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2023/02/10

甲子夜話卷之七 9 パイロン

 

[やぶちゃん注:今回は特異的に記号等を用いて読み易くし、句読点も変更・追加した。また、《 》で推定で歴史的仮名遣で補った。]

 

7-9 パイロン【此事嘗有長崎《此の事、嘗て長崎に有り》】

 長崎に「パイロン」と云ふことあり。是は漢土の競渡《きやうと》なり。崎俗《さきのぞく》は「競船」と書す。予、崎人《さきのひと》に其ことを問《とひ》たるとき、記《しる》して答《こたへ》しもの、あり。其まゝを左に錄す。

一、舟の長さ、大は、十間内外、夫より、六、七間、小は、三、四間ほどなり。

一、此舟は、常と異にして、はゞ、狹く、たけ、長し。これ、輕くして疾きを主とすればなり。因て、常は無用にて、圍置《かこひおく》なり。舟の形、鯨舟《くぢらぶね》の如し。又、當地の猪牙舟《ちよきぶね》に似たり。

一、舟の舳先《へさき》に、其町々の目印(メジルシ)を、つくる。舳《へさき》を黑く塗、白・朱などにて、樣々のものを繪《ゑが》く。

一、舟の中央に銅鍾《どうしよう》一、太鼓一つを懸け、此拍子にて、かけ引《ひき》をなす。

一、又、舳先に一人、小き太鼓を持《もち》て、艫《とも》に向ひ、仰《あふむ》けに、またがり、臥《ふし》て、これを拍《う》つ。銅鑼《どら》・太鼓の打手《うちて》は、縮緬《ちりめん》抔の單物《ひとへもの》を思々《おもひおもひ》に着し、同じきれの襷《たすき》を掛《かく》る。舳先の太鼓打は、緋ぢりめんなどの襦袢《じゆばん》を着、同《おなじ》く、たすきをかけ、一きは、花やかに出立《いでたち》、手拭の鉢まきを、なす。此打手は大舟は大人、中舟・小舟は、十二、三前後の少年也。

一、舟中に、頭《かしら》、立て、功者なる男、紙の采配を執《とり》て、指揮す。

一、大船は、舟の片側に、二、三十人、左右、六、七十人ほど、皆、櫂(カイ)をつかふ。中舟・小舟は、人數の多少有りて、 小舟には、十三、四歲計《ばかり》の少年のみも、あり。是も櫂、二、三十挺ほど也。

一、中舟・小舟は、崎人、乘れども、大船は、近浦《ちかきうらの》漁夫の壯健なるを撰《えらみ》、雇ひて用ひざれば、容易に、舟、行かず。因て、崎人の乘組は、太鼓・銅鑼・采配を執《とる》者のみ。其外にも宰判《さいはん》をするものあるは、常々、「男達《をとこだて》》」と呼ばるゝものを、撰み乘らしむ。

一、又、銅鑼・太鼓の巧拙にて、舟行《ふなゆき》の遲速、大《おほい》にあるよし。櫂とりは、總て、舟端に腰をかけ、舳先に向ひて、後の方に、潮をはねる故、甚《はなはだ》、力を勞せり。此ものは、裸體にて、鉢卷をす。又、此者の勢《いきほひ》ぬくるときは、大《だい》なる柄杓にて、潮を頭にかくるなり。又、楫《かぢ》を用《もちひ》て、專ら旋囘をなす故、揖とり、老功にあらざれば、大《おほい》に勝負の得失に拘《かかはる》ると云。

一、中央に用る太鼓は、殊に大なり。銅鍾は舶來也。舳先に用る小太鼓も舶來にて、片面を張《はり》、胴は、至《いたつ》て、淺し。夫《それ》ゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、片手に緣(ヘリ)を持《もち》て、打つ。聲、至て、かんばりて聞《きこ》ゆ。

