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2023/02/21

南方熊楠「ひだる神」(新字新仮名)

 

[やぶちゃん注:現在、電子化注中の柳田國男の「妖怪談義」の「ひだる神」に必要になったので、電子化する。但し、これは国立国会図書館デジタルコレクション等で原記載を見ることが出来ないことから、底本として所持する平凡社「南方熊楠選集4」(一九八四年刊)にある新字新仮名のそれで電子化しておく。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集3」(雑誌論考Ⅰ))にあるものを使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。

 ルビは底本が古いので拗音・促音がないが、勝手に処理した。急遽の挿入となるので、注はごく一部に留めた。]

 

   ひ だ る 神

           柳田国男「ひだる神のこと」参照
           (『民族』一巻一号一五七頁)

 ここに『和歌山県誌』から、ある書にいわく、云々、と引いたは、菊岡沾涼の『本朝俗諺志』で、本文は、「紀伊国熊野に大雲取、小雲取という二つの大山あり。この辺に深き穴数所あり、手ごろなる石をこの穴へ投げ込めば鳴り渡りて落つるなり。二、三町があいだ行くうち石の転げる音聞こえ鳴る、限りなき穴なり。その穴に餓鬼穴というあり。ある旅僧、この所にてにわかにひだるくなりて、一足も引かれぬほどの難儀に及べり。折から里人の来かかるに出あい、この辺にて食求むべき所やある、ことのほか飢え労(つか)れたりといえば、跡の茶屋にて何か食せずや、という。団子を飽くまで食せり、という。しからば道傍の穴を覗きつらん、という。いかにも覗きたりといえば、さればこそその穴を覗けば必ず飢えを起こすなり、ここより七町ばかり行かば小寺あり、油断あらば餓死すべし、木葉を口に含みて行くべし、と。教えのごとくして、辛うじてかの寺へ辿りつき命助かる、となり」とある。

[やぶちゃん注:「ここ」底本の割注に柳田國男の「ひだる神」の記事(『民族』一巻一号一五七頁)を指すことが記されてある。

「菊岡沾涼の『本朝俗諺志』」早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらで原本(PDF第二巻一括版)で当該部(「三之巻」の「七」の「紀州雲取穴(きしうくもとりのあな)」で、56コマ目)が視認出来る。]

 予、明治三十四年冬より二年半ばかり那智山麓におり、雲取をも歩いたが、いわゆるガキに付かれたことあり。寒き日など行き労れて急に脳貧血を起こすので、精神茫然として足進まず、一度は仰向けに仆れたが、幸いにも背に負うた大きな植物採集胴乱が枕となったので、岩で頭を砕くを免れた。それより後は里人の教えに随い、必ず握り飯と香の物を携え、その萌(きざ)しある時は少し食うてその防ぎとした。

[やぶちゃん注:「明治三十四年」一九〇一年。南方熊楠は、この十月末に勝浦に向い、長期に亙る南紀植物調査を開始した。]

『俗諺志』に述べたような穴が只今雲取にありとは聞かぬが、那智から雲取を越えて請川(うけがわ)に出で川湯という地に到ると、ホコの窟というて底のしれぬ深穴あり。ホコ島という大岩これを蓋(おお)う。ここで那智のことを咄(はな)せば、たちまち天気荒るるという。亡友栗山弾次郎氏方より、元日ごとに握り飯をこの穴の口に一つ供えて、周廻を三度歩むうちに必ず失せおわる。石を落とすに限りなく音して転がり行く。この穴、下湯川とどこかの二つの遠い地へ通りあり。むかしの抜け道だろうと聞いた。栗山家は土地の豪族で、その祖弾正という人天狗を切ったと伝うる地を、予も通ったことあり。いろいろと伝説もあっただろうが、先年死んだから尋ぬるに由なし。この穴のことを『俗諺志』に餓鬼穴と言ったでなかろうか。

 また西牟婁郡安堵峰辺ではメクラグモをガキと呼ぶ。いわゆるガキが付くというに関係の有無は聞かず。

      (大正十五年三月『民族』一巻三号)

[やぶちゃん注:「川湯」恐らくこの附近(グーグル・マップ・データ)。

「メクラグモ節足動物門鋏角亜門蛛形(クモガタ)綱ザトウムシ目 Opilionesに属する種群を指す。クモに似ているが、近縁ではなく、特徴も大きく異なる。明瞭な違いとしては、ザトウムシの体の前体と後体は密着し、全体として豆粒のように纏まっており(クモの前体と後体の間は顕著にくびれている)、「メクラグモ」という旧称に反して、殆んどのザトウムシは一対の機能性能のある単眼を持っている(ウィキの「ザトウムシ」に拠った)。]

