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2023/02/06

佐藤春夫 改作 田園の憂鬱 或は病める薔薇 正規表現版 (その8)

佐藤春夫 改作 田園の憂鬱 或は病める薔薇 正規表現版 (その8)

[やぶちゃん注:電子化意図や底本は初回の私の冒頭注を参照されたい。]

    *     *     *     *

       *     *     *

 或る夜、庭の樹立がざわめいて、見ると、靜かな雨が野面を、丘を、樹を仄白く煙らせて、それらの上にふりそそいで居た。しつとりと降りそそぐ初秋の雨は、草屋根の下では、その跫音も雫も聞えなかつた。ただ家のなかの空氣をしめやかに、ランプの光をこまやかなものにした。さうして、それ等のなかにつつまれて端坐した彼に、或る微かな心持、旅愁のやうな心持を抱かせた。[やぶちゃん注:ここ(右ページ最下段終行)は一字分が空いて改ページで、しかし、次のページの頭の行は字下げがない。これは改行と判断せずに繋げた。]さうして、その秋の雨自らも、遠くへ行く淋しい旅人のやうに、この村の上を通り過ぎて行くのであつた。彼は夜の雨戶をくりながらその白い雨の後姿を見入つた。

 そんな雨が二度三度と村を通り過ぎると、夕方の風を寒がつて、猫は彼の主人にすり寄つた。身のまはりには單衣ものより持ち合せて居ない彼も震へた。

 或る夕方から降りだした雨は、一晚明けても、二日經つても、三日經つても、なかなかやまなかつた。初めの内こそ、それらの雨に或る心持を寄せて樂しんで居た彼も、もうこの陰氣な天候には飽き飽きした。それでも雨は未だやまない。

 犬の體には蚤(のみ)がわいた。二匹の犬はいぢらしくも、互に、相手の背や尾のさきなどの蚤をとり合つて居た。彼は彼等のこの動作を優しい心情をもつてながめた。併し、それ等の犬の蚤が何時の間にか、彼にもうつつた。さうして每晚蚤に苦しめられ出した。蚤は彼の體中をのそのそと無數の細い線になつて這ひまはつた。

 それに運動の不足のために、暫く忘れて居た慢性の胃病が、彼を先づ體から陰鬱にした。それがやがて心を陰鬱にした。每日每日の全く同じ食卓が、彼の食慾を不振にした。その每日同一の食物が彼の血液を腐らせさうにして居ると、感じないでは居られなかつた。犬でさへももうそれには飽きて居た。ちよつと鼻のさきを彼等の皿の上に押しつけただけで、彼等さへ再び見向きもしなかつた。けれどもこれに就て、彼は彼の妻には何も言ふべきではなかつた。この村にある食ひ物とては、これきりだからである。

 彼の單衣(ひとへもの)はへなへなにしとつて體にまつはりつき、彼の足のうらは脂汗のためにねちこちして、坐つて居る時にはその足の汗と變な溫かさとが彼の尻に傳うて來て、蚤は好んでそこに集つて居た。頭の毛のなかにも蚤が居るやうな氣がした。それを梳かうとすると、冷りとしとつた生えるがままの毛髮は、堅く櫛に絡んで、櫛は折れてしまつた。その蚤の巢のやうに感じられる體を洗つて、さつぱりするために、風呂に入りたいと思つても、彼の家には風呂桶はなかつた。近所の農家では、天氣の日には每日風呂を沸かしたけれども、野良仕事をしないこの頃の雨の日には、わざわざ水を汲んだりしてまで、風呂へ入る必要はないと、彼等は言つて居た。さうして農家では、朝から何にもせずに、何にも食はずに寢て居るといふ家族もあつた。

 猫は、每日每日外へ出て步いて、濡れた體と泥だらけの足とで家中を橫行した。そればかりか、この猫は或る日、蛙を咥へて家のなかへ運び込んでからは、寒さで動作ののろくなつて居る蛙を、每日每日、幾つも幾つも咥へて來た。妻はおほぎやうに叫び立てて逃げまはつた。いかに叱つても、猫はそれを運ぶことをやめなかつた。妻も叫び立てることをやめなかつた。生白い腹を見せて、蛙は座敷のなかで、よく死んで居た。猫は家のなかを荒野と同じやうに考へてゐる。さうして家のなかは荒野と全く同じであつた。

