佐藤春夫 改作 田園の憂鬱 或は病める薔薇 正規表現版 (その2)
[やぶちゃん注:電子化意図や底本は初回の私の冒頭注を参照されたい。]
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「やつと、家らしくなつた」
昨日、門前で洗ひ淨めた障子を、彼の妻は不慣れな手つきで張つたのである。最後の一枚を張り了つた時、それを茶の間と中の間のあひだの敷居へ納めようとして立つて居る夫の後姿を見やりながら、妻は滿足に輝いてさう言つた。
「やつと家らしくなつた」彼の女は同じ事を重ねて言つた。「疊は直ぐかへに來るといふし……。でも、私はほんたうに厭だつたわ、をとつひ初めてこの家を見た時にはねえ。こんな家に人間が住めるかと思つて」
「でも、まさか狐狸の住家ではあるまい」
「でもまるで淺茅が宿よ。でなけや、こほろぎの家よ。あの時、疊の上一面にぴよんぴよん逃げまはつたこほろぎはまあどうでせう。恐しいほどでしたわ」
「淺茅が宿か、淺茅が宿はよかつたね。……おい、以後この家を雨月草舍と呼ばうぢやないか」
(彼等二人は――妻は夫の感化を受けて、上田秋成を讃美して居た。)
夫の愉快げな笑ひ顏を、久しぶりに見た妻はうれしかつた。
「そこで、今度は井戶換へですよ、これが大變ね。一年もまるで汲まないといふのですもの、水だつて大がい腐りますわねえ」
「腐るとも、每日汲み上げて居なければ、俺の頭のやうに腐る」
この言葉に、「又か」と思つた妻は、今までのはしやいだ調子を忘れておづおづと夫の顏を見上げた。しかし夫の今日の言葉はただ口のさきだけであつたと見えて、その骨ばつた顏にはもとのままの笑があつた。それほど彼は機嫌がよかつたのである。それを見て安心した妻は甘えるやうに言ひ足した。
「それに、庭を何とかして下さらなけやあ。こんな陰氣なのはいや!」
疲れて壁にもたれかかつた妻の膝には、彼と彼の女との愛猫が、しなやかにしのび寄つてのつそりと上つて居るところであつた。
「靑(猫の名)や。お前は暑苦しいねえ」
と言ひながらも、妻はその猫を抱き上げて居るのである。彼の家庭には犬が居る。猫が居る。一たん愛するとなると、程度を忘れて溺愛せずには居られない彼の性質が、やがて彼等の家庭の習慣になつて、彼も彼の妻も人に物言ふやうに、犬と猫とに言ひかけるのが常であつた……。
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彼等夫婦がこの家に住むやうになつた日から、遡つて數年の前である――
この村で一番と言はれて居る豪家N家の老主人は、年をとつて、ひどく人生の寂莫を感じ出した。普通人にとつてかういふ時に最も必要なものは、老いと若きとを問はず異性であつた。さうして、この老人は、都會から一人の若い女を連れて來た。この豪家は、この風流人の代にその田の半分を無くしたのだけれども、流石に老人の考へは金持らしいものであつた――ただ美しいだけで、何の能もないやうな女はつれて來なかつた。少し位は醜くとも、年さへ若ければ我慢するとして、村の爲めにもなり、それよりも自分の經濟の爲めにもなるやうな女を擇んだのであつた。一口に言へば、彼は、今までは村に無くて不自由をして居た產婆を副業にする妾を蓄へたのだ。それから自分の家の離れ座敷をとり外して、彼の屋敷からはすぐ下に當るところへ、それを建て直した。冬には朝から夕方まで日が當るやうな方角を考へて、四間の長さをつづく緣があつた。玄關の三疊を拔けて、六疊の茶の間には爐を切らせた。黑柿の床柱と、座敷の欄間に嵌込んだ麻の葉つなぎの棧のある障子の細工の細さは、村人の目をそば立たせた。さすがはうちの山から一本擇りに擇つて[やぶちゃん注:「えりにえつて」。]伐り出した柱だ、目ざはりな節一つない、と大工はその中古の柱を愛撫しながら自分のもののやうに褒めた。さうして農家の神神しいほど廣い土間のある、太い棟や梁の眞黑く煤けた臺所とは變つて、その家には、板をしきつめた臺所に、白足袋を穿いて、ぞろぞろ衣服の裾を引摺つた女が、そこで立働くやうになつた。老人は、その家督を四十幾つかになつた自分の長男に讓つた。さてこの老人は幸福であつた。村の人人は、自分の年の半分にも足らぬ若さの茶呑友達を得た隱居に就てかげ口を利いた。併し、そんな事位は隱居の幸福を傷けはしなかつた。
