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2023/02/19

柳田國男「妖怪談義」(全)正規表現版 小豆洗ひ

 

[やぶちゃん注:永く柳田國男のもので、正規表現で電子化注をしたかった一つであった「妖怪談義」(「妖怪談義」正篇を含め、その後に「かはたれ時」から「妖怪名彙」まで全三十篇の妖怪関連論考が続く)を、初出原本(昭和三一(一九五六)年十二月修道社刊)ではないが、「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」で「定本 柳田國男集 第四卷」(昭和三八(一九六三)筑摩書房刊)によって、正字正仮名を視認出来ることが判ったので、これで電子化注を開始する。本篇はここから。但し、加工データとして「私設万葉文庫」にある「定本柳田國男集 第四卷」の新装版(筑摩書房一九六八年九月発行・一九七〇年一月発行の四刷)で電子化されているものを使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問な箇所は所持する「ちくま文庫版」の「柳田國男全集6」所収のものを参考にする。

 注はオリジナルを心得、最低限、必要と思われるものをストイックに附す。底本はルビが非常に少ないが、若い読者を想定して、底本のルビは( )で、私が読みが特異或いは難読と判断した箇所には歴史的仮名遣で推定で《 》で挿入することとする。踊り字「〱」「〲」は生理的に嫌いなので、正字化した。傍点「﹅」は太字に代えた。

 なお、本篇は底本巻末の「内容細目」によれば、大正五(一九一六)年五月発行の『鄕土硏究』初出である。]

 

     小 豆 洗 ひ

 

