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« 西播怪談實記 佐用鍛冶屋平左衞門幽靈に逢て死し事 | トップページ | 西播怪談實記 佐用鍛冶屋平四郞大入道に逢し事 »

2023/02/28

西播怪談實記 小赤松村與右衞門大蛇に追れし事

 

[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注凡例は最初回の冒頭注を参照されたい。底本本文はここだが、実は標題だけで、本文が全部抜けている。左丁のそれは次の話「佐用鍛冶屋平四郞大入道《おほにふだう》に逢し事」の本文冒頭である。書写したものを綴じるときに脱落したものかも知れない。癪なので、二〇〇三年国書刊行会刊『近世怪異綺想文学大系』五「近世民間異聞怪談集成」のものを概ね恣意的に正字化し、読みは適宜として(但し、そちらの底本の歴史的仮名遣を誤っているものは《 》で私が正しいものに代えた)、今までのように電子化する。

 

 ◉小赤松(こあか《まつ》)村与右衞門大蛇《だいじや》に追(おは)れし事

 赤穗郡(あかほごほり)小赤松村といへる所は、千草川(ちくさがは)の流(ながれ)にて、北は高山(かうざん)峩々(がゝ)とそばだち、山裏(やまうら)は佐用郡(さよごほり)秋里(あきさと)といへる在所(ざいしよ)の奧山に續き、嶮岨なる岩山《いはやま》也。

 九折(つゞら《をり》)を迥(まは)りて、彼(かの)山裏に通ふ路あり。

 天和年中の事成しに、小赤松村与右衞門といふもの、山裏の在所へ行(ゆく)に、五月雨の比(ころ)なれば、谷々、ほのぐらく、心すごき所なれども、年比(としごろ)、通ひ馴(なれ)たる道なれば、暮に及びて歸(かへり)しに、後(うしろ)の方に、

「ざぶざぶ」

と、音、すれば、

『こは、すさまじや、ふり來《きた》る雨の脚音か。』

と、ふり歸り見れば、大蛇、頭(かしら)を上(あげ)たる事、壱丈斗(ばかり)にして、大の口を明(あけ)、たゞ一吞(ひとのみ)と、目懸(めがけ)て追來(《おひ》く)る。

 与右衞門、逃延(にげのび)んと、暫(しばらく)走(はしり)けれども、小柴の中(なか)を、射る矢のごとく追來れば、

『いかゞせん。』

と思ひしが、高岸(たかぎし)に行懸(ゆきかゝ)りけるを幸《さひはひ》に、指(さし)たるから笠(かさ)の柄《え》を、岸の頭(かしら)に、

「ぐつ」

と指込置(さしこみおき)、わが身は、笠の下より、岸の下へ、すべりぬけて、岸陰(きしかげ)をつたひ、九死一生の場をのがれて歸しが、無言にして、五十日斗《ばかり》、相煩(《あひ》わづらひ)、本復(ほんぶく)して後(のち)に、件(くだん)の趣を噺し、

「定(さだめ)て、から笠を、人と心得て、吞(のみ)たるなるべし。」

と、いひしとかや。

 其村のものゝ語(かたり)ける趣を書傳(かきつた)ふもの也。

[やぶちゃん注:「赤穗郡(あかほごほり)小赤松村」兵庫県佐用郡佐用町小赤松(グーグル・マップ・データ)。佐用町の南、佐用を貫流する作用川が「千種川」(ちくさがわ:本文の千草川)に合流する右岸に当たる。お誂え向きに「飛龍の滝」が対岸にある。

「佐用郡(さよごほり)秋里(あきさと)」兵庫県佐用郡佐用町秋里(グーグル・マップ・データ)。秋里川が流れ、「上秋里」と「下秋里」に別れる。

「九折(つゞら《をり》)を迥(まは)りて、彼(かの)山裏に通ふ路あり」一見、グーグル・マップ・データ航空写真の秋里川沿いにある現在の県道「368」号のように見えてしまうが、ここは「九折」とあるからには、谷に沿って分け入る道ではなく、現在は存在しない小赤松からダイレクトに北西に登るルートがあったものであろう。「ひなたGPS」の戦前の図を見ると、小赤松から佐用川を少し遡上した箇所に、両崖ともに切り立った細い谷があり、そこに谷に向って山道があり、南西方向にかなり急な斜面を登って、「378,8」のピークに、そこから向こう側の「北條」へ降る二本のルート、さらに反対に尾根沿いに南西を少し下って、時計回りに回って長野に下る一本、そこを途中で西に折れて、上秋里に下るコースが確認出来る。よく見ると、この谷は佐用郡佐用町久崎(くざき)で、さらにストリートビューでどん詰まりを見ると、赤コーンで塞がれてあるが、道があるし、谷の最奥には「久崎 権現さん」というのがある。先のピークも山頂は禿げており、これらの山道は生きているように感じられる。だいたい、前のピークの東北の下方にある「322」のピークは「浅瀬山城跡 展望台」となっていて、明かに登れる。ただ、ともかくも、このロケーションは川であるからして、この小谷の登攀道を帰りに下った(「ひなたGPS」の二分割で国土地理院図を見れば、今も小流れがあることが判る)時の怪異ととるべきであろうと私は思ったのだが、蟒蛇を出すのなら、秋里川の方が太くて遙かにいいし、いや、小谷を下り切った佐用川の方がさらに映像になるであろう。ただ、だったら、「山裏」の道という前振りが、殆んど活きてこなくなってしまうのが、私には不満なだけなのである。

「天和年中」一六八一年から一六八四年まで。徳川綱吉の治世。]

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