一、年々定日、五月五日、六日、兩日にして、朝五つ前後に始り、夕は暮に及んで、止む。

一、場所は、木鉢口を出《いで》、高鉾嶋《たかほこじま》、上の嶋【地方より、凡《およそ》十四、五丁、沖の方、右左にあり。】と云ふ兩嶋の間より、舟を發し、沖の方、醫王嶋《いわうじま》【前の兩嶋より、沖、南方一里半ぱかり。】の邊を限りに、兩舟、相並(ナラ)んで勝負を爲す。然《しかれ》ども、大船は、其界を越ても、勝負を別《わか》たず、沖の方、遙《はるか》に、三、四里も競出《きそひいで》て、其迅速、比類無くして、暫時に目力《めぢから》の不ㇾ及《およばざる》所に漕行《こぎゆけ》り。

一、又、舟の大小に隨ひ、各等《おのおのら》を以て、相對《あひたい》し、小・大、打交《うちまぢは》り、所々にて、幾組も、勝負を爭ふ。

一、其當日に出る舟、凡《およそ》百餘嫂、此餘、見物の舟、夥《おびただし》く海面に相連《あひつらな》り、金鼓の聲、數里に振《ふる》ふ。

一、又、大船を競爭《きそひあらそふ》には、艫の方より、大綱を引き、壯健なるもの數人、船の方へ引く。かゝれば、舟の迅速を助くるなり。

一、これ、二十五、六年前迄は、年々有ㇾ之《これあり》て、時々、爭論、少なからず。一年、大《おほい》に鬪合《たたかひあふ》に及《および》、死亡の者も有《あり》て、夫より、崎尹《きいん》、嚴禁を令し、於ㇾ今《いまにおいて》は、絕《たえ》て、なし。廿歲以下のものは、其盛なるを知ものも無く、今は昔語《むかしがたり》と成《なり》ぬ。

一、「此こと、今、淸國にもあり。」と、崎尹中川氏の著《あらは》せし「淸俗紀聞」にも載《のせ》たり。其文に、何の代に始りたると云《いふ》ことは審《つまびらか》ならざれども、往古より、「屈原を吊《とふら》ふ爲の遺俗なり。」と云傳ふと。吾邦のも、其始は彼《かの》俗の東漸せし歟《か》。

    追記

 又、進《すすん》だる方は、後《おくれ》たる舟の舳先に漕囘し、舟を橫たゆるを、勝とす。因て、互に、尺寸の出入《でいり》を爭ひ、少《すこし》にても進み出たる方、迅速に舟を漕囘す。是れ、揖取の機發《きはつ》にありて、骨を折《をる》ところ也。

一、町の中にて「船手」・「陸手」は、二手ありて、何ごとにも組合を立つ。因て、此時にも「舟手」と唱ふる町は出《いで》て、「陸手」は出ず。

一、此こと、安永・天明のころ迄は、崎の湊中《さいちゆう[やぶちゃん注:底本の読みに従った。]》にて有しが、其後、これを禁じて、湊外にて爲すことになりたり。

一、以前は龍頭・龍尾を作り、さまざまの舟飾《ふなかざり》ありしと云。

■やぶちゃんの呟き

「パイロン」東アジアの各地で祭祀儀礼として催される競漕行事で、「端午の節句」の行事に由来する「龍舟競漕」(りゅうしゅうきょうそう)の一つである長崎の「ペーロン」。ウィキの「龍舟競漕」によれば、『長崎では江戸時代から福建系の龍舟競漕が催されていた』。『「ペーロン」は漢字の「排龍」または「白龍」の唐音を日本語表記したものである』。『汨羅江』(べきらこう)『に身を投げた屈原の死を悼んだ楚の国民達龍船(白龍)を出したのが起源という由来が有名で、「ペーロン」の名の由来についてエンゲルベルト・ケンペルは、台湾の近くにあった大変豊かな島』である『万里ヶ島の』『ペイルーン王に由来すると』、「廻国奇観」に『書き残している』とあり、『長崎のペーロンは豊漁祈願を主たる祭祀儀礼と』し、『江戸時代には端午の節句の共同体行事であったが、その後、端午節の行事という意義は薄れて』いるとある。

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