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2023/03/14

早川孝太郞「三州橫山話」 種々な人の話 「昔を語る老爺」・「一本足の男」・「水潜りの名人」・「ポン」・「犬をつれて山にゐる男」・「山小屋へ鹽を無心に來た女」

 

[やぶちゃん注:本電子化注の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」で単行本原本である。但し、本文の加工データとして愛知県新城市出沢のサイト「笠網漁の鮎滝」内にある「早川孝太郎研究会」のデータを使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。

 原本書誌及び本電子化注についての凡例その他は初回の私の冒頭注を見られたい。今回の分はここから。

 ここには近代に残っていた世間との関係を基本的には絶って、山中に棲んでいた山の民たちをリアルに描いていて、非常に興味深い。]

 

 ○昔を語る老爺  字瀧川《たきがは》の瀧川兼松という老爺は、七年前に亡くなりましたが、記臆のよい男で、一度聞いた事は必ず忘れぬと云ふ程で、瀧川と橫山の昔の事は、どんな事でも知らぬ事はなかつたさうで、酒が好きなので、酒を呑ませると、樂しさうに昔の事を諄々《じゆんじゆん》と話して聞かせたと云ふことです。家が貧しくて、悲慘な最後を遂げたと云ふ事ですが、此老人に、一度ゆつくり遇つて、話を聞く機會のなかつた事を殊に殘念に思ひます。

 記臆が確かと思つた事は、日露戰爭の始まつた當時、露西亞の内地から石伯利《シベリア》地方の地名や、又人名などを、明瞭に暗誦してゐるのに、子供心に驚いた事がありました。

[やぶちゃん注:「瀧川」横山の北部分の寒狹川の対岸の字名。グーグル・マップ・データではここであるが、「ひなたGPS」で戦前は「瀧川」と表記したことが判る。]

 

 ○一本足の男  村の者が山雀(やまがら)と呼んでゐた爺さんは、一本足に下駄を履いて、釣竿と魚籠《びく》を持つて、前の寒狹川に釣りをしてゐました。

 岩から岩を、山雀が撞木《しゆもく》を渡るやうな格好で飛んで步くので、山雀と云ふ名前があるとも云ひました。夏は餘り見かけた事を聞きませんが、冬の寒い日にはよく見かけました。今其處《そこ》にゐたと思つたら、もう五六町も川上で見たなどと云ひました。親しく口を聞いたことも聞きません。又里の道を步いてゐるのを見掛た事も聞きません。川に沿つて、何處かへ行つたやうです。久しぶりに今日は山雀を見たなどと云つてから、もう來なくなりました。

[やぶちゃん注:横山の村人と一切の交流を持たず、村落内の道も歩かないこの爺さん、片目も不自由だったら、これはまさに現実の「一本だたら」ではないか!(妖怪のそれは当該ウィキを参照)

「山雀」ここは人の綽名であるが、鳥類のそれのタイプ種はスズメ目スズメ亜目シジュウカラ科シジュウカラ属ヤマガラ亜種ヤマガラ Parus varius variusである。詳しくは、博物誌は私の「和漢三才圖會第四十三 林禽類 山雀(やまがら) (ヤマガラ)」を参照されたい。]

 

 ○水潜りの名人  シヨウビン(翡翠《かはせみ》のこと)と呼ぶ爺さんは水潜りの名人で、村で溺死人の死體が見つからぬ時は、最後は必ず此爺さんが賴まれて來ました。水底に潜つて行つて、三十分間位は浮んで來なかつたさうです。其間に川底で二囘呼吸をするとも謂ひました。何處の者とも判らず、村に近く、何處かしらに遊んでゐたものださうですが、三四年前村に身投げ女があつて其死體の知れなかつた時、村の者が段々尋ねて岡崎迄行つて聞くと、十年程も前に死んでしまつたと謂ふ事でした。

 シヨウビンは、ポンだと云ふ人もありました。

[やぶちゃん注:「シヨウビン(翡翠のこと)」ここに出るのは、早川氏の「翡翠」への言い換えからみて、ブッポウソウ目カワセミ科カワセミ亜科カワセミ属カワセミ亜種カワセミ Alcedo atthis bengalensis としてよいだろう。博物誌は私の「和漢三才圖會第四十一 水禽類 鴗(かはせび)〔カワセミ〕」を見られたい。「しょうびん」は古語の「そに(青土)」(広義の美しい羽色)が「そび」となり、而して「しようび」→「しょうびん」と変じたものとされ、「かはせみ」の「せみ」は、同じ「そに」が「しよに」となり、以下、「そな」→「せな」→「せみ」と転訛したものとされている。但し、現在の標準和名ではカワセミ科ショウビン亜科ヤマショウビン属アカショウビン Halcyon coromanda などに使用されている。本邦で普通に見られる(但し、なななか見られないが)カワセミ類は、カワセミ科ヤマセミ亜科ヤマセミ属ヤマセミ Megaceryle lugubris の以上、三種のみである。]

