西播怪談實記 德久村源左衞門宅にて燕繼子を殺し事
[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注凡例は最初回の冒頭注を参照されたい。底本本文はここから。]
◉德久(とくさ)村源左衞門宅にて燕(つはめ)繼子(《まま》こ)を殺(ころし)し事
佐用郡德久村に源左衞門といふ農家、有《あり》、年每(としこと)に、燕、來たりて、椽(ゑん)の上に巢を喰(くい)しが、正德年中のある六月初の事なりしに、いかゞしたりけん、親燕、壱羽、猫にとられて、鳴(なき)かなしみつゝ、殘る壱羽にて、子を養ふ事、一兩日なりしが、又、二羽に成《なり》て、餌(ゑ)をはこびければ、家内のもの、是を見て、
「鳥風情(とりふぜい)さへ、番(つか)ひならでは叶《かなは》ざるにや、後連(のちつれ)を呼(よび)し。」
など、笑ひあへりけり。
然《しか》る所に、ある朝(あさ)、子燕、五羽ながら、死居《しにをり》けるを見付《みつけ》て、
「猫(ねこ)鼡(ねつみ)の仕業(しはさ)ならば、殘らず喰ふべし。いぶかしき事なり。」
とて、亭主源左衞門、取《とり》て見るに、何の子細も見へず。少づゝ、口、明(あき)て、餌を含みたる体(てい)なれば、則(すなはち)、口を割(わり)て見るに、靑山淑(あをさんしやう)を含みて死居ければ、
「こは。不思議。」
と、殘りの四羽(しは)も、口を割て見れば、皆、右の通(とほり)也。
繼(まゝ)親の、毒害、必定なれば、家内のもの、憎み、右の燕を近付(ちかづけ)ざりしとかや。
源左衞門、後(のち)に來りて、件(くたん)の樣子を咄し、
「古來(こらい)よりいひ傳へし如く、繼子(まゝこ)は、憎きものにや、鳥さへ、子に毒害(どくがい)をして、殺しぬる。」
と物語の趣を書傳ふもの也。
[やぶちゃん注:これは事実である。私は九年ほど前にテレビで、実際に、その子殺しの瞬間を見て、ちょっと驚いた。それと同じ映像かとも思われるが、サイト「ツバメ観察全国ネットワーク」に動画(YouTube引用嵌め込み)がある。そこに『ツバメの巣は無傷のまま、中の卵や雛が消えてしまうことがあります。ヘビ、ツミ、モズ、イソヒヨドリなどがヒナや卵をさらうこともありますが、その巣の親とは別のツバメがヒナを巣の外に捨てているケースが少なくありません。この行動を「ツバメの子殺し」と言います』。『子殺しは、結婚相手の見つからないオスが、すでにペアになっているメスを奪おうとするために起こります。独身オスは、子育て中のペアのオスとケンカをして追い払い、その巣にいるヒナや卵をくちばしにくわえて巣の外に放り出します。巣が空になるとメスが再び発情するので、そのときメスと交尾して、自分の子孫を残します。子殺しはツバメだけでなく、いろいろな鳥類と哺乳類に見られる行動です。Youtubeにツバメの子殺しの動画があります。ちょっとショックな映像ですので、ご注意下さい』とあった。
「正德」一七一一年から一七一六年まで。享保の前。
「佐用郡德久村」現在の兵庫県佐用郡佐用町西徳久(にしとくさ:グーグル・マップ・データ)。]
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