只野真葛 むかしばなし (58)
一、安富喜碩(やすとみきせき)と云(いふ)、外科、有し。父樣、同年くらいの人なり。殊の外、はなやかに新工夫の療治をせし人なり。ある金持、如何したりけん、人に、鼻を、そがれしが、
「若《もし》、付鼻(つけばな)成(なる)ものや。」
と云て來りしに、喜碩、出合(いであひ)、
「未だ試みぬ事ながら、一工夫、有(あり)。」
とて、受合(うけあひ)、
「其療治は、ちと、痛(いたけれ)ども、今一ペん、鼻を、そぎ直し、一度に、我、もゝをそぎて、互(たがひ)に肉の生(はえ)て有(ある)内(うち)に付(つく)れば、疑なく付べし。」
と云しとぞ。
「何の爲にする金(かね)ぞ。此(この)鼻付(つく)事ならば、をしからず。」
と云て、先(まづ)廿兩で、もゝをそぐ約束、よく付(つき)たらば、禮金十兩、跡[やぶちゃん注:ママ。「後」。]より送るはづ[やぶちゃん注:ママ。]にて、其日には、弟子共、多くよび集めて、あなたでは、鼻を、そり、こなたでは、もゝをそぐ。「チアンチアン」の手拍子を合圖に、一度に、そへて付(つけ)たりしが、能(よく)つきて、十兩の禮金、持參(もちまひり)、一禮のべて、顏を揚げたれば、なれぬ事といひ、あまり、いそがしさに、喜碩が、内もゝをそぐべきを、外もゝをそぎてつけし故、鼻の先へ、黑き毛、生(はえ)て有しとなり。【是は、父樣、人に御咄し被ㇾ遊しを、かげにて伺(うかがひ)し。後(のち)、よく伺へば、付(つけ)たる身(み)は、くさりおちて、廿兩にて、鼻を、一段、ひくゝせし、ばか者なり。[やぶちゃん注:これは底本には『原割註』とある。]】
[やぶちゃん注:「安富喜碩」検索したところ、サイト「日本医事史 抄」の「江戸時代Ⅰ」の中に、安永三(一七七四)年(真葛は満十一歳)に出版された「解体新書」の訳者の一人である中川淳庵の事績の記載の中に、『山形藩安富寄碩に蘭学を学んだ』とある人物と同じではないかとも思われる。]

