佐藤春夫 改作 田園の憂鬱 或は病める薔薇 正規表現版 (その18)+佐藤春夫「改作田園の憂鬱の後に」 / 佐藤春夫 改作 田園の憂鬱 或は病める薔薇 正規表現版~了
[やぶちゃん注:電子化意図や底本は初回の私の冒頭注を参照されたい。「佐藤春夫 未定稿『病める薔薇 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版)(その18)」を参照されたい。マニアックな注もしてある。
本篇を以ってブログ版は完遂した。
なお、底本には、最後に佐藤春夫自身による「改作田園の憂鬱の後に」があるので、本篇末に附帯して電子化しておいた。幸い、ネット開始の古い頃には、よくお世話になった「網迫の電子テキスト乞校正@Wiki」のこちらに新字の電子化があったので、それを加工データとして使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。]
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その翌日――雨月の夜の後の日は、久しぶりに晴やかな天氣であつた。天と地とが今朝|甦(よみが)へつたやうであつた。森羅萬象は、永い雨の間に、何時しかもう深い秋にも化(かは)つて居た。稻穗にふりそそぐ日の光も、そよ風も、空も、其處に唯一筋纖絲[やぶちゃん注:「せんし」。]のやうに浮んだ雲も、それは自づと、夏とは變つて居た。すべては透きとほり、色さまざまな色ガラスで仕組んだ風景のやうに、彼には見えた。彼はそれを身體全部で感じた。彼は深い呼吸を呼吸した。冷たい鮮かな空氣が彼の胸に眞直ぐに這入つて行くのが、いかなる飮料よりも甘かつた。彼の妻が、この朝は每日のやうに犬どもを繫いで置けなかつたのも無理ではない。それはよい處置であつた。遠い畑の方では、彼の犬が、フラテもレオも飛び𢌞つて居るのが見られた。百姓の若者がレオの頭を撫でて居た。音無しいレオは、喜んでするに任せて居る――太陽に祝福された野面や、犬や、そこに身を跼めて[やぶちゃん注:「かがめて」。]居る働く農夫などを、彼はしばらく恍惚として眺めた。日は高い。この景色を見るために、何故もつと早く目が覺めなかつたらうと、彼は思つた。緣を下りて、顏をば洗ふと[やぶちゃん注:新潮文庫版を参考にするならば、ここは「洗はうと」である。]庭を通ると白い犬が昨夜咥へて行つた筈の竹片は、萩の根元に轉がつて居た。彼は思はず苦笑した。それは、併し、寧ろ樂しげな笑ひであつた。
[やぶちゃん注:底本では以上の段落の冒頭の一字空けがないが、特異的に一字空けた。無論、新潮文庫版でも一字下げになっている。]
井戶端には、こぼれた米を拾はうとして――妻はわざわざ餘計にこぼしてやつたかも知れないと彼は思つた――雀が下りて居た。今までつひぞここらで見たこともないほど澤山で、三四十羽も群れて居た。彼の跫音に愕かされると、それが、一時に飛び立つて、そこらの枝の上に逃げて行つた。逃げたりなどはしなくてもいいのに。その柹の枝には雀とは別の名も知らぬ白い顏の小鳥も居た。その時彼は鳥に說敎した聖フランシスを、思ひ出した。彼の家の軒端からのぼる朝の煙が、光を透して紫の羅[やぶちゃん注:「うすもの」。]のやうに柹の枝にまつはつた。雨に打ち碎かれて、果は咲かなくなつて居た薔薇[やぶちゃん注:くどいが、「さうび」である。]が、今朝はまたところどころに咲いて居る。蜘蛛の網は、日光を反射する露でイルミネエトされて居た。薔薇の葉をこぼれた露は、轉びながら輝いて蜘蛛の網にかかると、手にはとる術もない、瞬間的の寶玉の重みに、網は大樣にゆれた、露は絲を傳うて低い方へ走つて行く、ぎらりと光つて、下の草に落ちる。それらの月並の美を、彼は新鮮な感情をもつて見ることが出來るのであつた。