 淸水時顯君の、小豆洗ひは崩れ岸を意味するアヅといふ地名から出た流言だとの御高說は(鄕土硏究三卷)、御高說であるが信じにくい。最初に地名の眞の意味を忘れ、次にその地名あるが爲に小豆を洗ふやうな音を聞くといふことは、若し一箇所ならば飛んだ間違ひ又はよい加減な虛誕などといふべき事か知らぬが、弘く全國の各地に亙つて偶合のありさうも無い話である。願はくはその多くの實例を竝べて見せて下され、さうする中には必ずどうしてそんな音がしたか若しくは聞えたか、何故にその音を小豆を洗ふ音と解するに至つたかといふ、今一段と直接なる二箇の疑問が判明することになるであらうと思ふ。常陸の例は淸水君自ら擧げられ、阿波の例は遠藤君が報ぜられた(同四卷六二頁)。この外に土佐因幡甲斐羽後陸中東京等にもあつたのである。元來何の音もしなかつたのを、單に地名から小豆洗ひの音を幻覺したとはいはれぬやうである。土佐の小豆洗ひは西郊餘翰《さいかうよかん》卷三幡多《はた》郡中山田村の條に、「此里なる寺門の外に赤小豆洗ひと云ふ怪談あり、夜により赤小豆を炊《かし》ぐ音せり、須臾《しゆゆ》にして止むとかや」とあり、土州淵嶽志《どしうえんがくし》中卷にも、「宿毛《すくも》の中山田と云ふ所に寺あり、此寺の門外に赤小豆洗《あかあづきあらひ》と云ふことあり、時々夜更けて小豆を洗ふ聲するなり、半時《はんとき》ばかりにして止むと云ふ」とあるが、原因までは究めようとしなかつた。これは寺の門外とあるから、やはり小溝あり橋があつたのかも知れぬ。因幡の分は有斐齋剳記《いうびさいたふき》に「因州の留邸(おるすゐ)寺尾氏の夜話に、其國の一江崎と云ふ所に一の小溝あり、其溝にて夜水中に赤小豆磨《あかあづきとぎ》と云ひて、小豆を磨ぐ音のすること時々あり、人怪みて之を求むる者、必ず其水中に陷る。怪我は無しと。坐に良白耕ありて曰く、吾國にも此事あり、但しアヅキコシと謂ふ。鼬《いたち》の老いたるもの必ず之を爲すと云へり」とある。良白耕といつた人は何處の人であるか知らぬが、アヅキコシと呼ぶ例は自分はまだ耳にせぬ。甲州のは裏見寒話卷六に、「古府の新紺屋町より愛宕町へ掛けたる土橋あり云々、こゝを鷄鳴の頃通れば橋の下にて小豆を洗ふ音聞ゆといふ。又疊町の橋の下も此の如しと云へり」とあつて、鷄鳴の頃と限つて居るばかりであるが、津村氏の譚海卷六には、「甲州の人の談に、ムジナはともすれば小豆洗ひ絲繰りなどすることあり、小豆洗ひは溪谷の間にて音するなり、絲繰りは樹のうつぼの中に音すれど、聞く人十町二十町行きても其音耳を離れず、同じ音に聞ゆるなり」とあつて鼬も同樣だが水中に居りさうにも無い獸類の所爲にしてしまつて居る。奧州の白川でも、たしか阿武隈の水源地方の山村に小豆磨の怪あることを、白川風土記の中に記してあつたかと思ふが、只今原文を檢する方便が無い。又山方石之介氏は曾て佐々木君が陸中遠野鄕には「川に小豆磨ぎあり云々」と報ぜられたに對して、氏の鄕里羽後秋田邊では、「小豆磨ぎ」は水中の怪では無く、寧ろ山の神の所爲と信ぜられて居るといはれた。要するに比較討究のなほ必要なる理由は、第一に小豆洗ひの不思議の有る場所が、果して常に崖の崩れ又は岸の埋まり淺くなるやうな場所或はその附近か否かといふことを確めねばならぬからである。蓋し音響の怪は右の二種の外、天狗倒しとかバタバタとか、列擧すれば數多いことである。山中といふも深夜といふも結局は同じことで、孤獨寂寥の折からで無ければ今の音は何だらうと平然として穿鑿する筈で、これを變化のわざと解するのは豫め怖いといふことを伴なふからである。