佐藤春夫 改作 田園の憂鬱 或は病める薔薇 正規表現版 (その15)
[やぶちゃん注:電子化意図や底本は初回の私の冒頭注を参照されたい。ここで、佐藤は未定稿の順を変えて、「佐藤春夫 未定稿『病める薔薇 或は「田園の憂鬱」』(天佑社初版版)(その13)」をここに挿入している。]
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彼は眠ることが出來なくなつた。
最初には、時計の音がやかましく耳についた。彼は枕時計も柱時計も、二つともとめてしまつた。全く、彼等の今の生活には、時計は何の用もないただやかましいだけのものにしか過ぎなかつた。それでも彼の妻は、每朝起きると、いい加減な時間にして時計の振子を動かした。彼の女は、せめて家のなかに時計の音ぐらゐでもして居なければ、心もとない、あまり淋しいといふのであつた。それには彼も全く同感である。何かの都合で、隣家の聲も、犬の聲も、鷄の聲も、風の音も、妻の聲も、彼自身の聲も、その外の何物の聲も、音も、ぴつたりと止まつて居る瞬間を、彼は屢經驗して居た。その一瞬間は、彼にとつては非常に寂しく、切なく、寧ろ怖ろしいものであつた。そんな時には、何かが聲か音かをたててくれればいいがと思つて、待遠しい心持になつた。それでも何の物音もないやうな時には、彼は妻にむかつて無意味に、何ごとでも話しかけた。でなければ、
「うん、さうだ」
と、こんな意味のないひとりごとを言つたりした。
けれども夜の時計の音は、あまり喧しく耳について、どうしても寢つかれなかつた。それの一刻の音每にそそられて、彼の心持は一段一段とせり上つて昂奮して來た。それ故、彼は寢牀に入る時には、必ず時計の針をとめることにした。さうして每朝、妻は、夫のとめた時計を動かす。夫は、妻の動かした時計をとめる。時計を動かすことと、止めることと、それが每朝每夜の彼等各の日課になつた。
時計の音をとめると、今度は庭の前を流れる渠のせせらぎが、彼には氣になり初めた。さうして今度はそれが彼の就眠を妨げるやうに感じられた。每日の雨で水の音は、平常よりは幾分激しかつたであらう。或る日、彼はその渠のなかを覗いて見た。其處には幾日か以前に――彼がこの家へ轉居して來たてに、この家の廢園の手入れをした時に、渠の土手にある猫楊から剪り落したその太い枝が、今でも、その渠のなかに流れ去らずに沈んで居て、それが笧(しがらみ)のやうに、水上からの木の葉やら新聞のきれのやうなものなどを堰きとめて、水はその笧を跳り越すために、湧上り湧上りして騷いで居た。あの騷騷しい夜每の水の音は、成程この爲めであつた。ひとりでさう合點して、彼は雨に濡れながら渠のなかに這入つて、その枝を水の底から引き出した。澤山の小枝のあるその太い枝の上には、ぬるぬるとした靑い水草が一面に絡んで上つて來た。彼はそれを一先づ路傍へひろひ上げた。さてもう一度、水のなかを覗くと、今まで猫楊の枝の笧にからんで居た木の葉やら、紙片やら、藁くづやら、女の髮の毛やらの流れて行く間に雜つて、其處から五六間の川下を浮きつ沈みつして流れて行く長いものが、ふと目にとまつた。
見れば、それはこの間の晚、醉つぱらひと口爭ひをしたあの晚、犬を打つてから水のなかへたたきつけたあの銀の握のある杖であつた。
彼は不思議な緣で、再びそれが自分の手もとにかへつたことを非常に喜んだ。何といふことなく恥しく、馬鹿ばかしくつて、それを無くしたことを妻にも隱して居たのに、つい浮つかり話してしまつたほどであつた。さうして彼は考へた――あの騷騷しい水音は、きつと、この杖のさせた聲であらう。杖はさうすることに依つて、それを搜し求めて居る彼に、杖自身の在處を告げたのであらうと。
