大手拓次詩畫集「蛇の花嫁」 「目次」・「あとがき」(編者の逸見享氏によるもの)・「挿絵目次」・奥附 / 大手拓次詩畫集「蛇の花嫁」電子化注~完遂
[やぶちゃん注:底本その他は始動した一回目の私の冒頭注を参照されたい。これを以って『大手拓次詩畫集「蛇の花嫁」』の電子化注(ブログ分割版)を完遂した。これより、ゆっくらと再校正しながら、一括縦書PDF版作成にとりかかる。
以下、「目次」であるが、リーダ(最後の逸見氏の「あとがき」のそれは生かした)とページ数は略した。目次本文はポイントが小さいが、特に小さくしなかった。]
目 次
しろきもの
ほのあをき貝
語らざる言葉
そよぐもの
ふるへる羽
相見ざる日(斷章六篇)
ほがらなるこゑ
汝が顏のしづめるとき
さだかならぬ姿
うたの心
秋の日はうすくして
二人靜
あまりによわく
夜の祈りをささぐれば
日もすがら夜もすがら
心のかげのこゑ
ゆめ(斷章二篇)
夜となれば
秋雨の日
なやみ
さびしさの消ゆる日は
汝がまへにある時
遠く思はるる日
鳥の影
蘆の葉のごとく
わがかたはらの月光
すぎし影
ゆふぐれ
九月
しめらへる花
冬の日
花をみつつも
あをき影
日は暮るる
しろき花
靑きまぼろし
影は咲く
かなしみ
泣かざる日なし
君病めりときけば
幻
ともしびの搖れの如く
この心
歌のゆくへ
うすきいろ
影はあらじ
昨年の今日
春の日なれど
あきらかになりゆく影
木の間の花の如く
悲しみは去らず
水に浮く花
白き悲しみ
海のふかみをたたへ
ひとひらの雪
はぢらひの衣
あをきまぼろし
白き月
小鳥の如き溜息
水底にうつるもの
いよよさあをに
きみを思へば
千鳥ぞ啼けり
朝の心
くるしみ
むなしきこゑ
汝が聲のききたさに
きみとともにあり
ひとつの影を慕うて
悲しみのつばめ
ふたたび見むことを
夢を追ふ
ひとことの彩
過ぐるもの
浮べる水草
心かすけし
歌にかこまる
ひとつの花
にほひの言葉
ながるるもの
迷ひ
春のあをさに
たちがたき思ひ
白き芥子の花
みちはさざめけり
こゑをうれしみ
心を献ぐ
何を語るらむ
悲しみのうたげ
病める花
しろき月
秋の夜の夢(斷章二十二篇)
胸をしめつくる悲しみ(斷章七篇)
白き夢
夜每に汝が健康を祈る(斷章六篇)
輝く月
薔薇のひと
雨のしぶく日
この願ひゆるされよ
さびしさ(斷章五篇)
おもひの花
眞實(斷章二篇)
形なき影をもとめて
あをき日
汝がこゑの美しさ
うまれざる花
朝な朝な
こゑなき聲
汝がこゑをきくごとに(斷章十篇)
ひとすぢの髮
昨夜のゆめ
總てを與へむ
たわめられたる小枝のごとく
知られざる草
小蟲のごとく
雨の柳
わがことば
黑き花
銀の角笛
[やぶちゃん注:当該詩篇電子化の注で述べた通り、ママ。本文標題は「銀の角笛を思へども」である。]
眼をとざす
心痛む
汝が影
ゆふぐれの時(斷章四篇)
まよひゆかむとすれど
うつりくるにほひ
しのべる聲
わが靈はよみがへれ
あとがき……………………逸 見 享
あ と が き
1
「蛇の花嫁」 この不思議な書を偶然世におくることになつた驚きと喜ぴとを是非語らねばならぬ。
晩秋のある日、やうやく大手拓次小曲集の編纂も濟んだので、發行を引受けてくれた詩と版畫誌「風」時代からの友人澤田君と磯部を訪ひ、拓次の墓前に報告旁々お參りをした時のことである。宿舍磯部館の三階で、私達が夕食をすませ、うちくつろいでゐると、故人の甥大手由五郞、櫻井作次の兩君が十餘册の日記と帳面を持參したので皆で調べた。拓次の日記は以前にも見たことのあるものであつたが、尙その中には相當の厚味のある書籍風のスケツチブツクが幾册か混つてゐることを發見した。初見の澤田君が先づそれを手にとつて暫く繙いてゐたが「この詩集はどうしたんですか」といふのである。
