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2023/02/16

ブログ1,920,000アクセス突破記念 梅崎春生 文芸時評 昭和二十七年六月

 

[やぶちゃん注:本評論は底本(後述)の解題によれば、六月二日・同三日・同四日附『東京新聞』に連載されたものである。本文の二行空け部分がその切れ目と考えよかろう。

 私は梅崎春生と同時代のここに挙げられる作家の作品はあまり読んだことがない。私は近現代の作家については、死んでいない人物に対しては冷淡で、共時的に読むことはなかった(現在でも特定の作家を除き、概ね同じである。梅崎春生が亡くなったのは小学校三年生で梅崎春生は知らなかった。但し、私は三~六歳の時期、大泉学園に住んでおり、梅崎春生の家はかなり近くにあったことを後年知った。梅崎との最初の出会いは一九七一年八月七日のNHKドラマ「幻化」で、中学三年の時であった)、従って、注は語句や、特に私がよく知らない作家については、高校の「現代文」(ちょっと以前は「現代国語」と称した)の私の嫌悪する注のような、生年月日の毛の生えた程度の注をするしかないからやりたくないし、私の知っている作家の場合は、没年を示す必要があると考えた場合を除いて、一切、注しない。悪しからず。

 既に述べているが、梅崎春生の短編小説は、最早、上記底本全集のものは、「青空文庫」(ここ)で私よりも先行電子化された分の以下の私の底本全集中の十一篇(「日の果て」「風宴」「蜆」「黄色い日日」「Sの背中」「ボロ家の春秋」「庭の眺め」「魚の餌」「凡人凡語」「記憶」「狂い凧」。以上は順列を私の底本全集の並びに変えてある)を除き、これで、総て電子化を終えている(全リストは私のサイトのこちらの「■梅崎春生」、及び、ブログ・カテゴリ「梅崎春生」及びブログ版梅崎春生「幻化」附やぶちゃん注【完】梅崎春生「桜島」附やぶちゃん注【完】梅崎春生日記【完】を参照)。残るのは、長編「つむじ風」のみである。彼の著作権満了の翌日である二〇一六年一月一日から始めた、私のマニアックに五月蠅い注附きの梅崎春生の電子化も、七年目にして、もう遂に終わりに近づいた。

 底本は昭和六〇(一九八五)年四月発行の沖積舎「梅崎春生全集 第七巻」に拠った。太字は底本では傍点「﹅」。

 なお、本テクストは2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが、先ほど、1,920,000アクセスを突破した記念として公開する。【二〇二三年二月十六日 藪野直史】]

 

   昭和二十七年六月

 

 世情は、烈しく動いている。ひしひしと、ひしめき合っている。そのどよめきは、たとえば日々の新聞記事から、報道写真から、じかになまなましく、私たちにつたわってくる。

 今月、二十編余りの雑誌小説を読んだ。しかしそのナマな揺れ動きをそのまま芸術の感動として打ち出した作品は、私の読んだ限りでは皆無であった。これではいけないという感じと同時に、これでいいのだという感じも、私にはある。

 文学というものは、静かな底流は反映するが、飛び散る現実の火花を、そう直ちには反映できない。そういう感じだけれども、今月の二十余編の作品が、火花からそっぽむいている点でよろしいと言っているわけでは、もちろんない。

 

 芸術は、現実に即(つ)くことからうまれるが、即き過ぎることの危険は、常に目前に横たわっている。即き過ぎることで、芸術であり得なくなった諸例は、ここに挙げるまでもなかろう。文学自身にも、そういう偏りから、自分を守ろうという、自己保全または自己防衛みたいな作用が、常に働いている。

 たとえば私小説も、その作用のあらわれのひとつとして、考えられるかも知れない。いつか上林暁が、戦争中に文学の伝統を守ったのは私小説であると、何かに書いていたように記億するが、これもあながち広言ではなかろうし、また戦後の浅薄な風俗小説に対して文学の存在を示し続けたのも、一群の私小説作家だったと言えるだろう。いわば私小説は、非芸術的な小説の氾濫によって、その存在を保証されてきたとも言えるだろう。つまり、「私小説」を守ってきたのは、「非小説」の存在なのである。