淸水君は土橋といふことを崩れる方へ聯想せられたやうだが、これは多分はさうで有るまい。昔から妖怪は必ず路傍に出て通行人を嚇かすのが原則であつた。つまり小賣商が市街に面して店を開く如く、怖がる人は卽ち妖怪の花客(おとくい)であつた爲で、殊に峠と坂、濟(わたし)と橋などは彼等の業務を行ふに最も適當な地點であつたのである。しかうして妖怪の中でも眼に訴へる者よりは耳を襲ふものゝ方が尤もらしい者が多く、井上圓了氏を聘《へい》せずとも解說の出來るものが、音響の不思議に多かつたことは事實である。夜間の怪聲に鳥の聲又は羽音であつたものがある如く、小豆洗ひを鼬《いたち》又は貉《むじな》といふのも必ずしも冷笑すべきで無い。佐渡の砂撒き狸のことは茅原老人前にこれを報ぜられたが、自分少年の時に下總で聞いた話にこんなのがある。或男月夜に利根川の堤の上を步行《ある》いて居ると、何か猫ほどの物が路を橫ぎつて川端へ走り下り、寄洲の水際で轉がつて居るやうに見えた。立留つて見て居た處、やがて又走せ還つて、行く手のこんもりとした木に登つた。猫だらうと思つて何氣なくその下を通ると、木の上からばらばらと砂を降らせたといふ。樂屋の方から先に覗いたからよいやうなものゝ、これが暗夜でもあつたら、又二度も三度もあつたら、必ず亦砂撒き狸の根據地を作つたことゝ思ふ。彼地方の者は確かにこれを狸だと信じて居るのである。曾て試にこの話を狸通《たぬきつう》の川瀨博士にした處が、狸はその位な惡戲はするかも知れぬといはれた。實際我邦ばかりで無からうが、鳥獸の生活狀態殊に直接食物搜索と關係の無い習癖には、明白になつて居らぬものが多い。ヲサキや犬神の話を聞いても、或種の獸の存在が全然知れて居らぬのか、然らざれば或獸の著しい性質が確かめられて居らぬのか、二者必ず其一だと思ふことが多い。といふて自分は小豆洗ひの興行權者を鼬又は貉と決定したのでは無く、又鼬や貉では實は少々困るが、何か大さ形などがこれに近い水邊に住む獸が、產育の時とか遊牝《ゆひ(ん)》[やぶちゃん注:交尾。]の時とかに、急《せ》はしく砂を搔き動かすといふやうなことが、小豆洗ひの怪の原因で無いとは斷言し得られぬと思ふ迄である。但し今一つ申添へたいことは、淸水氏もいはれた如く、何故に音も色々あらうのに、小豆を洗ふ音ばかり聽き取るのが例であつたかといふ疑《うたがひ》である。私はその答を小豆その物に關する我民間俗信の方面に覓《もと》めるのが自然の順序かと考へる。各地の小豆阪《あづきざか》小豆峠の中には、アスといふ動詞に基づいたものも決して交つて居らぬとはいはぬが、何かその外にも小豆に關した習俗がその地名の起原となつた場合が無いか否かを考へて見ねばならぬ。今一段溯つては小豆がどうしてアヅキといふかも硏究すべき一の問題である。近い頃の神符降臨の騷ぎの時も、何か赤い樹實《きのみ》の降つたのを小豆が降つたと言ひ傳へた例もある。怪談老の杖卷三に、「小豆ばかりと云ふ化物の事」と題して、麻布近所の二百俵ばかり取る大番士の家で、夜分はらりはらりと小豆を撒くやうな音がした。後にその小豆の音段々高くなり、終には一斗ほどの小豆を天井の上へ量るやうなる體で、間を置いては又はらはらとなること暫くにして罷む云々といふ話がある。卽ち小豆は既に土橋の下ばかりで洗はれて居らず、人家の天井の上でも活躍して居るのを見れば、鼬貉のみでは天下の小豆洗ひを解說し盡すことの出來ぬのも亦明らかである。猶同種の話を多く集めた上で講究を續けたい。