水を汲み上げようと繩つるべを持ち上げたが、ふと底を覗き込むと、其處には涯知らぬ蒼穹を徑[やぶちゃん注:「わたり」。]三尺の圓に區切つて、底知れぬ瑠璃を平靜にのべて、井戶水はそれ自身が内部から光り透きとほるもののやうにさへ見えた。彼はつるべを落す手を躊躇せずには居られない。それを覗き込んで居るうちに、彼の氣分は井戶水のやうに落着いた。汲み上げた水は、寧ろ、連日の雨に濁つて居たけれども、彼の靜かな氣分はそれ位を恕すには十分であつた。
妻の用意した食卓についた時には、彼の心は平和であつた。食卓には妻が先日東京から持つて來た變つた食物があつた。火鉢の上には鐵瓶が滾つて[やぶちゃん注:「たぎつて」。]居た。さうして、陰氣な氣持は妻の言つたとほりいやな天氣から來たものだつた――と、彼は思つた。彼は箸をとり上げようとして、ふと、さつき井戶端で見た或る薔薇の莟の事を思ひ出した。
「おい、氣がつかなかつたかい。今朝はなかなかいい花が咲いて居るぜ。俺の花が。二分どほり咲きかかつてね、それに紅い色が今度のは非常に深い落着いた色だぜ」
「ええ、見ましたわ、あの眞中のところに高く咲いたあれなの?」
「さうだよ。一莖獨秀當庭心[やぶちゃん注:新潮文庫版を参考にすれば、「一莖(いつけい) 獨り秀でて 庭心(ていしん)に當たる」と訓読する。])――て奴さ」彼はそれからひとり言に言つた。「新花對白日[やぶちゃん注:同前で「新花(しんくわ) 白日(はくじつ)に對す」と訓読する。])か、いや白日は可笑しい。何しろ彼等は季節はづれだ……」
「やつと九月に咲き出したのですもの」
「どうだ。あれをここへ摘んで來ないかい」
「ええ、とつて來るわ」
「さうして、ここへ置くんだね」彼は圓い食卓の眞中を指でとんとん[やぶちゃん注:新潮文庫版では、この「とんとん」に傍点「﹅」が打たれてある。]たたきながら言つた。
妻は直ぐに立上つたが、先づ白い卓布を持つて現はれた。
「それでは、これを敷きませう」
「これはいい。ほう! 洗つてあつたのだね」
「汚れると、あの雨では洗濯も出來ないと思つてしまつて置いてあつたの」
「これや素的だ! 花を御馳走に饗宴を開くのだ」
樂しげな彼の笑ひを聞きながら、妻は花を摘むべく立ち去つた。
彼の女は花を盛り上げたコツプを持つて、直ぐ歸つて來た。少し芝居がかりと見える不自然な樣子で、彼の女はそれを捧げながらいそいそと這入つて來た。それが彼には妙に不愉快であつた。彼自身が、人惡く諷刺されて居るやうに感じられた。彼は氣のない聲で言つた。
「やあ、澤山とつて來たのだなあ」
「ええ、ありつたけよ。皆だわ!」
さう答へた妻は得意げであつた。それが彼にはいまいましかつた。言葉の意味の通じないのが。
「なぜ? 俺は一つでよかつたんだ」
「でもさうは仰言らないのですもの」
「澤山とでも言つたのかね……それ見ろ。俺は一つで澤山だつたのだ」
