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2023/02/07

佐藤春夫 改作 田園の憂鬱 或は病める薔薇 正規表現版 (その16)

 

[やぶちゃん注:電子化意図や底本は初回の私の冒頭注を参照されたい。ここで、頭に短い新章の追加が入るものの、私の電子化の順序が戻って、未定稿も「佐藤春夫 未定稿『病める薔薇 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版)(その16)」が相当となる。

    *     *     *     *

       *     *     *

 ふと彼の目の前へ人間の足の形が浮んで來た。足だけが中有[やぶちゃん注:「ちゆうう」。]に浮いて居るやうであつた。それはどれほどの大きさであつたか解らないが、それの大きさに就て、別だん注意を呼ばなかつたところを見ると、普通の人間のものぐらゐであつたであらう。それは白い素足で美しかつた。それを見て居るうちに……つと、白い手の指がまた現はれた。それはエル・グレコの畫によくあるやうな形をした手なので、親指と人差指とが何か小さなものを撮んで[やぶちゃん注:「つまんで」。]ゐる指であつた。……そのうちに手の方は消えたが、唯さつきの足だけがやはりそこに動いて居て、それがぴよこぴよこと、何かを踏むやうに動き出した。動く度ごとに爪先が上下して、そこに力がはいつて、その都度足の指は尺取蟲のやうにかがんだり伸びたりする。……實に變な夢だなあ、と、彼は夢のなかで考へた。さうだ! さうだ! これや王禪寺の方へ遠足した時、道に迷うて這入つて行つた家の絲とり娘の足だ。それの手だ。絲とり臺を踏んで居るのだ。紡がれて[やぶちゃん注:「つむがれて」。]出る絲すべてをつまんで居る手つきだ。……さう思ふと、またその手の指が現はれて來る。田舍には珍らしい白い手や足だつた……ちらと彼を見上げた時には、いい顏をして居た。あそこへ行く途中、どこかで夕立がして……虹が浮んだ……山の中でそれを見た。あの娘は年は十六位だつた……もつとはつきり、手や足だけではなしに姿もすつかり見えて來ればいいがなあ……。その動搖する白い素足だけの夢を見つづけて、そんな風なことを思ひ出して居ると、突然、あたりが一面に赤く明るくなつて……と見ると、燭臺の火が眩しく彼の目に射込んで來た。彼は目が覺めた。彼の妻は障子をあけて緣側から這入つて來る所であつた。便所へでも行つて來たのであらう。

[やぶちゃん注:「中有」衆生が死んでから次の縁を得るまでの間を指す「四有(しう)」の一つである。通常は、輪廻に於いて、無限に生死を繰り返す生存の状態を四つに分け、衆生の生を受ける瞬間を「生有(しょうう)」、死の刹那を「死有(しう)」、「生有」と「死有」の生まれてから死ぬまでの身を「本有(ほんう)」とする。「中有(ちゅうう)」は「中陰」とも呼ぶ。所謂、逝去から七七日(しちしちにち・なななぬか:四十九日に同じ)が、その「中有」に当てられ、中国で作られた偽経に基づく「十王信仰」(具体な諸地獄の区分・様態と亡者の徹底した審判制度。但し、後者は寧ろ総ての亡者を救いとるための多審制度として評価出来る)では、この中陰の期間中に閻魔王他の十王による審判を受け、生前の罪が悉く裁かれるとされた。罪が重ければ、相当の地獄に落とされるが、遺族が中陰法要を七日目ごとに行って、追善の功徳を故人に廻向すると、微罪は赦されるとされ、これは本邦でも最も広く多くの宗派で受け入れられた思想である。恐らく、若い読者がこの語を知ることの多い契機は、芥川龍之介の「藪の中」の「巫女の口を借りたる死靈の物語」の中で、であろう。リンク先は私の古層の電子化物で、私の高校教師時代の授業案をブラッシュ・アップした『やぶちゃんの「藪の中」殺人事件公判記録』も別立てである。私は好んで本作を授業で採り上げた。されば、懐かしい元教え子もあるであろう。

「王禪寺」不詳。佐藤は中学までは、生地の和歌山県東牟婁郡新宮町(現在の新宮市)で過ごしている。遠足というのだから、私は現在の新宮市内と思う。しかし、新宮市内には「王禪寺」という寺は、ない。似た寺名なら、新宮市高田(たかた)に曹洞宗高禅寺(こうぜんじ)がある(グーグル・マップ・データ航空写真)。ここは山間部でロケーションも合うと思うのだが。最終章に出る現在の神奈川県川崎市麻生区王禅寺(おうぜんじ)にある真言宗星宿山蓮華蔵院王禅寺(グーグル・マップ・データ)と混同しているように私には思われるが、識者の御教授を乞うものである。]