【追記】

 予、那智辺におった時ガキに付かるるを防ぐとて、山行きごとに必ず握り飯と香の物を携え、その萌しあれば少しく食うて無難を得た由はすでに述べた。これに似たこと、一九二三年ケンブリッジ板、エヴァンズの『英領北ボルネオおよびマレイ半島の宗教俚伝風俗研究』二七一と二九四頁に出ず。マレイおよびサカイ人が信ずるは、食事、喫煙等を欲しながらそれを用いずに森に入ると、必ず災禍にあう。望むところの食事、喫煙を果たさずに往って、蛇、蠍(さそり)、蜈蚣(むかで)に咬まれずば、まことに僥倖というものだ。これをケムプナンと呼び、ひだるいながら行くという意味だ。かようの時は、自分の右の手の中指を口に入れて三、四度吮(す)えば災に罹らぬ、とある。

[やぶちゃん注:「サカイ人」小学館「日本大百科全書」の「サカイ」に『マレーシア、マレー半島に住む先住民、とくにマレー半島中央部山岳地帯の民族集団セノイに対し、マレー人や中国人が用いた「奴隷」の意の蔑称』で、『かつては民族名として採用されていた。現在、マレーシア政府は、先住民の総称としてオラン・アスリ(マレー語で「土着の人」の意)を用いている』とあり、同事典の「サカイ語」には、『マレー半島中部に分布する少数民族の言語。中央サカイ語(セマイ語)、東サカイ語(ジャフット語)、北サカイ語(テミアル語)などの方言に分かれ、近隣のセマング語(ジャハイク語)、セムナム語などとともにセノイ語群を形成し、オーストロアジア語族の支族であるモン・クメール語族に属する。使用人口はセノイ語群全体で約』三『万人くらいと推定されている。接辞による語形成を行う。なお、サカイ、セマングという民族名は蔑称』『のため』、『現在では使用されず、それぞれ前述の括弧』『内の名称でよばれる』とある。]

 松崎白圭の『窓のすさみ追加』下に、柔術の名人が、近所に人を害して閉じ籠った者を捕えよと、その妻が勧めても出てず、強いて勧めてのち、しからば食を炊ぐべし、食気なくては業(わざ)をなしがたしとて、心静かに食事してのち押し入りて、初太刀(しよだち)に強く頸を切られながらその者を捕えた、と記したごとく、腹がたしかでないと注意不足して種々の害にあうのである。

    (大正十五年七月『民族』一巻五号)

【増補】

 道中で餓鬼に付かるるということ、もっとも古く見えた文献は、『雲萍雑志』である(『民族』一巻一号一五七頁)と言われたが、それと予が引き出した『本朝俗諺志』(『民族』一巻三号五七五頁)と、いずれが古いか。ふたつながら予の蔵本にこれを書いた年を記しおらぬから、見当がつかぬ。

[やぶちゃん注:「雲萍雜志」は天保一三(一八四二)年の板行で、「本朝俗諺志」はそれより九十六年も前の延享三(一七四六)年である。

 また紀州有田郡糸我坂にこのことあるというについて、糸我坂は県道で、相応に人通りある処であると言われたが(『民族』一巻一号一五七頁)、明治十九年、予がしばしばこの坂を通ったころまでは、低い坂ながら水乏しく、夏日上り行くに草臥(くたび)れはなはだしく、まことに餓鬼の付きそうな処であった。和歌山より東南へ下るに藤白の蕪坂を越え、日高郡より西北へ上るに鹿ヶ瀬峠を越えてのち、労れた上でこの糸我坂にかかる。そんな所でしばしば餓鬼が付いたものと見える。

[やぶちゃん注:以上の坂はこの附近(グーグル・マップ・データ)である。]