[やぶちゃん注:「小豆洗ひ」「小豆とぎ」は、大方は水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」で人口に膾炙している妖怪。ショキショキと音を立てて、川で小豆を洗う妖怪。当該ウィキによれば、分布は日本各地に亙り、『長野県松本市では、木を切り倒す音や赤ん坊の泣き声をたてたという』。『群馬県邑楽郡邑楽町や島根県では、人をさらうものといわれる』。文化二(一八〇五)年に白河藩藩儒広瀬蒙斎によって編まれた地誌「白河風土記」『巻四によれば、鶴生(つりう・福島県西白河郡西郷村大字)の奥地の高助という所の山中では、炭窯に宿泊する者は時として鬼魅(きみ)の怪を聞くことがあり、その怪を小豆磨(あずきとぎ)と呼ぶ。炭焼き小屋に近づいて夜中に小豆を磨ぐ音を出し、其の声をサクサクという。外に出て見ても』、『そこには何者も無いと伝えられている』。『茨城県や佐渡島でいう小豆洗いは、背が低く目の大きい法師姿で、笑いながら小豆を洗っているという。これは縁起の良い妖怪といわれ、娘を持つ女性が小豆へ持って谷川へ出かけてこれを目にすると、娘は早く縁づくという』。『大分県では、川のほとりで「小豆洗おか、人取って喰おか」と歌いながら』、『小豆を洗う。その音に気をとられてしまうと、知らないうちに川べりに誘導され』、『落とされてしまうともいう』。『音が聞こえるだけで、姿を見た者はいないともいわれる』。『この妖怪の由来が物語として伝わっていることも少なくない。江戸時代の奇談集』「絵本百物語」(桃花山人(戯作者桃花園三千麿)著・天保一二(一八四一)年刊)に『ある「小豆あらい」によれば、越後国の高田(現・新潟県上越市)の法華宗の寺にいた日顕(にちげん)という小僧は、体に障害を持っていたものの、物の数を数えるのが得意で、小豆の数を一合でも一升でも間違いなく言い当てた。寺の和尚は小僧を可愛がり、いずれ住職を継がせようと考えていたが、それを妬んだ円海(えんかい)という悪僧がこの小僧を井戸に投げ込んで殺した。以来、小僧の霊が夜な夜な雨戸に小豆を投げつけ、夕暮れ時には』、『近くの川で小豆を洗って数を数えるようになった。円海は後に死罪となり、その後は日顕の死んだ井戸で日顕と円海の霊が言い争う声が聞こえるようになったという』。『東京都檜原村では小豆あらいど(あずきあらいど)といって、ある女が小豆に小石が混ざっていたと姑に叱られたことから』、『川に身を投げて以来、その川から』、『小豆をとぐ音が聞こえるようになったという』。『愛媛県松山市に伝わる小豆洗いの話では、明治初期に川の洗い場に』五十『歳ほどの女性が小豆と米を洗っていたため、そこには誰も洗濯に寄らず、その女はやがて死に去ったという』。『小豆洗いの正体を小動物とする地方もあり、新潟県刈羽郡小国町(現・長岡市)では山道でイタチが尻尾で小豆の音を立てているものが正体だといい』、『新潟県十日町市でもワイサコキイタチという悪戯イタチの仕業とされる』。『長野県上水内郡小川村でも小豆洗いはイタチの鳴き声とされる』。『大分県東国東郡国東町(現・国東市)でもイタチが口を鳴らす音が正体とされ』、『福島県大沼郡金山町でも同様にイタチといわれる』。『岡山県赤磐郡(現・岡山市)では小豆洗い狐(あずきあらいぎつね)といって、川辺でキツネが小豆の音をたてるという』。『長野県伊那市や山梨県上野原市でもキツネが正体といわれる』。『京都府北桑田郡美山町(現・南丹市)ではシクマ狸という化け狸の仕業とされるほか、風で竹の葉が擦りあう音が正体ともいう』。『香川県観音寺市でもタヌキが小豆を磨いているといわれ』、『香川県丸亀市では豆狸の仕業といわれ』、『広島県ではカワウソが正体と』される。『津村淙庵による江戸時代の随筆』「譚海」では『ムジナが正体とされる』。『秋田県では大きなガマガエルが体を揺する音といわれる』。『福島県ではヒキガエルの背と背をすり合わせることで疣が擦れ合った音が小豆洗いだともいい』、『根岸鎮衛の随筆』「耳嚢」でも『ガマガエルが正体とされている』(私の「耳嚢 巻之八 小笠原鎌太郎屋敷蟇の怪の事」を見られたい)。『新潟県では、糸魚川近辺の海岸は小砂利浜であり、夏にここに海水浴に来る人間が砂浜を歩く「ザクザク」という音が小豆を研ぐ音に酷似していたため、これが伝承の元となったともいう』。『山形県西置賜郡白鷹町でも、小川の水が小豆の音に聞こえるものといわれる』。『また江戸時代には小豆洗虫(あずきあらいむし)という昆虫の存在が知られていた。妖怪研究家・多田克己によれば、これは現代でいうチャタテムシのこととされる』。『昆虫学者・梅谷献二の著書『虫の民俗誌』によれば、チャタテムシが紙の澱粉質を食べるために障子にとまったとき、翅を動かす音が障子と共鳴する音が小豆を洗う音に似ているとされる』。『また、かつてスカシチャタテムシの音を耳にした人が「怖い老婆が小豆を洗っている」「隠れ座頭が子供をさらいに来た」などといって子供を脅していたともいう』。『新潟県松代町では、コチャタテムシが障子に置時計の音を立てるものが小豆洗いだという』(この説については、『小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第二十章 二つの珍しい祭日 (五)』の中で八雲が『英國で夜間あの凄いかちつかちつといふ音を發する、茶立て蟲の一種は、日本の貧之神といふ名の親類を持つてゐる。この蟲は貧之神の召使で、それが家の内てかちつかちつといふ音を發するのは、かの甚だ歡迎されない神樣の存在を報ずるものと信ぜられてゐる。』(太字は原本では傍点「﹅」)と述べたのに対する私の注を参照されたい。ここも引いて考証してある)。『長野県下諏訪などでは』、『こうした妖怪の噂に乗じ、男性が仲間の者を小豆洗いに仕立て上げ、女性と連れ立って歩いているときに付近の川原で小豆洗いの音を立てさせ、怖がった女性が男性に抱きつくことを楽しんだという話もある』。『茨城県那珂郡額田地区の伝承の小豆洗いは女性であり、その正体は』、四百『年以上前の額田佐竹氏が太田の佐竹本家と江戸氏の連合軍に攻め立てられて落城する前日に出陣し、帰らぬ旅路についた城主の父に対し、出陣祝いの小豆飯を炊いて進ぜた姫君の姿であるとする』。『この他、ひたちなか市勝田地区には、「あずきばあさん」と呼ばれる伝承が近代期までみられ、話者によっては、小豆洗いの妻と解釈もされているが、老婆が洗っていると認識された』とある。

