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2023/03/23

佐々木喜善「聽耳草紙」 一一番 天人子

 

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本はここから。

 なお、標題の「錢緡」は「ぜにさし」(「錢差」)と読み(「ぜんびん」の読みもあるが、読みの用例は圧倒的に前者)円形方孔の穴開き銭の穴に通して銭を束ねるのに用いる細い紐を指し、藁、又は、麻で作られた保管又は運搬用の銭の束の組みを指す。「錢繩(ぜになは)」「錢貫(ぜにつら)」とも言い、「ぜにざし」とも読み、頭を略して二字で単に「さし」とも呼称した。束には「百文差(ざ)し」・「三百文差し」「一貫文(=千文)差し」等がある。グーグル画像検索「銭緡」をリンクさせておく。]

 

   一一番 天 人 子

 

 昔、六角牛山(ロクカウシサン)の麓の里に百姓惣助と云ふ男があつた。其の近所に七ツの池があり、其の中に巫女石(ミコイシ)と云ふ石のある池があつた。池には多くの雜魚(ザツコ)がゐたので、或日惣助が魚釣りに行くと、六角牛山の天人子(テンニンコ)が飛んで來て、巫女石に着物をぬいで懸けて置いて、水浴をしてゐた。

[やぶちゃん注:「六角牛山」(ろっこうしさん)は岩手県遠野市と釜石市との境にある北山山地の高峰(グーグル・マップ・データ航空写真)。標高は千二百九十四メートル。「遠野小富士」の異名を持つ。

「麓の里」「ひなたGPS」の戦前に地図で見ると、六角牛山の西麓は扇状地になった旧「靑笹村」(現在は青笹町)で、その扇状辺縁には、現在の国土地理院図にも「踊鹿(おどろか)堤」といういかにも民話的な貯水池を始めとして五つ以上の沼沢らしきものを現認出来る。まず、この「靑笹村」を比定してよいと思われる。

「巫女石のある池」不詳だが、地図を見ていると気になる池がある。前に出した「踊鹿堤」で、この池、国土地理院図でも確認出来るのだが、中央に小さな島があるのである。グーグル・マップ・データ航空写真で拡大(以下同じ)しておく。ただ、これは私が気になっただけで、この「巫女石」だというわけではない。但し、dostoev氏のサイト「不思議空間「遠野」 -「遠野物語」をwebせよ!-」の「遠野物語拾遺97(荒滝と巫女石)」で、当該話を示された上で、『「遠野物語拾遺97」の冒頭にしか出てこない荒滝の話だが、実際荒滝は六角牛の女神から石を授かり大力となったと云い、その石を「御ご石」と云ったという伝承が青笹町に伝わっている。この「御ご石」とは、実際は「巫女石(みごいし)」であるとも云われている。また力士となった荒滝の名前も、六角牛山から授かったものだと云う』とあって、『六神石神社の右脇に白龍神が祀られているのは、古来から六角牛山は雨乞い祈祷をされてきた歴史もあるのだと思う』と続き、最後に『ちなみに六角牛山の「巫女石」は、元宮司であった千葉氏によれば、六角牛山中腹の不動の滝にあるという』とある。この「大瀧神社」か。しかし話柄は麓と言っているから、「六神石(ろっこうし)神社」附近が元ロケーションか。

「天人子(テンニンコ)」天女。本話は所謂、「天の羽衣」譚の遠野ヴァージョンである。]

 惣助は其の着物が餘りに美しくて珍らしかつたから、窃(ソツ)と盜んでハキゴ(腰籠)に入れて家へ持つて歸つた。

 天人子は着物を盜まれたので天へ飛んで還ることが出來なかつた。それで仕方なく朴(ホウ)ノ葉をとつて體を蔽ふて、着物を尋ねて里邊の方へ下がつて來た。池の近くに一軒家があつたから其所へ寄つて、今池へ釣りに來た男の家は此の邊ではないかと訊くと、その家から爺樣が出て來て、その男ならこれから少し行くと家が三軒あるが、その眞中の家の者だと敎へた。そこで天人子はその家へ行つて、先刻お前は妾《わらは》の着物を持つては來なかつたか、あの着物が無いと、私は天へ還ることが出來ないからどうか返してくれと言ふと、惣助は、如何にもあの池の巫女石に懸かつてあつた見たことのない着物は俺が持つて來たが、あまりに美しく珍しい物だから、今、殿樣に献(ア)げて來たばかりの所であると僞言(ボガ)を吹いた。