 さて、この発作症をダリと呼ぶことも文献にみえぬでない。安永四年[やぶちゃん注:一七七五年。]に出た近松半二、栄善平、八民平七の劇曲『東海道七里渡』第四段、伊勢亀山の関所を種々の旅人が通るところに、奥州下りの京都の商人、「なるほどなるほど、仙台へ下りし者に相違もあるまじ、通れ通れと言えど答えず、体(たい)を縮め、大地にどうと倒れ伏す。こは何故と番所の家来バラバラ立ち寄りて、みれば旅人の顔色変じ、即死とみえたる、その風情、和田の今起、声をかけ、まてまて家来ども、旅人が急病心得ず、篤(とく)と見届け薬を与えん、イデ虚実を窺いえさせんと、静々と歩みより、フウ六脈(りくみやく)たしかに揃いしは、頓死にてはよもあるまじ、しかし、この腹背中へ引っつきしは心得ず、オオそれよ、思い当たりしことこそあれ、唐土(もろこし)斉の王死して餓鬼の道に落ち、人に付いて食事を乞う、四国の犬神(いぬかみ)に同じ、この病神をさいでの王と号す、俗には餓鬼ともいい、だりともいう、この旅人にも食事を与えば立ちどころに平癒せん、ソレソレ家来ども、飯を与えよ、早く早くと、その身は役所に立ち帰り、窺う間に家来ども、もっそう飯(めし)を持っていで、旅人の前に差し置けば、不思議なり奇妙なり、伏せたる病人ゆるぎおき、アア嬉しやな有難(ありがた)や、このころ渇せし食事にあい、餓鬼道の苦患(くげん)を助からんと、すっくと立ちて、そもそも餓鬼と申すは申すは、腹はぼてれん太鼓のごとく、水を飲まんとよろばい守れば、水はたちまち火焰となって、クヮックヮッ、クヮクヮクヮックヮ、クヮクヮックヮクヮ、クヮックヮラクヮノクヮ、かの盛切りの飯取り上げ、一口食ってはあらあら旨(うま)や、あら味よやな、落ちたる精力、五臓六府の皮肉に入りて、五体手足(しゅそく)はむかしに違わず、鬼もたちまち立ち去るありさま目前に、みるめ、かぐ鼻、関所の役人、皆皆奇異の想いをなし、呆れ果てたるばかりなり。和田の今起、声をかけ、コリャコリャ旅人、病気はいかに、ハイこれはこれは、先ほどよりにわかにひだるうなりますと、とんと正気を失いましたが、只今御飯を下さるとたちまち本性(ほんしょう)、全くこれはあなた様方のお蔭、エお有難う厶(ござ)ります、と一礼述べて急ぎ行く」とある。餓鬼に付かれたありさまを、よく備(つぶ)さに記述しあるから、長文ながら全写した。

 さて、この餓鬼が人に付くということ、仏典にありそうなものと見廻したところ、どうもないようだが、やや似たことがある。元魏の朝に智希が訳出した『正法念処経』一六に、「貪嫉(たんしつ)心を覆い、衆生(じゅじょう)を誣枉(ふおう)し、しかして財物を取る。あるいは闘諍(とうそう)を作(な)し、恐怖して人に逼(せま)り、他(ひと)の財物を侵す。村落、城邑において他の物を劫奪(きょうだつ)し、常に人の便を求めて劫盗(きょうとう)を行なわんと欲す。布施を行なわず、福業を修めず、良友に親(ちか)づかず。常に嫉妬を懐(いだ)いて他の財を貪り奪う。他の財物を見れば、心に惡毒を懐く。知識、善友、兄弟、親族に、常に憎嫉を懐く。衆人これを見れば、みな共にこれを指して弊悪の人となす。この人は、身壊(やぶ)れて悪道に堕ち、蚩陀羅(しだら)餓鬼の身を受く(蚩陀羅は、魏にては孔穴(あな[やぶちゃん注:二字へのルビ。])と言い、義には伺便[やぶちゃん注:「便宜を待つ」の意。]という)。遍身の毛孔より自然(おのずから)に火焰(ほのお[やぶちゃん注:二字へのルビ。])たち、その身を焚焼[やぶちゃん注:「ふんしょう」。]し、甄叔迦(しんしゆくか)樹の花盛りの時のごとし(この樹の花は赤きこと火の聚(かたまり)の色のごとし、もってこれに喩う)。飢渇の火、常にその身を焼くがために、呻(うめ)き号(さけ)び悲しみ叫ぶ。奔突して走り、飲食を求索め[やぶちゃん注:「もとめ」と訓じていよう。]、もってみずから済(すく)わんと欲す。世に愚人あり、塔[やぶちゃん注:仏塔(ストゥーパ)。仏教の比喩。]に逆らいて行き、もし天廟を見れば順行恭敬す。かくのごとき人には、この鬼は便(てがかり)を得て人身の中に入り、人の気力を食らう。もしまた人あり、房に近づき穢(え)を欲すれば、この鬼は便を得てその身中に入り、人の気力を食らい、もってみずから活命す。自余(じよ)の一切は、ことごとく食らうを得ず(下略)」と出ず。この人の気力を食らうというが、邦俗いわゆる餓鬼が付くというに一番近いようだ。

      (昭和二年七月『民族』二巻五号)

[やぶちゃん注:この直後に電子化注した『柳田國男「妖怪談義」(全)正規表現版 ひだる神のこと』も一緒に必ず参照されたい。]

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