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2023/02/06

佐藤春夫 改作 田園の憂鬱 或は病める薔薇 正規表現版 (その9)

 

[やぶちゃん注:電子化意図や底本は初回の私の冒頭注を参照されたい。]

    *     *     *     *

       *     *     *

 こんな日頃に、ただ深夜ばかりが、彼に慰安と落着きとを與へた。鷄の居ない夜だけ、鎖から放して置くことにした犬が、今ごろ、田の畔をでも元氣よく跳びまはつて居るかと想像することが、寢牀のなかで彼をのびのびした氣持にした。

 併し或る夜であつた。家の外から彼の家を喚ぶものがあつた。未だ机の前に坐りこんで、考へに壓へつけられて居た彼は、緣側の戶を開けて見ると、一人の黑い男が、生垣と渠との向うの道の上に立つて居た。さうしてその何者かが彼に向つて、橫柄に呼びかけた。巡査かも知れない、と彼は思つた。

「これやあ君の家の犬だらう」

「さうだ。何故だい」

「これやあ、怖くつて通れんわい」

 その村位、犬を恐怖する村は、先づ世界中にないと、彼は思つた。この附近には、狂犬が非常に多いからだと村の一人が說明して居た。それに彼の犬の一疋は純粹の日本犬であつた。

「大丈夫だよ。形は怖いが、おとなしい犬だから」

「何が大丈夫だい。怖くつて通れもしない」

「狂犬ぢやないよ。吠えもしないぢやないか」

「飼つて居る者はさうでも、飼はんものにはおつかない。ちよつと出て來て、繫いだらどうだい」

 この何者かの非常に橫柄な口調は、其奴が闇で覆面して居るからだと思ふと、彼は非常に憤ろしかつた。彼はいきなり其處にあつた杖をとると、傘もささずに道の方へ飛び出した。雨は糠ほどより降つて居ない。その知らない男は、何かまだぐづぐづ言つて居た。さうしてどうしてもこの犬を繫げ、それでなければ俺は通れぬ、と言ひ張つた。可笑しいほど犬を恐れ乍ら、可笑しいほど一人で威張つて居た。「これは優しい犬だ、未だ子供だから人懷しがつて通る人の傍へ行くのだ」と彼は犬のために辯護した。彼にとつては、今、犬は無辜の民である。その男は暴君である。彼自身は義民であつた。その男の言ふことが一一理不盡に思へた彼は、果は大聲でその男を罵つた。彼の妻は何事かと緣側へ出て來たが、この樣子を見ると彼の女は、暗のなかの通行人に向つて頻りに詫びて居た。彼にはそれが又腹立たしかつた。

「默つて居ろ。卑屈な奴だ、謝る事はない。犬が惡いのぢやないぞ。この男が臆病なんだ。子供や泥棒ぢやあるまいし……」

「何、泥棒だと」

「お前が泥棒だと言やしないよ。音無しく尾を振つて居る犬をそんなに怖がる奴は泥棒見たいだと言つただけだ」

 彼は、しまひには、その男を毆りつけるつもりであつた。彼等は五六間を距てて口爭ひして居た。其處へ、見知らない男の後から一つの提灯が來た。それがその男に向つて何か言つて居たが、提灯は彼の方へ近づいて來た。奴等は棒組だな、と彼は卽座にさう思つた。若し傍へ來て何か言つたら、と彼は杖をとり直して身構へした。

「どうぞ堪忍してやつて下さいましよ。親爺やお酒をくらつて居るんでさ」

 その提灯の男は、反つて彼に謝つて居たのだ。彼は相手が醉つぱらひであつたと知れると、急に自分が馬鹿げて來た。併し、彼は笑へもしなかつた。その時或る說明しがたい心持で、身構へて把つて居た自分の杖をふり上げると、自分の前で何事も知らずに尾を振つてゐる自分の犬を、彼は强かに[やぶちゃん注:「したたかに」。]打ち下した。犬は不意を打たれて、けん、けん、と叫びながら家のなかへ逃げ込む。打たれない犬もつづいて逃込む。彼は呆然とそこに立つて居たが、舌打をして、その杖を渠のなかへたたきつけると、すたすたと家へ這入つて行つた。犬は二疋とも床下深く身を匿して居た。さうして庭に這入つて來た彼を見た時、彼等は細い悲しい聲を上げて、彼等の訴へを吠えた。杖を捨てても未だ握つて居た彼の掌は、ねちこちと汗ばんで居た。

「今に見ろ。村の者を集めてあの犬を打殺してやらあ!」醉つぱらひはそんな事を言ひながら、提灯をもつた若い男に連れられて通り去つた。

 醉つぱらひのその捨白が、その晚から、彼には非常な心配の種になつた。村の者が、實際、彼の犬を打殺しはしないかと考へられ出すと、身の上話で泣いて居たあの太つちよの女が、いつか彼に告げた言葉も思ひ出された――「この村では冬になると犬を殺して食ひますよ。御用心なさい、御宅のは若くつて太つて居るから丁度いいなんて、冗談でせうがそんな事をいつて居ましたよ」

