佐藤春夫 改作 田園の憂鬱 或は病める薔薇 正規表現版 (その4)
[やぶちゃん注:電子化意図や底本は初回の私の冒頭注を参照されたい。]
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さて、ここに幾株かの薔薇[やぶちゃん注:「さうび」。]がこの庭の隅にあつた。
それは井戶端の水はけに沿うて、垣根のやうに植ゑつけられて居るのであつた。若し十分に繁茂して居れば「一架長條萬朶春」[やぶちゃん注:「いつかちやうでうばんだのはる」。]を見せて、二三間つづきの立派な花の垣根を造つたであらう。けれどもそれ等は甚(はなは)だしく不幸なものであつた。朝日をさへぎつては杉の木立があつた。夕日は家の大きな影が、それらの上にのしかかつて邪魔をした。そうして正午の前後には、柿の樹や梅の枝がこの薔薇の木から日の光を奪うた。さうしてそれ等杉や梅や柹の茂るがままの枝は、それ等の薔薇の木の上へのさばつて屋根のやうになつて居た。かうしてこれ等の薔薇の木は、その莖はいたいたしくも蔓草のやうに細つて、尺にもあまるほどの雜草のなかでよろよろと立上つて居た。
八月半すぎといふのに、花は愚かそれらの上には、一片の――實に文字どほりに一片の靑い葉さへもないのであつた。それ等の莖が未だ生きたものであることを確めるためには、彼はそれの一本を折つて見るほどであつた。日の光と溫かさとは、すべての外のものに全く掠められて、土のなかに蓄へられた彼等の滋養分も彼等の根もとに蔓つた名もない雜草に悉く奪はれた。彼等は自然から何の恩惠も享けては居ないやうに見えた。ただこんな場所を最も好む蜘蛛の巢の丁度いい足場のやうになつて、ただ、それのためばかりに有用なものになつて、薔薇はかうしてまでその生存を未だつづけて居なければならなかつた。
薔薇は、彼の深くも愛したものの一つであつた。さうして時には「自分の花」とまで呼んだ。何故かといふに、この花に就ては一つの忘れ難い、慰めに滿ちた詩句を、ゲエテが彼に遺して置いてくれたではないか――「薔薇ならば花開かん」と。又、ただそんな理窟ばつた因緣ばかりではなく、彼は心からこの花を愛するやうに思つた。その豐饒な、杯から溢れ出すほどの過剩な美は、殊にその紅色の花にあつて彼の心をひきつけた。その眩暈く[やぶちゃん注:「めくるめく」。]ばかりの重い香は彼には最初の接吻の甘美を思ひ起させるものであつた。さうして彼がそれを然う感ずる爲めにとて、古來幾多の詩人が幾多の美しい詩をこの花に寄せて居るのであつた。西歐の文字は古來この花の爲めに王冠を編んで贈つた。支那の詩人も亦あの繪模樣のやうな文字を以てその花の光輝を歌ふことを見逃さなかつた。彼等も亦、大食國(タアジこく)の「薔薇露」[やぶちゃん注:「さうびろ」。]を珍重し、この「換骨香」[やぶちゃん注:「くわんこつかう」。]を得るために「海外薔薇水中州未得方」[やぶちゃん注:「かいぐわいさうびのみづちゆうしういまだはうをえず]と嘆じさせた。それ等の詩句の言葉は、この花の爲めに詩の領國内に、貴金屬の鑛脈のやうな一脈の傳統を――今ではすでに因襲になつたほどまでに、鞏固に形造つて居るのである。一度詩の國に足を踏み入れるものは、誰しも到るところで薔薇の噂を聞くほど。さうして、薔薇の色と香と、さては葉も刺も、それらの優秀な無數の詩句の一つ一つを肥料として己のなかに汲み上げ吸ひ込んで――それらの美しい文字の幻を己の背後に輝かせて、その爲めに枝もたわわになるやうに思へるほどである。それがその花から一しほの美を彼に感得させるのであつた。[やぶちゃん注:新潮版はここに改行はない。]
