大手拓次詩畫集「蛇の花嫁」 「形なき影をもとめて」・「あをき日」・「汝がこゑの美しさ」・「うまれざる花」・「朝な朝な」・「こゑなき聲」
[やぶちゃん注:底本その他は始動した一回目の私の冒頭注を参照されたい。特にソリッドに公開したのには意味はない。]
形なき影をもとめて
かたちなき かげをもとめて
さだめなく 暮るるならむか
みちのべに 雨はあり
みちのべに みぞれあり
あ を き 日
あをき日に
あをき日はつづきゆけど
このねがひ うつろはず
窗邊にかよふ 木もれ日の
とはに うるはし
[やぶちゃん注:「窗」は「窓」の異体字。]
汝がこゑの美しさ
汝(な)がこゑの したたる露
汝がこゑの ただよふ香(にほひ)
汝がこゑの ゆらめくひかり
汝がこゑの ひらく花びら
汝がこゑの ちらばふ星
汝がこゑの こぼるる蜜
汝がこゑの くれなゐのつぼみの瓊(たま)
汝がこゑの みどりの風
汝がこゑの 春の絲雨(いとさめ)
汝がこゑの 銀色(ぎん)の衣(きぬ)ずれ
汝がこゑの いぢらしき君影草(きみかげさう)
汝がこゑの 夢をつつむ雛罌粟(ひなげし)の花
汝がこゑの 黃色(きん)の耳飾り
汝がこゑの 宵のくちべに
汝がこゑの 水面(みのも)の浮鳥
汝がこゑの 揚羽の蝶の朝の舞
汝がこゑの 水晶色の鈴のおとづれ
汝がこゑの うすあをき月草の物思ひ
汝がこゑの うまるる雛鳩
汝がこゑの
雪色の 心のこゑのうるはしさ
[やぶちゃん注:「くれなゐのつぼみの瓊(たま)」「瓊」は「美しい宝玉」の意であるが、ここは恐らく薔薇の花の蕾を形容している。
「君影草(きみかげさう)」被子植物門単子葉植物綱キジカクシ目キジカクシ科スズラン亜科スズラン属スズラン Convallaria majalis の古い異名。「君影草」。「谷間の姫百合」という別名もある。私の好きな花の一つだが、当該ウィキによれば、実は全草に『強心配糖体のコンバラトキシン (convallatoxin)、コンバラマリン (convallamarin)、コンバロシド (convalloside) などを含む有毒植物』で『有毒物質は全草に持つが、特に花や根に多く含まれる。摂取した場合、嘔吐、頭痛、眩暈、心不全、血圧低下、心臓麻痺などの症状を起こし、重症の場合は死に至る。北海道などで山菜として珍重されるギョウジャニンニク』(キジカクシ目ヒガンバナ科ネギ亜科ネギ属ギョウジャニンニク亜種ギョウジャニンニクAllium victorialis subsp. platyphyllum)『と外見が似ていることもあり、誤って摂取し』、『中毒症状を起こす例が見られる。スズランを活けた水を飲んでも中毒を起こすことがあり、上野正彦著「死体は語る」』(私も所持する)『には、五歳の子どもが枕元に置いてあったスズランの活けられた花瓶の水を飲み』、『死亡した例が書かれている』とある。私は有毒生物の博物学的注では、必ず、有毒性を示すことにしている。趣味が悪いのではないので、悪しからず。
「雛罌粟(ひなげし)」被子植物門双子葉植物綱キンポウゲ目ケシ科ケシ属ヒナゲシ Papaver rhoeas 。別名「虞美人草」。民間では、当該ウィキによれば、乾燥させた花は生薬として咳止めに使用され、『安全性が示唆されているが、焼いた花の多量摂取は危険性が示唆され、頻脈、徐脈、吐き気、嘔吐、胃痛、不安、痺れ、呼吸困難、乳酸アシドーシス』(血液の病的な酸性傾斜)、『瞳孔収縮、強直間代性発作、意識喪失を生じることがあ』り、『小児の花や生の葉の摂取は危険性が』指摘されており、『妊娠中や授乳中の安全性については情報が不足しているため、摂取を避けることが求められ』ているとある。私はあの、カラカラした感じの花弁が好きになれない。
「宵のくちべに」前後が総て名詞節で終わっているから、「くちべに」は「口邊に」ではなく、「口紅」という感覚的象徴である。
「うすあをき月草」「つきくさ」で、花の「薄靑」色から、単子葉植物綱ツユクサ目ツユクサ科ツユクサ亜科ツユクサ属ツユクサ Commelina communis の古い別名である。或いは、私も偏愛する双子葉植物綱バラ亜綱フトモモ目アカバナ科マツヨイグサ属ツキミソウ Oenothera tetraptera を想起される読者もいるかも知れないが、ツキミソウは純白であり、色が合わない。見かけ上、月夜でツキミソウを見ると、薄く青みがかって見えるが、それは錯覚である。私の新築前の内庭には、沢山、自生していたが、三十五年前の夏のある夜、帰ってみると、誰かが侵入して、ごっそり株が剝ぎ取られて盗まれていた。いや、実際にはそれ以前からの不審な行動(その人は、何度か家の中から窓越しに垣間見たのだが、いつも物欲しそうに月見草も見つめていたので)から、その「誰か」を、私は、はっきり、ある老婦人であることを、とうに知っていたのだが。なお、私は同じく「月見草」と呼ぶことが多いマツヨイグサ類(太宰治の「富嶽百景」の名台詞の「富士には月見草がよく似合ふ」のそれは恐らく双子葉植物綱フトモモ目アカバナ科 Onagroideae 亜科Onagreae連マツヨイグサ属オオマツヨイグサ Oenothera erythrosepala である)は品のない黄色が大嫌いである。]
うまれざる花
うまれざる花を
われは抱(いだ)けり
こころ しぐれのなかに
にほひをおぼゆ
朝 な 朝 な
朝な朝な
きみを思ひて まどろみつ
さめて また
まどろみつ
朝な朝な
こ ゑ な き 聲
ひとしほに きみをおもへば
こゑなきこゑの つたはりくる
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