[やぶちゃん注:「朴」朴葉味噌でお馴染みの、モクレン目モクレン科モクレン属ホオノキ節ホオノキ Magnolia obovate。葉身は倒卵形から倒卵状長楕円形を成し、非常に大きく、長さ二十~四十センチメートルにも達し、幅は十~二十五センチメートル、全縁で波状、基部は鈍形、先端は鈍頭、表面は明緑色、裏面は白色を帯び、長軟毛が散生する(当該ウィキに拠った)。]

 天人子は大層歎いて、妾は裸體(ハダカ)のまゝでは天へも還られない。さう言つて暫時《しばらく》泣いて居たが、やがて惣助に向つて、それでは妾に田を三人役(ヤク)(凡そ三反步)ばかり貸してクナさい。其の田に蓮華の花を植えて糸を取つて機を織つて、それで着物をこしらへねばなりませんからと言つた。惣助も今では女の身の上が憐れになつて、女の云ふ通りに三人役の田を貸し、なひ其の上に巫女石のある池の傍《ほと》りに、笹小屋を建てゝ、其所に天人子を入れて置いた。

 蓮華の花が田一面に咲いた。それから糸を採つて、天人子は笹小屋の中で每日每日機を織つて居た。女は機を織りながら、たゞの人間ではないやうな佳(ヨ)い聲で歌をうたつて居た。そして小屋の内を覗いて見てくれてはならないと謂ふのだけれども、惣助が堪りかねて覗いて見れば、梭(オサ)の音は聽えるけれども、女の姿は見えなかつた。それで、これは多分、六角牛山で天人子の織つて居る機の音が、かう聞えるのだらうと思つて居た。後(アト)で惣助は天人子の着物をば眞實に殿樣へ献上した。

 天人子は間もなく、マンダラと謂ふ布を織り上げた。そして惣助に、これを殿樣へ献げてクナさいと賴んだ。惣助は天人子から賴まれたから、其のマンダラを殿樣に献げると、殿樣はそれを見て、これは珍しい織物である。この布を織つた女を見たい。また何か望みでもあるならば申出ろと言ふことであつた。

 惣助は歸つて來て、其の事を天人子に言ふと、天人子は妾は別に何の望みもないが、ただ殿樣の御殿に御奉公がして見たいと言つた。惣助はまた殿樣の所へ行つて其の事を申上げると、それでは早速連れて來て見ろと言つた。殿樣は天人子を見ると、世にも類ひ無いやうな美しい女であつたから、喜んで御殿に置いた。

 天人子はそんなに美しかつたけれども、一向物も食はず物を言はず、また仕事もしなかつた。そして始終ぶらぶらして居た。其の年の夏になつて、お城でも土用干しをした。其の時惣助から献上した天人子の着物も出して干された。天人子は𨻶を見て、其の着物を取つて手早く體に着けて、六角牛山の方へ飛んで行つた。

 殿樣は其の後、歎いて居たが、天人子のことだから仕方がないと思つてあきらめた。そして天人子の織つたマンダラをば、これは尊いものだからと言つて、今の綾織村の光明寺に納めさせた。(その綾のマンダラと云ふ物があるので今の綾織と謂ふ村の名前が起つた。)

 (この話は、岩手縣上閉伊郡遠野鄕の話。綾織村の光明寺には現にそのマンダラであると稱する古巾(フルキレ)が殘つてゐる。昭和三年三月二十八日、早池峯山神社社掌、宮本愛次郞氏談。)

[やぶちゃん注:最後の附記は底本では全体が二字下げポイント落ち。

「綾織村の光明寺」現在の岩手県遠野市綾織町(あやおりちょう)上綾織(かみあやおり)の曹洞宗照牛山光明寺で、ここに現存する(グーグル・マップ・データ)。風琳堂主人氏のブログ「月の抒情、瀧の激情」の「天女の行方──六角牛神社と綾織・光明寺伝説」には、本譚に関わる考証が驚くべき細部まで記されてあるので是非、読まれたいが、『光明寺へうかがえば、この天女伝説ゆかりの「曼荼羅」を見せてもらえる』とあって、写真も添えられてある。

「昭和三年」一九二八年。

「早池峯山神社」早池峰山は岩手県にある標高千九百十七メートルの山。北上山地の最高峰であり、ここに出る六角牛山、及び、石上山とともに「遠野三山」と呼ばれる。山岳信仰のメッカで、山自体が神体であり、麓などの周辺には複数の早池峰神社が存在する。グーグル・マップ・データでは山頂に近いそれをポイントした。]

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