幸であるか、いや寧ろ甚だしい不幸であらう。彼の性格のなかにはかうした一般の藝術的因襲が非常に根深く心に根を張つて居るのであつた。彼が自分の事業として藝術を擇ぶやうになつたのもこの心からであらう。彼の藝術的な才分はこんな因襲から生れて、非常に早く目覺めて居た。……それ等の事が、やがて無意識のうちに、彼をしてかくまで薔薇を愛させるやうにしたのであらう。自然そのものから、眞に淸新な美と喜びとを直接に摘み取ることを知り得なかつた頃から、それら藝術の因襲を通して、彼はこの花にのみは[やぶちゃん注:新潮版は「のみは」。]かうして深い愛を捧げて來て居た。馬鹿馬鹿しいことのやうではあるが、彼は「薔薇」といふ文字そのものにさへ愛を感じた。
それにしても、今、彼の目の前にあるところのこの花の木の見すぼらしさよ! 彼は、曾て、非常に溫い日向にあつた爲めに寒中に莟んだところの薔薇を、故鄕の家の庭で見た事もあつた。それは淡紅色な大輪の花であつたが、太陽の不自然な溫かさに誘はれて莟になつて見たけれども、朝夕の日かげのない時には、南國とても寒中は薔薇に寒すぎたに違ひない。莟は日を經ても徒に固く閉ぢて、それのみか白いうちにほの紅い花片の最も外側なものは、日日に不思議なことにも綠色の細い線が出來て來て、葉に近い性質、言はば花片と葉との間のものとでも言ふやうなものにまで硬ばつて行くのを見た事があつた。けれども、彼が今目の前に見るこれらの薔薇の木は、その哀れな點では曾てのあの莟の花の比ではない。彼はこれ等の木を見て居るうち、衝動的に一つの考へを持つた。どうかしてこの日かげの薔薇の木、忍辱[やぶちゃん注:「にんにく」。]の薔薇の木の上に日光の恩惠を浴びせてやりたい。花もつけさせたい。かう云ふのが彼のその瞬間に起つた願ひであつた。併し、この願ひのなかには、わざとらしい、遊戲的な所謂詩的といふやうな、又そんな事をするのが今の彼自身に適はしいといふ風な「態度」に充ちた心が、その大部分を占めて居たのである。彼自身でもそれに氣附かずには居られなかつたほど。(この心が常に、如何なる場合でも彼の誠實を多少づつ裏切るやうな事が多かつた)さて、彼はこの花の木で自分を卜うて見たいやうな氣持があつた――「薔薇ならば花開かん」!
彼は自分で近所の農家へ行つた。足早に出て行く主人の姿を、二疋の犬は目敏くも認めて追驅けた。錆びた鋸と桑剪り鋏とをかたげた彼が、二疋の犬を從へて、一種得意げに再び庭へ現れたのは、五分とは經たないうちであつた。彼はにこにこしながら薔薇の傍に立つた。どうすれば其處を最もよく日が照すだらうと、見當をつけて上を見廻しながら、さて肩拔ぎになつた。先づ鋸、最ものさばり出た柿の太い枝を挽き初めた。枝からはぼろぼろと白い粉が降るやうにこぼれて、鋸の齒が半以上に喰ひ入ると、未だ斷ち切れない部分は、脆くもそれ自身の重みを支へ切れなくなつて、やがてぽきりと自分からへし折れ、大きな重い枝はそれの小枝を地面へ打つけて落ちかかつた。すると、その𨻶間からはすぐ、日の光が投げつけるやうに、押し寄せるやうに、沁み渡るやうに、あの枯木に等しい薔薇の枝に降り濺いだ。薔薇を抱擁する日向は追追と廣くなつた。押しかぶさつた梅や杉や柹の枝葉が、追追に刈られたからである。彼は桑剪り鋏で、薔薇の木の上の蜘蛛の巢を拂うた。其處にはいろいろの蜘蛛が潛んで居た。蠅取り蜘蛛といふ小さな足の短い蜘蛛は、枝のつけ根に紙の袋のやうな巢を構へて居た。鼈甲のやうな色澤の長い足を持つた大きな女郞蜘蛛は、大仕掛な巢を張り渡して居た。鋏がその巢を荒すと、蜘蛛は曲藝師の巧さで絲を手繰りながら逃げて行く。それを大きな鋏が追驅ける。彼等は絲を吐きながら鋏のさきへぶら下がつて、土の上や、草のなかや、水溜りの上に下りて逃げる。それを鋏がちよん斬つた。
そんなことが彼の體を汗みどろにした。又彼の心を興奮させた。最初に、最も大きな枝が地に墜ちた音で、彼の珍らしい仕事を見に來た彼の妻は、何か夫に喚びかけたやうであつたけれども、彼は全く返事をしなかつた。犬どもは主人が今日は少しも相手になつてくれないのを知ると、彼等同士二疋で追つかけ合つて、庭中を騷ぎ𢌞つて居た。何か有頂天とでも言ひたい程な快感が彼にはあつた。さうして無暗に手當り次第に、何でも挽き切つてやりたいやうな氣持になつた。
