除く東北地方以南の山地林下の岩土に着生する。漢方では』「石長生」『(せきちょうせい)といい、利尿、解熱、駆虫、寄生虫による皮膚病治療などに使われる』とあった。

『「和漢三才圖會」九二末に、……』国立国会図書館デジタルコレクションの文政七(一八二四)年版で当該部を示す。そこでは「箱根草(はこねくさ)」と訓じている。]

 山中に住む人に、淋病、多し。西牟婁郡兵生(ひやうぜい)抔で、木挽輩《こびきども》、「其《それ》、藥。」とて、勘太郞といふ碧紫《るり》色の大蚯蚓、長七、八寸有るを採り、裂きて、土砂を去り、其肉、まだ動き居るを食ふ。實に、見るも、胸惡い。

[やぶちゃん注:「西牟婁郡兵生」現在の和歌山県田辺市中辺路町兵生(ひょうぜい)。ここ(グーグル・マップ・データ)。熊楠の奥深い山間の採集地として、お馴染み。

「勘太郞といふ碧紫《るり》色の大蚯蚓、長七、八寸有る」環形動物門貧毛綱ナガミミズ目フトミミズ科フトミミズ属シーボルトミミズ Pheretima sieboldi  の別名(紀伊半島・四国)として知られる。本邦の最大級のミミズの一種で、最大長五十センチメートル、延伸すると六十センチメートルを超え、しかも、濃紺色を成し、なかなかの奇体である。]

 田邊の老人、身に刺立《とげたて》て惱む時、雉の爪で掻くと、出て來る。其跡へ、卽飯(そくい)と、五倍子粉(ふしのこ)を練り合せ、貼りおゝ。斯る時の用意に、雉の足を蓄へ置く人、有り。

[やぶちゃん注:「卽飯」「續飯」が正しい。その読み「そくいひ」の転訛した語。飯粒を箆(へら)状のもので押し潰し、練って作った糊(のり)を指す。

「五倍子粉」『早川孝太郎「猪・鹿・狸」 鹿 四 鹿の角の話』の「フシ(五倍子)の實」の私の注を参照されたい。]

 和歌山で、古く、「兎の手で痘瘡を搔くと、害がない。」と云て、蓄へた人、有り。又、田鼠(うごろもち)の手を、爪杖(まごのて)にして、痘瘡を搔く人も有つた。

[やぶちゃん注:「田鼠(うごろもち)」モグラの古名。]

 初茄子を一つ、小兒の臥處の上に釣置《つりお》くと、その夏、汗瘡(あせぼ)を生ぜぬという。馬齒莧(すべりひゆ)を煠(ゆで)ると[やぶちゃん注:「煠」は底本では「渫」。「選集」で訂した。後も同じ。]、莖より、粘汁《ねんじふ》、出でゝ、色、赤く、蚯蚓の如きを、好んで食ふ人、有り。鹽で、此草の葉を揉み、汗瘡《あせも》に付《つく》ると神効有り。見る中《うち》に治するが、劇烈な物で、時として、愚者が氣絕する由。又、田邊でいふは、馬齒莧(すぶりひゆ[やぶちゃん注:ママ。])は、至つて精(せい)の强い者故、渫(ゆで)でて、味噌あえにして食へば、イキンド(喘息(ぜんそく)の方言)を治する事、妙也。

[やぶちゃん注:「馬齒莧」庭の雑草としてよく見かける(私の家の庭にもよく蔓延(はびこ)る)、食用になるナデシコ目スベリヒユ科スベリヒユ属スベリヒユ Portulaca oleracea の漢名。]

補 訂 (大正十五年八月記)

 蒟蒻(こんにやく) 魚骨や、土砂石粒を、構わず、食ふ人あり。度重《たびかさ》なれば、會陰(ありのとわたり)に積み聚まりて、大患をなす。田邊の近村の舊社掌、此患に罹り、外科醫に切出さしめた事あり。其人、現に存命す。俗傳に、蒟蒻を、間《ま》ま食ふと、かゝる患《わづらひ》なしといふ。元祿六年著「鹿《しか》の卷筆《まきふで》」三に、「きかぬ奴《やつこ》の衆道《しゆだう》」と題し、或奴、元結い賣りの少年を犯すとて、誤つて、砂を犯し、少年に向ひ、扨々、其方は、隨分、嗜みが惡い。必ず、必ず、今よりして、蒟蒻を藥食ひにしやれ、と云たとあるをみて、其頃も、蒟蒻は腹に入った土砂を消す、と信ぜられたと判つた。「和漢三才圖會」百五にも、俗傳、蒟蒻能下腹中土砂、男子最有ㇾ益、此不ㇾ知其據。〔俗に傳ふ、「蒟蒻は、能く腹中の土砂を下(くだ)し、男子、最も、益、有り」。と。此れ、其の據(よるところ)を知らず。〕と出づ。明治四十五年[やぶちゃん注:底本は「昨七年」であるが、「選集」で訂した。]七月の『人類學雜誌』前田生の說に、尾張名古屋で、十二月八日、蒟蒻のピリピリ煮、必ず食ふべし。平生、月に一度も蒟蒻を食ふを「砂おろし」といふと、故人の記を引た。何故、こんな俗信が生じたかと尋るに、楠本松藏といふ田邊人いわく、「一體、蒟蒻ほど、土砂と粘着しやすい物なく、一寸でも、地へ落すと、卽時に、砂や土が附て、中へ侵入し、いかに洗へばとて、離れず、食用に成ぬ。」と。それで、人體に蒟蒻が入れば、腹中の土砂を吸ひ取て外へ出すと考へられた、と考ふ。