「ぢや外のは捨てて來ませうか」
「いいよ。折角とつて來たものを。まあいい。其處へお置き。……おや、お前は何だね――俺の言つた奴は採つて來なかつたのだね」
「あら、言つたの言はないのつて、これだけしきあ無いんですよ! 彼處[やぶちゃん注:新潮文庫版では「あすこ」と振る。]には」
「然うかなあ。俺は少し、底に斯う空色を帶びたやうな赤い莟があつたと思つたのに。それを一つだけ欲しかつたのさ」
「あんな事を。底に空色を帶びたなんて、そんな難しいのはないわ、それやきつと空の色でも反射して居たのでせうよ」
「成程、それで……?」
「あら、そんな怖い顏をなさるものぢやない事よ。私が惡かつたなら御免なさいね。私はまた、澤山あるほどいいかと思つたものですから……」
「さう手輕に謝つて貰はずともいい。それより俺の言ふことが解つて貰ひ度い……一つさ。その一つの莟を、花になるまで、目の前へ置いて、日向へ置いてやつたりして、俺はぢつと見つめて居たかつたのだ。一つをね! 外のは枝の上にあればいい」
「でも、あなたは豐富なものが御好きぢやなかつたの」
「つまらぬものがどつさりより、ほんとうにいいものが只一つ。それがほんとうの豐富さ」彼は自分の言葉を、自分で味つて居るやうに沁み沁みと言つた。
「さあ、早く機嫌を直して下さい。せつかくこんないい朝なのに……」
「さうだ、だから、せつかくのいい朝だから、俺はこんな事をされると不愉快なのだ」
彼は、併し、そんなことを言つて居るうちにも、妻がだんだん可哀想になつて居る。さうして自分で自分の我儘に氣がついて居た。妻の人差指には、薔薇の刺で突いたのであらう、血が吹滲んで居る。それが彼の目についた。併し、そんな心持を妻に言ひ現はす言葉が、彼の性質として、彼の口からは出て來なかつた。寧ろ、その心持を知られまい、知られまいと包んで居る。さうしてどこで不快な言葉を止めていいやら解らない。それが一層彼自身を苛立たせる。彼は强ひて口を噤んだ。さて、その花を盛り上げたコツプを手に取上げた。最初は、それを目の高さに取上げて、コツプを透して見た。綠色の葉が水にひたされて一しほに綠である。葉うらがところどころ銀に光つて居る。そのかげにほの赤い刺も見える。コツプの厚い底が水晶のやうに冷たく光つて居る。小さなコツプの小さな世界は綠と銀との淸麗な秋である。
彼はコツプを目の下に置いた。さうして一つ一つの花を、精細に見入つた。其處にある花は花片も花も、不運にも皆蝕んで居る。完全なものは一つもなかつた。それが少し鎭まりかかつた彼の心を搔き亂した。
「どうだ、この花は! もつと吟味をしてとつて來ればいいのに。ふ、みんな蝕ひだ」
彼は思はず吐き出すやうにさう言つて仕舞つたが、又、妻が氣の毒になつた。急にその中の最も美しい莟を一本拔き出すと、彼は言葉を和げて、
「ああ、これだよ。俺の言つた莟は。それ、此處にあつた! 此處にあつた!」