 捨てて仕舞つた杖は、思へば思ふほど、彼には非常に惜しいものであつた。それは唐草模樣の花の彫刻をした銀の握のある杖であつた。別段それほど惜しむに足りるものではないのに、それが彼には不思議なほど惜しまれた。その翌日は、彼は犬を運動させるやうなふりをして、その杖を搜す爲めに、渠の流れに沿うた道を十町以上も下つて見た。あの淸らかであつた渠の水は、每日の雨で徒らに濁り立つて居た。杖は何處にも見出されなかつた。彼はあんな風にして杖を無くした事を、妻には内所にして居るのであつた。全く羞づかしい事だつたので。

 杖と醉漢の捨白とが、彼自身でさへ時時は可笑しいばかり氣にかかる。一層、あの時あの男を撲りつけてやればよかつたに――彼は寢床のなかで、口惜しくてならない時もあつた……若しや犬がいぢめられて居はしないかと、それを夜中放して置くことが苦勞になり出した。氣を苛立てながら聞耳をそば立てると、犬の悲鳴がする。大急ぎで緣側へ出て戶を開けながら口笛を吹くと、犬は直ぐ何處かから歸つて來る。さうして鳴いて居るのは外の犬であつた。併し、口笛を吹いても名を呼んでも容易に歸つて來ない事がある。さうして一層けたたましく吠えつづける。そんな時には居ても立つても居られない。彼の妻は、あれはうちの犬ではないとか、犬は別に何處でも鳴いては居ないとか言つて、初めは彼を相手にはしなかつたけれども、彼があまりやかましくいふので、この妄想は、何時しか妻の方にまで感染した。彼等は呪はれてゐる者のやうに戰戰兢兢として居た。その上に、ランプの焰がどうした具合か、每夜、ぽつぽつと小止みなく[やぶちゃん注:新潮文庫版を参考に歴史的仮名遣で示すならば、「をやみなく」。]搖れて、どこをどう直して見ても直らなかつた。彼は自分の不安な心を見るやうにランプの搖れる芯を凝視して、疳を苛立てて居た。或る夜、ただ事でない犬の鳴聲がするので、庭に出て見ると、レオはさも急を告げるらしい樣子で彼を見て吠え立てる。遠くの方ではフラテ?の悲鳴が切なく聞えて來る。彼はレオの後に從ひながら、悲鳴をたよりに、フラテ! フラテ! と叫びながら、それの居所を搜し求めるのであつた。やがて歸つて來たフラテを見ると、顏の半面と體とが泥だらけであつた。フラテは泥の上にすりつけられて折檻されて居たのであらう。何處からか凱歌のやうに人の笑聲が聞えて來る……。その夜以來、犬は夜中のただ一二時間だけ放して置いてから、又再び繫ぐことにした。且又、それの鎖の場所を玄關の土間のなかへ變へた――素通りの出來る庭の隅では、たとひ繫いで置いても不用心だからである。しかし繫がれるために呼ばれるのだと知ると犬は呼んでもなかなか歸つて來なかつた。歸つて來ても、主人たちの顏つきを見ながら、庭の中を逃げ廻つてなかなか捉へられなかつた。そこで食物を與へて釣つて見ても鎖の傍へならば寄りつかなかつた。鬪犬の子で逞しい足と、太い牙とを持つてゐるフラテは、或る夜自分の鎖を眞中から食切つて、四邊の壁から脫けるためには床下の土に大きな穴を開け、大きな體をそこからもぐり出すと、鎖の半分は頸にぶらさげて泥濘の地上にそれを曳きながら、夜中樂しく遊びまはつて居た。それを主人に知らせるために、さうして自分も解放されたいために、レオは激しく鳴き叫んだ。

 彼は、犬に對する夜中の心配を晝間に考へ直すことがあつたが、これはどうも一種の强迫觀念だと氣づかずには居られなかつた。犬だつて自分の力で自分を保護することは知つて居るだらう……。さうして、たわいもない犬のことなどをばかり考へて居る自分が、恥しくも情けなかつた。けれども夜になると、やはり「俺の犬は盜まれる。殺される! きつとだ!」今では、犬は彼にとつてはただ犬ではなかつた――何か或る象徵であつた。愛するといふ事は實にそれで苦しむといふ事であつた。杖のこともなかなか忘れられなかつた。犬の心配のない時には、銀金具の握のある杖が、その金具の重みのために頭の方だけ少し沈みながら、濁つた渠のなかを、流れのまにまに浮いたり沈んだりして、何處かを、さうして涯しのない遠い何處かへ持つて行かれるために流れて行くところを、彼は屢寢床のなかで空想して居た。

[やぶちゃん注:「佐藤春夫 未定稿『病める薔薇 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版)(その9)」と対照されたい。]

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