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2023/02/06

佐藤春夫 改作 田園の憂鬱 或は病める薔薇 正規表現版 (その11)

 

[やぶちゃん注:電子化意図や底本は初回の私の冒頭注を参照されたい。なお、本作のロケーションは未定稿の電子化冒頭で述べた通り、旧神奈川県都筑(つづき)郡中里村字(あざ)鐵(くろがね)(現在の神奈川県横浜市青葉区鉄町(くろがねちょう)。ここ(グーグル・マップ・データ))であるが、現在は、南東の一部は丘陵が残るものの、ここで主たるロケーションとなっていると推定される(富士山の方向から)南西方向の丘陵はテツテ的な宅地化で平地にされてしまっており、見る影は微塵もない。信じられない方は、「今昔マップ」の戦前のまさに当時の地図を見られたい。この中央附近が、当時の佐藤が借りた家のあった場所と推定される(根拠は「AOBA DIGITAL ART MUSEUM」の『「田園の憂鬱由縁の地」碑』に拠った。調べてみるに、この碑は個人の敷地内にあるようである)。

    *     *     *     *

       *     *     *

 ここに一つの丘があつた。

 彼の家の緣側から見るとき、庭の松の枝と櫻の枝とは互に兩方から突き出して交り合つて、そこに穹窿形の空間が出來て、その樹と樹との枝と葉とが形作るアアチ形の曲線は、生垣の頭の眞直ぐな直線で下から受け支へられて居た。言はばそれらが綠の枠をつくつて居た。額緣であつた。さうしてその額緣の空間のずつと底から、その丘は、程遠くの方に見えるのであつた。

 彼は、何時初めてこの丘を見出したのであらう? とにかく、この丘が彼の目をひいた。さうして彼はこの丘を非常に好きになつて居た。長い陰氣なこのごろの雨の日の每日每日に、彼の沈んだ心の窗[やぶちゃん注:「窓」の異体字。]である彼の瞳を、人生の憂悶からそむけて外側の方へ向ける度每に、彼の瞳に映つて來るのはその丘であつた。

 その丘は、わけても、彼の庭の樹樹の枝と葉とが形作つたあの穹窿形の額緣を通して見る時に、自づと一つの別天地のやうな趣があつた。ちやうどいいくらゐに程遠くで、さうして現實よりは夢幻的で、夢幻よりは現實的で、その上雨の濃淡によつて、或る時にはそれが彼の方へ稍近づいて、或る時にはずつと遠退いて感じられた。或る時には擦ガラスを透して見るやうにほのかであつた。

 その丘はどこか女の脇腹の感じに似て居た。のんびりとした感情を持つてうねつてゐる優雅な、思ひ思ひの方向へ走つてゐる無數の曲線が、せり上つて、せり持ちになつて出來上つた一つの立體形であつた。さうして、あの綠色の額緣のなかへきちんと收まつて、譬へば、最も放膽[やぶちゃん注:「はうたん」。極めて大胆なこと。]に開展しながらも、發端と大團圓とがしつくりと照應できる物語のやうに、その景色は美しくも、少しの無理も無く、その上にせせつこましく無しに纏つて居た。それはどこかに古代希臘の彫刻にあると謂はれてゐる沈靜な、而も活き活きとした美をゆつたりと湛へて居た。それは氣高い愛嬌のある微笑をもつた女の口の端にも似て居た。丘の頂には雜木林があつて、その木は何れも手の指を空に向けて開けたやうに枝を張つて居て、彼の立つてゐる場所から一寸か五寸ぐらゐに見える――或る時には一寸ぐらゐに、さうして或る時には五寸ぐらゐに感じられて見へる[やぶちゃん注:ママ。]。短い頭髮のやうに揃うて立つてゐる林は、裸の丘を額にしてそれの頂だけに、美しい生え際をして生えて見える。それらの林と空とが接する境目にはごく微細な凹凸があつて、それが味ひ盡せないリズムを持つて居る。それの少しばかり不足してゐるかと思へるところには、その林の主である家の草屋根が一つ、それの單調を補うて居る。さうして、その豐かにもち上つた綠の天鵞絨のやうな橫腹には、數百本の縱の筋が、互に規則的な距離をへだてて、平行に、その丘の斜面の表面を、上から下の方へ弓形に滑りおりて、くつきりとした大名縞[やぶちゃん注:「だいみやうじま」。]を描き出して居た。それは綠色の縞瑪瑙の切斷面である。それは多分、杉か檜か何かの苗床であるからであらう。だがそんなことはどうでもいい。唯、この丘をかくまでに繪畫的に、裝飾風に見せて居るのには、この自然のなかの些細な人工性が、期せずして、それの爲めに最も著しい效果を與へて[やぶちゃん注:新潮文庫版を参考にすれば、「添へ與へて」となっている。]居るのであつた、ちやうど林のなかに家の屋根が見えて居ると同じやうに。さうして、この場合どこからどこまでが自然その儘のもので、どこが人間の造つたものであるかは、もう區別出來ないことである。自然の上に働いた人間の勞作が、自然のなかへ工合よく溶け入つてしまつて居る。何といふ美しさであらう! それは見て居て、優しく懷しかつた。おれの住みたい藝術の世界はあんなところなんだが………

