西播怪談實記 新宮水谷何某化物に逢し事
[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注凡例は最初回の冒頭注を参照されたい。底本本文はここから。
また、挿絵も所持する二〇〇三年国書刊行会刊『近世怪異綺想文学大系』五「近世民間異聞怪談集成」にあるものをトリミングして適切と思われる箇所に挿入した。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。]
◉新宮水谷何某《しんぐうみづたになにがし》化物《ばけもの》に逢《あひ》し事
揖東郡(いつとう《のこほり》)新宮に、水谷何某といへる士ありしが、武術に達し、ことに剛强(こうきやう)なる生質(うまれつき)にて、常に殺生を好(このみ)て慰(なくさみ)とせり。
[やぶちゃん注:「揖東郡新宮」兵庫県たつの市新宮町新宮(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)。]
年は延宝の比とかや、長月のすゑつかた、夜興(よこう)に行《ゆき》ける。いつにても逸物(いちもつ)の犬をつれければ、其夜も犬に案内させて、城(き)の山《やま》奧へ入《いり》けれども、何壱つも目に懸らぬ所に、犬、物に恐れけりと見えて、股の下へ入《いり》けるを、引出しゆけども、少(ちと)も先へ進(すゝま)ざれば、
「きやつ、かやうなる事、是迄、覺《おぼえ》ず。不思議。」
と、あたりを見迥《みまは》せば、大《だい》の山伏、此方(こなた)の山より、向ふの山へ、踏(ふみ)はだかり、水谷を、
「急(きつ)」
度(と)、白眼付(にらみ《つけ》)たる体(てい)たらく、すさまじき事、いわん方なし。
然(しかり)といへども、水谷、少《ちと》も恐(おそれ)ず、此方(こなた)よりも、山伏を、
「はた」
と白眼付て、暫(しばらく)、猶豫(ためらい)居《を》れども、先《さき》より手を出《いだ》さねば、此方よりも、手を出さず。
互に儀勢(ぎせい)斗(はかり)にて、其夜は、むなしく歸りける。
[やぶちゃん注:「城(き)の山」新宮町の南にある城山城跡(きのやまじょうせき)のある山。サイト「西播磨遊記」の「城山城跡」に、『播磨の守護職赤松満祐が時の将軍、足利義教を京の自邸で殺害した「嘉吉の乱」』(一四四一年)『の舞台』で、『京都から播磨に引き揚げた満祐は、山名持豊(宗全)等の率いる二万の追討軍を迎えて各地に戦った末、ここを最後の拠点とし』た『が、遂に戦況の挽回はならず、満祐以下』五百『余名は』、『この山城で非業の最後を遂げ』たとある。また、『山頂の供養塔付近から約』百メートル『ほど行くと、神話の伝説を持つ亀の池があ』るともあった。思うに、最初のリンクを見られたいが、如何なる伝説かは判らなかったが、「亀岩」・「亀の池」へ向かうピークに「亀山(きのやま)」があり、これが元の「きのやま」であったものを、後に城が建ったことから「城」にも代替させたものであろう。
「儀勢」相手に対して示す威勢。敵対する相手に対する威嚇的態度を指す。]
又、ある夜、方角をかへて、觜崎(はしさき)といふ所の山へ行《ゆき》しに、犬、恐るゝ事、前夜にかはらねば、又、
『山伏の出けるにや。』
と、あたりを見迥せども、目にさえぎるものもなかりし所に、鼬(いたち)ほどなるもの、ちらちらと見へければ、
「偖(さて)は。きやつが所爲(しよい)なるべし。彼風情(かれふせい)なるものに恐るゝ事やある。」
と犬を呵付(しかり《つけ》)、追(おふ)て行《ゆく》に、ある岨(そは)に祠(ほこら)のありけるが、破(やふ)れたる拜殿の下へ這入(はい《いり》)ければ、蹟より犬を入れども、㞍(しり)ごみして入《いら》ねば、無二無三に押入(おしいれ)けるに、犬、かなしげに吠けるが、須臾(しはらく)して、
――犬を――ひつくりかへし
――皮を――内へなし
――肉を――外(そと)へして
子共(ことも)の密柑(みかん)のしゝはぎをしたる如くにして――水谷の前へ指出(さしいた)しけり。
[やぶちゃん注:「觜崎(はしさき)」兵庫県たつの市新宮町觜崎。前回とは真反対で東に当たる。
「しゝはぎ」「皮を剝ぐこと」の意であろうが、「しし」は「肉」の意であり、「皮」の意はないから、ちょっとおかしい感じはする。或いは、蜜柑の実は「肉」であるから、その皮を「剝」ぐで合成語としたものか。]
水谷も、興醒(けうさめ)て、歸りて後《のち》、つくづくとおもひけるは、
『逸物の犬を、かく、なす事、狐狸(きつねたぬき)の及ぶ所に、あらず。我(わか)年來《ねんらい》の無益(むやく)の殺生を、神の誡め給ふにや。』
と、夫(それ)より、殺生を、堅く止(やめ)られけるよし。
同所のものゝ語りける趣を書つたふもの也。
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