彼の言葉のなかには、その言葉で自分を和げて、妻の機嫌をも直させようとする心持があつた。けれども、妻は答へようとはしないで、默つて彼の女自身の御飯を茶碗に盛つて居るのであつた。彼は橫眼でそれを睨みながら、妻の額を偸視た[やぶちゃん注:「ぬすみみた」。]。このコツプを彼處[やぶちゃん注:新潮文庫版によれば、「あそこ」。]へ、額の上へたたきつけてやつたなら。いや、いけない。もともと自分が我儘なのだ。彼は仕方なく、寂しく切ない心をもつて、その撮み[やぶちゃん注:「つまみ」。]上げた莟を、彼自身の目の前へつきつけて眺めだした。……その未だ固い莟には、ふくらんだ橫腹に、針ほどの穴があつた。それは幾重にも幾重にも重つた莟の赤い葩[やぶちゃん注:「はなびら」。])を、白く、小さく、深く蕊まで貫いて穿たれてあつた、言ふまでもなくそれは蟲の仕業である。彼は厭はしげに眉を寄せながら尙もその上に莟を視た。
はつと思ふと、彼はそれを取り落した。
その手で、す早く、滾つて居る鐵瓶を下したが、再び莟を撮み上げると、直ぐさまそれを火の中へ投げ込んだ。――莟の花片はぢぢぢと焦げる……。そのおこり立つた眞紅の炭火を見た瞬間、
「や!」
彼は思はず叫びさうになつた。立ち上りさうになつた。それを彼はやつと耐へた――ここで飛び上つたりすれば、俺はもう狂人だ! さう思ひながら、彼は再び手早に、併し成可く沈着に、火鉢で燒けて居る花の莟を、火箸の尖で撮み上げるや、傍の炭籠のなかに投げ込んだ。彼はこれだけの事をして置いて、さて、火鉢の灰のなかをおそるおそる覗き込むと、其處には何もない。今あつたやうなものは何もない。愕き叫ぶべきものは何もない。彼は灰の中を搔きまはして見た。底からも何も出ない。水に滴らした石油よりも一層早く、灰の上一面をぱつと眞靑に擴がつた! と彼の見たのは、それは唯ほんの一瞬間の或る幻であつたのであらう。
彼は炭籠の底から、もう一度莟を拾ひ出した。火箸でつままれた莟は、燒ける火のために色褪せて、それに眞黑な炭の粉にまみれて居た。さて、その莖を彼は再び吟味した。其處には彼が初めに見たと同じやうに、彼の指の動き方を傳へて慄へて居る莖の上には花の蕚から、蝕んだただ二枚の葉の裏まで、何といふ蟲であらう――莖の色そつくりの靑さで、實に實に細微な蟲、あのミニアチユアの幻の街の石垣ほどにも細かに積重り合うた蟲が、莖の表面を一面に無數の數が、針の尖ほどの𨻶もなく、裹み覆うて居るのであつた。灰の表を一面の靑に、それが擴がつたと見たのは幻であつたが、この莖を包みかぶさる蟲の群集は、幻ではなかつた――一面に、眞靑に、無數に、無數に……
「おお、薔薇、汝病めり!」
ふと、その時彼の耳が聞いた。それは彼自身の口から出たのだ。併しそれは彼の耳には、誰か自分以外の聲に聞えた。彼自身ではない何だか[やぶちゃん注:ママ。新潮文庫版では、「何だかが」。]、彼の口に言はせたとしか思へなかつた。その句は、誰かの詩の句の一句である。それを誰かが本の扉か何かに引用して居たのを、彼は覺えて居たのであらう。
彼は成るべく心を落ちつけようと思ひながら、その手段として、目の前の未だ伏せたままの茶碗をとつて、それを靜かに妻の方へ差し出した。その手を前へ突き延す刹那、
「おお、薔薇、汝病めり!」
突然、意味もなく、又その句が口の先に出る。
彼はやつと一杯だけで朝飯を終へた。
妻はしくしくと泣いて居た。「嗟! また始まつたか」と心のなかで彼の女の夫に就て呟きながら。さうして食卓を片附けつつ、その花のコツプをとり上げたが、さてそれをどうしようかと思惑うて居た。あの蝕んだ燒けた莟は、彼が無意識に毮り碎いたのであらう――火鉢の猫板の上に、粉粉に裂き刻まれて赤くちらばつて居た。彼はそれらのものを見ぬふりをして見ながら、庭へ下りようと片足を緣側から踏み下す。と、その刹那に、