彼は松に絡みついて居るあの藤の太い蔓を、根元から、桑剪り鋏で一息に斷ち切つた。彼は案外自分にも力があると思つた。その蔓を縒(より)をもどすやうにくるくる𢌞しながら松の幹から引き分けると、松は其時ほつと深い吐息をしてみせたやうに彼には感ぜられた。彼は蔓のきり端を兩手で握ると、力の限りそれを引つぱつて見た。併し、勿論それは到底無駄であつた。松の小枝から梢へそれから更に隣りの櫻の木へまでも纏りついた藤蔓は引つぱられて、ただ松の枝と櫻の枝とをたわめて强く搖ぶらせ、それ等の葉を捥ぎ取らせて地の上に降らせ、又櫻の枝にくつついて居た毛蟲を彼の麥稈帽子の上に落しただけで、蔓自身は弓弦のやうに張りきつたのであつた。「私はお前さんの力ぐらゐには驚かんね! どうでも勝手に、もつとしつかりやつて見るがいい!」と、その藤蔓は小面憎くも彼を揶揄したり、傲語したりするのであつた。彼はこの藤蔓には手をやいて、たうとうそれぎりにして置くより外はなかつた。さうして今度は生垣を刈り初めた。
正午すぎからの彼のこの遊びは、夕方になると、生垣の頭がくつきりと一直線に揃ひ、その壁のやうに平になつた側面には、折りから、その面と平行して照し込む夕日の光線が、榊の黑い硬い葉の上に反射して綺麗にきらきらと光つた。かうなつて見るとあの大きな穴が一層見苦しく目立つたのであつた。
「やあ、これやさつぱりしましたね」
と、こんな風な御世辭を言ひながら、その穴から家のなかを見通して行く野良歸りの農夫もあつた。それから、彼はその序にあの渠の上へ冠さつて居る猫楊の枝ぶりを繕うても見た。その夕方、彼は珍らしく大食した。夜は夜で快い熟睡を貪り得た。而も翌朝目覺めた時には、體が木のやうに硬ばり節節が痛むところの自分を、苦笑をもつて知らなければならなかつた。
その幾日か後の日に、今度はほんとう[やぶちゃん注:ママ。]の植木屋――といつても半農であるが――が、彼の家の庭に這入つた時には、あの松と櫻とにああまで執念深く絡みついて居た藤蔓は、あの百足の足のやうな葉がしをれ返つて、或る部分はもうすつかり靑さを失うて居るのであつた。さうしてあのもの狂ほしい指である卷蔓は、悉くぐつたりとおち入つて居た。彼は惡人の最後を舞臺で見てよろこぶ人の心持で、松の樹の上で植木屋が切り虐む太い藤蔓を、軒の下にしやがんで見上げて居た。
「これや、もう四五日ほして置くといい焚きつけが出來まさあ」と突然、植木屋は松の樹の上から話しかけた。
「其奴はよつぽど太い奴だね」彼はそんな事を答へて置いて、「然うだ」とひとり考へた。「あの剛情な藤蔓が、そんなに早くも醜く枯れたのは、彼をそんなに太く壯んに育て上げたと同じその太陽の力だ」と、彼はこの藤蔓から古い寓話を聞かされて居た。彼は又、彼の意志――人間の意志が、自然の力を左右したやうにも考へた。寧ろ、自然の意志を人間である彼が代つて遂行したやうにも自負した。藤蔓が其處に生えて居た事は、自然にとつて何の不都合でもなかつたであらうに、とにかく、最初に人間の手が造つた庭は、最後まで人間の手が必要なのだ……。彼は漫然そんなことを思つて見た。
それにしても、あの薔薇は、どう變つて來るであらうか。花は咲くか知ら? それを待ち樂む心から、彼は立上つて步いて行つた。薔薇を見るためにである。それの上にはただ太陽が明るく賴もしげに照してゐるほか、別に未だ何の變りもないのは、今朝もよく見て知つて居る筈だつたのに。
かうして幾日かはすぎた。薔薇のことは忘れられた。さうしてまた幾日かはすぎた。
[やぶちゃん注:「佐藤春夫 未定稿『病める薔薇 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版)(その4)」と対照されたい。]
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