「淸水時顯」事績不詳だが、日文研の「怪異・妖怪伝承データベース」の「正雪虫」(しょうせつむし)に彼の名義の「人が虫になった話」(『鄕土趣味』大正一二(一九二三)年二月発行)の記載があった。

「崩れ岸を意味するアヅといふ地名」所持する日本民俗文化資料集成第十三巻の松永美吉「民俗地名語彙事典 上」(一九九四年三一書房刊)の「アズ」によれば、『アズ ① 『万葉集』巻一四に次の二首がある。』(上句と下句を分離し、漢字表記を正字化した)

  あず(安受)の上に駒を繫ぎて危(アヤ)ほかど

   人妻子ろを息(イキ)に吾(ア)がする(三五三九)

『(崖の崩れの上に馬を繋いだように危ないけれど、人妻であるあの子を命にかけて私は思っている)』

『アズはは崩れた崖、そういう所に馬を繋ぐのは危ないので、「危ほかど」の譬喩の序である。』(以下、同前)

  あず(安受)邊(へ)から駒の行このす危(アヤ)はとも

   人妻で子ろをまゆかせらふも(三五四一)

『(崩れた岸の所を通って駒が行くように危いけれども、人妻であるあの子を「まゆかせらふも」〈誘惑するよ〉)』

『アズ(炳)は田中道麿は「字鏡に坍、崩岸也、久豆礼又阿須とある是也、俗に云がけの危き所也」と説いた。『新撰字鏡』(五)に「坍 上甘(土)紺二反崩岸也久豆礼又阿須」とある〔正宗・森本『万葉集大辞典』ア行〕。『天治字鏡』などの古い辞書にある坍(崩れ岸)という字は日本の造字であろう。[やぶちゃん注:これは誤り。坍は大修館書店「廣漢和辭典を見ても漢語である。音は「タン」。訓は「あず」(但し、同時点には後者は載らない)。意味は『①水が岸を打ってくずす。古字』とし、『②くずれた岸』とあり、中日辞典にも所収する。「阿須」の宇も当てられ阿須、阿須川などあり、また明(アス)、明日(アス)のつくのもある』。『アズはまたアソともいい、山岳語としても用いられ、谷筋が崩れて岩などが堆積している所をいう』。『埼玉県飯能市阿須(市の南部で入間川右岸)は『新編武蔵風土記稿』には入間川の洪水により土砂が崩れ「阿須ケ崖」という数十丈の崖をつくった旨を記している』。『対馬厳原町』(いづはらまち)『阿須は阿須湾に臨み、山裾が崖をつくって海岸にわっている。琵琶湖の西岸に注ぐ安曇(アド)川は下流に安曇川町(旧旅賀県高島郡安曇町)がある。安曇はアドのほかアズ(アヅ)、アトとも呼ばれ古くは阿戸、安土、足利とも書くが、いずれも当て字。安曇川は上、中流の両岸は断崖の多い川。この川の支流に麻生(アソ)川あり。両岸の急な谷で、麻生の部落もそうした谷合の小部落。それもアゾ、アソの類ではないか。こうした地形にある阿曾原、阿蘇などの地名も同様であろう。なおアスという語には川、海などの浅くなる意味もある。「山は裂け海はあせなむ世なりとも」(源実朝)のアセである。アスには浅を当て「浅す」と訓ませている』(太字は底本では傍点「﹅」)『霞ヶ浦の出口あたりから利根川口付近にかけて、古く入江の形をなした「安是湖(アゼノウミ)」はアセた海の意である』。『対馬の上島と下島の間の浅海(アソウ)湾(浅茅湾)もこれと同様であろうか』。『和歌山県有田川上流の阿瀬川や、青森県津軽平野の黒石市あたりを西流する浅瀬石(アセイシ)川はこの辺で広い氾濫原を乱流しており、この名の一適例であろう。浅瀬石は浅石、汗石とも書かれている。あちこちにある浅川(朝川)はまさに文字通りである』。『崩崖をいうアズ、アスと土砂が堆積した川、海の浅くなるアズ、アスとは語源的につながるのではあるまいか』。『崩岸、崩崖が、その下に土石の堆積面を作ることに主体が移れば、そうした堆積地形をいう名称になるであろう〔松尾『日本の地名』、アソ参照〕』。『なお「伊豆半島から静岡、和歌山、三重の各県と豊後水道側の九州の海岸に分布するアゼトウナという植物があるが、それは生育の場所からみて、おそらく昔はアザトウナと称していたのがアゼトウナに転訛したものであろう」〔『植物和名の語源』〕とあるが、アズに生えるのであるから、アズトウナの転誼ではあるまいか』[やぶちゃん注:キク目キク科アゼトウナ属アゼトウナ Crepidiastrum keiskeanum当該ウィキによれば、『伊豆半島から西の太平洋岸に分布』し、『冬場でも比較的暖かい海岸の岩場に生える。岩の隙間に根を下ろし、太く短い茎はその表面を少し這って株を作る。葉は茎の先端にロゼット状につき、倒卵形でやや肉質であり、ふちが浅くギザギザになっている。側枝を出して立ち上がり、高さは』十センチメートル『ほどになる。花期は』八月から十二月で『直径』一・五センチメートル『ほどの黄色い花を枝先に咲かせる』とある)。『② 福岡県の旧企救』(きく)『郡で、溝や川等へ流れこんだ口に堆積する、また流れ出た辺のやわらかな細砂をいう〔『藩政時代百姓語彙』〕。同県久留米市大善寺町では、池底の腐土をいい〔『日本の民俗』福岡〕、同県春日市付近でも、河溝の細砂、河原の淀に溜るアズ(淮積土)は苗床に使う〔『筑紫の里ことば』〕。佐賀では川に流れる芥をアズ〔『全辞』〕』[やぶちゃん注:東條操編「全国方言辞典」の略。]『壱岐でも堀や溝などの底に溜まる泥土〔『全辞』〕をいうが、宅地田畠の土の流失を防ぐため、地所の下部に多くの溜池を設け、これをアズダメとかアンダメといい、ここに溜まった泥土を時折持運ぶ〔『綜合』〕』[やぶちゃん注:民俗学研究所編「総合日本民俗語彙」の略。]。『これらのアズは崩壊によって生じたアズである』。『③ 山や畑などの境界。伊豆大島、御蔵島。アソに同じ〔『全辞』〕』とある。