「何をそんなに見つめていらつしやるの?」

 彼の妻が彼に尋ねる。

「うん。あの丘だよ。あの丘なのだがね」

「あれがどうしたの?」

「どうもしない……綺麗ぢやないか。何とも言へない……」

「さうね。何だか着物のやうだわ」

 この丘は澁い好みの御召の着物を着て居ると、彼の妻は思つて居る。

 それは綠色ばかりで描かれた單色畫であつた。しかしこのモノクロオムは、すべての優秀なそれと全く同じやうに、殆んど無限な色彩をその單色のなかに含ませて居た。さうして見て居れば見て居るほど、それの豐富が湧き出した。一見ただ綠色の一かたまりであつて、而もそれは部分部分に應じて千差萬別の綠色であつた。さうしてそれが動かし難い一つの色調を織り出して居た。譬へば一つの綠玉が、ただそれ自身の綠色を基調にして、併し、それの磨かれた一つ一つの面に應じて、各相異つた色と效果とを生み出して居る有樣にも似て居た。

 彼の瞳は、常に喜んでその丘の上で休息をして居る。

「透明な心を! 透明な心を!」

 その丘は、彼の瞳にむかつて、さうものを言ひかけた。

 或る日。その日は前夜からぱつたり雨が止んで、その日も朝からうすぐもりであつた。やがて正午前には、雲に滲んで太陽の形さへ、かすかながら空の奧底から卵色に見え出した。

 彼の妻は、秋の着物の用意に言寄せて、東京へ行つて來ようと言ひ出した。彼の女は空の天氣を案ずるよりも、夫の天氣の變らないうちにと、早い晝飯をすませると、每夜の憧れである東京へ、あたふたと出かけた。心は恐らく體よりも三時間も早く東京に着いたに相違ない。

 彼は、唯ひとりぼんやりと、緣側に立つて、見るともなしに、日頃の目のやり場であるあの丘を眺めて居た。その時その丘は、何となく全體の趣が常とは違つて居ることに彼は氣づいた。それはどうもただ天氣の光だけではないのである。けれどもその原因は少しも解らなかつた。と見かう見して居るうちに、彼はやつと思ひ出して、机のひき出しから眼鏡を搜し出した。彼は可なりひどい近眼でありながら、近頃は折折、眼鏡をかけることさへ忘れて居るのであつた。何ごともしない近頃の彼には眼鏡も殆ど用が無くなつて居たから。さうして、つい眼鏡をかけずに居ることが、彼を一層神經衰弱にさせて居ることにも氣づかずに。眼鏡をかけて見ると、天地は全く別箇のものに見え出した。今日は天地の間に何かよろこびのやうなものを見ることが出來た。空が明るいからである。丘ははつきりと見えた。なる程。丘はいつもとは違つて見える――丘の雜木林の上には烏が群れて居た。うすれ日を上から浴びて、丘の橫腹は、その凸凹が硏ぎ出されたやうな丸味を見せて、滑らかに綠金に光つて居る。苗木の畑である數百本の立縞――なる程、違つて居るのは其處だ。その立縞の縞と縞との間の地面をよく見ると、その左の方の一角を要にして、上に開いた扇形に、三角形に、何時もの地面の綠色が、どういふわけか、黑い紫色に變つて居るのである。はて! 何時の間にこんなに變つたのであらう? 何のために變つたのであらう? 彼は、實に不思議でならない氣持がした。彼は世にも珍らしい大事が突發したかのやうに、しばらくその丘の上を凝視した。その丘は、彼には或るフエアリイ・ランドのやうに思はれた。美しく、小さく、さうして今日はその上にも不可思議をさへ持つて居るではないか。

