「曾呂利物語」正規表現版 第四 / 八 座頭變化の物と頭はり合ひの事
[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注の凡例は初回の冒頭注を見られたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『近代日本文學大系』第十三巻 「怪異小説集 全」(昭和二(一九二七)年国民図書刊)の「曾呂利物語」を視認するが、他に非常に状態がよく、画像も大きい早稲田大学図書館「古典総合データベース」の江戸末期の正本の後刷本をも参考にした。今回はここから。なお、所持する一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注の「江戸怪談集(中)」に抄録するものは、OCRで読み込み、本文の加工データとした。]
八 座頭(ざとう)變化(へんげ)の物と頭(あたま)はり合ひの事
奧州の戶地(へち)の里に、高隆寺(こうりうじ)と云ふ山寺あり。
彼(か)の寺へ、昔、座頭、常に出入りし侍りしが、何時(いつ)の程にか、行方(ゆくへ)、知らずなりにけり。
其の後(のち)、二、三人、座頭、立ち寄りしかども、いかになりけん、四、五日程ありては、故(ゆゑ)なく、なくなりけるほどに、其の後は、絕えて、座頭、來ること、なし。
ある時、「りうばい」と云ふ座頭、此の事を傳へ聞き、かたへの人に逢ひて、
「我を、此の寺へ、具して給はれ。」
と云ふ。
「いやいや、此の寺にはしかじかの事ありて、座頭の行かぬ處なる程に、叶ふまじき。」
と云へば、
「平(ひら)に、賴む。」
由を云ふほどに、心に任せけり。
此の「りうばい」と云ふは、丈(たけ)高く、臠(しゝむら)[やぶちゃん注:筋肉。]太く、力(ちから)は、四、五人が力もあるらん、兜(かぶと)なりしたる石の鉢を持ち、大斧(おほまさか)を、柄、短く、製(こしら)へて、琵琶箱に入れて、件(くだん)の人を案内にて、高隆寺へ行き、主(あるじ)の僧に、
「斯(か)く。」
と云へば、坊主、斜(なゝめ)ならず喜び、則ち、出でて、對面(たいめん)して曰く、
「此の寺は、昔より、如何なる謂はれにかありけん、『座頭、來りては、歸らぬ。』と、云ひ傳ヘ侍るが、それは、昔の事なり。此の頃は、更に、別の事も、あらじ。『りうばい』は、心安く思はれよ。愚僧が、かくてあらん程は、何の仔細も、あらじ。久しく「平家」を聞かず、一句、語られよ。」
と云ふ。
「心得候。」
とて、「平家」を、三句、すぎ、とかくして、夜も更け行けば、伴ひし人は、歸りぬ。
「りうばい」は、
「御伽、申さん。」
とて、夜もすがら、物語りなど、うちして、寢(い)ね侍る。
亭坊(ていばう)[やぶちゃん注:住職。]は、邊りを嚴しく圍(かこ)ひて、
「扠(さて)、今宵は、徒然(つれづれ)にも候へば、何がなして慰み侍らん。いざや、頭(あたま)をはりこくら[やぶちゃん注:頭の叩き較べ。]をして、遊ばん。」
と云ふ。
「それは、一段の御事(おんこと)にて候。扠は、どれから、張られ候はん。」
と、少時(しばし)、詮索して、坊主、
「まづ、愚僧を、張れ。」
と云ふ。
「いや、それは、恐(おそ)れにて候ふ間(あひだ)、まづ、受け候はん。」
と云ふ。
さらば、
「受けてみよ。」
とて、こぶしを握りて、かゝる中(うち)に、彼(か)のかぶと、かづき待ちゐたる。
「えいや。」
と、云ふて、張りけるが、かぶとごしなれども、地に打倒(うちたふ)す。
暫(しば)しが程は、目、くるめき、絕え入りけるが、漸(やうや)う、心を取り直し、
「さても、いかめしき御拳(おんこぶし)かな。恐れながら、私も、一あて、あてて、見申すべき。」
と云ふ。
「さらば、起き候はん。」
と、起き居て、待ちかけけり。
座頭、つくづくと思ふやう、
『いやいや、此の者は、よも、人間にては、あらじ。たとひ何者にても、有らばあれ、斯(か)かるをこの者を、生けて置きては詮なし。』
と思ひ、彼の大斧(おほまさかかり)を、
「そろり」
と取り出だし、
「えいや。」
と、云ふほどこそあれ、大力(おほちから)にて打ちける程に、たゞ、打ちに打ち殺す。
さて、夜明(よあ)くるまで、待ち明(あか)し、内より、戶を叩きて、呼ばはりければ、同宿沙彌(どうしゆくしやみ)、出であひて、これを見れば、小牛程(ほど)、大(だい)なる、大猫(おほねこ)なり。
口、大きに裂けて、尾は、數多(あまた)、筋(すぢ)に分(わか)れ、怪しからぬ姿なり。
前々の坊主をも、食ひて、猫こそ、住持になりける。
[やぶちゃん注:「戶地の里」岩波文庫の高田氏の注に、『現靑森県三戸郡付近の古稱』とある。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「高隆寺」同前で、『奧州三戸郡にあった光龍寺か。曹洞宗。一旦』、『廢寺となったが、近世初期』に『再興』され、『現八戸市内』とあった。青森県八戸市長者(ちょうじゃ)のここにある。
「りうばい」漢字表記不詳。「柳梅」と洒落たか。
「をこの者」「癡(烏滸・尾籠)の者」で、普通は「間が抜けている者・馬鹿げた奴」の意であるが、高田氏の注に、『ここでは、怪物の意』とある。これは、対象の物の怪と断じたそれを、謂わば、そのような卑称で呼ぶことで、言上げをしていると考えると、よく納得出来る。]
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