 因みに、この事典には、実は「アズキ」と「アズキトギ」の項があるので、それも引く。『アズキ 小豆坂、小豆沢、小豆島、小豆畑も崩崖のアズ(坍)である〔『日本の地名』〕』。『東京都板橋区小豆沢町(旧豊島区志村大字小豆沢)はアズキサワではなくアズサワである。竜福寺付近を通る崖岸(アズ)に基づくものであろう。茨城県北茨城市華川(ハナカワ)町小豆畑(アズハタ)はおそらく端(ハタ)であろう)も小豆をアズとよんでいるが、大北川』(おおきたがわ)『の支流、花園川』(はなぞのがわ)『の中流の狭い谷にある部落で、この地名も崖にちなむアズであろう。小豆の地名は「厚本」とも書かれる。愛媛県岡崎市羽根町』(はねちょう)『の小豆坂は、また厚木坂とも書かれた。アズとアズキは同じ言葉のように受けとれ、アズが生活に身近な食料のアズキに転じ、小豆の字が当てられたのではないか。瀬戸内の小豆島(谷川県小豆郡)はもと、アズキシマとよばれ、上代からこの名で知られている。ショウドシマとよぶようになったのは小豆郡(公的にショウズで、普通ショウドともいう)が設けられた明治十三年以後のこと』である。『ついでにいえば、この島は海岸にも内部にも、崖地の多い所であるが、中でも中央より東寄りにあって怪石奇峰のあるこの島第一の景勝、寒霞渓は、カソカケの名でよばれて鍵掛(鉤掛)、神懸、神駆などの字が当てられた。寒霞渓(徳富蘇峰の命名とか)を含めて、峻しい峠や崖地には鍵掛や鍵掛峠の地名を見うける。カソカケ、ガソカケ、ガツカケなどは、れた崖地や絶壁をいう語である。鍵掛をカギカケ、カイカとよぶ所もある〔松厄『日本の地名』〕』。

 以下、「アズキトギ」。『アズキトギ アズキアライともアズキサラサラとも。分布は広く各地にある』。『川端で小豆を洗う音がする。もう夜が明けたのかな。お祭りでもないのに、赤飯にする小豆を誰がといでいるのだろかと出てみると、誰もいなかった。ムジナの仕業といっていた。長野県岡谷市での例〔『峠ふところの村』〕』。『正体を見もしないで、正体をなぜ小豆ときめたかも不思議である〔『綜合』〕』とある。

「遠藤」不詳。

「西郊餘翰」土佐藩の国学者岡宗泰純が文化八(一八一一)年に土佐藩家老深尾氏に随行して記した紀行。

「幡多郡中山田村」近代の地名に「中山田村」はない。現在は高知県宿毛市山奈町山田(すくもしやまなちょうやまだ)(グーグル・マップ・データ。以下、無表記は同じ)があるが、その西方に、高知県宿毛市平田町中山があるので、こちらも候補となろう。孰れも流れは近くにある。「ひなたGPS」で戦前の地図の当該地を見たが、やはり「中山田」は、ない。

「此里なる寺門の外」現在の山田地区は北半分以上は山間であり、グーグル・マップ・データでは五宝寺(寺歴未詳)しか見当たらない。一方、中山地区には第三十九番札所赤亀山寺山院延光寺(しゃっきざんじさんいんえんこうじ)がある。どっちかは判らぬ。

 

「土州淵嶽志」植木挙因(元禄元(一六八八)年~安永三(一七七四)年:儒者。土佐高知藩医の父に家学を受け、後、京都で玉木正英に学び、帰郷後、藩の儒員となった)の編した土佐地誌「土州淵岳志」高知県立図書館公式サイト「オーテピア高知図書館」の同館の出版物リストの「土佐國群書類従」の本書の解説によれば、『土佐の国号の由来に始まり、神社、歌枕、産物、伝承、怪異譚』(☜)、『陵墓、寺院など、土佐国に関する様々な事象に及んでい』るとある。

「宿毛《すくも》の中山田と云ふ所に寺あり」そもそも、前の書もこれも寺の名を挙げないところが、寺の妖怪・怪異は憚られると配慮したのかも知れぬが、この事実は既にして信用度が異様に下がってしまう。

「半時」現在の一時間相当。

「有斐齋剳記」儒者皆川淇園(きえん 享保一九(一七三五)年~文化四(一八〇七)年)の随筆。聞書きであるが、妖狐のランクが天狐・空狐・気狐・野狐の順で記されあることで知られる。本文に出る話は、「国立公文書館デジタルアーカイブ」の同書写本92コマ目で視認出来る。

