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2023/02/14

柳田國男「妖怪談義」(全)正規表現版 かはたれ時

 

[やぶちゃん注:永く柳田國男のもので、正規表現で電子化注をしたかった一つであった「妖怪談義」(「妖怪談義」正篇を含め、その後に「かはたれ時」から「妖怪名語」彙」まで全三十篇の妖怪関連論考が続く)を、初出原本(昭和三一(一九五六)年十二月修道社刊)ではないが、「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」で「定本 柳田國男集 第四卷」(昭和三八(一九六三)筑摩書房刊)によって、正字正仮名を視認出来ることが判ったので、これで電子化注を開始する。本篇はここから。但し、加工データとして「私設万葉文庫」にある「定本柳田國男集 第四卷」の新装版(筑摩書房一九六八年九月発行・一九七〇年一月発行の四刷)で電子化されているものを使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問な箇所は所持する「ちくま文庫版」の「柳田國男全集6」所収のものを参考にする。

 注はオリジナルを心得、最低限、必要と思われるものをストイックに附す。底本はルビが非常に少ないが、若い読者を想定して、底本のルビは( )で、私が読みが特異或いは難読と判断した箇所には歴史的仮名遣で推定で《 》で挿入することとする。踊り字「〱」「〲」は生理的に嫌いなので、正字化した。傍点「﹅」は太字に代えた。

 なお、この「かはたれ時」は昭和五(一九三〇)年三月発行の『ごぎよう』(『九卷十一號』と底本の『内容細目』にある以外は書誌詳細は不詳である)初出である。]

 

      か は た れ 時

 

 黃昏を雀色時といふことは、誰が言ひ始めたか知らぬが、日本人で無ければこしらへられぬ新語であつた。雀の羽がどんな色をして居るかなどは、知らぬ者も無いやうなものゝ、さてそれを言葉に表はさうとすると、段々にぼんやりして來る。これがちやうど又夕方の心持でもあつた。卽ち夕方が雀の色をして居る故に、さう言つたので無いと思はれる。古くからの日本語の中にも、この心持は相應によく表れて居る。例へばタソガレは「誰そ彼は」であり、カハタレは「彼は誰」であつた。夜の未明をシノノメといひ、さては又イナノメといつたのも、或はこれと同じことであつたかも知れない。

[やぶちゃん注:「かはたれ時」以上の言及は前篇の「三」でも述べており、私もそこで注を附してあるので繰り返さない。

「シノノメ」「東雲」をかく読むのは無論、当て訓。原義は不詳で、幾つかの記載は「篠(しの)の目(め)」とする。古く本邦の民家の明かり採り用の窓には篠竹(しのたけ:単子葉植物綱タケ亜科メダケ属メダケ Pleioblastus Simonii の細いしなやかなそれで編まれてあった。その編み目から日の出直前の雲の有意な輝きから差す明かりから転じて、「夜明けの東の空の輝き」を指すようになり、更に広く夜明けの時間帯をも言うようになったというものだが、どうも風流に後付けした感がしなくもない。そもそも古民家の窓にそんな細工をしたろうか。小学館「日本国語大辞典」には、或いは「篠の芽」かとするが、これは、恐らくメダケの新芽が紅色を帯びるからであろう。私は寧ろこの方が腑に落ちる。

「イナノメ」「しののめ」と同義の万葉以来の語であるが、語源は諸説ある。小学館「日本国語大辞典」の「いなのめの」の補説によれば、まず、『「いな(寝)のめ(目)」が朝方開く』と出し、次に『いな(稲)のめ(目)(稲の穂の出始める意)を夜明けにたとえるところから』とする(所謂、稲作文化のサイクル象徴説である。これも十把一絡げ的で最近の私は信じていない)。次に『「イナ(鯔)のめ(眼)」』(「イナ」は出世魚のボラ(条鰭綱ボラ目ボラ科ボラ属ボラ Mugil cephalus)の下から二つ目の大きさの時の名)『が赤いところから』とするのだが、これは魚類学上では見逃せない誤りで話にならない。ボラの目は赤くなく、黒いからである。見た目の魚体が似ており、目が赤いのは、近縁ではあるものの、全くの別種であるボラ目ボラ科メナダ属メナダ Liza haematocheilus である。メナダの別名にはアカメボラの異名がある。まあ、しかし、昔はメナダもボラと一緒くたにされていただろうから、寧ろ、この赤の方が、前の二つより、多くの素人は、思わず、熊・八のように膝を叩きたくは、なるだろう。]