「もつと氣を附けてくれなけりやいけないぢやないか、何日も言ふとほり。俺は灯がちよつとでも目に這入ると直ぐ目が覺めるぢやないか。たつた今せつかく寢ついた所だのに」

 妻の方を見上げながら、眩しい目をしばたたいて彼はがみがみ小言をいつた。

「私、氣をつけて居たつもりだつたけれど。……あなた、きつと目をあけたままで睡つていらつしやるのね?」

 妻はそんな事を言つて、今更慌ててその灯を吹きけした。

「王禪寺がどうなすつたの? あなた、今寢言をおつしやつてよ」

「いつ?」

「つい今、私が灯をともさうと思つてマッチを擦つた時」

 彼は馬鹿ばかしい氣がした。夢のなかで綺麗な足だと思つて見たのは、きつと妻の足を見て居たのだ。おれは枕を外してしまつて、疊の上へぢかに橫顏を押しつけて寢て居たらしいから、妻の足が步いて行くのを見て夢だと思つて居たのだ。彼はさう氣がついた。それにしても、王禪寺の近所の一軒家に絲をとつて居た娘――その時には、そんな場所に美しい小娘が居て、寂しく、つつましく絲を紡いで居るのを面白いと思つたが、それつきり全く忘れてしまつて居た娘が、半意識の間に思ひ出されて來たのを、彼は珍らしく思つた。

 これは一例である。この時ばかりでは無い。その頃、彼はどうかして睡りたいと思ふと、よくこんな眠りを眠つて居るのであつた。

    *     *     *     *

       *     *     *

「決して熱なんかは無くつてよ、反つて冷たい位だわ」

 彼の額へ手を翳して居た彼の妻は、さう言つて、手を其處からのけて、自分の額へ手を當てて居た[やぶちゃん注:新潮文庫版を参考にして示すなら、「當ててみてゐた」である。]。

「私の方がよつぽど熱い」

 それが彼には、反つて甚だ不滿であつた。試みに測つて見ようと、檢溫器を出させて見ると、それは度度の遠い引越しのために折れて居た。

 若し熱のためでないとすれば、それはこの天氣のせゐだ。このひどい風のせゐだ。と彼は思つた。全くその日はひどい風であつた。あるかないかの小粒の雨を眞橫に降らせて、雲と風自身とが、吹き飛んで居た。そのくせ非常に蒸暑かつた。こんな日には、彼は昔から地震に對する恐怖で怯えねばならなかつたのだけれども、今日はこの激しい風のためにその點だけは安心であつた。併し、風の日は風の日で、又その特別な天候からくる苛立たしい不安な心持が、彼を胸騷ぎさせたほどびくびくさせた。

[やぶちゃん注:「全くその日はひどい風であつた。あるかないかの小粒の雨を眞橫に降らせて、雲と風自身とが、吹き飛んで居た。そのくせ非常に蒸暑かつた。こんな日には、彼は昔から地震に對する恐怖で怯えねばならなかつた」この部分、今回、電子化しながら、ふと、大きな疑問が湧いてきた。構造的には――雨或いは小雨であって、さらに非常に蒸し暑い日に、主人公は――神経症的になるずっと「昔から」(少年期から)――「地震に對する恐怖で怯えねばならなかつた」というのだが(その条件下でも、風が強く吹いていると、例外として、その恐怖は発生しない、という奇体な話なのである)、それは何故かが判らないからである。そのような地震体験を佐藤春夫が実際に体験した可能性はゼロであると判断されるからである。則ち、ここでさりげなく言っている条件付き地震恐怖というのは、実体験に基づくものではなく、何らかの象徴的な意味が隠されている――要は――精神分析を必要とする何らかの幼少年期の心的外傷(トラウマ)、或いは、童話・物語による偽の疑似体験錯誤に基づく、病的な潜在型の地震恐怖症(アースクェイク・フォビア)であるということになるのではないか? という疑いである。以下の段落が、それ(私はトラウマの可能性を強く支持する)を示唆するようにも思われるのである。識者の御見解を俟つものである。

  猫よ、猫よ。あとへあとへついて來い!

  猫よ、猫よ。おくへおくへすつこめ!