[やぶちゃん注:「蒟蒻」単子葉植物綱オモダカ目サトイモ科コンニャク属コンニャク Amorphophallus konjac

「會陰(ありのとわたり)」「蟻の門渡り」男女ともに陰部と肛門の間を言う。

「社掌」明治二七(一八九四)年二月の勅令によって設けられた神職の職名。第二次世界大戦後、廃止された。一つは、府県・郷社及び内務大臣の指定した護国神社で、社司の下に属し、神明に奉仕し、祭祀や庶務に従事した神職を指し、別に、村社以下の神社及び内務大臣の指定しない護国神社に於いて、一切の事務を取り扱った神職を指す(小学館「日本国語大辞典」に拠った)。

『元祿六年著「鹿の卷筆」三に、「きかぬ奴の衆道」』江戸前期の上方(大坂か)の噺家(はなしか)鹿野武左衛門(しかのぶざえもん 慶安二(一六四九)年~元禄一二(一六九九)年:本名は志賀安次郎。江戸で塗師(ぬし)職人となったが、三十歳頃、噺家となり、身振り手振りによる仕方噺(しかたばなし)を完成、「江戸落語の祖」とされる)の噺本。しかし、翌元禄七(一六九四)年、この本に関わった流言が巷(ちまた)に流れ、筆禍を受けて伊豆大島に流刑となった。後、江戸に帰ったが、病死した。早稲田大学図書館「古典総合データベース」で、死後の貞享三(一六八六)年の版本によって当該部が、ここと、ここで読める(jpg単独画像)。標題は「きかぬやつこのしゆどう」で、熊楠の引用は終りの部分。

『「和漢三才圖會」百五にも、俗傳、……』同前の国立国会図書館デジタルコレクションの当該箇所をリンクさせておく。そこではふりがなは「こんにやく」だが、漢字標題は「蒟蒻餠」である。

「前田生」よく同雑誌に投稿していた前田太郎という方(詳細事績不詳)かと思われるが、当該論考を確認出来ないので、よく判らない。

「楠本松藏」日記にも出る南方熊楠の友人らしい。

 以上の「補訂」パートは「選集」の編者注によれば、『『民俗』一年二報「紀州の民間療法記(一)」の後半と、同誌三年一報「蒟蒻」の内容をあわせ』、『加筆したもの』とある。底本はここで終わっているのであるが、「選集」では、この「補訂」の後に以下の「追加」がある。これについては、やはり注で、『追加は、同誌に緣一報問答欄に「紀州の民間療法記(二)」と題して掲載されたが、岡書院版『続南方随筆』には収録されていない』とある。初出誌に当たれないし、新字・現代仮名遣化されてしまっているので、以下に参考として、「選集」のそれをそのまま電子化し、注も附しておく。

   *

【追加】

 前文に田鼠(うごろもち)の手で痘瘡を搔くことを載せたのち、西鶴の『二代男』五の第一章を見ると、「今、歴々の太夫たちに、尻ばすねもあり田虫もあり、見えるところの錢瘡(ぜにがさ)もこれには土竜(うごろもち)の手して搔くが妙藥なり」とある。痘瘡に限らぬことと見ゆ。

 田辺の俗伝に、端午に飾りし菖蒲の根元の孔で酒吮(す)えば中風を防ぐと言う。

 また上巳(じょうし)に飾った丸実の金柑を貯えおき、食らえば熱病を治す、と。

 また琴の一の緖(お)を腹に巻けば腹痛起こらず、また白き鶩(あひる)の生血は中風を治す、また全身眼の周りまで黒き矮鷄(ちやぼ)の初生卵(はつたまご)食らえば一生中風を病まぬ、と。

 田辺から四里ばかり鮎川という所に、猴搔荊(さるかきいばら)とて鉤曲がりつける葛(かずら)あり、一本ごとに必ず雌雄一対の蠹(きくいむし)住む。黒焼にして服すると腦病を治す、と。猿搔荊とは鉤藤(かぎかずら)のことだろう。西牟婁郡二川村大字兵生で聞いたは、蜂蜜をそのまま用ゆれば通じを開き、温めて用ゆれば瀉痢を止む、と。

