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2023/02/19

柳田國男「妖怪談義」(全)正規表現版 團三郞の祕密

 

[やぶちゃん注:永く柳田國男のもので、正規表現で電子化注をしたかった一つであった「妖怪談義」(「妖怪談義」正篇を含め、その後に「かはたれ時」から「妖怪名彙」まで全三十篇の妖怪関連論考が続く)を、初出原本(昭和三一(一九五六)年十二月修道社刊)ではないが、「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」で「定本 柳田國男集 第四卷」(昭和三八(一九六三)筑摩書房刊)によって、正字正仮名を視認出来ることが判ったので、これで電子化注を開始する。本篇はここから。但し、加工データとして「私設万葉文庫」にある「定本柳田國男集 第四卷」の新装版(筑摩書房一九六八年九月発行・一九七〇年一月発行の四刷)で電子化されているものを使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問な箇所は所持する「ちくま文庫版」の「柳田國男全集6」所収のものを参考にする。

 注はオリジナルを心得、最低限、必要と思われるものをストイックに附す。底本はルビが非常に少ないが、若い読者を想定して、底本のルビは( )で、私が読みが特異或いは難読と判断した箇所には歴史的仮名遣で推定で《 》で挿入することとする。踊り字「〱」「〲」は生理的に嫌いなので、正字化した。

 なお、本篇は底本巻末の「内容細目」によれば、昭和六(一九二一)年六月発行の雑誌『東北の旅』初出である。]

 

     團 三 郞 の 祕 密

 

 先だつて八戶へ遊びに行つた時に、小井川潤次郞君から耳よりな話を聽いた。あの市の周圍の村には幾處となく、隱れ里の傳說が分布して、昔は賴むと膳椀を貸してくれた。その返却を怠つたので貸さなくなつたといつて、古い道具の一部を持傳へて居る舊家も少なくないといふことである。私が始めて椀貸元の話を書いた頃には、これはまだ算へるほどの一致であつたが、今では全く無いといふ土地が却つて珍しい位に方々で發見せられて居る。しかし三戶郡の異例は、かたまつて數多くその遺跡が有ることゝ、今一つはダンズといふ地名であつた。小井川氏は曰く、この膳椀を貸したといふ淵や池の邊には、必ずといつてもよいほどダンツカアラ、もしくはダンズといふ地名が存する。他の場處にはまだ氣がつかぬから、これが何か傳說と緣のある語では無いかといふ意外なことだが誠に大切な手掛りである。他の地方の椀貸し口碑にも、果してこの地名を伴なふ例ありや否や。或は又何かこの語を說明するやうな別の話でもあるかどうか。この答が得られたら我々の硏究は躍進すると思ふ。

[やぶちゃん注:所謂、柳田國男が拘った「椀貸伝説」である。『柳田國男「一目小僧その他」 附やぶちゃん注 隱れ里』(十五回分割)で言及している。

「小井川潤次郞」(明治二一(一八八八)年~昭和四九(一九七四)年)は民俗学者・郷土史家。青森県八戸十六日町生まれ。昭和三(一九二八)年に『八戸郷土研究会』を結成、翌年より本書で既出の地方紙『奥南新報』などで会員とともに次々と民俗採集記事や論考を発表し、それらに注目した柳田國男・折口信夫。佐々木喜善らと交流した。昭和一〇(一九三五)年には『民間伝承の会』(後の『日本民俗学会』)の創立に参加している。詳しくは当該ウィキを参照されたい。]

