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« 死靈解脫物語聞書上(2) 累が怨霊來て菊に入替る事 | トップページ | 室賀文武 「それからそれ」 (芥川龍之介知人の回想録・オリジナル注附き) »

2023/01/21

死靈解脫物語聞書上(3) 羽生村名主年寄累が㚑に對し問荅の事

 

[やぶちゃん注:本書の解説や底本等は、冒頭の「累が最後之事」を参照されたい。]

 

  羽生村名主年寄累が㚑(れう)に對し問荅(もんどう)の事

 爰に当村の名主三郞左衞門、同年寄(としより)庄右衞門といふ二人の者、年來(としころ)、内外(ないげ)の典(でん)に心を寄(よせ)、いとさかしきものども成が、ある日の事なるに、打寄、ものかたりするやうは、

「今度、累が怨㚑(おんれう)、顯われ、与右衞門が恥辱は、その身の業(ごふ)。菊が苦痛のふびん成に、いさとも、いさとも、わびことし、怨㚑、すかし、なだめん。」

とて、名主・年寄を始(はじめ)として、少々、村中の男共、与右衞門が家に、あつまりけり。

[やぶちゃん注:「内外の典」内典(ないでん・ないてん)と外典(げでん・げてん)。仏教経典などの典籍(てんじゃく)と仏教以外の典籍(主に儒学の諸書を指す)。] 

 

Kasanehyoui

 

[やぶちゃん注:本シークエンスの挿絵左右見開きで続きのワンカット二枚。底本には挿絵はなく、これは所持する国書刊行会の「近世奇談集成(一)」に挿入された東京大学総合図書館蔵本のそれをトリミング補正した。枠外は清拭したが、絵の内部は、一切、手をつけていない(因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である)。キャプションがある。右の図は、右上方の人物の頭に、

「名主」

その左手の家内の壁に、

「与右衛門むすめ

 きくにかさねが

 おんりやう

 とりつき

 なやま

   する」

左中央に、元凶の累の元夫、

「与衞門かく

   ちんす」

で、「与衛門、かく、鎭(座)す。」の意か。

左上方の外に、びびった入り婿の、

「金五郞

 にげて

  ゆく」

とある。

で、左の下方のそれは、欠損があって一寸読めないが、

「むすめきくの

  ■しきなかに□□

  さ(「と」?)■大せいけんぶつ

  さぐる」

とでもあるか? 「娘菊の苦しき中に、□□、里(人?)、大勢、見物」して様子を「探る」ででもあろうか? 判らぬ。]

 

 先[やぶちゃん注:「まづ」。]、名主、泡、吹(ふき)出し、苦痛てんどうせる菊に向(むかい)て問ていわく、

「汝、累がうらみは、ひとへに与右衞門にあるべし。何故ぞ、かくのごとく、橫さまに菊をせむるや。」

 その時、菊がくるしみ、たちまち止んで、起(おき)なをり、荅へて、いわく、

「おゝせのごとく、我、与右衞門にとり付、則時(そくじ)に、せめころさんは、いとやすけれ共、彼(かれ)をば、さて置、『きく』をなやますには、色々の子細、有。其故は、まづ、さし当て[やぶちゃん注:「あたつて」。]、与右衞門に、切成[やぶちゃん注:「せつなる」。]かなしみを、かけ、其上、一生のちじよくをあたへ、是を以て、我が怨念を、少し、はらし、又、各々に、菊が苦痛を見せて、あわれみの心をおこさせ、わらわがぼだいを訪(とわ)れんため。次に、『邪見成もの共の、長き見ごりにせん。』と思ひ、菊にとり付事、かくのことし。」

といへば、名主、また、荅ていわく、

「実(げ)に尤なり。しかるに、汝が此間のもの語(かたり)を聞ば、『地獄におちて、昼夜(ちうや)、呵責にあいし。』といふ。既に地獄の劫數(こつしゆ)久しき事は、娑婆の千万歲(せんまんねん)に盡(つく)べからず。何の暇(いとま)ありてか、纔(わづか)に廿六年目に、奈落を出て、爰に、來るや。」