 或る日。彼の二疋の犬は、隣家の鷄を捕へて食つて居るところを、その家の作代(さくだい)に見つかつて、散散打たれて歸つて來た。その隣家へ、彼の妻がそれの詫びに行つたところが、圓滑な言葉といふものを學ばなかつた田舍大盡の老細君は、案外な不機嫌であつた。犬は以後一切繫いで置いて貰ひたい。運動させなければならぬならば、どうせ遊んで居られる方ばかりだから自分達で連れて步けばいい。庭のなかへ這入つては糞をしちらかす。田や畑は荒す。夜は吠えてやかましい。そのため子供が目をさます。その上につい一週間ほど前から卵を產み始めたばかりのいい鷄などを食はれてたまるものではない。まるで狼のやうな犬だ。若し以後、庭のなかへ這入るやうな事があつたならば、遠慮はして居られないから打ちのめす、うちには外にも澤山の鷄があるのだから。と何か別の事でも非常に激昂して居るらしい心を、彼の犬の方へうつして、ヒステリカルな聲で散散に吐鳴り立てた。その聲が自分の家のなかで坐つて居る彼の耳にまで聞えて來た。この中老の婦人はこの犬どもの主人が、他の村人のやうに彼の女に對して尊敬を拂はぬといつて、兼兼非常に不愉快に思つて居たからであつた。最も奇妙なことには、彼の女は彼等夫婦が何も野良仕事をしないといふ事實に就ての彼の女自身の單純な解釋から、彼の女の新らしい隣人が何か非常に贅澤な生活でもして居るものと推察して居たものと見える。かういふわけで、發育盛りの若い二疋の犬は每日鎖で繋がれねばならなかつた。彼は初めの數日は自分で自分の犬を運動に連れて行つた。二疋の犬を一人で牽くのは仲仲むづかしかつた。それに傘をもささねばならなかつた。道は非常に濘つて居た。どうせ遊んで居る閑人だ、運動なら自分で連れて步け……と言つた言葉を思ひ出すと、彼は步きながら悲しげに苦笑を洩した。若い大きな犬どもは五町や六町位の運動では、到底滿足しなかつた。それに彼等は普通の道路を厭うて、そのなかへ足を踏み込むと露で股まで濡れる畦道の方へ橫溢した活氣でもつて、その鎖を强く引つ張りながら、よろめく彼を引き込んで行つた。わけても鬪犬の性質を持つた一疋は非常な力であつた。それらの樣子を、隣家の老細君は家のなかから見て居さうに、彼は思つた。實際はそんな時もあつた。運動不足で癇癪を起して居る犬どもは、繋がれながら、夕方になると、與へた飯を一口だけで見むきもせずに、ものに怯えて、淋しい長い聲で何かを訴へて吠え立てた。その聲が、雨のためにほの白く煙つた空間を傳うて、家の向側の丘の方へ傳つて行くと、その丘からはその聲が重苦しい山彥になつて吠え返して來る。犬はそれを自分たち自身の聲とは知らずに、再びより激しくそれへ吠え返した。それが再び山の方へひびき渡る。かうしていつまでも犬の遠吠えはやまない。犬をなだめてやらうとして、彼等の名を呼んでも、もうおびえきつて居る犬どもは、彼等の主人をさへ怖しがつて尻込みした。仕方なしにそのまま犬を吠えさせて置くと、そのけたたましいやるせない聲は、彼の心の底へ沁み込みそれを震動させて、ちやうど胸騷ぎする時の心臟のやうに彼の胸を壓しつけるのであつた。犬はかうした夕方每に一しきり物凄く長鳴きをした。或る時には犬のその聲を聞いて、例の隣の大盡の家からは「ほんとう[やぶちゃん注:ママ。]になんといふうるさい犬だらう」と、大きな聲で子供が吐鳴るやうなこともあつた。彼は例の老細君が、自分の娘にさう言はせて居るのだと氣がついて、この度し難い女に業を煮やした。猫の方は猫で、相變らず蛙を咥へて來て、のつそりと泥だらけの足で夕闇の座敷をうろついて居た。彼は時にはそれらの猫を强く蹴り飛した。連日の雨にしめつて燃えなくなつて居る薪の煙が、風の具合で、意地わるく每日座敷の方へばかり這入り込んで來て天井一面に重くのさばつた。

