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2023/02/20

大手拓次譯詩集「異國の香」 「緣(ふち)」(ボードレール)

 

[やぶちゃん注:本訳詩集は、大手拓次の没後七年の昭和一六(一九三一)年三月、親友で版画家であった逸見享の編纂により龍星閣から限定版(六百冊)として刊行されたものである。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」のこちらのものを視認して電子化する。本文は原本に忠実に起こす。例えば、本書では一行フレーズの途中に句読点が打たれた場合、その後にほぼ一字分の空けがあるが、再現した。標題のルビ(「憑」のみ附されてある)はみっともない感じがするので上付きにした。【二〇二三年三月十七日追記】詩篇にミス・タイプがあったのを修正し、また、注に重要な追加を行った。

 

  (ふち)  ボードレール

 

うつくしい緣(ふち)が繪につけくはへるやうに、

その繪がどんなにほむべき筆づかひであらうとも、

わたしは無限の自然からはなれては、

不思議も恍惚もあらうとは思はない。

 

それとひとしく、 寳玉(ビジウ)も、 裝飾品(ムーブル)も、 メタルも金箔(ドリユール)も、

かの女(ぢよ)のたぐひない美しさにしつくりあてはまるとはおもはない、

彼女のまどかなる玲瓏をかくすものは何ひとつとしてなく、

ただすべては緣飾(ふちかざ)りとなつてつかへてゐるやうに見えた、

 

それにまた、 だれもみんな自分を愛さうとしてゐのだといふ、

彼女は繻子やリンネルの接吻(ベエゼ)のなかにひたつた、

 

彼女の美しい裸躰は身ぶるひにみちて、

そして、 おそく或はすみやかに彼女のひとつびとつの動作は

猿(サンジユ)のやうな子供らしい愛嬌をふりまく。

 

[やぶちゃん注:本篇は実際には単独の詩篇ではなく、四パートから成る総標題‘Un Fantôme’ (「ある幽霊(亡霊)」或いは「ある幻想」)の第三篇である。全体は‘I  Les ténèbres’(「闇」)・‘II  Le Parfum’(「香(こう)」)・III  Le Cadre’(「額縁」)・‘IV  Le Portrait’ (肖像)から成るものである。原子朗「定本 大手拓次研究」(一九七八年牧神社刊)の一八八~一八九ページに拓次の訳出したボードレールの『悪の華』からの詩篇リストがあるが、それによれば(そこでは総標題は「幻想」と訳されている)、原詩の内、拓次は実はこの詩篇を「Ⅰ 暗黑」・「Ⅱ 香氣」・「Ⅲ 緣」と訳しながら、「Ⅳ」は訳していないとする。ここでは、‘III  Le Cadre’のみの原詩をフランス語のサイト「Le cadre de Charles BAUDELAIRE dans 'Les Fleurs du Mal' 」のこちらから引く。

   *

 

   Le cadre   Charles Baudelaire

 

Comme un beau cadre ajoute à la peinture,

Bien qu’elle soit d’un pinceau très vanté,

Je ne sais quoi d’étrange et d’enchanté

En l’isolant de l’immense nature,

 

Ainsi bijoux, meubles, métaux, dorure,

S’adaptaient juste à sa rare beauté ;

Rien n’offusquait sa parfaite clarté,

Et tout semblait lui servir de bordure.

 

Même on eût dit parfois qu’elle croyait

Que tout voulait l’aimer ; elle noyait

Sa nudité voluptueusement

 

Dans les baisers du satin et du linge,

Et lente ou brusque, à chaque mouvement

Montrait la grâce enfantine du singe.

