大手拓次譯詩集「異國の香」 「香氣」(ボードレール)
[やぶちゃん注:本訳詩集は、大手拓次の没後七年の昭和一六(一九三一)年三月、親友で版画家であった逸見享の編纂により龍星閣から限定版(六百冊)として刊行されたものである。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」のこちらのものを視認して電子化する。本文は原本に忠実に起こす。例えば、本書では一行フレーズの途中に句読点が打たれた場合、その後にほぼ一字分の空けがあるが、再現した。]
香 氣 ボードレール
貪食者よ、 お前はをりにふれて
迷亂と緩漫なる貪食とをもつて呼吸したことがあるか、
あの聖堂のなかにみちてゐる燒香の顆粒(つぶ)を、
あるひは麝香のふかくしみこんだ香袋(にほひぶくろ)を。
現在とよみがみがへれる過去とのなかに
われらを醉はしむる深く不思議なる妖惑よ!
かくしてこひ人は鐘愛のからだのうへに
追憶の美妙なる花をつみとる。
彈力のあるおもい彼女の頭髪から、
寢室の香爐であるにほひ袋の
いきいきしたかをりはのぼつた、 あらく茶色に、
また、淸い若さのすつかりしみこんだ寒冷紗か或はびろうどの着物からは、
毛皮のにほひがのがささる。
[やぶちゃん注:これは既に「緣(ふち)」で紹介した総標題‘Un Fantôme’ (「ある幽霊(亡霊)」或いは「ある幻想」)の四篇構成のそれの第二篇である。フランス語のサイトのこちらにあるものを元に示す。
*
Le Parfum Charles Baudelaire
Lecteur, as-tu quelquefois respiré
Avec ivresse et lente gourmandise
Ce grain d’encens qui remplit une église,
Ou d’un sachet le musc invétéré?
Charme profond, magique, dont nous grise
Dans le présent le passé restauré!
Ainsi l’amant sur un corps adoré
Du souvenir cueille la fleur exquise.
De ses cheveux élastiques et lourds,
Vivant sachet, encensoir de l’alcôve,
Une senteur montait, sauvage et fauve,
Et des habits, mousseline ou velours,
Tout imprégnés de sa jeunesse pure,
Se dégageait un parfum de fourrure.
*
「貪食者」不審。“Lecteur”はフラットに「読者」の意で、このような意味はない。或いは拓次は『「貪」欲なる『食』欲の持ち主である読「者」』のニュアンスで、二行目の「貪食」(“gourmandise”は「大喰い」の意)を意識して、かく読む人々に皮肉を込めて訳したものか? しかし、「どんしょくしや」の訓は「讀書者」(どくしよしや)に似ており、何か妙な気が、しないでもないのである。
「鍾愛」は「しようあい(しょうあい)」でと読み、「鍾」は「集める」の意で、「たいそう好いてこのむこと・大切にして可愛がること」を言う語である。]
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