 晝間の犬のおとなしい時には、例の隣家の大盡の家では、卵を生んだ鷄が何羽も何羽も、人の癇をそそり盡さねば措かないやうな聲で、けけけけと一時間もそれ以上も鳴きつづけた。或る日、それらの一羽が、彼の家へ紛れ込んで來たが、犬どもの繫がれて居るのを見ると、したりげに後から後から群をなして彼の庭へ闖入した。さうして犬の食ひちらした飯粒を悠然と拾ひ初めた。犬は腹を立てて追ふ。鷄はちよつと身を引く。腹を立てた犬は吠え立てたけれども鷄の一群は別に愕かなかつた。その一群の闖入者を追ひ拂はうとして走り出した犬には、鎖が頸玉をしつかりとおさへて居た。あせればあせるだけ彼自身の喉が締めつけられるだけであつた。遂には彼等同士の二つの鎖が互の身動きも出來ない程に絡み合つて居たりする。さうしてそれを訴へて吠える。彼は雨のなかへ下りて行つて、どう縺れて居るか解らない鎖を直してやらうとする。犬どもは喜んで泥だらけの足を彼の胸のあたりへ押しつける。犬どもがぢつとして居ないために、鎖は更に複雜に縺れ合つて行く。苛立たしくもどうしても解けない。たうとう犬は悲鳴をあげる。一度追はれた鷄は、その間に再び平氣で緣側へさへ上つて來て、そこへ汚水のやうな糞をしたりした。手を擴げて追ふと、彼等はさも業業しく[やぶちゃん注:ママ。「仰仰しく」の佐藤がしばしば使う誤字。]叫び立てた。彼等はちやうど、あの意地わるの女主人に言附かつて、彼を揶揄するために來たかとさへ思はれた。その女主人は、墻根の向うからそれらの光景を見て居ながら、わざと氣のつかぬふりをして居る。彼の妻はそれを見ると、何かあてつけらしく鷄を罵りさうにするのを彼は制止した。彼はそんな事をしては惡いと思つて居るよりも、臆病と卑屈とから、それすらも出來ないのであつた。さうして内心は妻よりより以上に憤慨して居るのである。別の隣家の小汚い女の子が二人、別に嬰兒[やぶちゃん注:新潮文庫版では「あかご」とルビする。]まで負うて、雨で遊び場がないので、猫よりももつと汚い足と着物とで彼の家へ押込んで來た。背中の嬰兒が泣く。さうして三人ともそれぞれに何を見ても欲しがる。お桑といふ名の十三になるといふ一番上の兒は、もうすでに女特有の性質を發揮して、彼の妻を相手に、隣の大盡の家の惡口やら、いろいろの世間話を口やかましく聞かせて居た。それ等の兒は時時彼等が風呂を貰つて這入る家の子なので、その子を追ひ立てることは出來にくいと妻は言つた。その實、彼の妻はそんな子供をでも話相手に欲しかつたのである。それでも、さすが彼の妻もうるさいと思ふ時もあると見える。「もううちへお歸り」といふと、その子供は口口に「いやだあ、うちでは皆眠てゐるだ、戶たてて。まつ暗だもの。下のうちで遊んで來うと言つたべしと言ふのであつた。「下のうち」といふのは彼の家を指すのである。犬や猫ばかりでない、確にこの子供達が一層澤山に蚤を負うて來るに違ひない、と彼は考へた。彼はいらいらしながらも、よその人とさへ言へばこんな子供にまで小さくなつて、小言一つ言へない性質であつた。さうしてそんなことには無神經なほど無頓着な彼の妻が、その子供たちに雨降りのなかを、お豆腐を買つて來いの、お砂糖がなくなつたのと言つては、あまりしげしげ用事に使ふのを見ると、彼は反つてはらはらして、妻を叱り飛ばした。

 その子供達の家へ風呂を貰ひに行くと、七十位の盲目で耳の遠い老婆が、風呂釜の下を燃してくれながら、いろいろと東京の話を聞きたがつた。東京の話ではない江戶の話である。この老婆は「煙のやうな昔」(とそのツルゲニエフのやうな言葉をその老婆自身が言つた)娘のころに、江戶の某樣の御屋敷で御奉公したとかで、御維新の騷ぎで殿樣が甲府の町奉行になるところが駄目になつた話やら、その年は實に惡い年で山王樣の御祭が滿足に出來なかつたことやらを、とぎれとぎれに語り出して、さてまだ眼の見えた昔に見た江戶の質問を彼にするのであつた。維新で田舍へ歸つたと言ひながら、その維新とはどんなものであるかは知らないのであつた。「その時にはどんな世の中に變ることかと思つたのに、昔とちつとも代りはしない。こんなことなら、何もあんな大騷ぎすることもなかつたのに……」とそんなことを呟いた。さうして電車が通つて居たり、公園があつたりする東京といふものの槪念は何一つ持つて居なかつた。彼には答へる術もないその江戶の質問を、くどくどと尋ねるのであつた。さて彼が「江戶」の事は不案内だと氣がつくと、彼の女の娘時代のその家の全盛、今の主人である息子の馬鹿さ、身上も持てないくせにけちんばうで御近所へのつき合ひもろくに出來ないこと、それから思ひ出して子供が每度遊びに行つて御邪魔するといふやうなこと、あなたの商賣は何だといふ質問、實に實に平凡なことどもを長長と聞かせて、それに對してそれと同等に長長しい返答を要求するのであつた。それでなくてさへ口不調法な彼には、返事の仕方が解らなかつた。それにこの老婆は答へても何も聞えぬだらうほど耳が遠かつた。「俺にはそんな話は面白くないのだ! ひとのことなどはどうでもいいのだ!」彼はさう叫んでやりたくなつた。この老婆のくどい話は結局、何のことであるかは解らなかつたけれども、彼の氣持をじめじめさせるには、何しろ十分すぎた。しかもそれの相手になつてくれと懇願する表情(それは半ばは死んで居て、犬のそれの半分も豐かではない)をもつて、この老婆は五十六の時に全く失明したと、今のさつきも物語つたその兩眼で、彼を見上げた。見つめた。風呂釜の火が一しきりゆらゆらと燃え上つて、ふと、この腰の全く曲つて居る老婆を照すと、片手に長い薪を持つた老婆は、廣い農家の大きな物置場の暗闇の背景からくつきり浮き上つて、何か呪を呟く妖婆のやうにも見えた。

