西播怪談實記(恣意的正字化版) 佐用福岡氏化生のものに逢し事 江戸時代の第三種接近遭遇か?
[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注凡例は最初回の冒頭注を参照されたいが、「河虎骨繼の妙藥を傳へし事」の冒頭注で述べた事情により、それ以降は所持する二〇〇三年国書刊行会刊『近世怪異綺想文学大系』五「近世民間異聞怪談集成」北城信子氏校訂の本文を恣意的に概ね正字化(今までの私の本電子化での漢字表記も参考にした)して示すこととする。凡例は以前と同じで、ルビのあるものについては、読みが振れる、或いは、難読と判断したものに限って附す。逆に読みがないもので同様のものは、私が推定で《 》で歴史的仮名遣で添えた、但し、「巻四」の目録の読みについては、これまでと同様に総て採用することとする。歴史的仮名遣の誤りは同底本の底本である国立国会図書館本原本の誤りである。【 】は二行割注。]
○佐用(さよ)福岡氏(ふくおかうぢ)化生(けせう)のものに逢(あい)し事
佐用郡(さよごほり)佐用邑《むら》に福岡氏の人、あり。
享保初《はじめ》つ方《かた》の事成《なり》しに、町内へ噺(はなし)に出《いで》て、夜も、いたく更て、立歸(たちかへる)。
比《ころ》しも、二月の十日比なれば、月は、早(はや)、入果(いりはて)て、いと暗く、世間も、ひつそと、閑(しづか)に成て、我家(わがや)も近く戾(もどり)けるに、隣の壁(かべ)ねに、十二、三なる子、すげ笠(がさ)をきて、立《たち》ゐたれば、
『參宮の子共《こども》ならんか、夜更(よふけ)て、爰(こゝ)にひとり居《を》る事の、不便(ふびん)や。』
と思ひ、何心(なに《ごころ》)なく立寄(たちより)て、指覗(さしのぞけ)ば、彼(かの)子共、管笠、をきながら、地を壱尺斗《ばかり》、離(はなれ)て中(ちう)を行(ゆく)。
『こは、不思議。』
と見る内に、段々と高く上(あがり)て、終(つい)に隣の家の棟(むね)を越(こし)て、行方(ゆきかた)しれず、失(うせ)にけり。
定(さだめ)て狐なるべけれども、失たるあと、
「ぞつ」
と、したりて、其まゝ歸《かへり》けるとなり。
右の人、今に存命にて、物語の趣を書傳ふもの也。
[やぶちゃん注:三十センチも地面から離れた空中を移動し――隣りの家屋の甍を越えて消えた少年のように背が低い者――とくれば、元UFO研究家であった私に言わせれば、これ、現代なら、グレイ型宇宙人との遭遇にピッタりな話柄である。私が直ちに想起したのは、驚くべき第三種接近遭遇である一九八〇年十二月二十七日にイギリスのサフォーク州のイギリス空軍のウッドブリッジ基地近くの「レンデルシャムの森」で発生したUFO+搭乗者との遭遇事件である(基地に駐留していた米軍警備兵ら複数が目撃した)「レンデルシャムの森事件」(Rendlesham Forest incident)であった。イギリスでのUFO事件では最も知られたものである。知らない方は当該ウィキをどうぞ。UFO自体が小型で、米空軍基地司令官チャールズ・ホルト中佐が背の低い搭乗者三人(空中を浮遊)と会談したともされ、また、UFOは一瞬にして夜空にかき消えたとするものである。
「享保初つ方」享保は二十一年まであり、一七一六年から一七三六年まで。
「參宮」佐用町で由緒ある神社となら、佐用郡佐用町本位田(ほんいでん)にある佐用都比賣(さよつひめ)神社である(グーグル・マップ・データ)。創建は西暦七百年代(奈良・平安以前)で、「播磨国風土記」にも記載のある古社。]
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