彼はその杖を片手に持つて、とどこほりなくひた押しに流れて行く水の面をぢつと見た。これならば、今夜はもう靜かだ、安心だと思つた。併しそれは間違ひであつた。その夜も、前夜よりは騷がしいかと言つても、決して靜かではないせせらぎの音が、それはもともと極く微かなものであるのに、彼にはひどく耳ざはりで、それが彼の睡眠を妨げたことは、前夜と同じことであつた。
けれども、そのせせらぎの音は、もうそれ以上どうすることも出來なかつた。
その外に、もう一つ別に、彼の耳を訪れる音があつた。それは可なり夜が更けてから聞える、南の丘の向側を走る終列車の音であつた。而も、それはよほどの夜中なので――時計は動いて居ないから時間は明確には解らないけれども、事實の十時六分? にT驛を發して、直ぐ、彼の家の向側を、一里ほど遠くに、丘越しに通り過ぎる筈の終列車にしてはそれは時間があまり晚[やぶちゃん注:「おそ」。]すぎた。そればかりかそれは一夜中に一度ではなく、最初にそれほどの夜更けに聞いてから、また一時間ばかり經過するうちに、又汽車の走る音がする。どうしてもそれは事實上の列車の時間とは、すべて違つて居る……たとひ、それが眞黑な貨物列車であつても、こんな田舍鐵道が、こんな夜更けに、それほど度度貨物列車を出す筈はない。さうして、それほどはつきりと聞かれる汽車の音を、彼の妻は決して聞えないと言ふ。その汽車の遠いとどろきがひびいて來る時には、その汽車のなかには、こんな田舍へ、彼を、思ひがけなくも訪ねて來る友人があつて、その汽車のなかに乘つてゐるやうな氣がしてならない。さうして實際にさう言ふことがあるとしたならば、それは誰であらう。Oであらうか? ……Eであらうか?……Tであらうか?……Aであらうか?……Kであらうか?……彼は、思ひ出せるだけの友人を思ひ出して見た。けれども誰もそんな人はありさうも無かつた。併し、人が――誰か知つて居る人が、ひとり車窓に倚りかかつて居る樣子が、彼には實にはつきり想像された。さうして妙なことは、それがふと彼自身に思へるやうな晚もあつた――そんな形でそこに腰かけて居る人は、さうしてそれが彼の耽奇的な空想に、怖ろしい、併し魅惑のあるポオの小話の發端を與へた。
時計のセコンドの音。渠のせせらぎ、汽車の進行するひびき。そんな順序で、遂に彼はその外のいろいろな物音を夜每に聞くやうになつた。その重なるものの一つは、彼が都會で夜更けによく聞いた、電車がカアブする時に發する、遠くの甲高な軋る音である。それが時時、劇しく耳の底を襲うた。或る夜には、うとうと眠つて居て、ふと目が覺めると、直き一町ほどのかみにある村の小學校から、朗らかなオルガンの音が聞え出して來た。もう朝も遲くなつて、唱歌の授業でも始つて居るのかと、あたりを見ると、妻は未だ睡入つて居る。戶の𨻶間からも朝の光は洩れて居ない。何の物音も無い……そのオルガンの音の外には。深夜である。睡呆けて居るのではないかと疑ひながら一層に耳を確めた。オルガンの音は、正にそれの特有の音色をもつて、爽やかに、甘く、物哀れに、ちやうど晚春の夕方のやうな情調をもつて、よく聞きなれた何かの行進曲を、風のまにまに漂はせて來るではないか。彼は恍惚としてその樂の音に聞き惚れて居た。或る夜にはまた、活動寫眞館でよく聞く樂隊の或る節が……これもやはり何かの行進曲であるが……何處からともなく洩れ聞えて來た。それ等の樂の音を感ずるやうになつてからは、水のせせらぎは、一向彼の耳につかなくなつた。さうして彼はもう眠らうといふ努力をしない代りに、眠れないといふことも、それほどに苦しくはなかつた。それ等のもの音は、電車のカアブする奴だけは別として、その外のは皆、快活な朗らかな、或は幽遠な、それぞれの快感を伴うて居た。彼はそれらの現象を訝しく感ずるよりも前に、それを聽き入ることが、寧ろ言ひ知れない心地よさであつた。就中、オルガンの音が最もよかつた。次には樂隊のひびきであつた。