 

 実際に、今月の雑誌小説中、ある意味の安心と親近をもって接し得たのは、たとえば「毛虫について」尾崎一雄(文学界)であり、「たばこ」(群像)、「蹣跚(まんさん)」(改造)の上林暁等である。

[やぶちゃん注:「蹣跚」ひょろひょろと歩くさま。よろめくさま。]

 尾睦二雄のは、毛虫についての身辺雑記であり、上林暁のは、前者は病気のくせにたばこが止められない話であり、後者は酒を飲み歩いた時分をなつかしく追想する愚痴みたいな文章である。特にこの「蹣跚」という小説は、「血のメーデーと日本革命」という緊急特集をおこなった「改造」六月誌上に堂々と掲載されている。何たることか、と言えば、まさしくそうであろう。光に背いて孤立した地虫の生活を描くことに、一体何の意味があるのか?

[やぶちゃん注:「血のメーデー」「血のメーデー事件」。この昭和二七(一九五二)年五月一日木曜日、東京の皇居外苑(当時は左派からは「人民広場」と呼ばれていた)で発生した、第二十三回メーデーでデモ隊と警察部隊とが衝突した騒乱事件。事件は一部の左翼団体が暴力革命準備の実践の一環として行ったものと見られている。戦後の学生運動で初の死者が出た。犠牲者は法政大学文学部哲学科三年生の学生運動家近藤巨士(ひろし 昭和五(一九三〇)年~昭和二七(一九五二)年五月六日)で、この日、全学連のデモ隊に参加し、皇居前広場で警官隊と衝突し、重傷を負い、慈恵医大病院に入院、警察の取調べを受けたが、その五日後に亡なった。直接の死因は頭蓋骨骨折で、満二十二歳であった。梅崎春生は、この事件を現場取材し、記録しており、後の「メーデー事件」裁判の証人となり、五日間、証言を行なっている。「被告は職業ではない」「私はみた」「警官隊について」「一億総鉄カブト」「郵便のことなど」がルポルタージュ記事としてある(総て私のブログ版)。小説「A君の手紙」も読まれたい。]

 しかしまた、こうも言える。たとえば尾崎一雄が毛虫に示したような嫌悪、手厚い実感的な嫌悪を、今月のどの作家が、「嫌悪すべきものに対する実感的な嫌悪」として表現し得たか。たばこに対する上林暁の理性や情緒の揺れ動き、それと同程度の全身的な揺れ動きをもって、どの作家が今日の現実なり環境に対し得たか。ということになると、やはり私小説家の強みは歴然としてくる。

 

 私はなにも、文学全体の問題を、その実感ひとつにまとめようとは思わぬし、且つ彼等が、生活を狭めることによって初めて、その実感を産み出し得たのだと信じるが、しかし読者のもっとも素朴なるものを打つのは、常にそういうものなのである。私小説を否定することは易しいが、私小説のもつそういうものをのり超えることは、これは至難のわざだ。

 だから結果としては、私小説は否定されることによって、ますますその存在を頑強にするという形に、今まではなっている。私小説家たちも、そこらの事情をつとに見抜いて、居直っている風情さえある。

 そういう現実感が、環境なり視野なりを一方的に狭めることによって、産み出されるとすれば、あとの現実とのつながりを、彼等はどこに求めるのだろう。漠然たる底辺においてつながっていると、彼等は口で言っても、そのことを実感として感じ得るかどうか。たとえば上林暁が「私小説は日本文学のバックボーンである」と書く時、日本文学に対するどのような展望と実感をもって、これを発言し得たか。[やぶちゃん注:句点はママ。]という点になると、私はある疑問と危惧を感じる。居直りのような姿勢をも、私は感じないでもない。

 あるいは、私は思う。私小説というものは、今までひどくいじめられて来たことにおいて、ひどく甘やかされて来たのではないだろうか?

