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2023/03/11

西播怪談實記(恣意的正字化版) 龍野林田屋の下女火の車を追ふて手幷着物を炙し事

 

[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注凡例は最初回の冒頭注を参照されたいが、「河虎骨繼の妙藥を傳へし事」の冒頭注で述べた事情により、それ以降は所持する二〇〇三年国書刊行会刊『近世怪異綺想文学大系』五「近世民間異聞怪談集成」北城信子氏校訂の本文を恣意的に概ね正字化(今までの私の本電子化での漢字表記も参考にした)して示すこととする。凡例は以前と同じで、ルビのあるものについては、読みが振れる、或いは、難読と判断したものに限って附す。逆に読みがないもので同様のものは、私が推定で《 》で歴史的仮名遣で添えた、但し、「巻四」の目録の読みについては、これまでと同様に総て採用することとする。歴史的仮名遣の誤りは同底本の底本である国立国会図書館本原本の誤りである。【 】は二行割注。挿絵は新底本のものをトリミングして適切と思われる箇所に挿入した(底本の挿絵については国立国会図書館本の落書が激しいため、東洋大学附属図書館本が使用されている)。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。]

 

 ○龍野(たつの)林田屋(はやしだや)の下女火(ひ)の車(くるま)を追ふて手《て》幷《ならびに》着物を炙(やき)し事

 揖東郡(いつとうごほり)龍野町に林田屋といへる、在(あり)。

 家產、豐にして、久しき商家なり。

 是《ここ》に、久しく出入(でいり)の姥(むば)あり。其娘をば、幼少より召つかひけり。

 享保年中の事なりしに、彼(かの)姥、來たりて、滯留せしが、風氣(ふうき)になやまされつゝ、日をへて、をもく[やぶちゃん注:「重く」。悪化し。]、元來、彼ものども、奉公する風情のものなれば、

「宿へ歸(かへり)て療治するとも、はかばかしからじ。」

と、主(あるじ)の何某(なにがし)哀(あはれ)みをかけて、良醫を招き、心を盡すといへども、其驗(しるし)もなく、熟氣(ねつき)[やぶちゃん注:ママ。以下でも同じ。]、いや、ましになりて、身心、惱亂すれば、娘、泣(なき)かなしみて、片時(へんじ)も側(そば)を去(さら)ず、看病のいとまには、念佛をのみ、すゝむるといへども、狂氣の如くなる熟病(ねつびやう)なれば、一言(いちごん)の稱名(せうめう)もきこヘず。

 かくて、次第次第に弱(よはり)つゝ、ある夕間暮(ゆふまぐれ)に、「今般(いまは)の時」とも見へしかば、傍輩(ほうばい)のものも、傳(つどい)[やぶちゃん注:ママ。]ゐて、口々に念佛をぞ、すゝめける。

 時に、娘、

「のふ、かなしや。母をのせて、いぬるは。」

と、いふて、周章(あはて)ふためき、なんぞ、止(とゞむ)る體(てい)に見へて、表のかたへ、走出(はしり《いづ》)ると否や、病人は、終(つい)に、事切(こときれ)たり。

 かくて、主の夫婦、ならびに、手代・下部(しもべ)の男女(なんによ)、

「なんと、娘、かなしみに堪兼(たへかね)て、狂氣しけるにや。」

と、表の戶口に追出(をいいで)て、止(とゞむ)るに、忽(たちまち)、氣絕しければ、口に水をそゝぎつゝ、呼生(よびいけ)られ、漸(やうやう)、正氣に成《なり》て、

「あら、熱(あつ)や。」

といふに、人々、おどろき、見れば、袖の下に、火(ひ)、付(つき)て、ふすぼりゐけるを、もみ消(けし)しに、右の手の内は、燒(やけ)たゞれてありけるをも、いとはず、母の死骸の側(そば)に行(ゆき)て、身もだへして泣(なき)ゐたりける。

 人々、娘に向(むかい)て、

「其方(そのかた)、先ほど、走出(はしり《いで》)たる時に、姥(むば)は、息、絕(たへ)たり。いかなる事にて、大事の臨終際(りんじうぎは)に走出たるや。」

と問(とふ)に、娘、漸(やうやう)に、顏を、もたげて、なみだを拭ひ、ふるいふるい、いひけるは、

「されば、先ほど、母が末期(まつご)と存《ぞん》ぜし時、何國(いづく)より來たるともしらず、繪に書(かき)し鬼(おに)の姿、思ひ出《いづ》るも、身の毛も、彌竪(よだつ)、頰(つら)[やぶちゃん注:ママ。特に違和感はない。]なるが、火のもゆる車を、引《ひき》きたりて、母を引狐(ふつつかみ)み、彼(かの)火の中へ投(なげ)こみ、表をさして引(ひき)て行(ゆく)を、『母を取返し度《たき》』一念にて、恐しともおもはず、追(をつ)かけ出(いで)、車に手を懸(かけ)て止(とゞめ)んとするに、引《ひき》もぎ、虛空(こくう)へ上(あが)ると迄は存ぜしが、其跡は、存ぜず。先(まづ)、母が死骸には、別條も、なかりけるよ。」

と、淚と共に申《まをし》けり。

 

Hinokuruma

 

「偖《さて》しも、あるべきにあらず。」

とて、主(あるじ)、心を附(つけ)て荼毘(だび)の事など、念比(ねんごろ)に取繕(とりつくろひ)て、翌朝(よくてう)、野邊に、をくりて、灰となしけるとかや。

 此段を聞(きか)ん人、少《すこし》も、疑心を懷(いだ)かず、五常の道は勿論、後生(ごせう)の市大事を心に懸(かく)べし。

 是、露も僞(いとぁり)に、あらず。慥(たしか)なる正說(せうせつ)の趣を書つたふもの也。

[やぶちゃん注:孝行娘の、何とも言えず、涙を誘う話柄である。

「火の車」地獄にあって、火が燃えているとされる車。「火車」(かしゃ)の訓読み。獄卒が生前悪事を犯した亡者をこれに乗せ、責めたてながら、地獄に運ぶようすが、地獄を描いた絵巻などに描かれている。「火車」は私の怪奇談集にも枚挙に遑がないが、例えば、「多滿寸太禮卷第四 火車の說」の本文及び私の注のリンク先を見られたい。

「揖東郡(いつとうごほり)龍野町」現在の兵庫県たつの市市街であろう(グーグル・マップ・データ)。

「享保年中」一七一六年から一七三六年まで。

「風氣(ふうき)」「風邪」以外に「腸内にガスが滞留する疾患」の他、「皮膚疾患の一種で、皮膚に赤い腫物ができて、痛くはないが、移動して痒みを覚える風腫」という疾患も指す。]

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