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2023/03/25

「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 「南方雜記」パート 善光寺詣りの出處

 

[やぶちゃん注:「續南方隨筆」は大正一五(一九二六)年十一月に岡書院から刊行された。

 以下の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した。今回の分はここから。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊)を使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集4」の「続南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)で校合した。

 注は文中及び各段落末に配した。彼の読点欠や、句点なしの読点連続には、流石に生理的に耐え切れなくなってきたので、向後、「選集」を参考に、段落・改行を追加し、一部、《 》で推定の歴史的仮名遣の読みを添え(丸括弧分は熊楠が振ったもの)、句読点や記号を私が勝手に変更したり、入れたりする。漢文脈部分は後に推定訓読を添えた。]

 

 

   南 方 雜 記

 

     善光寺詣りの出處 (大正二年四月『鄕土硏究』第一卷第二號)

 

 牛に牽かれて善光寺詣りの話の出處ならんとて、『鄕土硏究』(第一卷一號三〇頁)に載せたる、釋迦如來、舍衞郊外、毘富羅山《びぶらせん》(「寫」は「富」の誤)說法の時、采女輩《うねめはい》が、花に牽かれて、佛の所に詣りし話は、隋朝に闍那崛多《じやなくつた》が譯せし「無所有菩薩經《むしようぼさつきやう》」卷四に出づ。但し、正しく牛に牽かれて如來詣りの根本は、劉宋の朝に所ㇾ譯〔譯す所〕の「雜阿含經」卷四十四に、一時佛住毘舍離國大林精舍、一時有毘利耶婆羅豆婆遮婆羅門、晨朝買ㇾ牛、未ㇾ償其價、即日失ㇾ牛、六日不ㇾ見、時婆羅門爲ㇾ覓ㇾ牛故、至大林精舍二一、遙見世尊坐一樹下。〔一時、佛、毘舍離國(びしやりこく)の大林精舍に住す。一時、毘利耶婆羅豆遮婆羅門(びりやばらずしやばらもん)有り。晨朝(あした)に牛を買ひ、未だ其の價(あたひ)を償(つぎな)はざるに、卽日、牛を失ふ。六日、見(あらは)れず。時に、婆羅門、牛を覓(もと)めんが爲め、故(ゆゑ)に、大林精舍に至り、遙かに世尊の一樹の下(もと)に坐せるを見る。〕其容貌・形・色の異常を見、敎化《きやうげ》を受け、出家得道せる由を載せたる、是なるべし。

[やぶちゃん注:熊楠の「雜阿含經」の引用は「大蔵経データベース」で校合した。熊楠は判り易くするに経典をいじっている。一部は復元した。

「牛に牽かれて善光寺詣りの話の出處ならんとて、『鄕土硏究』(第一卷一號三〇頁)に載せたる」「選集」に編者の割注があり、これは高木敏雄の論考「牛の神話伝説補遺」とある。

「毘富羅山」梵語「ヴィプラ」の漢訳で、原義は「広々と大きい」の意。王舎城を囲む五山の一つで、王舎城の東北に当たる。「雑阿含経」第四十九に「王舎城の第一なるを毘富羅山と名づく。」とあり、有名な山であったと、個人サイト「日蓮大聖人と私」の「女人成仏抄・第三章 経を挙げて六道の衆苦を示す」にあった。

「采女」ここは単に広く中・下級民の女性を、中国や本邦の食膳などに奉仕した下級女官のそれに仮に当てたもの。漢訳経典には多く出る。]

 これに反し、元魏譯「雜寶藏經」四に、人あり、亡牛を尋ねて、辟支佛が坐禪する所に至り、一日一夜、誹謗せし因緣で、後身、羅漢と成つても、所持品、悉く、牛の身分に見え、牛、失いし者に、「その牛。盜めり。」と疑はれ、獄に繫がるゝ話あり。牛に牽かれて罪造りと謂ふべし。