 しかし自分のこれに就いて、聯想し得ることは僅しか無い。佐渡には二つ山の團三郞といふ狸の大家族が居て、金《かね》を貸して居たといふ話がある。金山隆盛の數百年の間に、自然に落ちこぼれた財貨を拾ひ集めて、相川河原田の中間の山奧に、狸が長者のやうな暮しをして居たといふのである。島の方では醫者が招かれて往つて外科の療治をしたの、產婆が子を產ませてやつて莫大の禮を受けたのといふ、他の地方でもよく聽く話が記錄せられて居ないが、越後の方の地誌には却つて奇拔な傳へがある。今でもこの海岸から佐渡ヶ島を望むと、ちやうど二つ山の上あたりに絕えず彩雲のたなびくを見る、あれが團三郞の住んで居る城郭だといつて、乃ち隱れ里のあこがれは濃やかだつたのである。島に生れた湛念な人ならば、或はまだ耳に傳へた昔語りを保持して居るかも知らぬが、こゝでは主人公が狸になつてから、以前の傳承は變色したのである。それを復原してみることは可なり困難かと思ふ。

[やぶちゃん注:「二つ山の團三郞といふ狸」私の好きな化け狸で、二度目の佐渡行の時(私は佐渡が好きで親友らと三度行っている)、念願だった団三郎の棲み家であった現在の山中の岩山にある「二ッ岩大明神」(佐渡市相川下戸村。グーグル・マップ・データ)へも行くことが出来た(火事でひどく傷んでいたけれども)。私の記事では、最古層が、

「耳嚢 巻之三 佐州團三郎狸の事」(筆者は佐渡奉行経験があるので佐渡の話が有意にあり、面白い)

で、その後、柳田の「一目小僧その他」の全電子化でも、「一つ目小僧」に二箇所ほど出現(内容が乏しいのでリンクはしない)したが、何よりハマったのは、

「佐渡怪談藻鹽草 鶴子の三郎兵衞狸の行列を見し事」

に始まる、同書の団三郎怪談で完全に大ファンになった。以下、柳田が「島の方では醫者が招かれて往つて外科の療治をしたの」「といふ、他の地方でもよく聽く話が記錄せられて居ないが」と言っているのは大誤りで、

「佐渡怪談藻鹽草 窪田松慶療治に行事」

がちゃんとあるぞ! 柳田! いやいや、それと同期同時事件である、

「佐渡怪談藻鹽草 寺田何某怪異に逢ふ事」

が続くのは、怪奇談の中では、すこぶるリアルで、是非、続けて読まれんことをお薦めする。その後、柳田の、

『柳田國男「一目小僧その他」 附やぶちゃん注 隱れ里 八』

と、次の「九」で、少しく団三郎が語られてあり、その間のものでは、

『柴田宵曲 續妖異博物館 「診療綺譚」』

でも語られてある。最も新しいのは、

「譚海 卷之二 佐渡國風俗の事」

である。ああっ! また佐渡に行きたくなってきたぞぉ!

「湛念」ママ。柳田國男の思い込みの慣用語。「木綿以前の事」「海上の道」でも使用例が見つかる。「丹念」。]

 膳椀類の貸主を狸だと想像して居た例は、關東の方にもあつたやうである。それから又貉《むじな》の内裏《だいり》と稱して、地下にすばらしい大きな殿堂があり、貉がその居住者であり又頭目であつたといふ話は、武州にも上州にも近くまで遺つて居て現に私はその見取圖の如きものを一見したことがある。夢のやうな風說だが空《くう》には生れなかつたと思ふ。この地方の椀貸しは半分は洞穴であつた。以前は必ず水のほとり、又は淵の底から出して貸したのだらうが、それが橫穴の泉の出口などになると、いつと無し穴の獸の、しかも人間の姿に化けることを好む者に假托せられる傾《かたむき》になつたのかと考へる。つまりは普通の人々が漸く眞《まこと》としなくなつた結果である。佐渡の例に於て何よりも注意に値するのは、その隱れ里の狸の名が團三郞であつたことで、この點も變へるならもつと狸らしく變へたらうから、これは偶然に古い部分の殘片かと思ふ。ところが一方に遠く鹿兒島縣の方言集を見るとあの地方でも狸をダンザといつて居る人がある。これは珍しい一つの旁例であつて、或はその根源に佐渡と系統を同じくする傳說でも有るのでは無いかどうか。それを尋ねるためには彼地方に住む人たちの協力を求める必要がある。