「因州」「一江崎」不詳。鳥取県鳥取市江崎町ならある。

「良白耕」不詳。

「裏見寒話」「うらみのかんわ」と読む。甲府勤番野田成方(しげかた)が記した地誌・伝承集。宝暦二(一七五二)年序。「新日本古典籍総合データベース」のこちらの写本で当該部が視認出来る。

『津村氏の譚海卷六には、「甲州の人の談に、ムジナはともすれば小豆洗ひ絲繰りなどすることあり、小豆洗ひは溪谷の間にて音するなり、絲繰りは樹のうつぼの中に音すれど、聞く人十町二十町行きても其音耳を離れず、同じ音に聞ゆるなり」』私はブログ・カテゴリ『津村淙庵「譚海」』で二〇一五年から電子化注を進行中だが、未だ「卷五」の途中である。しかし、「卷六」をざっとみたが、これは見当たらないようである。発見したら、追記する。

「奧州の白川でも、たしか阿武隈の水源地方の山村に小豆磨の怪ある」阿武隈川の源流は現在の福島県西白河郡西郷村の甲子旭岳である。

「白川風土記」文化年間、藩主松平定信の命により藩儒広瀬蒙斎(明和五(一七六八)年~文政一二(一八二九)年)らが編纂した白河地誌。明治七(一八七四)年に松平家から太政官正院地誌課へ献納された。全三十六巻。

「山方石之介」山方石之助ではないか。「山の人生」や「柳田國男 山島民譚集 原文・訓読・附オリジナル注「馬蹄石」(12) 「駒ケ嶽」(2)」に「助」で姓名が出る。事績は不詳だが(以下に従えば秋田出身である)、ネットでは民俗学文献の著者として見えている。

「佐々木」「遠野物語」の原著者佐々木喜善。

『氏の鄕里羽後秋田邊では、「小豆磨ぎ」は水中の怪では無く、寧ろ山の神の所爲と信ぜられて居るといはれた』『日本民俗文化資料集成』第八巻「妖怪」に所収する千葉幹夫編「全国妖怪語辞典」(一九八八年三一書房刊)には秋田県の項に「アズキトギ」を立項するが、『音の怪。アズキアライとかアズキサラサラともいう。水のほとりで小豆をとぐような音がするとか、アズキトギという化け物がいて、音をさせるとかいう。雄勝』(おかち)『郡ではガマが小豆に化けるともいう』とある。後の方の書き方は、或いは、水辺ではなく、山の中であってもありではあろうか。

「天狗倒し」深山で、突然、大木が倒れる大音響が起こるが、行ってみると、なんの形跡もない怪を言う。

「バタバタ」日文研の「怪異・妖怪伝承データベース」の「バタバタ」に儒者で漢詩人として知られる菅茶山(かんさざん 延享五(一七四八)年~文政一〇(一八二七)年)の随筆「筆のすさび」からとして、『芸州広島で夜中、屋上あるいは庭の辺から畳を杖で打つようなばたばたという音がする。見に行っても姿は見えない。狐狸の仕業のようだがそうでもない』とある。原拠は国立国会図書館デジタルコレクションの『有朋堂文庫』の「名家隨筆集 下」(大正三(一九一四)年刊)のここで視認出来る。

「怖がる人は卽ち妖怪の花客(おとくい)であつた爲で、殊に峠と坂、濟(わたし)と橋などは彼等の業務を行ふに最も適當な地點であつた」ここで思い出した。「小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第七章 神國の首都――松江 (一八)」に、本篇にお誂え向きの一話がある。

   *

 市[やぶちゃん注:松江。]の東北にある普門院の附近に、小豆磨ぎ橋といふのがある。昔、夜每に女の幽靈が橋の下へ出て、小豆を洗つたさうだ。日本の綺麗な草花に、虹の紫色を呈した杜若といふのがあつて、その花に關して杜若の歌といふ歌がある、この歌は決して小豆磨ぎ橋の邊で謠ふてはならぬ。どういふわけか分つてゐないが、そこへ現れる幽靈は、それを聞くと大變に怒るので、もし其處でそれを謠ふ人があれば、怖ろしい災難に罹るである。或る時何事にも恐れぬ侍があつて、夜その橋へ行つて聲高らかにその歌をうたつたが、幽靈が現れないから笑つて家に歸つてみると、門前で見覺のない丈の高い綺麗な女に逢つた。女が會釋をして文箱を差出した。侍も武士らしい禮をした。『妾は唯下婢であります。これは妾の女主人からの進物であります』といつて、女は消え失せた。箱を開けると血の附いら幼兒の顏が出た。家へ入ると、客座敷に頭のちぎれた自分の幼兒の死體があつた。』