[やぶちゃん注:「見ごり」「見懲り」。因業を見せることで、懲りさせる、諦めさせること。]

 怨靈、荅ていわく、

「さればとよ、我、いまだ地獄の業、悉く尽(つき)ずといへども、少の隙ををうかゝひ、菊に取付は、別なる子細、あり。をのをのが了簡に、あたはじ。」

といふ時、年寄庄右衞門、問ひていわく、

「さては、汝に尋ぬる事、有り。惣じて一切善𢙣の衆生、皆、死に歸す。尒者(しからは)、善人は、來(きたつ)て善所を語り、六親(しん)朋友を勸誡(くわんかい)し、𢙣人は來て、𢙣所を知らせて、其身の苦患を脱(のが)れん事を願ふべし。何故ぞ、死者、尤、多きに、來る人、甚だ、まれなるや。又、いかなれば、汝一人、爰に來て、今のことはりを述(のぶるぞや。」

[やぶちゃん注:「六親」は「ろくしん」或いは「りくしん」と読み、「六戚」と言う。六種の親族。父・母・兄・弟・妻・子、又は、父・子・兄・弟・夫・婦を指すなど、さまざまな組合せがあるが、広く「親族全体」を指した意でとっておく。]

 怨靈、荅ていわく、

「能(よく)こそ問(とは)れたれ、此事を。それ、善人・𢙣人、怨讎(おんじう)、執對(しつたい)有て、死する者多しといへ共、來て[やぶちゃん注:「きたつて」。]告(つぐ)る人、少(すくな)き事は、是、皆、過去善𢙣の業、決定(けつでう)して、任運(にんうん)に未來報應の果(くわ)を感じ極むる故、爰に來る事、能わざる歟(か)。あるひは、宿世(しゆくせ)におゐて、こゝに歸り告げんと思ふ、深き願ひの、なきゆへか。又は最後の一念に、つよく執心をとめざるにもやあらん。他人の事は、しばらく、おく。我は、最後の怨念に依(よつ)て、來りたり。」

と、いへば、名主・年寄をはじめ、村人、『何も、尤。[やぶちゃん注:「いかにも、もつとも」。]』と感じ、

「さては、怨靈退散の祈禱を賴ん[やぶちゃん注:「たのまん」。]。」

とて、當村の祈念者を呼よせ、「仁王」・「法花」・「心經」なんど讀誦(どくじゆ)する時、怨靈が、いわく、

「やみなん、やみなん、よむべからず。縱(たと)ひ、幾反(いくへん)、功を積(つむ)共、我に、緣、なし。うかぶベからず。只、念佛をとなへて、与へたまへ。」

と、あれば、其時、名主、問ていわく、

「誦經と念佛と、何のかわり有て、かくは、いふぞ。」

と。

[やぶちゃん注:「執對」この熟語は見たことがないが、「執拗に対象に拘る程度に大きな差があること」を指すか。多くの死者はその程度が、概ね、あっさりしているとでも言っているものか。

『「仁王」・「法花」・「心經」』「仁王法花心經」という経典はないので分離した。ここに出る「祈念者」は所謂、民間の山伏のような修験者で、仏教の経典のパッチ・ワークみたような、部分的散漫的にそれぞれの経典の一部を読み上げるだけの怪しげなもので、これは、累の霊ならずとも、勘弁という気は確かにする。]

 怨㚑、荅ていわく、

「されば、念佛六字の内(うち)には、一切經卷の功德を含める故に、万機得脱(ばんきとくだつ)の利益(りやく)、有り。」

と。

 名主、又、問ていわく、

「尒者(しからば)、汝、すでに無上大利、名号の功德を能(よく)知れり。何ぞ、みづから、是をとなへて、拔苦受乐(ばつくじゆらく)せざるや。」

と。

[やぶちゃん注:「乐」は「樂」の異体字。]