 

   *

「寳玉(ビジウ)」原詩の“bijoux”(音写は「ビジュゥ」)は「宝石」の意。

「裝飾品(ムーブル)」同前で“meubles”(「マームブ」)は「調度・家具」。

「メタル」“métaux”(メトゥ)は「金属」であるが、ここは前を受けて装飾用の金銀等で出来た豪華な「金具」の意でよかろう。

「 金箔(ドロユール)」 “dorure”(「ドロュール」)は「金箔」「金鍍金」の意。

「繻子」「しゆす(しゅす)」と読む。精錬した絹糸を使った繻子織(しゅすおり)の織物。経糸(たていと)・緯糸(よこいと)それぞれ五本以上から構成され、経・緯どちらかの糸の浮きが非常に少なく、経糸又は緯糸のみが表に表われているように見える織り方で、密度が高く、地は厚いが、柔軟性に長け、光沢が強い。但し、摩擦や引っ掻きには弱い。「サテン」。原詩の“Satin”がそれ。但し、フランス語では音写は「サァタン」に近い。

「リンネル」“linge”(「ラーンジュ」)で、「家庭用布類」「ホーム・リネン」のこと。

「接吻(ベエゼ)」“baisers”(「ベェズイ」)。ドイツ語の同義の“baiser”は、しばしば、「ベエゼ」「ベーゼ」とカタカナ書きするのが普通だが、実際のドイツ語では「ビィズィ」に近い。

「猿(サンジユ)」“singe”(「サーンジュ」)。「猿・雄猿」。

 なお、堀口大學譯「惡の華 全譯」(昭和四二(一九六七)年新潮文庫刊)の本篇(堀口氏の標題訳は「或る幽靈」である)の訳者註には、本篇全体は雑誌『『藝術家』一八六〇年十月十五日號に發表』とし、既に述べた『ジャンヌ・デュバル詩篇』としつつ、『この年デユヴァルはアルコールの過飲から激しいリューマチスにかかつて動けなくなりデュボア慈善病院に入院治療した。この詩はその不在の間の作だらうと見られてゐる』ある。

 さて、原子朗「定本 大手拓次研究」(一九七八年牧神社刊)の「補章」の「1 訳詩をめぐって」の三七四~三七五ページには、初出形が示されてあるのだが、これが以上のものとは大きく異なるのである。その前振りで、原氏は、『この拓次訳「縁」は現存する自筆草稿によれば大正三』(一九一四)『年八月十一日』(満二十六歳。大早稲田大学英文科卒業後三年目であるが、就職せず、困窮の中で作詩していた)『に成ったことが日付けの記入によって明らかだが、最初「枠」と訳した題名を「縁」にあらため、北原白秋の主宰する「地上巡礼」の大正四年一月号に、ほか八篇とともに(訳詩五篇、創作詩四篇)発表している』として、以下にその初出形(多分、その自筆原稿)が示されてある。以上の本篇の漢字表記に従って恣意的に正字化したものを以下に示す。太字は底本では傍点である。本詩集のそれとは、大いに異なるので注意して読まれたい

   *

 

  緣(ふち)  ボードレール

 

うつくしい緣(ふち)が繪につけくはへるやうに、

その繪がどんなにほむべき筆づかひであらうとも、

わたしは無限の自然からはなれては、

不思議も恍惚もあらうとは思はれない。

 

それとひとしく、 寳玉(ビジウ)も、 裝飾品(ムーブル)も、 メタルも金箔(ドリユール)も、

かの女(ぢよ)のたぐひない美しさにしつくりあてはまるとはおもはない。

彼女がまどかなる玲瓏をかくすものは何ひとつとしてなく、

ただすべては緣飾りとなつてつかへてゐるやうに見えた。

 

それにまた、 だれもみんな自分を愛さうとしてゐのだといふ、

彼女の所信を世人はをりふし噂にのぼらすだらう。

彼女は繻子やリンネルの接吻(ベエゼ)のなかにひたつた、

 

彼女のうつくしい裸躰は身ぶるひにみちて、

そして、 おそく或はすみやかに彼女のひとつびとつの動作は

猿(サンジユ)のやうな子供らしい愛嬌をふりまく。

 

   *]

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