 ふと、劇しく吹き荒れる大風の底から一つの童謠の合唱が、ちぎれちぎれに飛んで來た。それらは風のかたまりに送り運ばれて、杜絕え勝ちに、彼の耳もとへ傳はつて來たやうに思はれた。けれども、それはやはり幻聽であつたのであらう。それは長い間忘れて居た彼の故鄕の方の童謠であつたから。風の劇しい日(然うだ、こんな風の劇しい日に)子供たちが、特に女の子たちが、驅けまはりながら互に前の子の帶の後へつかまり合つたり、或は前の子の羽織の下へ首を突込んだりしながら、こんな謠を今のやうな節で繰り返し繰り返し合唱して、彼等は風のためにはしやぎながら、彼の故鄕の家の門前の廣場をぐるぐると輪になつてめぐつて居たものであつた……。それはモノトナスな、けれどもなつかしいリズムをもつた疊句のある童謠で、また謠の心持にしつくりと嵌つた遊戲であつた。それを見惚れて、砂塵の風のなかで立つて居る子供の彼自身が、彼の頭にはつきりと浮んで來た。それが思ひ出の緖口[やぶちゃん注:「いとぐち」。]になつた。その頃、……城跡のうしろの黑い杉林のなかで、――あの城山の最も高い石垣の眞下の、それに沿うた細い小道である。そこには大きな杉の林があつて、一面にかさなつた杉の幹のごく少しの𨻶間から川が見えた。船の帆が見えた。足もとには大きな齒朶が茂つて居る、小道はいつも仄暗かつた。さうして杉の森に特有の重い濡れた高い匂があつた。その道を子供のころ一ばん好きであつた。……もつと大きくなつてからもさうであつた。機械體操で怪我をして、二度麻醉劑をかけられた時に、彼の麻醉の夢は、その森の道を遊び步いて居るところであつた。二度とも……。その林のなかで、或る夕方、大きな黑色の百合の花を見出した事、そのそばへ近よつてそれを折らうとして、よくよく見て居るうちに、急に或る怪奇な傳說風の恐怖に打たれて、轉げるやうに山路を驅け下りた。次の日、下男をつれてそのあたりを隈なく搜したけれども、其處には何ものもなかつた。それは彼には、奇怪に思へる自然現象の最初の現はれであつた。それは子供の彼自身の幻覺であつたか、それとも自然そのものの幻覺とも言へる眞實の珍奇な種類の花であつたか、それは今思ひ出しても解らない。ただその時の風にゆらゆらゆれて居るその花の美しさは、永く心に殘つた。その珍しい花が、彼の「靑い花」の象徵ででもあつたやうに、彼はその頃からそんな風な寂しい子供であつた。さうして彼の家の後である城跡の山や、その裏側の川に沿うた森のなかなどばかりを、よく一人で步いたものであつた。「鍋わり」と人人の呼んで居た淵は、わけても彼の氣に入つて居た。そこには石灰を燒く小屋があつた。石灰石、方解石の結晶が、彼の小さな頭に自然の神祕を敎へた。又その淵には、時時四疊半位な大きな碧瑠璃の渦が幾つも幾つも渦卷いたのを、彼はよく夢心地で眺め入つた。さうしてそれを夢そのもののなかでも時折見た。この頃は八つか九つででもあつたらう。……何か嘘をつくと、その夜はきつと夜半に目が覺めた。さうしてそれが氣にかかつてどうしても眠れなかつた。母を搖り起して、その切ない懺悔をした上で、恕[やぶちゃん注:「ゆるし」。]を乞ふとやつと再び眠れた。……それから、然う、然う、夜半に機を織る筬の音を每夜聞いたこともあつた。あの頃、俺は五つか六つぐらゐであつたらう。俺は、昔から、あの頃から、もう神經衰弱だつたのか知ら。さうして幻聽の癖もその頃からと見える――彼は、さう思ひ出して愕いた。それ等幼年時代の些細な出來事が、昨日の事よりももつとありありと(その時の彼には昨日のことはただ茫漠としてゐた)思ひ出された。一つ奇體なことには、つい三四ヶ月前、夏の終り頃に見た、或る山のなかの一軒家――そこには、百合と百日紅とが咲いて居た――その人氣のない大きな家に年とつた母と二人きりで居た小娘、その白い美しい足と手の指とが彼のうつつの夢に現はれたあの娘。それが童話の情調をもつて、彼の記憶のずつと奧の方へひつこんで行つて居ることであつた。さうして、それら彼の幼年時代の追想のなかへ、時得强ひて錯誤して織り込まれて、その奧深い記憶の森のなかで仙女にならうとして居るのであつた。彼は、さう思ひたがらうとしてゐる自分を、その度每に氣がついて叱つた。いやいや、これはついこの間の事ではないか。さう自分をたしなめながら訂正した。……彼はかうして幼年時代の追想に耽りつづけた。而もそれらは悉く、今日まで殆んど跡方もなく忘却し盡して居たことばかりであつた。さうして、彼はその思ひ出のなかのその子供になつて、彼の母や兄弟や父を戀しく懷しく思ひやつた。一たい常に自分自身のことばかりより考へる事のない彼には、この時ほど切なくそれらの人人を思ひ出したことは、今までに決してなかつた。その父へも、母へも、どの兄弟へも、彼はもう半年の上も便りさへせずに居る。不緣で家に歸つてゐる耳の遠い姊が殊に悲しかつた。彼は第一に母の顏を思ひ出さうと努めて見た。それは半年ばかり前にも逢つたばかりの人でありながら、決して印象を喚び起し得られなかつた。纏らない印象を無理に纏め上げて見た時に、思ひがけなくも、奇妙にも、それは十七八年も昔の或る母の奇怪な顏になつた――母は丹毒に罹つて居た。――黑い藥を顏一面に塗抹して、黑い假面のやうな、さうして落窪んだ眼ばかりが光つて、その病床の傍へ來てはならないと、物憂げに手を振つた怪物のやうな母の顏であつた。子供の彼は、しくしくと泣きながら庭へ出て行つて、もつと泣いた。その泣いた目で見たぼやけた山茶花の枝ぶりと、それのぼやけて簇つた花の一つ一つが、不思議と、母のその顏よりもずつと明瞭に目に浮び出て來る……決して思ひ出したことのないやうな事柄ばかりが後へ後へ一列に竝んで思ひ浮んで來た。その心持がふと、彼に死のことを考へさせた。こんな心持は確に死を前にした病人の心持に相違ない。して見れば、自分は遠からず死ぬのではなからうか。……それにしても知つた人もないこんな山里で、自分は、今斯うして死んで行くのであらうか。……死んで行くのであるとしたならば? 彼の空想は果しなく流れた。彼は今まで未だ一度も死に就て直接に考へたことはなかつた。さうして彼はこの時、最初には、多少好奇的に彼の特有の空想の樣式で、彼自身の死を知つた知人の人人のその時の有樣を一つ一つ描いて見た。すさまじい風のなかに、この騷騷しい世界から獨立した靜寂へ、人の靈を誘ひ入れるやうに啼きしきるこほろぎの聲に彼は耳を澄した。