「おお、薔薇、汝病めり!」
フエアリイ・ランドの丘は、今日は紺碧の空に女の脇腹のやうな線を一しほくつきりと浮き出させて、美しい雲が、丘の高い部分に小さく聳えて末廣に茂つた木の梢のところから、いとも輕輕と浮いて出る。黃ばんだ赤茶けた色が泣きたいほど美しい。何時か一日のうちに紫に變つた地の色は、あの綠の縱縞を一層引立てる。そのうへ、今日は縞には黑い影の絲が織り込まれて居る。その丘が、今日又一倍彼の目を牽つける。
「俺は、仕舞ひには彼處で首を縊りはしないか? 彼處では、何かが俺を招いてゐる」
「馬鹿な。物好きからそんなつまらぬ暗示をするな」
「陰氣にお果てなさらねばいいが」
彼の空想は、彼の片手をひよつくりと擧げさせる。今、その丘の上の目に見えぬ枝の上に、目に見えぬ帶をでも投げ懸けようとでもするかのやうに……
「おお、薔薇、汝病めり!」
井戶のなかの水は、朝のとほりに、靜かに圓く漾へられて居る[やぶちゃん注:「たたへられてゐる」。]。それに彼の顏がうつる。柿の病葉が一枚、ひらひらと舞ひ落ちて、ぼつりとそこに浮ぶ。その輕い一點から圓い波紋が一面に靜にひろがつて、井戶水が搖らめく。さうしてまたもとの平靜に歸る。それは靜で、靜である。涯しなく靜である。
「おお、薔薇、汝病めり!」
薔薇の叢には、今は、花は一つもない。ただ葉ばかりである。それさへ皆蝕ひだ。ふと、目につくので見るともなしに見れば、妻は今朝の花を盛つたコツプを臺所の暗い片隅へ、棚の片わきへ、ちよこんと淋しく、赤く、それを隱すやうに置いて居る。それが彼の目を射る。
「お前はなぜつまらない事に腹を立てるのだ。お前は人生を玩具にして居る。怖ろしい事だ……。お前は忍耐を知らない」
「おお、薔薇、汝病めり!」
裏の竹藪の或る竹の或る枝に、葛の葉がからんで、別に風とてもないのに、それの唯一枚だけが、不思議なほど盛んに、ゆらゆらと左右に搖れて居る。さうしてその都度、葉裏が白く光る――それを凝と見つめて居ても……。彼を見つけた犬どもが、いそいそ野面から飛んで歸つて、兩方から飛び縋る。それを避けようと身をかはしても……。どこかの樹のどこかの枝で、百舌が、刺すやうにきりきり鳴き出しても……、渡鳥の群が降りちらばるやうに、まぶしい入日の空を亂れ飛ぶのを見上げても……、明るい夕空の紺靑を仰いでも……、向側の丘の麓の家から、細細と夕餉の煙がゆれもせず靜に立昇るのを見ても……
「おお、薔薇、汝病めり!」
言葉がいつまでも彼を追つかける。それは彼の口で言ふのだが、彼の聲ではない。その誰かの聲を彼の耳が聞く。それでなければ、彼の耳が聞いた誰かの聲を、彼の口が卽座に眞似るのだ。――彼は一日、何も口を利かなかつた筈だつたのに。
犬どもは聲を揃へて吠えて居る。その自分の山彥に怯えて、犬どもは一層はげしく吠える。山彥は一層に激しくなる。犬は一層に吠え立てる……彼の心持が犬の聲になり、犬の聲が彼の心持になる。暗い臺所には、妻が竈へ火を焚きつける。妻が東京へ引き上げたいといふ氣持は、たしかにこんな時に彼處で養はれるに違ひない。何處かから歸つて來た猫が、夕飯の催促をしてしきりと鳴く。ぱつと火が燃え立つと、妻の顏は半面だけ眞赤に、醜く浮び出す。その臺所の片隅では、薔薇のコツプが、暗[やぶちゃん注:「やみ」。]のなかでぽつりと浮び出して來る。その薔薇は、蝕ひの薔薇は煙がつて居る!