 怨㚑、荅ていわく、

「おろかなりとよ、名主殿。罪人、みづから念佛せば、地獄の劇苦を身にうけて、劫數(こつしゆ)をふる[やぶちゃん注:「負ふる」。さらに積み入れる。]ばかもの、一人もあらんや。尒(しか)るに、墮獄の衆生も、さかんにして、受苦の劫も久しき事は、あるひは、念佛の利益を自(みづから)能(よく)しるといへ共、𢙣業のくるをしに[やぶちゃん注:「狂ほしきに」。]引(ひか)れて、是を唱ふる事、かなわず。あるひは、生々(しやうじやう)に、かつて、緣なきゆへに、是を聞かず、しらざるたぐひのみ、多し。我、すでに念佛の利益(りやく)をよくしるといへ共、ざいしやうのおゝふ所、みづから称ふる事、かなわず。猶、此ことばの疑がわしくは、各々、自分をかへりみて、能々、得心したまヘかし。されば、此比(このごろ)は、念仏の勸化(くわんげ)、廣くして、淨土のめでたき事を、うらやみ、地獄のすさまじさを、よくおそるゝといへ共、つとめやすき極乐往生の念佛をば、けだいして、殺生・偸盜・邪婬等の地獄の業とさへいへば、身のつかるゝをも覺へず、ゆんでをおそれ、め手をはゞかり、心をつくして、これをはげむに、あるひは、親兄弟の異見をも用ひず、あるひは、他人の見て、あざけるをも、かへり見ず、ないし、罪業のかずかず、增上して、終に、そのあらため所へ引出され、科の輕重、明白に決斷せられて、只今、斬罪・はつつけの場へ引居(ひきすへ)られても、尙、念佛する事、かなわざる。地獄の衆生の因果のほど、能々、わきまへたまひて、あわれみて、たべ、人々よ。」

と、其身もなみだをうかべながら、いとねんころにぞ荅へける。

[やぶちゃん注:「生々」「生きている間」の意。

「ざいしやうのおゝふ所」「罪障の覆ふ所。

「けだい」「懈怠」。なまけ、おこたること。

「つかるゝ」「突かるる」。ここは宗教上の罪業堕獄の精神的恐怖に無意識に心を突かれていることを言っている。

「ゆんで」「弓手」。弓を持つ「左手」。

「め手」「馬手」。手綱を引く「右手」。一種の追跡妄想・被害妄想の心理を指している。

「はつつけ」「磔(はりつけ)」。]

 其時、名主をはじめ集り居たる者共、異口同音に感じあひ、みなみな、袖をぬらしけり。

 さて、名主がいふやう、

「尒(しか)らば、念佛を興行して、汝が菩提を吊(とふら)ふべし。怨(うらみ)をのこさず、菊が苦患(くげん)を、やめよ。」

といへば、怨㚑がいわく、

「我だに成仏せば、何の遺恨か、さらに殘らん。只、急ひで、念佛を興行したまへ。」

とある故に、村人、すなはち惣談(そうだん)し、正月廿六日の晚、ぼたい所法藏寺を請對(しやうだい)し、らうそく一挺(てう)のたつを限りに、念佛を勤行(ごんぎやう)す。ゑかうの時にいたつて、累が怨㚑、たちまち、さり、本の菊と成ければ、法藏寺をはじめ、名主・年寄も安堵して、其上に、村中のこゝろざしをあつめ、一飯(はん)の齋(とき)を行ひ、皆々、信心歡喜(しんじんかんぎ)して、各々、我が屋に歸れば、菊が氣色(きしよく)、やうやう、本ぶくす。

[やぶちゃん注:「齋(とき)」この場合は、法事の終りに供養の〆として寺で出す精進料理を指す。]

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