 田辺の漁婦六十歳ほどなるが、印魚(こばんうお)(方言やすら)の頭にある小判形の吮著器(サツカー)を多く貯え、熱冷(ざま)しまた下痢の人に施すに神効ありと言う。骨ごとき硬い物で何の味わいなし。二寸ばかり長きをおよそ三分一ばかり切って味噌汁で薄く仕立てて服するのだ。

 東牟婁郡湯峰(ゆのみね)に蒔かずの稲というあり。自生の稲と言い、小栗判官入湯の時、初めて生えしなど伝う。その米、血の道に神効ありとて貴ぶ。

 海草郡日方町生れの至って正直なる者みずから験して奇効ありしとて語る。鷄雌雄を択ばず頭を醤油で付焼にして三、四回食らえば、いかに重き痔にても治る。かくすれば骨も嘴も容易に食らい得。眼玉を食う時氣味惡しき由。耳側の肉旨し。腦漿(のうみそ)が最も利くのだ、と。

 またいわく、無花果の枝葉は煮出せば茶の通り赤褐色となる.はなはだ身を温むるもので、ちょっと入れればたちまち全軀發汗す。これに浴すると痔を治す、と。

 またいわく、營實(てりはのいばら)の花風邪熱を治す、と。

 またいわく、尾長糞蛆(くそむし)八疋ばかり土器二つ合わせた中に入れ、密封して黒焼きし、その粉を五回ほどに呑ますと肋膜炎に効あり、と。

 拙妻話す田辺の古傳伝に、病人が厠へ入った跡へ入らんとする時、まず草や藁を投じてのち入れば病を受けず、これを病を断(き)ると稱す、と。

 またいわく、上(のぼ)せ性また產後の人に眞醋(まず)(米製)害あり、梅醋はさらに害なし。梅醋は真醋と異(かわ)り、いかほど貯うるも黴を生ぜず、と。

 またいわく、蘆を刈り大布囊に入れ、茶のごとき色出るまで煮出し、その囊に坐しその湯に浴すれば疝気を治す、と。

(大正三年一月『民俗』二年一報)

   *

・「尻ばすね」「尻蓮根」(しりばすね:単に「しりばす」とも)尻にできた「できもの」の一種を言う。

・「銭瘡」「田虫」に同じ。見えるところの出来たものは、円形で、銭形を呈するから。

・「上巳」(じょうし)。 旧暦三月三日。桃の節句。中国古代には三月最初の巳の日に行われていたが、三国時代の魏の時より固定された。

・「鮎川」現在の和歌山県田辺市鮎川(グーグル・マップ・データ。以下無指示は同じ)。

・「猴搔荊」「鉤藤」双子葉植物綱アカネ目アカネ科カギカズラ属カギカズラ Uncaria rhynchophylla 。見事な鉤は当該ウィキの、この画像を見られたい。

・「蠹(きくいむし)」鞘翅(コウチュウ)目多食(カブトムシ)亜目Cucujiformia下目ゾウムシ上科キクイムシ科 Scolytidae に属する木材への穿孔生活に適応して短い円筒形の微小な昆虫で種類も多い。

・「印魚(こばんうお)(方言やすら)」スズキ目コバンザメ科コバンザメ属コバンザメ Echeneis naucrates 。私の『栗本丹洲「栗氏魚譜」より「小判鮫」 (コバンザメ)』を参照されたい。「コバンイタダキ」の名の方が知られるが、標準和名はコバンザメである。紀州の地方名「ヤスダノコバン」「ヤスダ」「ヤスラ」「ヤイチヤ」等は国立国会図書館デジタルコレクションの宇井縫蔵の名著「紀州魚譜」のこちらで確認出来る。

・「吮著器(サツカー)」「せんちゃくき」。吸いつくための吸着機能部位。“sucker”は英語で「吸盤」の意。

・「東牟婁郡湯峰(ゆのみね)」現在の和歌山県田辺市本宮町湯峯。私は、入湯し、泊ったこともある。

・「海草郡日方町」現在の和歌山県海南市日方

・「營實(てりはのいばら)」バラ亜綱バラ目バラ科バラ亜科バラ属テリハノイバラ Rosa luciae

・「尾長糞蛆(くそむし)」糞虫(ふんちゅう)。多食(カブトムシ)亜目コガネムシ下目コガネムシ上科 Scarabaeoidea及びそれに近縁なグループに属する種群で、哺乳類、特に草食動物の糞を食べるものの総称。「オナガクソムシ」という種は昆虫嫌いの私には判らない。悪しからず。]

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