早川孝太郞「三州橫山話」 山の獸 「ノシ餅を運ぶ鼬」・「鼬の鳴聲」・「カマイタチ」・「鼬の最後屁」
[やぶちゃん注:本電子化注の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」で単行本原本である。但し、本文の加工データとして愛知県新城市出沢のサイト「笠網漁の鮎滝」内にある「早川孝太郎研究会」のデータを使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。
原本書誌及び本電子化注についての凡例その他は初回の私の冒頭注を見られたい。今回の分はここから。]
○ノシ餅を運ぶ鼬 正月の切餅を鼬が自分の巢へ運ぶ時は、スーと云ふやうな聲を盛《さかん》に立てると謂ひます。それは鼬が嬉しくて立てるのだと言ふ人もありました。早川安太郞と云ふ男が、夕方畑の道を步いてゐると、行く手から白い布のやうな物が地を這つて來るので、足元へ近づいてから、不意に怒鳴ると、其處から鼬が飛び出して逃げて行つたと謂ひます。白い布のやうに見えたのは、伸餅《のしもち》であつたさうです。鼬が自分の體で餅を冠つて持つて來たのだらうと謂ひました。鼬は餅に限らず何でも自分が見つけただけは、全部巢へ運んでしまつて最後に屁をかけておくと謂ひます。
[やぶちゃん注:「鼬」食肉(ネコ)目イヌ亜目イタチ科イタチ亜科イタチ属 Mustela に属する多様な種群を指す。本邦には四種七亜種ほどが棲息するが、タイプ種は日本固有種のニホンイタチ(イタチ)Mustela itatsiで、本州・四国・九州・南西諸島・北海道(偶発的移入)である。実は、本邦では古くから、キツネやタヌキと同様に化けるとも言われ、妖怪獣の一種に数えられた。後に出るイイズナも同属である。詳しい博物誌は私の「和漢三才図会巻第三十九 鼠類 鼬(いたち) (イタチ)」を読まれたい。
「最後に屁をかけておく」所謂、「イタチの最後っ屁」であるが、これは彼らの食性による糞の臭い、及び、肛門の周辺にある強い液体を噴射する臭腺に拠るものである。詳しくは有害動物駆除会社の公式サイト「駆除PLUS」の「イタチの最後っ屁やふんの悪臭・対策について解説」が判り易く詳しい。]
○鼬の鳴聲 鼬の鳴聲で吉凶を占ふ風習があつて、一聲鳴《ひとこゑなき》は凶事の前兆と謂ひます。又鼬が行く手を橫ぎつた時は、行先に凶事がある故、三步後《うしろ》に退《さが》つて呪文を唱へて行くものと謂ひます。呪文は後《あと》に記す。
[やぶちゃん注:「呪文は後に記す」本書の末尾に『○種々な咒ひの歌』の条があり、そこに、
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鼬が行手《ゆくて》を橫切つた時は、三步後《うしろ》に戾つて、
イタチ道チ道チカ道チガヒ道、ワガユク先ハアラヽギノ里、と三度唱へて行く。
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とあるのを指す。]
○カマイタチ カマイタチは旋風に乘つて橫行し、人の生血《いきち》を吸ふと謂ひます。又飯綱《いひづな/いづな》ともいつて、昔飯綱師が弟子に傳授の時、封じ方を傳へなかつた爲め橫行《わうかう》して惡者になつたと謂ひます。別の說では、飯綱師ではなく、尾張鍛冶とも謂ひます。
[やぶちゃん注:「カマイタチ」この妖怪というか、奇怪な現象については、私は、散々、書いてきたので(中学時代、「カマイタチだ」とする事件の現場に私は居合わせた経験がある)、特にここでは注記しないが、「耳嚢 巻之七 旋風怪の事」及び「想山著聞奇集 卷の貮 鎌鼬の事」等の私の注を参照されんことを望む。
「飯綱」これは、一応、実在する動物としては、ネコ目イヌ亜目イタチ科イタチ属イイズナ Mustela nivalis の標準和名に当てる。この「妖怪獣」や民俗伝承についても、私は、複数回、注してきたので、例えば、「柴田宵曲 妖異博物館 飯綱の法」、及び、「老媼茶話巻之六 飯綱(イヅナ)の法」の本文及び私の注を読んで戴けると幸いである。なお、「早川孝太郎研究会」の当該箇所(PDF)には、以下の注記がある。『飯綱(いづな)は、飯繩とか伊豆那とも書かれる』。『人間に憑くといわれる妖獣で、狐憑き(狐の霊につかれること)の1種。体長9~12㎝くらいの鼬のような小動物。毛は柔らかく、尾は箒のようで尾先がふつくらとしている』。『4本の脚が互い違いに並んでおり、指は5本、手と耳は人間に似ている。民間宗教家のような特殊な人間の命令で動くもので、憑きものとしては犬神やくだ狐ほど一般的ではないという。人間にとり憑いた場合、その人は狂つたように何かを口走り、やたらと大食いになるが、水に溺れさせると飯綱は逃げるとされる。お金に憑くと勝手に増えるともいう』。『飯綱の正体はコエゾイタチであるらしい』(コエゾイタチ(小蝦夷鼬鼠)は前に掲げたイイズナの異名)。『飯綱を使役することができ、使役するものを飯綱使い、操る方法を飯綱の術といい、山伏や呪術師が利用していた』とある。]
○鼬の最後屁《さいごつぺ》 鼬の屁は最後の斷末魔に出すと言つてこれに當てられたが最後、犬でも顏色が變ると云ひますが、ある男が厩の傍で鼬を撲《なぐ》つたら屁を出して、その爲め馬が三日ばかりは糧馬を喰べなかつたと謂ひます。
私が子供の頃、鼬捕りの箱で鼬を捕つた時、中にゴトゴト藻搔いてゐる奴を、其儘池の中へ沈めて殺した事がありましたが、後で引き出した時は、更に臭ひはなかつたやうでした。
八名郡大野町の生田福三郞と云ふ人の噺に、若い頃、鼬寄せをした時に寄つた鼬は東京の兩國橋の下で生れたと謂つたさうですが、其折鼬の乘移《のりう》つてゐると云ふ男が、水を所望するので、茶碗に入れて與へると、恰《あたか》も鼬が水を飮む格好をして飮んださうです。殘りの水を後で其生田と云ふ人が飮まうとすると、其水が鼬の最後屁と少しも違はぬ匂ひがしたさうです。よく視ると、茶碗の緣が黃色く染まつてゐたさうです。居合《ゐあは》した數人の者に嗅がして見たさうですが、誰しも辟易とせぬものはなかつたと謂ひました。
[やぶちゃん注:早川氏の自身の体験に基づく強烈な二段落目が素晴らしい。机上で安易に勝手な推論を建てて自己満足に酔っているどこかの学者連中とは違って、実に説得力のある確かな「語り」ではないか。これこそが、本来の民俗学のあるべき原点である。生物学と同じでフィールド・ワークこそが要(かなめ)である。]
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