 私は今國々の言葉に於て、日の暮を何といふかを尋ねて見ようとして居る。加賀と能登ではタチアヒといひ、熊野でマジミといふなども深い意味があるらしいが、それはなほ私には雀色である。信州では松本の周圍に於て黃昏をメソメソドキ、少し北へ行くとケソメキともいつて、暗くなりかゝるといふ動詞はケソメクである。これも感覺を語音に寫す技能と言つてよいと思ふが、あの地方では人が顏を合せ難い事情などがあつて、そしらぬ振をして通つて行くことを、ケソケソとして行くといつて居る。越中の山近くの町で、夕方のことをシケシケといふのは、しげしげと人を見るといふなどが元のやうでもあるが、富山の附近の者は氣ちがひのことをシカシカといつて居るから、最初は却つてシカとせぬことをシカシカといつたのであらう。曠野《あらの》集の附句に、

   何事を泣きけん髮を振おほひ

    しかじか物も言はぬつれなさ

   恥かしといやがる馬にかき乘せて

これなどにはまだ少し古い感じが遺つて居る。

[やぶちゃん注:「曠野」蕉門の『俳諧七部集』の一つ。山本荷兮編。芭蕉序で、元禄二(一六八九)年三月京の井筒屋庄兵衛刊。引用の一・三句目は安川落梧、二句目は岡田野水。この付句は、岩波文庫の中村俊定校注の「芭蕉七部集」の注によれば、「大和物語」の第百三十三段の、

   *

 同じ御門[やぶちゃん注:醍醐天皇。]、月のおもしろき夜、みそかに御息所(みやすどころ)たちの御曹司(おほんざうし)ども見步(みあり)かせ給ひけり。御供に公忠(きんただ)[やぶちゃん注:源公忠。]さぶらひけり。

 それに、ある御曹司より、濃き袿(うちき)一襲(ひとかさね)着たる女の、いときよげなる、出で來て、いみしく泣きけり。公忠を近く召して、見せ給ひければ、髮を振りおほひて、いみじく泣く。

「などて、かく泣くぞ。」

と言へど、いらへもせず。御門も、いみじくあやしがり給ひけり。

   *

という場面を故事としたものとある。]

 尾張の名古屋などは、以前の方言は黃昏がウソウソであつた。ウソはいつかも奧樣の會で話した如く、近世一つの惡德と解せられるやうになる以前、殆と[やぶちゃん注:ママ。]今日の文藝といふ語と同じに、あらゆる空想の興味を包括して居たことがあつた。六つかしく言へば現實の粗材、卽ちもう一步を踏込んで見ないと、それを經驗とも智識ともすることの出來ぬものゝ名であつた。迂散《うさん》などといふ漢字を宛てようとした動機が、この言葉の中には籠つて居る。タチアヒといふ言葉が夕方を意味したのも、此方から追々にわかつて來るかも知れない。今でも取引所の中ではよく使つて居るが、タチアヒは本來市立《いちだち》のことであつた。仲間で無い人々が顏を合す機會は、もとは交易の時ばかりであつた故に、同じ用語を以て所謂雀色時の、人に氣を許されぬ時刻を形容したのでは無かつたか。富山の町でも夕方をタツチヤエモト、金澤では又イチクレとさへいつて居るのである。

[やぶちゃん注:「市立」市が立つこと。開かれれば、知れる馴染みばかりでなく、見知らぬ人々を含む会衆が集まってくる。そうした心理的な「誰ぞ彼は」の擬似的異界感を齎す時空間ということにもなってくるのである。]

 地方の言語が追々に集まつて來れば、もう少し說明がはつきりとすることゝ思ふが、今でも黃昏が如何なる時刻であつたかは、これだけの材料からほゞ推測し得られる。皆さんが或は心づかれないかと思ふことは、人の物ごし背恰好といふものが、麻の衣の時代には今よりも見定めにくかつたといふことである。木綿の絲が細く糊が弱くなつて、ぴつたりと身につくやうな近頃の世になると、人の姿の美しさ見にくさはすぐ現れて、遠目にも誰といふことを知るのであるが、夕《ゆふべ》を心細がるやうな村の人たちは、以前は今少しく一樣に着ふくれて居たのである。見やうによつてはどの人も知つた人の如く、もしくはそれと反對に、足音の近よるを聽きながら、聲を掛け合ふ迄は皆他處《よそ》の人のやうに、考へられるのがケソメキの常であつた。さうして實際又この時刻には、まだ多くの見馴れない者が、急いで村々を過ぎて行かうとして居たのである。

 鬼と旅人とをほゞ同じ程の不安を以て、迎へ見送つて居たのも久しいことであつた。ところがその不安も少しづゝ單調になつて、次第に日の暮は門の口に立つて、人を見て居たいやうな時刻になつて來た。子供がはしやいで還りたがらぬのもこの時刻、あても無しに多くの若い人々が、空を眺めるのもこの時刻であつた。さうして我々がこはいといふ感じを忘れたが爲に、却つて黃昏の危險は數しげくなつて居るのである。

 

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