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2023/02/07

佐藤春夫 改作 田園の憂鬱 或は病める薔薇 正規表現版 (その14)

 

[やぶちゃん注:電子化意図や底本は初回の私の冒頭注を参照されたい。ここで、佐藤は未定稿の順を変えて、「佐藤春夫 未定稿『病める薔薇 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版)(その15)」をここに挿入している。

    *     *     *     *

       *     *     *

 一度かういふ事もあつた――

 或る時、夜ふけになつてから、ランプの傍へ蛾が一疋慕ひ寄つた。養蠶の盛んなこの地方では、この頃になつて、この蟲がよく飛んで居たものである。彼はこの蟲を最も嫌つて居た。常から、以前にも一度、この蟲が彼のランプへ來た時、彼は手製の蠅たたきでこの蟲をたたいた。その場に壓しつぶされたこの蟲は、眉の形をしたまた櫛の齒のやうな形でもあるそれの太い觸角を、何とも言へず細かくびりびりとふるはせると、最後の努力をもつてくるりとひつくりかへつて、その不氣味なぶよぶよな腹の方を曝け出すと、六本程ある彼の小さな脚を、何かものを抱き締めようとでもする形で一度に、びく、びく、と動かし、また時時には翅に力を入れて彼の腹を浮き上らせ、その觸角と脚と翅と腹とのそれぞれに規則的とも言ふべき小さな動作をいつまでもいつまでも續けて、その死の苦悶を彼に見せつけた事があつた。それは小さなものながら、それを見守つた彼を物凄く思はせるには充分であつた。それ以來彼は殊にこの蟲を厭ひ、怖れて居るのであつた。

 この蟲の、灰色の絖絹(ぬめぎぬ)のやうな毛の一面に生えた、妙に小さな頭、そこの灰黑色のなかに不氣味に、底深く光り返つて居る眞赤な、小さな、少しとび出した眼。べつたりと吸ひついたやうにランプの笠の上へ翅を押しつけてぢつとして居る一種重苦しい形。それが、急に狂氣の發作のやうに荒荒しくその重い翅を働かす有樣。それからいくら追ひ拂つても全く平然として厚顏に執念深く灯のまはりを戲れまはる樣子。それがランプの直ぐ近くで、死の舞踏のやうな歡喜の身悶えをする時には、白つぽくぼやけた茶色の壁の上を、それのグロテスクな物影が壁の半分以上を黑くして、音こそは立てないけれども、物凄く叫立てて居る群集のやうに騷騷しく不安に狂ひまはつた。彼の追ひ退けるのをのつそりと避けて、障子の上の方へ逃げて行つてしまふと、今度はその厚ぼつたい翅でもつて、ちやうど亂舞の足音のやうに、ばたばた、ばたばた、と障子紙を打ち鳴らした。

[やぶちゃん注:「絖絹」単に「絖(ぬめ)」とも言う。生糸を用いて繻子織(しゅすおり:縦糸と横糸とが交差する点が連続することなく、縦糸又は横糸だけが表に現れるようにした織り方。一般には縦糸の浮きが多く、光沢がある)にして精練した絹織物。生地が薄く、滑らかで、光沢があり、日本画用の絵絹や造花などに用いられる。天正年間(一五七三年~一五九二年)に中国から京都西陣に伝来し、日本でも織られるようになった。]

 彼は、蛾が靜かになるのを見すまして、新聞紙の一片でやつとそれを取り押へた。さうして、その不氣味な蟲を、戶を繰つて外へ投げ捨てた。たたき殺すことはもう懲りて居たからである。

 けれどもものの十分とは經たないうちに、その蛾は(それとも別の蛾であるか)再び何處かから彼のランプへ忍び寄つた。さうして再び、怖ろしい、黑い、重苦しい、騷騷しい、翅の亂舞を初めた。彼はもう一度、その蛾を紙片で取り押へた。さて再び戶を繰つて窓の外へ投げ捨てた。

 けれども、又ものの十分とも經たないうちに、蛾は三度び何處かから忍び寄つた。それは以前に二度まで彼をおびやかしたと同一のものであるか、或は別のものであるかは知らないが、さつきあれほどしつかりと紙のなかにつつみ込んで握りつぶしたものが、出て來ることは愚か、生きてゐる筈も無ささうだから、これは全く別の蛾であつたらう。とにかく、二度、三度、四度まで彼のランプを襲うた。……この小さな飛ぶ蟲のなかには何か惡靈が居るのである。彼はさう考へずには居られなくなつた。さう思ひだすと、もう一度自分でそれを取壓へることは、彼には怖ろしくて出來なくなつた。そこで、わざわざ妻を呼び起して、この蟲を捕へさせた。それから、一枚の大きな新聞紙で捕へられてゐるそれを妻の手から受け取つた彼は、この小さな蟲を、その大きな紙で幾重にも幾重にも捲き込んで、更にもう一枚新聞紙を費して極く念入りに折り疊み込んだ。さうして今度は戶の外へは捨てないで机の上へ乘せ、それからその上へ厚い古雜誌を一册載せて置いた。

 かうして、やつと初めて安堵して、彼は寢牀に入つた。

 暫くして、眠つかれないままに、燭臺へ灯をともすと、その時ひらひらと飛んで來て、嘲るやうに灯をかすめたものがある。それも蛾であつた!

 

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