 

 

 「物体X」という映画。広告で見ただけで、現物はまだ見てないがこの題名には、なにか感じがある。で、この言葉にならって、「精神X」。「精神X」なんて曖味な言葉だが、その「X」は、現代にあっては、だんだん希少になってゆくのではないか。今月の小説で、それを含有し、あるいはそれを追求する趣きのものは、数からいっても少なかった。その少数の中に、前記の尾崎、上林を入れても、いいだろう。

 ああいう形式と表現をもって、この二人は、自分の中のXを、自分なりに解明しようとしていると、言えなくはない。それはたとえば、葛西善蔵あたり以来から、常套として存統しているのである。

 またそれは、「擬態」豊島与志雄(新潮)の如く、Xをメスで切り開いて探求するというより、それを膜で包んでそっくり差出すことで、小説にするという形もあるし、「夜長姫と耳男」坂口安吾(新潮)のように、昔話の体裁を借りて、追求するという方法もあり得るだろう。それぞれの作家において、その姿勢や方法は異なるが、そのどこかに「精神X」がからんでいることにおいては、同じだろう。

 しごく無茶な分類ではあるが、彼等はかつおぶし派であって、味の素派ではない。生絹型ではあるが、ナイロン型ではない。(断っておくが、絹が本物でナイロンが偽物だと、私は毛頭思っていない。現代においては、真偽は、その効用によって決定されると、大体において思っている)

 一方、ある種の読者の側からすれば、作品とは独立したものであり、もっぱら主題と効果からなり立っているものだ、という者も出てくるだろう。一箇の主題、あるいは数箇の主題の組合せ。一つの効果、又いくつかの合成された効果。それをつくる作家の精神も、どんなに複雑であろうとも、不可知のものでなく、亀の子式方程式のようなもので表出され得る。つまりXというものは、その内側にも、外側にもない。あるらしく見せかけても、それは効果上のことにすぎない、というような。

 そういう小説が、もっと強力にその歩を踏み出すためには、その合成(?)の機能を、もっとはっきりと打ち出さねばならぬ。それはすでに新しい進路であるが、そうすることで、その路を更に拡げ得るだろう。

 その派、というのも変だが、その傾向のものを、たとえば堀田善衛や安部公房に感じるし、またすこし意味がずれるが、小山いと子などもそこに入るだろう。また今月の作品では、「最後の共和国」石川達三(中央公論)なども。この「最後の共和国」は、極端に言うと、主題だけしかない。いくつかの主題と、貧しい効果、それだけ。

 私はこれを読み、想像力の貧しさによって、主題が完全に生かされていない、と思う。小説と論文を区別するY(Xは前に使ったから)が、この作品では、不足あるいは欠乏しかかっている。また「始と終」阿部知二(中公別冊)でも、その主題効果において、合成が不十分であるように感じられる。

 で、こういうことが、考えられないだろうか。ある主題を生かすために、いくつかの効果がそれに参加する。つまり、一箇または数箇の主題を、二人乃至数人の作家が技能を持ちよって、一つの小説形式として完成すること。

 あるいは更に、主題そのものも数人によっての組合せが可能であるだろう。各自の亀の子式を持ちよることで、更に高次の精神を合成することなども。

 この方法は、手法的には別に新しいものではない。小説では、小規模で原始的な形ではあるが、たとえばイリフ・ペトロフがあるし、エラリイ・クイーンといったようなものもある。比較的大規模な形としては、これは合成というより、分業にちかいが、映画(殊にアメリカの)がある。

 ここにおいては「物体X」や「精神X」は、表現の対象にはなり得るが、制作の機構や過程の中には、介在しないし、また介在し得ない。そういう大がかりな料理になると、かつおぶしでは間に合わないのである。

 トルストイのような天才ならいざ知らず、この尨大なる現実において、現代的な主題は、手工業を超えることが、ままあることと思われる。その手に余った現実を、今からの小説は、どうやって処理して行こうとするのか。