 かうして暫く見つづけて居ると、その丘の表面の紫色と綠色との境目のところが、ひとりでにむくむくと持ち上つて、その紫色の領分が、自然と少しづつ延び擴がつて行くやうであつた。尙も、瞳を見据ゑると――さうすると眉と眉との間が少し痛かつたが――其處には、小さな小さな一寸法師が居て、腰をかがめては蠢動しながら、せつせとその綠色を收穫して居るのであつた。あの苗木と苗木との列の間に、農夫が何かを作つて置いて居たのであらう。併し、見た目には、その農作物が刈りとられて居るといふよりも、紫色の土が今むくむくと持ち上つてくるとしか、彼の目には感じられなかつた。

 彼は不可思議な遠眼鏡の底を覗いて、その中にフエアリイ・ランドのフエアリイが仕事をして居るのをでも見るやうに、この小さな丘に或る超越的な心持を起しながら、ちやうど子供が百色眼鏡[やぶちゃん注:「ひやくいろめがね」。]を覗き込んだやうに、目じろぎもしない憧れの心持で眺め入つた。彼はたうとう煙草盆と座布團とを緣側まで持ち出して、このひとりでに持ち上る土の紫色を飽かず凝視した。紫色の土は湧くやうに持ち上る。あとからあとから持ち上る。紫色の領土が、綠色の領土を見る見る片はじから侵略して行く。と、うすれ日はだんだんと明るくなつて來る。不意に、夕日の光が、少しづつ晴れて來た西の方の雲の細い𨻶間から一かたまりに流れ迸つて、丘の上に當つた。丘は舞ふやうな光線のなかに急に輝き出す。その丘の上へ色彩のあるフウトライトが投げられたかのやうに。丘の上ではフエアリイも、雜木林も、永い濃い影を地に曳いた。さうしてフエアリイ・ランドの風景は、一層くつきりと浮き上つた。今もち上つたばかりの紫色の土はオルガンの最も低い音色のやうな聲をして、何か一齊に叫び出しさうに見える。丘の頂の林のなかの草屋根は滑らかなものになつて、そのなかから濃い白い煙が、縷縷と、ちやうど香爐の煙のやうに、一すぢに立ち昇つた。さうして、彼は今、うつとりとなつてフエアリイ・ランドの王であつた。

 その天地の榮光は、自然それ自身の恍惚は、一瞬時の夢のやうに、夕日が雲にかくれた時に消えた。夕日は、雲から、次には一層黑い雲と遠い地平の果の連山の方へ落ち込んで行つた。あの細い雲の𨻶間のところに、明るいかがやかな光の名殘を殘して。

 氣がついて見ると、丘はもうすつかり紫色に變つて居る……フエアリイの仕事が終つたからだ……。見とれて居るうちに、あたりは何時しかとつぷりと暗くなつて居た。それでも彼の瞳のなかには、フエアリイ・ランドの丘だけが、依然として、闇のなかにくつきりと見えるやうに思ふ。

 やがて、いつまでも見えるやうに思つてゐた丘も見えなくなつた………

[やぶちゃん注:「佐藤春夫 未定稿『病める薔薇 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版)(その11)」と対照されたい。]

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