 彼は手をさし延べて、枕のずつと上の方にある書棚から、何か書物を手任せに抽かう[やぶちゃん注:「ぬかう」。]とした。その手を書棚にかけた瞬間に、がちやん! と物の壞れる音がした。彼は自分自身が、何かをとり落したやうに、びくつと驚いて[やぶちゃん注:底本では「くつと」に傍点だが、流石にこれは誤植であるから、特異的に訂した、]、あたりを見まはした。それは彼の妻が臺所の方で、ものを壞した音が、風に吹きとばされて聞えて來たのであつた。

 彼の書棚も今は哀れなさまであつた。其處には僅かばかりの古びた書物が、塵のなかで、互に支へ合ひながら橫倒しになりかかつて立つて居た。あまり金目にならないやうなものばかりが自然と殘つて、それは兩三年來、どれもこれも見飽きた本ばかりであつた。彼が今抽き出したのは譯本のフアウストであつた。彼は自分の無益な、あまりに好奇的な自分自身の死といふ空想から逃れたいために、何の興味をも起さないその本をなりと讀まうとした。けれども、風の音は斷えず耳もとを掠めた。臺所の流し元に唯一枚嵌められて居るガラス板が、がちやがちやと搖れどほしに搖れて、彼の耳と心とを癇立たせた。

 彼は腹這ひになつて、披げた頁へ目を曝して行つた。

  現世以上の快樂ですね。

  闇と露との間に山深くねて、

  天地を好い氣持に懷に抱いて、

  自分の努力で天地の髓を搔き毮り、

  六日の神業を自分の胸に體驗し、

  傲る力を感じつつ、何やら知らぬ物を味ひ、

  時としては又溢るる愛を萬物に及ぼし、

  下界の子たる所が消えて無くなつて

 偶然、それは「森と洞[やぶちゃん注:「ほら」。]」の章のメフイストの白[やぶちゃん注:「せりふ」。]であつた。この言葉の意味は、彼にははつきりと解つた。これこそ彼が初めてこの田舍に來たその當座の心持ではなかつたか。

 彼は床の中からよろけて立ち上つた、机の上から赤いインキとペンとを取るために。さうして今讀んだ句からもつと遡つて、洞の中のフアウストの獨白から讀み初めた。彼はペンに赤いインキを含ませて讀んで行くところの句の肩に一一アンダアラインをした。その線を、活字には少しも觸れないやうに、又少しも歪まないやうに、彼は細い極く神經質な直線を引いて行つた。それがぶるぶるとふるへる彼の指さきには非常な努力を要求した。