彼はランプへ灯[やぶちゃん注:新潮文庫版では「火」。]をともさうと、マツチを擦る、ぱつと、手元が明るくなつた刹那に、
「おお、薔薇、汝病めり!」
彼はランプの心へマツチを持つて行くことを忘れて、その聲に耳を傾ける。マツチの細い軸が燃えつくすと、一旦赤い筋になつて、直ぐと味氣なく消え失せる。黑くなつたマツチの頭が、ぽつりと疊へ落ちて行く。この家の空氣は陰氣になつて、しめつぽくなつて、腐つてしまつて、ランプへ火がともらなくなつたのではあるまいか。彼は再びマツチを擦る。
「おお、薔薇、汝病めり!」
何本擦つても、何本擦つても。
「おお、薔薇、汝病めり!」
その聲は一體どこから來るのだらう。天啓であらうか。預言であらうか。ともかくも、言葉が彼を追つかける。何處まででも何處まででも……
[やぶちゃん注:以下、底本に附帯する佐藤春夫自身による「改作田園の憂鬱の後に」。これは新潮文庫版にも載るが、そこではかなりの段落分けが行われてある。私は無論、底本通りで電子化する。段落の頭の字下げがないのはママである。最後のクレジットは大正八(一九一九)年五月一日である。底本では全体が二字下げであるが、引き上げた。太字は作品本文と同じく、底本では傍点「﹅」である。]
改作田園の憂鬱の後に
「田園の憂鬱」の作者自身が、それの改作を凡そ了つた晚に、それの終に、自分と讀者との爲めに書く。本書冒頭以下の五章は、今からちやうど三年前の五月の作で、同じ六月、雜誌「黑潮」に『病める薔薇』の題で揭載された。この部分は同年十二月に全く改作した。別に同年九月の作である『續病める薔薇』約五十枚がある。それは兼ねての約束であつたにもかかはらず、雜誌「黑潮」の編輯者かち、それの採錄を拒絕された。その原稿を自分は遣棄してしまつた。それ故本書のなかにはそれは收められて居ない。それは勿論、惜しむに足るほどの値はない。第六節以下、卽ち本書の大部分は、去年の二月三月の作である。それには發表されなかつた原稿『續病める薔薇』に書かれた同一の材も雜つて居る。併し、全部改めて書かれたものである。同じ去年九月、雜誌「中外」に『田園の憂鬱』として揭載されたものがそれである。その不充分な作品である理由で、自分はその時までそれの發表を躊躇したのである。當時、書肆天佑社が自分の第一著作集を出版する計畫があつて、それの頁數の都合からこれを同集のなかに收錄したいと言つた。その著作集『病める薔薇』には、改作された『病める薔薇』が『田園の憂鬱』と一つに連續して『「病める薔薇」或は「田園の憂鬱」』といふ二つの題を持つて、未定稿と斷つたままで收錄した。今玆[やぶちゃん注:「こんじ」。今年。新潮文庫版では、「ここ」と平仮名で表記変更されている。]、三月四月、自分は同書に憑つて[やぶちゃん注:「よつて」。]、先づ可なり多くの誤字脫字を改訂する傍[やぶちゃん注:「かたはら」。]、別に約二萬二千字の字數を加へた。二つの新らしい斷章をも設けた。それは殆んど各頁に行き涉つての增捕で、或は單に字句の創正であり、併しより多くの場所は更に的確精細な描寫と、内容的なリズムの整調とを期し努めたつもりである。而も、もともと今日から見て落筆[やぶちゃん注:戯れの落書き。]を誤つたものがあつたが爲めに、一度不完全に表現されてしまつたものは、今更これをどうすることも出來なかつた。書き足りない部分にでは無くて、反つて書かれて居る部分で、作者をして全く堪へ難いやうな氣持を起させるやうな箇所は、自分をただ徒らに愧ぢしめるのみであつた。冒頭からの五十頁ほどは、(前述の如く最も舊く書かれた部分であるが、)その最も著るしい例である。そんな部分を私は唯そのままにして置いた。それを改めることは全くの無意味だから。それは、不完全ながら、をかしいながらにも、それ自身がそのままで持つてゐる或る有機的な組織を徒らに毀つ[やぶちゃん注:「こぼつ」。]ばかりであつて、それを改めることによつて或は樣子のいいものにはする代りに、それに脈動してゐる或る物を得て傷け[やぶちゃん注:「きずつけ」。]勝ちである[やぶちゃん注:「得て」は「得てして」に同じ。]。それは決して藝術に忠實な所以ではない。より忠實な者はこんな場合に寧ろ全部を抹殺すると同じ意味で、全部をそのままに生かして置くであらう。