[やぶちゃん注:「物体X」「遊星よりの物体X」(原題‘The Thing from Another World’)は、一九五一年公開のアメリカSF特撮ホラー映画。ジョン・ウッド・キャンベル(John Wood Campbell 一九一〇年~一九七一年)による一九三八年の短編SF小説「影が行く」(原題‘Who Goes There?’:「そこを行くのは誰だ?」)。但し、発表時はペン・ネームのドン・A・スチュアート(Don A. Stuart)名義)の映画化で、制作ハワード・ホークス(Howard Winchester Hawks 一八九六年~一九七七年)、監督クリスティアン・ナイビイ(Christian Nyby  一九一三年~ 一九九三年)、出演はケネス・トビー(Kenneth Tobey 一九一七年~二〇〇二年)。一般にハワード・ホークスは常に撮影現場におり、実質的には彼の手になる映画とも言われている。後に二度もリメイクされており、私は三作総てを見ている(リメイクは孰れも複数回見たが、面白いものの、孰れもグロテスク・シークエンスを売りにしており、スプラッター・ホラー系映画が嫌いな私は、それほど評価していない)。この第一作(これのみ結末は大団円)は大学時分に見て、即座に原作の矢野徹の翻訳(一九六七年早川書房刊)も読んだ程度には、感染擬似体か本当の人間かで登場人物全員がパニックになるという設定や、ストーリー展開は非常に好きな作品ではある。但し、この第一作は梅崎春生が実際に見たら、ラスト・シーンの新聞記者の報道警告で苦虫を潰したと、まず、思う。それは明らかに当時の冷戦下のソ連への反共プロパガンダの何物でもないからである。

『「夜長姫と耳男」坂口安吾(新潮)』昭和二七(一九五二)年六月号『新潮』で発表され、翌年十二月に大日本雄弁会講談社から単行本刊行された。私は安吾の文庫版全集を所持するが、「ふるさとに寄する讃歌」に次いで(リンク先は私の古いサイト版)、彼の名作の一つと考えるほどに好きな作品である。]

 

 

 「中央公論」臨時増刊は、風剌小説特集と題して、五編の風剌小説をならべている。いずれも風剌の名に価せず、低調であり、あるものは小手先の芸にとどまり、あるものは悪ふざけにすら堕している。

 これは編集部の方で、風剌小説として依頼したのか、あるいはたまたま集まった五編を、風剌特集として出したのか、私は知らないけれども、前者であるならばそれは作家の錯誤であり、後者なら、編集部の重大な錯誤である。風剌とはそういうものではなかろう。

 大体、風剌してやろうという心構えが、すでに作家のやにさがりであるように、私には感じられる。風剌とは、自らにじみ出るものである、とは私も思わないけれども、たとえば背後から組付いた捕り手を殺すために、自分の腹を自分の刀で突き通すていの気構えが、やはりそこには必要であると思う。自分を貫き通した切先をもって、背後に祖付いたものを突き剰す以外には、相手はたおせない。小手先の芸で相手を切ろうなどとは、まことにふやけた精神だ。

[やぶちゃん注:「やにさがり」「脂下り」は元は、煙管(きせる)の雁首を大仰に上に突き上げて銜えるさまを言う名詞で、その傲岸な姿勢から、「気どった態度」或いは「いかにも得意然とした高慢な態度」を言う語に転じた。]

 

 ユーモア作家なるものがいる。その職業的ユーモア作家のユーモアが、大体くすぐり以下に過ぎない事情と、これはちょっと似通っている。しかし、風剌の場合は、もっと苛烈であるだろう。自らを突き通すためには、自らを完璧に知る知恵が必要であろうし、うっかりするとそんな知恵は、それ自身が完璧な毒となって、母体を食い荒し、斃死(へいし)させてしまうかも知れないからだ。

 また、あるいは、日本的な風剌小説の一つの型として、葛西善蔵や嘉村礒多を考えていいかも知れない、と私は思う。彼等の作品には、あちこちに苛烈なユーモアがある。それ自身が一つの風剌であるような、私小説のひとつの極北を、私たちは想定できないものだろうか。

