大手拓次譯詩集「異國の香」 STANCES(ジャン・モレアス)
[やぶちゃん注:本訳詩集は、大手拓次の没後七年の昭和一六(一九三一)年三月、親友で版画家であった逸見享の編纂により龍星閣から限定版(六百冊)として刊行されたものである。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」のこちらのものを視認して電子化する。本文は原本に忠実に起こす。例えば、本書では一行フレーズの途中に句読点が打たれた場合、その後にほぼ一字分の空けがあるが、再現した。「🦋」は底本では、もっと白抜きのシンプルなものである。同じものがないので、ワードで使用可能なこれに代えた。]
STANCES モレアス
わたしの愛してゐる薔薇は日每に葉がおちる
季節がきても、 あたらしいとび色の芽は見えない
そよ風はいつまでもいつまでもふいてゐたのだけれど。
これはね、 あの流れをさへもこほらせる
無慈悲な北風のしわざだよ。
よろこびよ、なぜお前はさうこゑをおほきくしたいのか
また憂鬱にひたつてゐる絃(いと)を
わたしの指のしたにさそうて、 わけもなくお前がくるときに
それはたいへんないたづらだといふことを、 おまへはちつとも知らないのか
🦋
墓場のわきをゆくやうにかなしみながら
谷のうつろのなかをとほつていつたとき
おちてくる木の葉のために黃金色(こがねいろ)にかざられた
あのいたましい北風よ
北風はなにを話しかけたのか
美しい果物や花をゆすぶつてゐる小枝に
十一月の太陽に、 おそ咲きのあけぼのに
わたしのたましひに、 わたしのこころに。
🦋
わたしはあらしの風とともに野原のなかをあるいた
あをじろい朝にひくい雲のしたに。
いううつの鴉はわたしの旅をみおくり
らひさな水たまりのなかには、 わたしの足おとがひびけた。
むかうのはてに電(いなづま)はそのほのほをはしらせ
さうして北風はそのながい嘆息をつのらせた
けれどもあらしは、 わたしの魂にはあんまりよわすぎた
たましひはその鼓動をもつて雷鳴(かみなり)を消してしまふから。
秦皮(とねりこ)の黃金色(こがねいろ)の剝皮(むけかは)と楓とで
秋はそのかがやく獲物をつくつた
鴉はつねにむじやうなる翔(かけ)りをつづけて
わたしの運命にかげをなげながらわたしのあとについてきた。
[やぶちゃん注:ジャン・モレアス(Jean Moréas 一八五六年~一九一〇年)はギリシャのアテネ生まれの象徴主義の詩人。当該ウィキによれば、『今日よく知られているのは通称であり、本名はヨアニス・A・パパディアマンドープロス』『という。フランス語で作品を書き、パリ』『を活動の拠点とした。サン=マンデ(フランスのイル=ド=フランス地域圏に当たるヴァル・ド・マルヌ県)で』亡くなったとあり、一八八六年九月十八日附の日刊新聞『フィガロ』(Le Figaro)に「象徴主義宣言」(Le Symbolisme)を『掲載し、実質的に象徴主義を定義・提唱した人物である』ともあった。フランス語の彼のウィキの方が遙かに詳しい。
「ひびけた」はママ。「響けた」で「響きた」「響いた」。
以上の詩は、ワン・セットのものではなく、モレアスが一八九九年から一九〇五年に一度、纏められて刊行された詩集「スタンース」(Stances:フランス語で「同型の詩節から成る悲劇的叙情詩」を指す)の中から恣意的に大手拓次が選んだものと思われる。原詩集はフランス語の「Wikisource」にあるが、私の乏しいフランス語力では、各詩篇を具体的に同定して指摘する力はないので、原詩は示せない(少し試みたが、百%これだと断定出来る詩句を見出せないように感じたので、やめた)。ただ、この詩集、フランス語の彼のウィキでは、一八九九年から一九〇一年に書かれ、死後の一九二〇年に完全版が出ている。しかも、所持する原子朗氏の一九七八年牧神社刊の「定本 大手拓次研究」に載る大手拓次が所蔵していた「フランス語蔵書目録」では、二四三ページに『Jean MORÉAS:L‘Stances(Mercure de France,1920)』とあるので、その最終版でないと原詩は載っていない可能性も高いようにも思われる。悪しからず。
なお、原子朗氏の岩波文庫「大手拓次詩集」(一九九一年刊)では、読点・改行違い・行空け・読み(ルビ)等の表記が異なる箇所が有意にあるので、以上の正字化の本文を用いつつ、そちらの異同を含むそれを以下に示しておく。読点の後の字空けはナシにした。蝶々マークはないので、そちらの「*」に代えた。
*
STANCES モレアス
わたしの愛してゐる薔薇は日每に葉がおちる、
季節がきても、あたらしいとび色の芽は見えない、
そよ風はいつまでもいつまでもふいてゐたのだけれど。
これはね、あの流れをさへもこほらせる無慈悲な北風のしわざだよ。
よろこびよ、なぜお前はさうこゑをおほきくしたいのか、
また憂鬱にひたつてゐる絃(いと)を
わたしの指のしたにさそうて、わけもなくお前がくるときに、
それはたいへんないたづらだといふことを、おまへはちつとも知らないのか。
*
墓場のわきをゆくやうにかなしみながら
谷のうつろのなかをとほつていつたとき
おちてくる木の葉のために黃金色(こがねいろ)にかざられた
あのいたましい北風よ
北風はなにを話しかけたのか
美しい果物や花をゆすぶつてゐる小枝に
十一月の太陽に、おそ咲きのあけぼのに
わたしのたましひに、わたしのこころに。
*
わたしはあらしの風とともに野原のなかをあるいた
あをじろい朝にひくい雲のしたに。
いううつの鴉(からす)はわたしの旅をみおくり
らひさな水たまりのなかには、わたしの足おとがひびけた。
むかうのはてに電(いなづま)はそのほのほをはしらせ
さうして北風はそのながい嘆息をつのらせた
けれどもあらしは、わたしの魂にはあんまりよわすぎた
たましひはその鼓動をもつて雷鳴(かみなり)を消してしまふから。
秦皮(とねりこ)の黃金色(こがねいろ)の剝皮(むけかは)と楓(かへで)とで
秋はそのかがやく獲物をつくつた
鴉はつねにむじやうなる翔(かけ)りをつづけて
わたしの運命にかげをなげながらわたしのあとについてきた。
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