  …………………………

  手短かに申せば、折折は自ら斯く快さを

  お味ひなさるも妨げなしです。

  だが長くは我慢が出來ますまいよ。

  もう大ぶお疲れが見えてゐる。

  これがもつと續くと、陽氣にお氣が狂ふか、

  陰氣に臆病になつてお果てになる。

  もう澤山だ……

 アンダアラインをするのに氣をとられて、句の意味をもう一度讀みかへした時に、初めてはつと解つた。メフイストは、今、この本のなかから俺にものを言ひかけて居るのだ。おお、惡い豫言だ! 陰氣に臆病になつてお果てになる。それはほんとう[やぶちゃん注:ママ。]か、これほど今の彼にとつて適切な言葉が、たとひどれほどの浩瀚な書物の一行一行を片つぱしから、一生懸命に搜して見ても、決してもう二度とはここへ啓示されさうもない。それほどこの言葉は彼の今の生活の批評として適切だ。適切すぎるその活字の字面を見て居ると、彼はその活字が少しづつ怖ろしいやうな心にさへなつた。

「まあ、何といふひどい風なのでせう。裏の藪のなかの木を御覽なさい。細い癖にひよろひよろと高いものだから、そのひよろひよろへ風のあたること! 怖ろしいほど搖れてよ。ねえ折れやしないでせうか」彼の妻の聲は、風の音に半ばかき消されて遠くから來たやうに、さうして何事か重大な事件か寓意かを含んで居るらしく、彼の耳に傳はつた。

 氣がついて見ると、彼の妻は彼の枕もとに立つて居た。彼の女はさつきから立つて居たのであつた。妻は彼に食事のことを聞いて居た。彼は答へようともしないで、いかにも大儀らしく寢返りをして、妻の方から意地惡く顏をそむけた。けれども再び直ぐ妻の方へと向き直つた。

「おい! さつき何か壞したね」

「ええ、十錢で買つた西洋皿」

「ふむ。十錢で買つた西洋皿? 十錢の西洋皿だから壞してもいいと思つて居るのぢやないだらうね。十錢だの十圓だのと、それは人間が假りに、勝手につけた値段だ。それにあれは十錢以上に私には用立つた。皿一枚だつて貴重なものだ。まあ言はばあれだつて生きて居るやうなものだ。まあ、其處へ御坐り。お前はこの頃、月に五つ位はものを壞すね。皿を手に持つて居て、皿の事は考へないで、ぼんやり外のことを考へる。それだから、その間に皿は腹を立てて、お前の手から逃げ出す。すべり落ちるんだ。一たい、お前は東京のことばかり考へて居るからよくない。お前はここのさびしい田舍にある豐富な生活の鍵を知らないのだ。ここだつてどんなに賑やかだかよく氣をつけて御覽。つまらないとお前の思つてゐる臺所道具の一つ一つだつて、お前が聞くつもりなら、面白い話をいくらでもしてくれるのだ。生活を愛するといふことは、ほんとに樂しく生きるといふことは、そんな些細な事を、日常生活を心から十分に樂しむといふ以外には無い筈ではないか……」

 彼は囈言のやうに小言を言ひつづけた。それは、その日ごろの全く沈默勝ちな彼としては、珍らしい長談義であつた。彼はあとからあとからと言葉を次ぎ足してしやべりつづけた。さうしてゐるうちに妻に言ふつもりであつた言葉が、いつか自分に向つての言葉に方向を變へて居た。さうしてそれは平常、彼が考へても居ないやうな思ひがけない考への片鱗であるのに、喋りながら氣がついた。そこに、彼にとつて新らしい思想がありさうに思つた時、彼が言はうと思つて居る處へは、もう言葉がとどかなくなつて居た。ただ思想の上つらを言葉がぎくしやくと滑つて居るだけであつた。「日常生活の神聖、日常生活の神祕」彼は、人間の言葉では言へない事を言はうとしてゐるのだ、と自分で思つた。さうして遂に口を噤んだ。

 二人は押し默つて荒れ狂ふ嵐の音を聞いたが、暫くして妻は、思ひきつて言つた。

「あなた、三月にお父さんから頂いた三百圓はもう十圓ぼつちよりなくなつたのですよ」彼はそれには答へようともしないで、突然口のなかで呟くやうにひとりごとを言つた。

「おれには天分もなければ、もう何の自信もない……」

 

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