[やぶちゃん注:「貉の内裏」不学にして、これを書いた奇談を知らない。識者の御教授を乞ものである。]

 かういふ問題を一つの鄕土の内で、解釋しようとするのはいつでも無理である。それが簡單に答へられるやうだつたら、とくの昔に問題の事實も無くなつて居たらう。誤つて居ればこそ今の形で殘つて來たのである。團三郞といふ名前が又別種の形となつて、傳はつて居る處が四國にもある。伊豫と土佐との境の山村に亙つて、これを曾我の十郞五郞の忠義な家來、鬼王團三郞の兄弟の者が、落ちて來て隱れ住んだといふ話にして居る。この兩人の事蹟は曾我物語の中でも一寸頭を出して最後までは述べられて居ない。だから如何なる遠方の山奧へでも引張つて來ることは可能であるが、これがもし小說であり史書の上の人物で無いとするとその始末はかなり妙なものになるわけである。ところが伊豫の山などではこの後日譚がやゝ進展し過ぎて居る。團三郞は奧州の常陸坊海尊などと同じく、又土地人の幸福に寄與して居た。さうして一人の老女を伴なひそれが曾我兄弟の母の滿江であつたともいへば、一方にはその女性が又山中に永く住んで、たしか近代の和靈《われい》大明神の神靈となつた、山家(やんべ)淸兵衞の物語とも交涉を持つやうな話がある。これも私にはダンザといふ言葉の、全く別途の成長であつたやうな氣がするのである。土地が相接して居ると却つて種々の影響感化がある。隱れ里の思想の古い起原を知らうとするには、寧ろ懸離れた遠方の、飛んでも無い言ひ傳へを見る方が暗示は多い。さうして私の知つて居たことは、佐渡と伊豫土佐と九州の南端と、偶然にも國の四方の隅々であつた。これが一つの信仰の末梢現象であると、速斷しようといふのでは毛頭無いが、とにかくにこの四箇所の互ひに知らぬ鄕土誌家に今後の調査によつて獲たものを、參考として交換してもらひたいと思ふだけである。

[やぶちゃん注:「伊豫と土佐との境の山村に亙つて、これを曾我の十郞五郞の忠義な家來、鬼王團三郞の兄弟の者が、落ちて來て隱れ住んだといふ話にして居る」これは、一目「小僧その他 柳田國男 附やぶちゃん注 始動 / 自序及び「一目小僧」(一)~(三)」、及び、『柳田國男「一目小僧その他」 附やぶちゃん注 一目小僧(十九)』で既出既注なのでそちらを読まれたい。

「常陸坊海尊」「海尊」を「快賢」「荒尊」とするものもある。源義経の家臣とされ、「源平盛衰記」巻四十二や、延慶本「平家物語」第六末に、その名が見え、前者では、元は叡山の僧であったとするが、多分に想像上の人物で義経伝説のトリック・スター的存在として描かれる。「義経記」では、元園城寺の僧であったとし、義経の都落ちに同道して、弁慶とともに大物(だいもつ)の浦で活躍、衣川での義経の最期の際には、朝から物詣でに出かけていて、居合わさず、帰ることなく、失踪したとされる。同書では、誰よりも先に逃げようとする海尊が,ほかのシークエンスで二、三ヶ所ほど描かれてあり、その背後に「逃げ上手・生き上手」としての海尊像が、この室町期には既にキャラクター規定されていたことが知られる。東北地方を中心にその後の生存説が多く、ここでも語られるように、潜み隠れて道術を修し、仙人となったとか、人魚の肉などを食し、不老長寿となって、源平合戦や義経の物語を語り伝えたという八百比丘尼系の伝承もあるようである。私は秋元松代の戯曲が、まあ、好きだ。以上は、「狗張子卷之一 富士垢離」で注したものを転用した。]

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