 また、「百喩經」(蕭齊の代に譯さる)に、愚人、所有の二百五十牛の一を、虎に殺されて、燒けになり、二百四十九牛を自ら坑殺《こうさつ》せし事あり。

[やぶちゃん注:「坑殺」地面に穴を掘って生き埋めにして殺すこと。]

 序でに言ふ。借りた物を返さぬ人、牛に生まれた話(『鄕土硏究』一卷三一頁)、佛經に見えたるを、二、三。擧ぐ。

 西晉竺法護譯「佛銳生經《ぶつえいしやうきやう》」卷四に、釋尊、過去世に轉輪王たり。其の舊知が、五十金を償ふ能はず、債主《さいしゆ》に、樹に縛られ、去るを得ざるを見、「之を、倍し、贖《あがな》ふべし。」とて、解かしめけるに、其人、「此外にも、尙、百兩の債あり。」と云ふを聞いて、「其をも。贖ひやるべし。」と誓ふ。扨、臣下、五十金を拂ひしも、百兩金を拂はず。彼《かの》人、死して、牛に生れ、前世の債主の爲に賣られんとする時、佛、來《きた》るを見て、牛、走り就《つい》て、前世の債金の支拂ひを求めし事、出づ。

 吳の支謙譯「犢子經《とくしきやう》」、又、晉の竺法護譯「乳光佛經」、ともに多欲の高利貸、死して、十六劫間《こふかん》、牛と生れ、釋尊の聲を聞いて、死して、天に生れ、次に羅漢と成り、二十劫の後、乳光佛となるべしと、佛が予言せし由を說けり。

 梁の僧旻《そうみん/そうびん》等の「經律異相」四七には、「譬喩經」を引き、借金一千錢不拂《ふばらひ》の人、三たび、牛に生まれて、業《ごふ》、なほ、了《をは》らず。二人、還さぬ覺悟で、牛の主人より、金十萬を借らんとするを立聞き、牛、自分を例證として、之を諫止し、解放されし譚を載せたり。(三月十八日)

[やぶちゃん注:「二人」「大蔵経データベース」で同巻を見て見たが、これ、意味不明。二人の人物が共謀して牛である自分を騙し取ろうとしたということか。

 底本では、以上で終わっているのだが、「選集」には、「追記」として以下の文章が載る。転記(新字新仮名)しておく。

   *

【追記】

 三十二年前、予が和歌山中学校で画学を授かった中村玄晴先生は、もと藩侯の御絵師で、いろいろ故実を知っておられた。ある日教課に、黒板へ少年が奔牛を追うところを描いた。予その訳を問いしに、この無智の牧童、逃ぐる牛を追い走るうち、日が暮れて、十五夜の月まさに出づるところを観て悟りを開いたのだ、と教えられた。呉牛月に喘ぐという支那の古言を、前に引いた、婆羅門(ばらもん)牛を尋ねて仏に詣(いた)り得道せし話に合わせて、作り出した話らしいが、今に出処を見出だしえぬ。

   (大正二年七月『郷土研究』一巻五号)

   *

「三十二年前」数えで計算しているとして、明治一三(一八八〇)年。南方熊楠満十四歲で、同中学校二年次。

「中村玄晴」不詳。

「今に出処を見出だしえぬ」南方先生、教師というのは、知っている知識を勝手に作り変えてオリジナルな話をでっち上げるのは特異なんですよ。私は朗読で演出はしましたが、捏造はしませんでしたがね。……私の伏木高校時代の古典の蟹谷徹先生は、中国の怪談話を、えらくリアルに面白く語って呉れたが、即日、図書室に行って漢文大系で読んでみたら、どれも原文の表現は痩せていて、怖くも何ともなくて、思わず、先生にその感想を正直に言ったら、ニヤりと笑って「そうでしたか。」と一言言って、満足げに去って行かれたのを思い出す。かくあれかし! 現役の国語教師よ!]

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