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「佐渡の砂撒き狸」YoukaiTama氏のブログ「妖怪邸・妖堂 日記帳」の「とりあえず、砂撒き」に、『佐渡に流された順徳上皇を訪れる忠子内親王――二宮様とも呼ばれる――の為に、道に砂を撒いて清めていたという信心深い狸が、新潟県佐渡郡佐和田町――現在の佐渡市の妙照寺にいたという』とあった。妙法華山妙照寺はここ

「茅原老人」茅原鐡藏(ちはらてつざう(てつぞう) 嘉永二(一八四九)年~昭和六(一九三一)年)は佐渡出身の農事研究家で郷土研究家。個人ブログ「佐渡人名録」のこちら、或いは個人サイト(と思われる)「川上喚涛と歩いた人びと」(川上喚濤(かわかみかんとう 安政三(一八五六)年~昭和九(一九三四)年)は佐渡出身で佐渡に於けるトキ保護の元祖とされるナチュラリストで文人・地方政治家)の「茅原鐵蔵」に詳しい。

「自分少年の時に下總で聞いた話にこんなのがある。或男月夜に利根川の堤の上を步行《ある》いて居ると、何か猫ほどの物が路を橫ぎつて川端へ走り下り、寄洲の水際で轉がつて居るやうに見えた。立留つて見て居た處、やがて又走せ還つて、行く手のこんもりとした木に登つた。猫だらうと思つて何氣なくその下を通ると、木の上からばらばらと砂を降らせたといふ」本書の「自序」に載っている、少年柳田國男の妖怪間接体験の古層にある話である。

「砂撒き狸」YoukaiTama氏の「とりあえず、砂撒き」に、『新潟県大面』(おおも)『村字矢田』(やだ)『――現在の三条市の翁坂には「砂撒き鼬」と呼ばれる鼬が居り、後ろ足で砂を蹴って人に撒くといわれている。青森県三戸郡五戸町には「砂撒き狐」という狐が出る坂があり、夜に何か物を運んでそこを通ると砂を撒かれたといわれている。青森県津軽地方や新潟県、愛知県、福岡県では「砂撒き狸」と呼ばれ、夜道を歩いていると』、『砂を撒いたり降らしたりしてくるといわれ、「砂降らし」とも呼ばれる』とある。

「川瀨博士」東京帝国大学教授で林学博士の川瀨善太郞(文久二(一八六二)年~昭和七(一九三二)年)。紀州藩士の長男として江戸藩邸で生まれた。東京農林学校卒。明治二三(一八九〇)年に農商務省に入り、二年後には文部省留学生として林政学研究のためにドイツに留学、明治二十八年に帰国し、帝国大学教授となり、林政学・森林法律学を講義する一方、翌年には農商務技師・山林局森林監査官を兼任し、国の林政にも参与、大正二(一九一三)年には欧米へ出張している。大正九年、東京帝国大学農学部長となり、大正十三年、定年退官。また、明治二十五年から『大日本山林会』役員となり、大正九年には会長に就任している。木材と木炭規格統一に関する事業や、山林所得税の是正・演習林・農林高等学校の普及などに尽力した。著書に「林政要論」などがある(日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」に拠った)。知られた大正一三(一九二四)年に発生した珍事件「たぬき・むじな事件」(知らない方は当該ウィキを見られたい)では、控訴審で鑑定人として招かれている。

「ヲサキ」オサキ(尾先・尾裂・御先・尾崎)は本邦の関東地方の山間部に伝わる狐の憑き物。「オサキギツネ」とも呼ぶ。詳しくは当該ウィキを見られたい。中部地方以西で知られる「くだぎつね(管狐)」とは異なるものとされる。その辺りは、「想山著聞奇集 卷の四 信州にて、くだと云怪獸を刺殺たる事」の本文及び私の注を参照されたい。

「犬神」私の「古今百物語評判卷之一 第七 犬神、四國にある事」を参照されたい。

「小豆阪」一番知られているのは、今川・松平連合と織田の間で二度に亙って繰り広げられた「小豆坂の戦い」のそれであろう。現在の愛知県岡崎市字羽根町字小豆坂及びその東北の同市美合町字小豆坂附近。

「小豆峠」例えば、新潟県十日町市峠と上越市大島区中野との間にある小豆峠。

『怪談老の杖卷三に、「小豆ばかりと云ふ化物の事」と題して、麻布近所の二百俵ばかり取る大番士の家で、……』「怪談老の杖」は戯作者・狂歌師・漢詩人の平秩東作(へづつとうさく 享保一一(一七二六)年~寛政元(一七八九)年)作で宝暦四(一七五四)年序の怪談集。私は全篇を電子化注済みである。「怪談老の杖卷之三 小豆ばかりといふ化物」を読まれたい。]

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