けれども、併しすべての平和と幸福とは、短い人生の中にあつて最も短い。それはちやうど、秋の日の障子の日向の上にふと影を落す鳥かげのやうである。つと來てはつと消え去る。さうして鳥かげを見た刹那に不思議なさびしさが湧く。老人のこれ等の平和の日も束の間であつた。
若い妾は、程なく、都會から一人の若い男を誘うて來た。村の人人は、この若い男を「番頭さん」「お產婆の番頭さん」と呼んだ。村の人人は產婆には、果して「番頭さん」が入用なものかどうかを知らなかつた。さうしてこの隱居は、自分の若い妾が、自分には無斷で、若い「番頭さん」を雇入れた事に就て不滿であつた。非常に不滿であつた。第一にこの若い男女の生活は田舍の人人の目には贅澤すぎた。隱居の豫算と少し違ひすぎた。隱居は彼等がもつとつつましやかであり得る筈だと考へ初めた。その事を彼の妾に度度言ひつけた。初めは遠まはしに遠慮勝ちに、併しだんだん思ひ切つて言ふやうになつた。或る夜には夜中言ひ募ることがあつた。「番頭さん」は多分これ等の對話を壁一重に聞いただらう。或るそんな夜の後の日に――彼の女が初めて村へ來てから一年ばかりの後、若い「番頭さん」を若い妾が「雇入れ」てから半年ほどの後、或る夕方、彼等二人の男女の姿は、突然この村から消えた。夕方に村の方から歸つて來た馬方は、山路の夕闇のなかで、くつきりと浮上つて白い丸い頰が目についたので、よく見ると「Nさんの產婆」[やぶちゃん注:新潮版に従うと、「お產婆」。]だつた、とその次の朝村の人人に告げた。併し、これは多分、この男が實際にこれを見たわけではなく、彼等が居なくなつたと聞いた時に、思ひついた噓であつたかも知れない。でなければ彼は歸つて來ると直ぐその事を、珍らしげに、手柄顏に言ふべき筈だからである。人はこんな時に、ちよつとこんな事を言つて見たいやうな一種の藝術的本能を、誰しも多少持つて居るものである。――それはどうでもいいとして、この話は、話題に饑ゑて居る田舍の人人を喜ばせた、當分の間、さうして二十八の女には、七十に近いあの隱居よりは、二十四五の若者の方が、よく釣合ふべき筈だつたといふのが、村の輿論であつた。
痛ましいのは、若い妾に逃げられたこの隱居が、その後、植木の道樂に沒頭し出した事である。
彼は花の咲く木を庭へ集め出した。今日はあの木をこちらに植ゑ變へ、昨日は別の庭からこの木を自分の庭にうつした。さうして明日は何かよい木を搜し出さねばと、每日每日、土いぢりに寧日がなかつた。春には牡丹があつた。夏には朝顏があつた。秋には菊があつた。冬には水仙があつた。さうして、彼の逃げて仕舞つた妾の代りに、二人の十と七つとの孫娘を、自分の左右に眠らせた床のなかで、この花つくりの翁は眠り難かつた。彼は月竝の俳諧に耽り出した。
隱居は死んだ、それから丁度一年經つた後に。彼は、かうして集めた花の木のそれぞれの花を僅かばかり樂しんだばかりであつた。さうしてその家は、彼の末の娘と共に村の小學校長のものになつた。村の校長はこの隱居の養子だつたからである。すると拔目のない植木屋があつて、算術の四則には長けて居り、それを實の算盤に應用することにも巧ではあつたけれども、美に就ては如何なる種類のそれにも一向無頓着な、當主の小學校長をたぶらかして、目ぼしい庭の飾りは皆引拔いて行つた。大木の白木蓮、玉椿、槇、海棠、黑竹[やぶちゃん注:「くろちく」。]、枝垂れ櫻、大きな花柘榴、梅、夾竹桃、いろいろな種類の蘭の鉢。さうしてそれ等の不幸な木はかくも忙しくその居所を變へなければならなかつた。土に慣れ親しむ暇もなかつた。かうしてそれ等のうちの或るものは、爲めに枯れたかも知れない。