『「田園の憂鬱」或は「病める薔薇』は、ともに自分の外的な事情のために、あまりに未定稿のままで、しかも斷片的に發表されたものであつたが爲めに、自分は、最初敢てこれをいくらかでも完全に改作して見ようなどと考へもしたやうなものの、一度書かれてしまつたものをつつ突き返すやうな事は──それの可否は別として──今更らながら全く豫想外に、自分には不可能であり、不愉快な仕事ででもあつた。さう痛感した時、自分は出來るだけ直ちにそのペンを投げ出した。自分はもうそれ以上の不愉快を忍びたくはなかつたから。自分が、最初にはもつと面目を一變するかも知れない程度での改作を志しながら、敢てそれを存分には遂行しなかつた所以である。かうして、本書改作『「田園の憂鬱」或は「病める薔薇」が出來た。いつまでも二つの名を負はされたこの一篇は、いつまでも不完全でつぎはぎであるらしい。それでも未だしも、改作した方がよくなつた(?)と、作者はあやふやな自信をもつてさう考へる。けれども他の人人がそれを見て、無駄だつたと言ひ、又故もなく過去の作品に戀戀として居るものとして笑止(せうし)がつてくれなければ幸である。とにもかくにも、作者は以後、本書をもつて定本としようとする! 『「病める薔薇」或は「田園の憂鬱」』は、もし事情が許したならば第一の機會に於てこれ位に纒めて發表するのがほんとう[やぶちゃん注:ママ。]であつた。それが作者の當初の企てでもあつた。
雜誌「中外」に掲載された『田園の憂鬱』が、未定稿のままで、比較的江湖に迎へられ且つ文壇諸家の一暼をも得たことは、年少無名の作者にとつて望外の光榮であつたと言はなければならない。けれども同時に、自ら省みて、それがさまざまな事情で、又さまざまな意味で、まことに喘ぎ喘ぎに綴り合されたもので、心ゆくまでにそれを書き遂げる機會を逸して、自ら親しく體驗し、且つ比較的久しく心にあつた作品としては、その或る世界──それは爭ふべくもなくつまらない、が併し、そこに暫く私が住まなければならなかつたところの或る世界のアトモスフイアは、この作品で再現された時には、情けないほど稀薄な、こくの無いものになつて居るのを感ずる。私のAnatomy of Hypochondriaは到底ものにはなつて居ない。さうしてそれはいくらか增補された今でも依然としてさうである。しかも今ではもうこれ以上にそれをどうするといふ氣持にもなれないのを、愚痴にも、多少遺憾に思ふ。この書が(──多辯にも、つい自家一個の所感をまで披瀝してしまつた序に、もうしばらく多少の氣恥しさを堪へて書きつづければ、)この書が、近く新に稿を起さうと用意してゐる『都會の憂鬱』が、或は作者自身滿足出來る程度に書かれるやうなことがあつた場合、その時に、それの微かな伴奏としてそれほど邪魔をすることもない姉妹篇としてでも、せめては役立つてくれればいいと自分は願ふ。
一九一九年五月一日
佐 藤 春 夫
[やぶちゃん注:「アトモスフイア」atmosphere。「気圏」・「特定の場所の空間」・「特定の場面・場所の雰囲気」・「環境」・「気分」の意。
「Anatomy of Hypochondria」「ヒポコンドロリア(心気症)の解剖学」同精神疾患については、「佐藤春夫 未定稿『病める薔薇 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版)(その7)」の「ヒポコンデリヤ」の私の注を参照されたい。
「都會の憂鬱」登場人物と犬も一緒の「田園の憂鬱」の完全な続編。翌大正一一(一九二二)年に『婦人公論』誌に連載され、翌年に単行本として刊行された。底本では、この後に続けて所載されている。
なお、今回の電子化に際して、「佐藤春夫 未定稿『病める薔薇 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版)」のブログ版の方は、全部について、正字化不全を新たに修正し、一部の注を補塡しておいた。]
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