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2023/02/23

柳田國男「妖怪談義」(全)正規表現版 入らず山

 

[やぶちゃん注:永く柳田國男のもので、正規表現で電子化注をしたかった一つであった「妖怪談義」(「妖怪談義」正篇を含め、その後に「かはたれ時」から「妖怪名彙」まで全三十篇の妖怪関連論考が続く)を、初出原本(昭和三一(一九五六)年十二月修道社刊)ではないが、「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」で「定本 柳田國男集 第四卷」(昭和三八(一九六三)筑摩書房刊)によって、正字正仮名を視認出来ることが判ったので、これで電子化注を開始する。本篇はここから。但し、加工データとして「私設万葉文庫」にある「定本柳田國男集 第四卷」の新装版(筑摩書房一九六八年九月発行・一九七〇年一月発行の四刷)で電子化されているものを使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問な箇所は所持する「ちくま文庫版」の「柳田國男全集6」所収のものを参考にする。

 注はオリジナルを心得、最低限、必要と思われるものをストイックに附す。底本はルビが非常に少ないが、若い読者を想定して、底本のルビは( )で、私が読みが特異或いは難読と判断した箇所には歴史的仮名遣で推定で《 》で挿入することとする。踊り字「〱」「〲」は生理的に嫌いなので、正字化した。太字は底本では傍点「﹅」。

 なお、本篇は底本巻末の「内容細目」によれば、大正一五(一九二六)年六月発行の『週刊朝日』初出である。]

 

     入 ら ず 山

 

 山の神祕と、それが人界に傳はつて評判になるといふことゝは、二つ全く別々の話であつた。山の人には我々の眼から見ると、少し重くるし過ぎるかと思ふほどの思慮があつた。第一に山小屋の火の傍では、さういろいろ山の話はしない。現在不思議なものが見えたり聞えたりしてゐても、不馴れな若者たちの怖れるのを憐れんで彼等が自ら注意するまでは知らぬ顏をしてゐる。

 大井川の上流で雪のしんしんと降る晚に、何度とも無く小屋の周圍を、どしんどしんと大きな足踏みをして、まはつてあるく者がゐる。何だらうと一人が驚いて問ふと、相手の親爺はふんと氣の無い返事をしたきりで寢てしまふ。やがてその足音が止まつたと思ふと、不意に小屋の棟に手でも掛けて、ゆさぶるかと思ふやうな響がした。キャッと飛び起きて再び老人を喚び覺すと、老人が怒つてどなりつけた。山に寢りやこんなことは幾らでもある。それを一々騷いでゐてどうする。默つて寢ろ、といつたがなかなか眠れやしない。翌朝は早々遁げて還つて笑はれたといふ話が、駿河新風土記にも出てゐる。あの邊は殊にかういふ經驗の多かつた土地である。

[やぶちゃん注:「駿河新風土記」は新庄道雄(しんしょうみちお 安永五(一七七六)年~天保六(一八三五)年)は駿府江川町の大きな宿屋の主人であったが、幼少期から学問が好きで、三十代半ばには「駿河大地誌」の編纂者の一人に選ばれてもいた。しかし、同地誌は企画中に頓挫したため、彼は自力で駿河国の地誌を記すことを決意、当時、師であった平田篤胤の協力を得て、文化一三(一八一六)年から天保五(一八三四)年にかけて遂に全二十五巻まで書き上げたものである(死去により完成してはいない。以上は「静岡県立中央図書館所蔵の貴重書紹介(12)」PDF)を参照した)。]

 素人は山小屋に泊つて、火を焚いて夜を更かしてゐる際などに、よくこの類の話が聞いて見たくなるが、早速その問に答へて話すやうな人は少ない。山にいろいろの不思議があるといふことは、直接に山の威力の承認を意味する。そんなことをいつてしまへば自分が先づ氣が弱くなる。だからだまつて笑つてゐるだけで無く、中には明白に今まで一向にそんな經驗は無いと、答へる者さへ多いのである。實際また個人として、さう澤山の物凄い目に遭つてゐる者は無かつたらうが、人の話ならば長い間に、幾らでも聞いて知つてゐるのだ。たゞそんな場處で問うたり語つたりする問題では無いのである。

 多くの神祕談は死の床で、もしくは老衰してもう山で稼げなくなつた者が、經驗を子弟に傳へようとする序でにいひ殘すのが普通になつてゐて、さういふ話の聞書には眞實味がある。さうで無い場合に面白げに話すのは、作りごとで無いまでも、受賣の誇張の多い話と見てよい。これは二三度も同じ場合に臨むと、素人にもすぐ鑑別が出來るやうになる。里の妖怪とは違つて、山奧では嚙むとか食ひ付くとかいふやうな話は少ない。たゞ何ともかともいひやうが無いほど怖ろしかつた。又はぞつとして毛穴が皆立つたといつて、話はもうそれで終りである。しかもその時限り獵は止めたといひ、またはあの澤だけへは入らぬことにしてゐるといふ結論に達してゐる。またそれほど大きな不思議では無くとも、當人はとにかくこれを承認してゐる。何のこれしきのことといふやうな反抗心は抱かない。それ故にまた矢鱈に批評したり、考へたりする者には話したがらないのである。

 中にはさういふ話ならよくあるといふ者もあるが、それも否認ではなくて、山の人は始めから總括的に信じてゐるのであつた。山には人里において不可能なる法則が、行はれてゐることを信じてゐるのである。その中で私が今集めてゐるのは天狗笑ひ、天狗倒しの類、または木伐り坊などと稱して、斧を打ち鋸を挽く音が長い間きこえ、或は數多の人の話し聲笑ひ聲、それから雪の深い高山の峯から、笛太鼓の音がきこえるなどといふのも、會津の御神樂嶽《みかぐらだけ》のみで無かつた。意味が深いと思ふのは一村數十人の者が、我も人も同時にこの幻覺を起すことである。眼の迷ひといふ方にも、一人が實驗し、他はそれを聞いて信ずるといふ場合のみで無かつた。美作《みまさか》のある山奧には池があつてそこの水鳥は皆片目であつたので、遁げて歸つたといふ話もある。さういふのも皆共同の信仰であつた。山を樂しむ者に完全なる個人主義が行はれたら、その時は山の神祕の晴れてしまふ時であらう。

[やぶちゃん注:「會津の御神楽嶽」福島と新潟の県境にある御神楽岳(グーグル・マップ・データ)。標高は千三百八十六メートル。当該ウィキによれば、『古くから信仰の対象とされてきた山で、福島県会津美里町の伊佐須美神社縁起では』、崇神天皇十年に『四道将軍大毘古命』(おおひこのみこと)『と建沼河別命』(たけぬなかわわけ)『の親子が蝦夷』(えみし)『を平定するため』、『北陸道と東海道に派遣された折』り、『出会った土地を「会津」と名付け、天津岳山頂に国土開拓の祖神として』伊耶那岐・伊耶那美『二神を祀ったのが起源といい、のちにこの山を御神楽岳と号したという』とある。]

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