 その風呂場を脫れ出てくると、さすがに夜風がさわやかに、彼の湯上りの肌を撫でた。併し家へ歸つて見ると、彼の妻はホヤのすすけた吊りランプの影で、里の母からでも來たらしい手紙を讀んで居たが、彼には見せたくないらしく、遽にそれを長長と卷き納めると、不興極まる顏をして、その吐息を彼に吹きかけでもするかのやうに彼をまともに見上げて、淚で光らせた瞳で彼を見上げた。それは何か威嚇するやうにも見え、哀願するやうにも見えた。その手紙を、彼は讀まずとも知つてゐる。彼にはつまらぬ事であつて、彼の女達には重大な何事かであらう。彼の女等は互に彼の女等の苦しい困窮を訴へ合つて居るのであらう……彼の家には、もう一人泣きに來る女があつた。それはお絹といふ名の四十近い女であつた。彼等がこの家へ引越して來る時に、この家へ案内し、引越しの手傳ひをしたあの女である。その因緣で、その後、彼の家庭へ時時出入りするやうになつた女である。彼の女は身の上ばなしを初めてはよく泣いた。お絹はいろいろな生涯を經てこの村へ流れて來た女であつた。最初にたつた一度、もの珍らしさからついこの女の身の上咄に耳を傾けたのが原因で、お絹はその後いつもいつも一つの話を繰り返した。彼はしまひにはお絹の顏を見ると腹立たしくなつた。もつとも不思議なことには、彼はお絹の顏さへ見れば胃のあたりが鈍痛し初めるのであつた……。

 床の下では、犬が蚤にせめ立てられて、それを追ふために身を搖すぶると、その度にゆれる鎖の音が、がちやがちやと彼に聞えて來た。彼はお絹の身の上ばなしよりも、蚤に惱まされて居る犬の方に、より多くの同情を持つた。さうして彼は自分自身の背中にも、脇腹にも、襟にも、頭の毛のなかにも、蚤が無數にうごめき出すのを感じた……。

 せめては早く雨だけでも晴れてくれないものかと、彼は每日夕方になると空を見上げた。彼は何故か夕方に空を見上げた。さうして星でも出ては居ないかと、空を見まはした。星どころか、野面は白く煙つて、空はただ無限に重かつた。

 些細な單調な出來事のコンビネエシヨンや、パアミテエシヨンが、每日單調に繰り返された。それらがひと度彼の體や心の具合に結びつくと、それは悉く憂鬱な厭世的なものに化つた[やぶちゃん注:「かはつた」。]。雨は何時まででも降りやまない、それは今日でもう幾日になるか、五日であるか、十日であるか、二週間であるか、それとも一週間であるか、彼はそれを知らない。唯もうどの日も、どの日も、區別の無い、單調な、重苦しい、長長しい幾日かであつた。牢獄のなかで人はかういふ幾日かを送るであらうか? おお! 然うだ。日蔭になつて、五月になつても、八月の半頃になつても靑い葉一枚とてはなく、ただ莖ばかりが蔓草のやうに徒らによろめいて延びて居た、この家の井戶端のあの薔薇の木の生活だ。彼は再び薔薇のことを考へた。考へたばかりではない。あの日かげの薔薇の憂悶を今は生活そのものをもつて考へるのである、こんな日每の机の前に坐り込んだまま。

 薔薇といへば、その薔薇は、何時かあの淚ぐましい――事實、彼に淚を流させた畸形な花を一つ咲かせてから、日ましによい花を咲かせて、咲き誇らせて居たのに、花はまたこの頃の長い長い雨に、花片はことごとく紙片のやうによれよれになつて、濡れに濡れて碎けて居た。碎けて咲いた。

[やぶちゃん注:「佐藤春夫 未定稿『病める薔薇 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版)(その8)」と対照されたい。]

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