それから寒詣りの人が敲くやうな鐘の微かな音が續いたこともあつた。オルガンの音は二三度しか聽かれなかつたけれども、樂隊は殆んど每夜缺かさずに洩れ聞えた。彼はそれを聞き入りながら、ついそれの口眞似を口のなかでして、その上、臥てゐる自分の體を少し浮き上がらせる心持にして、體全體で拍子をとつてゐた。それは一種性慾的とも言へるやうな、卽ち官能の上の同時に精神的ででもある快樂の一つであるかのやうであつた。若しそれが修道院のなかで起つたのであつたならば、人人はそれを法悅と呼んだかも知れない。
幻聽は、幻影をも連れて來た。或は幻聽の前觸れが無しにひとりでも來た。
それの一つは極く微細な、併し極く明瞭な市街である。それの一部分である。ミニアチユアの大きさと細かさとで、仰臥して居る彼の目の前へ、ちやうど鼻の上あたりへ、そのミニアチユア[やぶちゃん注:新潮文庫版ではここに「の」が入っている。]街が築かれて、ありありと浮び出るのであつた。それは現實には無いやうな立派な街なので。けれども、彼はそれを未だ見たことはないけれども、東京の何處かにこれと全く同じ場所がきつとありさうに想像され、信じられた。それは灯のある夜景であつた。五層樓位の洋館の高さが、僅に五分とは無いであらう。それで居て、その家にも、それよりももつと小さい――それの半分も三分の一の高さもない小さな家にも、皆それぞれに、入口も、灯のきらびやかに洩れて來る窓もあつた。家は大抵眞白であつた。その窓掛けの靑い色までが、人間の物尺にはもとより、普通の人の想像そのもののなかにもちよつとはありさうもないほどの細かさで、而も實に明確に、彼の目の前に建て列ねられた。いやいや、未だそればかりではない。それらの家屋の塔の上の避雷針の傍に星が一つ、唯一つ、きつぱりと黑天鵞絨のなかの銀絲の點のやうに、鮮かに煌いて居る……不思議なことには、立派な街の夜でありながら、どんな種類にもせよ車は勿論、人通り一人もない……柳であらう街樹の並木がある……。しんとした、その癖何處にとも言へない騷がしさを湛へて居ることは、その明るい窓から感じられる……その家はどういふ理由からか、彼には支那料理の店だと直覺が出來る……それをよくよく凝視して居ると、その街全體が、一旦だんだんと彼の鼻の上から遠ざかつて、いやが上に微小になり、もう消えると見るうちに、非常な急速度で景色は擴大され、前のとその儘の街が、非常な大きさに、殆んど自然大に、それでもまだやまずに、とめどなく巨大に、まるで大世界一面になつて……それをぼんやり見て居ると、その街はまた靜かに縮小して、もとのミニアチユアの街になつて、それとともに再び彼の鼻の上のもとの座に歸つて來た。彼はかうして數分間か、それとも數秒間に、メルヘンにある小人國から巨人國へ、それから再び、巨人國から小人國へ、ただ一翔りで往復して居る心地がした。その市街が巨人國のものになつた時に、彼自身の眼と眼との間の幅も一度に廣くなつて――ちやうど巨人のもののやうになつて、その爲めに眼界も一度に擴大されるやうな氣のすることもある。何かの拍子に、その幻の街が自然大位の巨大さで、ぱつたり動かなくなる時がある。彼は、突然、實際そんな街へでも自分は來て居るのではなからうかと、慌てて手さぐりでマッチを擦つて、闇のなかで自分のすすけた家の天井を見わたした事があつた。
それらの風景は、屢彼の目に現はれた。それの現はれる都度、それは前度のものとは決して寸毫も變つたところがなかつた。それもこの現象に伴ふところの一つの不思議であつた。
或る時には、稀に、その風景の代りに自分自身の頭であることがあつた。自分の頭が豆粒ほどに感じられる……見る見るうちに擴大される……家一杯に……地球ほどに……無限大に……どうしてそんな大きな頭がこの宇宙のなかに這入りきるのであらう。と、やがてまたそれが非常な急速度で、豆粒ほどに縮小される。彼はあまりの心配に、思はず自分の手で自分の頭を撫で𢌞して見る。さうしてやつと安心する。滑稽に感じて笑ひ度くなる。その刹那(せつな)に Key-y-y-y と電車のカアブする音が、眉の間を刺し徹す。