 

 ○ポン  夏から秋にかけて、ポンが前の寒狹川の河原に來て、幾組も天幕を張つてゐました。又これをポンスケとも謂ひました。日が暮れてから急に雨が劇しく降つて來て、河の水が大變增へたから、ポンの天幕はどうしたらうなどゝ云つて、行つて見ると、もう何處へ行つたのか、影も形も見えませんでした。男は每日魚や龜を捕り、女はヤス(笟)を賣つて步いたり、乞食をして步いたりしてゐました。

 ポンが來ると、私たちが散々荒らしてしまつて、鰻など一ツだつてゐないと思ふやうな、小さな流れから、幾つでも鰻を捕へました。鰻の穴を探すにも、眼で見ないで手で探るやうでしたが、針を穴に入れてやつたと思ふとすぐさげ出しました。

 一年每に減つて行つて、近來では、天幕を張つてゐるのを更に見かけなくなつたと謂ひます。

[やぶちゃん注:「ポン」所謂、「さんか(山窩)」の異名。「ブリタニカ国際大百科事典」から引くと、定住することなく、山間水辺に漂泊生活をした日本の漂泊民の差別呼称で、九州以東から関東にかけて居住していた。「セブリ」と呼ばれるテント又は仮小屋に住みながら、移動生活をおくり、男はスッポン・ウナギなどの川魚の漁獲をし、女は箕(み)・笊(ざる)・籠(かご)などの竹細工製造を生業とした。嘗つては「オゲ」「ノアイ」「カンジン」「ポンス」或いは「河原乞食」などと蔑称された。「山窩」の称も、その由来は明らかではないが,前身が中世の傀儡師(かいらいし/くぐつし) であるとする説が有力である。人口も調査困難のため、明確にされておらず。昭和二四(一九四九)年九月の「全日本箕作製作者組合」結成時には約一万 四千人とされたが、実数はこれを上回ったと考えられる、とある。敗戦後には急速に姿を消した。]

 

 ○犬をつれて山にゐる男  村の者から犬乞食と呼ばれてゐた男は、小さな犬を幾つも連れて步いてゐましたが、人の門に立つて乞食をしたことは聞きません。或日此男が山から出て來たのを見て、鈴木智惠松と云ふ男が、何の爲めに犬を連れてゐるのかと聞いたら、寒い晚に蒲團の代りにすると答へたさうです。瘦せ型の背の高い男で、眼白(めじろ)や山雀(やまがら)などを一ツの籠に澤山入れて提げてゆくのを見たなどゝ謂ひました。しばらく犬乞食を見ないなどゝ云ふと、ひよつこり山道を步くのを見たとも云ひました。

 近來《ちかごろ》は、滅多に見なくなつたと謂ひますが、二三年前立派な服裝をして、豐橋の町を通つたのが、犬乞食に違ひなかつたと謂ふやうな話を聞きました。

[やぶちゃん注:「眼白」スズメ目メジロ科メジロ属メジロ Zosterops japonicus であるが、本邦で見られるのは五亜種。私の「和漢三才圖會第四十三 林禽類 眼白鳥(めじろどり) (メジロ)」を参照されたい。]

 

 ○山小屋へ鹽を無心に來た女  出澤村《すざはむら》の鈴木戶作と云ふ男の話でしたが、或時北設樂郡の山小屋で仕事をしてゐる處へ、木の葉などを綴り合せたボロボロの着物を着た女が、鹽を無心に來たから、何處の者だと聞くと、紀州だと答へたさうです。

 又或る男は同じやうな姿をした坊主が、鹽を無心に來たのに出遇つたと謂ひました。

[やぶちゃん注:「出澤村」現在の新城市出沢(すざわ:グーグル・マップ・データ航空写真)。横山の中央部の寒狹川を隔てた右岸で殆どが山間である。

「北設樂郡」旧郡域は当該ウィキの地図を見られたいが、横山地区の北部一帯と考えてよい。]

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