 食い破られた自画像を、きびしく風にはためかすことによって、彼等はおのずからなる風剌の実をあげたと、言えなくはないのではないか。そう私は思う。

 また、江戸時代の、抑圧された民衆の中で、川柳や俚謡の形をとって、強烈な風剌が存在した。その伝続は、別の流れをたどって、現代にも残っているはずだが、現代文学の流れには、それは未だ現われてきていない。現われてくるべきなのに、現われてこないのは、才能とか手法の欠如ではなく、それはもっぱら作家のエネルギーの問題だと思う。

 

 「伊藤整氏の生活と意見」伊藤整(新潮)を読む。だれかが、この文章を、その知的な面白さにおいて、なみいる雑誌小説のはるか上位に置いていたが、私も読んで一応面白いには面白かったけれども、知的であるということには、つよい疑問を持った。

 この戯文の面白さは、ミミックの面白さであり、つまり浅草の清水金一の面白さである。いささかくたびれた清水金一的な趣きを、この文章はたしかにそなえている。

 この戯文のからくりは、前記「中央公論」の風刺小説のあるものと、大体その構造式を同じくしている。その風剌小説があくどい悪ふざけに終始しているのに、「伊藤整氏の生活と意見」のは割にいや味なく行っているのは、これは自己抑制から生じた効果ではなく、むしろ作者伊藤整の生来の体臭のうすさに原因するものであるように、私には思われる。あくの弱さが、この戯文を、転落からわずかに救っているが、その身振りはそれほど巧妙でない。

 この「知的な面白さ」に感動した人の、知能の程度を、私はちょっとばかり疑う。戯文としても、天衣無縫のものでなく、たくらみが目立つだけに、二流以下のものである。もちろん、風剌精神というものからも、ほど遠い。

[やぶちゃん注:「伊藤整氏の生活と意見」これは二十代の頃に読んで、全く同じ感想(不満足)を持ったので、全面的に共感する。

「ミミック」mimic。物真似(をしてからかったり、ふざけたりこと)。模倣。擬態。

「清水金一」(明治四五(一九一二)年五月五日~昭和四一(一九六六)年:本名は雄三(のちに武雄)はコメディアン・映画俳優。浅草の軽演劇及びトーキー初期を彩るミュージカルや、コメディのスターとして知られる。愛称「シミキン」。「ハッタースゾ!(ハッ倒すぞ!)」や「ミッタァナクテショーガネェ(みっともなくてしょうがない)」の決まり文句で知られた。山梨県甲府市生まれ。上京し、昭和三(一九二八)年十六歳の折り、浅草オペラの一座を開いていた東京音楽学校声楽科出の清水金太郎に弟子入りし、「清水金一」を名乗った。師匠金太郎は榎本健一(エノケン)と「プペ・ダンサント」(Poupée dansante:「踊る人形」の意)を結成したが、昭和九(一九三四)年四月に亡くなったため、金一はエノケンの師匠柳田貞一門下に入り、森川信らが、大阪千日前に結成したレヴュー劇団「ピエル・ボーイズ」に参加した。昭和一〇(一九三五)年夏、浅草に古川ロッパが開いた先に出た劇団「笑の王国」に参加し、また、浅草オペラ館で堺駿二とのコンビで活躍、一躍、軽演劇界のスターとなった(この頃、「シミキン」の愛称がついた)。その後など、詳しくは、参照した当該ウィキを参照されたい。]

 

 以上、三日にわたって、いろいろと書いたが、楽しいというより、自分のことを棚に上げてものを言っている点で、私はにがにがしく、しばしば筆が渋った。

 なにも自分を棚に上げるつもりはないのだが、書いているうちに、自然と這い上ってしまうのである。まことに厭な気持だ。こういう時評を、半ば商売のように書いている人々の神経が、私にはどうも判らない。それはきっと、針金みたいな、非文学的な神経なんだろう、と思う。

 

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