これら幻視や、幻感は、併し、幻聽とはさほど必然的な密接な關係をもつて現はれるものでは無いらしかつた。一體に幻聽の方は、彼にとつて愉快であつたに拘はらず、こんな風に無限大から無限小へ、一足飛びに伸縮する幻影は、彼にさへ不氣味で、また惱ましかつた。
これらの怪異な病的現象は、每夜一層はげしくなつて行くのを彼は感じた。彼はそれ等の現象を、彼の妻から傳はつて來るものだと考へ始めた。汽車のひびき。電車の軋る音。活動寫眞の囃子。見知らぬ併し東京の何處かである街。それ等の幻影は、すべて彼の妻の都會に對する思ひつめたノスタルヂアが、恐らく彼の女の無意識のうちに、或る妖術的な作用をもつて、眠れない彼の眼や耳に形となり聲となつて現はれるのではなからうか、彼はさう假想して見た。それは最初には、ほんの假想であつた。けれども、何時とはなく、これが彼には眞實のやうに感ぜられ出して來た。それだから、妻の何時も居る臺所の方には東京のことの空想が一ぱい充滿して居て、いつかの夕方ひとりで飯を炊いた時に、ふとあんな事が思ひ出されたのだ。と、彼はそんなことをも考へた。彼自身の如く、殆んど無いと言つてもいい程に意志の力の衰へて居る者の上に、意志の力のより强い他の人間の、或はこの空間に犇き合つて居るといふ不可見世界のスピリツト達の意志が、自分自身のもの以上に、力强く働きかけるといふことはあり得べき事として、彼はそれを認めざるを得ないやうに思つた。生命といふものは、周圍にあるすべてのものを刻刻に征服し、それを食つて、それのなかの力を自分のなかに吸引して、而もそれを十分に統一して行く或る力である。肉體的には明らかにさうである。靈的にだつて、精神的にだつてさうに違ひない。さうして今や、他のものを吸集し統一する作用を持つた神祕な力は彼からだんだんと衰へて行きつつあつた。寧ろ彼は今まで持つて居る己自身を刻刻に發散してゐるのみであつた。
彼が、闇といふものは何か𨻶間なく犇き合ふものの集りだ、それには重量があると氣附いたのもこの時である。
こんな風にして、彼の喜怒哀樂や恐怖は、現世界に生存して居る他の人人のそれとは、全く共通しがたい何物かになつて行つた。孤獨と無爲とこの兄弟は、實に奇異な力を持つて居るものである。――若し自分が今、修道院に居るとしたならば? と、彼は或る時さう考へた。……若し、彼が彼の妻と一緖にこんな生活をしてゐるのでなく、永貞童女である美しいマリヤの畫像を每日禮拜してながら、この日頃のやうな心身の狀態に居たならば、夜の幻影は、それは多分天國のもの、その不快なものは地獄のものであつたらう。さうして畫像のなかのけ高い優しい脣は生きて彼にものを言ひかけたであらう。さうして惱ましいもののすべては、畫家スピネロオ・スヒネリイが描いたといふ惡魔の醜さ厭はしさ怖ろしさをもつて彼に現はれ、彼の目の前に出沒して、彼を苦しめたであらう。又、あの一時の睡眠をも持たない夜が、戶の𨻶間からほのかに明け渡つた時に、ふと小鳥のしば鳴きを聞くあの淋しい、切ない、併しすがすがしい淚を誘はうとするやうな心持は、確かに懺悔心になつたであらう。修道院といふ處では、それの生活の樣式も思想の暗示も、すべてがそんな風な幻影を呼び起すやうに、呼び起し易いやうに。呼び起さねばならないやうにと、それらの色色の仕掛けで出來て居たのだから……。
彼はそんな事をも考へた。併し、その考へは、この當座よりももつと後になつて纏つた。
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