私は思はずそれを手にとつて檢べてみると、これは正しく拓次自身が生前に作つて置いた詩集なのである。しかも、まへがき、序詩まで備つて、一頁に一詩を丹念に淸書したものであつた。最後に目次まで附されてゐるといふ入念さに至つては故人にとつてこれ程完全な詩集がないのである。
これは立派な詩集だ。このまゝで好い。このまゝ印刷にかけやうぢやないかと一決した。そして、それと同時に發見された故人の畫集から若干の繪を採つて、詩畫集として出すことになつたのである。
[やぶちゃん注:冒頭の『「蛇の花嫁」 』の一字空けはママ。行頭は一字空けにはなっていないのもママである。
「大手拓次小曲集」不詳。所持する大手拓次の関連書や年譜類を調べたが、見当たらず、ネットでも掛かってこない。
「澤田君」秋田県小坂町生まれの出版人で版画家でもあった澤田伊四郎(明治三七(一九〇四)年~昭和六三(一九八八)年)であろう。「愛知県美術館」公式サイト内のこちらで、本文にも出る版画雑誌『風』の再刊一号に、逸見と一緒に作品を載せていることが確認出来る。
「磯部」大手拓次の生地にして墓のある、現在の群馬県安中市磯部。磯部三丁目の共同墓地に彼の墓はある。調べたところ、この共同墓地内と推定される(グーグル・マップ・データ航空写真)。
2
大手拓次が繪を描いてゐた!
といふことはおそらく彼を知る限りの人々は勿論のこと、私にとつても一つの驚異である。その畫集といふのはスケツチブツクにペン一色で描いたものと、色鉛筆で描いたものとの二册であつた。それはおそろしく幻想的なもので、その畫集の自序にもあるやうに、これは彼自身、詩では到底あらはせないものを繪であらはさうとしたもので、今から二十年前、既にかうしたものを描出しないでゐられなかつた彼の詩魂を思ふ時、私は今更乍ら故人の特異性の尋常ならざることに深い驚きを感ずるのである。
かうした經緯から、私の集めたかなり澤山な詩篇も、また實に好いものであるが、一時影をひそめることになつてしまつた。
[やぶちゃん注:「といふことは……」の頭は一字下げにはなっていない。
「今から二十年前」既に第一回のデッサンのクレジットについての注で述べた通り(実は、そこは二度に亙って書き変えている)、本「詩畫集」の「畫」は――全部を見られた方は、一様に洩れなく感じられたはずだが――顫える切ない恋情の「詩」篇群とは――これ――何の関連も――ない――グロテスクなデッサンなのである。それは、絵の方が大正九(一九二〇)年(数え三十三歳)に描かれたものであり、詩篇はそれから十年も後の昭和五(一九三〇)年に書かれた「九月の悲しみ」という全く関係ない詩稿の一部とを、逸見が勝手にカップリングしたものだった、ということを意味するのである。]
3
さて、拓次にとつてこの未刊の詩集は、永久に秘藏しておくぺきであつたのかも知れぬ。或はまた彼自身ではさほど重要なものとも思つてゐなかつたかも知れぬ。しかし、この未刊の詩集のまへがきが語るやうに、この詩集こそ、薄幸な一人の詩人がそのを生涯をかけて「命を絕たむ」思ひをした詩の技ではなかつたらうか、そしてまた「藍色の蟇」が發表される詩集であつたのに比して、この「蛇の花嫁」は飽くまでも秘められた、しかもそれを知られることは「みづからを削られる」 思ひの詩人のいのちではなかつたらうか、と私は思ふのである。
[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「﹅」。]
4
今から四年前、前記「藍色の蟇」が大手拓次遺稿詩集として刊行されたのであつた。「藍色の蟇」は佛蘭西の香がしたであらう。しかしこの「蛇の花嫁」は純粹な日本人の詩である。見方によつては、あの燦然と光芒を放つ前詩集もこの詩集に至る道程の所產であつたといふことが出來るかもしれない。