小學校長は、ちやうど新築の出來上つた校舍の一部へ住んだ。自分の貰つたこの家は空家にして置いた。さうして居るうちにこの家を借り手があれば貸したいと考へ出した。住む人が無ければ、家は荒廢するばかりである。たとひ二圓でも一圓五十錢でも、家賃をとつて損になることはない、と校長先生の考は極く明瞭である。ところが、田舍では大抵の人は自分自身の家を持つて居る。たとひ軒端がくづれて、朽ち腐つた藁屋根にむつくりと靑苔が生えて居るやうな破家[やぶちゃん注:「あばらや」。]なりとも、親から子に傳へ子から孫に傳へる自分の家を持つて居た。どんな立派な家にしろ、借家をして住まねばならないやうな百姓は、最後の最後に自分の屋敷を抵當流れにしてしまつた最も貧しい人人に決つて居た。かくて、あの隱居が愛する女のために、又自分の老後の樂しみにと建てたこの家は實に貧しい貧しい百姓の家に化してしまつたのである。隱居が茶の間の茶釜をかけた爐には、大きないぶり勝ちな松薪が、めちやめちやに投込まれて、その煙は田舍家には無駄な天井に邪魔されて、家から外へ拔けて行く路もなかつた。さうして部屋を形造つた壁、障子、天井、疊は直ぐに煤びて來た。氣の毒な百姓の一家は立籠つた煙などを苦にしては居られない。反つてそれから來る溫さに感謝して、秋の、冬の長い夜な夜なを、繩を綯うたり、草鞋を編んだりして、夜を更かさねばならなかつた。家賃は四月目五月目位から滯り出した。疊はすり切れた。柱へはいろいろな場合のいろいろな痕跡がいろいろの形に刻みつけられた。「せめては下肥(しもごえ)位はたまるだらう」と校長先生が考へたにも拘はらず、校長先生の作男が下肥を汲みに行く朝は、其處は何時もからつぽだつた。何となれば家の借り手の貧しい百姓が、自分の借りて居る畑へそれを運んでしまつた後であつたから。校長先生はひどくこの借家人を惡く思ひ初めた。會ふほどの人には誰彼となく、貧乏な百姓の狡猾を罵り、訴へた。さうして「どうせ貧乏する位の奴は、義理も何も心得ぬ狡猾漢だ」といふ結論を與へ去つた。外の村人は、直ぐ校長先生の意見に賛同の意を示した。そこで校長先生は自分の論理が眞理として確立されたのを感じ出した。次には、こんな男に家を貸して置くよりも、寧ろ荒れるにまかせて置いた方がどれほどよいか解らないと思ひ出した。何故かといふに、この男に家を貸すことは、積極的に荒廢させることである。反つて、空家として打捨てて置くことはその消極的な方法である。さうしてこの借家人は逐ひ立てられた。村の人人は校長先生の態度は合理的だと考へた。
これらの間――あの隱居が亡くなつてから後は、その庭の草や木のことを考へるやうな人は、ひとりもなかつた。家と庭とは荒れに荒れた。ただ一人、あの貧乏な百姓の小娘が、隱居が在世の折に植ゑられたままで、今は草の間に野生のやうになつて、年年に葉が哀れになり、莖がくねつて行く菊畑の黃菊白菊の小さな花を、秋の朝每に見出しては、ちぢくれた髮のかんざしにと折りとつた………
………彼は緣側に立つて、庭をながめながら、あの案内者であつた太つちよの女が、道道語りつづけた話のうちに、彼一流の空想を雜へて、ぼんやり考へるともなく考へ、思ふともなくそんなことを思うて居た。
「フラテ、フラテ」裏の緣側の方では、彼の妻の聲がして、犬を呼んで居る。「おおよしよし、レオも來たのかい。おお可愛いね。何も上げるのぢやなかつたのだよ。フラテや、お前はね、今のやうにあんな草ばかりのところで遊ぶのぢやありませんよ。蝮が居ますよ。そらこの間のやうに、鼻の頭を咬まれて、喉が腫れ上つてお寺の和尙さんのやうにこんな大きな顏になつて來ると、ほんとうに心配ぢやないか。いいかい。フラテはもうこの間で懲りたから解つたわね。レオや、お前は氣をおつけよ。お前の方はおとなしいから大丈夫だね……」彼の妻は牧歌を歌ふ娘のやうな聲と心持とで、自分の養子である二疋の犬に物云うて居る。さうして涼しい竹藪の風は、そこから彼の立つて居る方へ拔けて通りすぎた。
[やぶちゃん注:「佐藤春夫 未定稿『病める薔薇 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版)(その2)」と比較されたい。]
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