柳田國男「妖怪談義」(全)正規表現版 狐の難產と產婆
[やぶちゃん注:永く柳田國男のもので、正規表現で電子化注をしたかった一つであった「妖怪談義」(「妖怪談義」正篇を含め、その後に「かはたれ時」から「妖怪名彙」まで全三十篇の妖怪関連論考が続く)を、初出原本(昭和三一(一九五六)年十二月修道社刊)ではないが、「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」で「定本 柳田國男集 第四卷」(昭和三八(一九六三)筑摩書房刊)によって、正字正仮名を視認出来ることが判ったので、これで電子化注を開始する。本篇はここ。但し、加工データとして「私設万葉文庫」にある「定本柳田國男集 第四卷」の新装版(筑摩書房一九六八年九月発行・一九七〇年一月発行の四刷)で電子化されているものを使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問な箇所は所持する「ちくま文庫版」の「柳田國男全集6」所収のものを参考にする。
注はオリジナルを心得、最低限、必要と思われるものをストイックに附す。底本はルビが非常に少ないが、若い読者を想定して、底本のルビは( )で、私が読みが特異或いは難読と判断した箇所には歴史的仮名遣で推定で《 》で挿入することとする。踊り字「〱」「〲」は生理的に嫌いなので、正字化した。
なお、本篇は底本巻末の「内容細目」によれば、昭和三(一九二八)年九月発行の『民族』初出である。]
狐の難產と產婆
古い話が新しい衣裳を着て、今でもまだその邊をあるいて居る。これはそのたつた二つの例である。
一つは五六年前といふ。筑後渡瀨《わたせ》驛に開業する產婆、深夜に見知らぬ家に招かれて車で行つた。使の者は三十前後の商人體《てい》で、非常な早口の男であつたといふ。鷄鳴の頃にやつと產があり絹布の夜具にねかされてとろとろとしたと思ふと、江の浦街道の路傍の藁の中に寢て居た。但し枕元には紙に包んで、新しい本物の五圓札があつた。
今一つは三十年前の因幡鳥取市での話。市中で有名な產婆が、これは駕籠で迎へられて一里ばかり郊外の立派な家に往つた。非常な難產であつたが漸くすみ、山を下り野を行くやうな感じをして、又送られて駕籠で還つて來た。翌朝緣の外に見事な雉子が二羽、その次の朝は鳩とか鶉とか、鳥ばかりの贈物が一月近くも每朝續いた。產婦の家もどう考へて見てもありさうに思はれなかつた。狐の家に相違ないといふ評判であつた。
こんなタワイも無い話は幾ら集めても仕方が無いやうなものだが、土地と話手のかはるに伴なうて、少しづゝの變化はある。それを重ねて見て注意すれば、末には必ずどうして始まつたかゞ知れる筈である。場所と人名などの判明したものを、出來るだけ多く集めて置きたいと思ふ。
[やぶちゃん注:「筑後渡瀨驛」現在の福岡県みやま市高田町濃施にある鹿児島本線の渡瀬駅附近(グーグル・マップ・データ)。]
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