このうちに盛られたひとつびとつ[やぶちゃん注:ママ。]の詩は、それぞれ立派な詩でありながら、この一册全部がまた一大長詩であり、個々の詩はその一節とも見られる不可思議な詩集だとも思はれる。これは世にも不思議な男が、ひとつの生きた寳玉を抱いて愛撫しつつ、いろんな角度から靜かに歌つたものであり、それだけにあまりに純粹でありすぎて、世の注意をひかぬのではなからうか。
いや、私は思ふにこの詩人はその持つてゐた寶珠をあまりにも世の中から隱しすぎてゐたのである。
だが 好いものはそれ自身光つてゐることによつてはつきりとその存在意義をもってゐる。愛唱される日の近きを祈りつつ、この「蛇の花嫁」を世におくりたいと思ふ。
[やぶちゃん注:「寳」と「寶」の混在はママ。最終段落の「だが」の後の一字空けはママ。]
5
この詩集がかうすらすらと出來上つたについては、澤田君のあたたかい友情といふよりも出版者しての良心的態度に敬意を表したい。拓次も幸であり、また私としてもこのよき協力者を得て眞に心强く感激してゐる。
また、拓次歿後、遺稿發行その他一切の面倒を見て來られた令弟櫻井秀男氏は昨年拓次の命日に逝去された。まことにこの兄弟の血緣の不思議さを想ひ、泉のやうに湧き出る哀惜の情を禁ずることが出來ない。
この書も生前枕頭に持參して、共に喜んでいただくつもりであつたが、今はもうその望みをも夢となつてしまつた。ここに深くおわびし冥福を祈るものである。
昭和 十 五 年 晩 秋
逸 見 享
[やぶちゃん注:「拓次の命日」冒頭注で示したが、昭和九(一九三四)年四月十八日である。
以下、挿絵の目次。挿絵ページにはノンブルはないので、以下の通り。本文ポイントが小さいが、無視した。]
挿 繪 目 次
1 蛇の階段
2 狂人の心理
3 のびてゆく疲勞
4 黃色い手
5 夕立
6 蛙の魔術
7 淚とよろこびの眼
8 蛙のたたかひ
9 美貌の情欲
10 春の倦怠
11 白晝の魔物
[やぶちゃん注:以下、奥附。多少、それらしく字の大きさを変えた箇所もあるが、そのままの再現ではない。全体は二重罫線(外側太線)で全体が囲まれてある。「停」は「○」囲み字。これは、国立国会図書館の「レファレンス協同データベース」のこちらの回答によれば、『暴利取締令の改正により』、『価格表示規程が書籍雑誌にも適用され、定価に「○に停の字」の記号を付記することにな』ったとあり、『商工・農林省、暴利行為等取締令の改正により』、『価格表示規程を告示。一般商品につき』、昭和一三(一九三八)年の『九・一八価格停止令以前』の『製品は「○に停」、その後の新製品は「○に新」、協定価格品は「○に協」、公定価格品は「○に公」、許可価格品は「○に許」の価格符号表示を実施』したとあるそれである。]
「蛇 の 花 嫁」 限 定 版
昭和十五年十二月十五日印刷
昭和十五年十二月三十日發行
表紙ハ銀揉鳥ノ子紙
本文ハ沙漉鳥ノ子紙
本書の刊行部數ハ七百册
停 頒 價 四 圓
著 者 大 手 拓 次
版 權 者 櫻 井 作 次
編 纂 者 逸 見 享
發 行 者 澤 田 伊 四 郞
東京市芝區新橋際・復興ビル
印 刷 所 土 井 印 刷 所
東京市京橋區築地一ノ六
發 行 所 龍 星 閣
東京市芝區新橋際・復興ビル
櫻井 振 替 口 座 東 市 五 〇 六 五
電話銀座一六〇二・四七六一
[やぶちゃん注:「櫻井」は別紙貼付の上に検印。「沙漉」は「しやすき(しゃすき)」であるが、「紗漉」の誤字である。柿渋をひいた絹紗を簀に張って漉く行程を指す。]
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