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2023/03/10

西播怪談實記 下德久村法覺寺本堂の下にて死し狐の事

 

[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注凡例は最初回の冒頭注を参照されたい。底本本冊標題はここ。本文はここから(標題のみで本文はここから)。]

 

 ○牧谷《まきたに》村平右衞門《へいゑもん》狐火(きつね《び》)を奪(むはい[やぶちゃん注:ママ。])し事

 宍粟郡(しそう《のこほり》)牧谷村といへる所は、元來、山、深くして、土地、狹く、寔《まこと》の片山里《かたやまさと》なり。

 爰《ここ》に平右衞門といひし農民あり。

 正德年中のある七月の事成《なり》しに、夜更(よふけ)て、自用(しよう)に行《ゆき》、雪隱(せつちん)の下、谷川なれども、照《てり》つゝきたる殘暑にて、水も絕々(たへ《だえ》)なり。時に十間斗《ばかり》先にて、明松(たいまつ)をともすを、窓よりのぞきて見れば、狐火也。

 段々、谷川をつたひて、此方ヘ來《きた》るを見るに、蟹(あかにこ[やぶちゃん注:ママ。この読みは不詳。但し、サワガニを指すことは間違いない。])を、取《とり》て喰(くら)ひ、火は三味線の「ばち」のやうなるものを、口に、くはへて、ふれは[やぶちゃん注:「振れば」。]、火、とほる。

 平右衞門、つくづくと、是をみて、

『さても。重宝(でうほう)なるものなり。何とぞ、奪(むは)ひ取《とら》ん。』

と思ふ内に、はや、雪隱の眞下へ來《きたり》ければ、内より、平右衞門、

「わつ。」

と、いふて、飛出(とび《いづ》)るに、狐、大《おほき》に周章(しうせう)して迯(にけ)けるに、何やら、足本《あしもと》へ、

「からり」

と落(をと)しけるを、

「彼(かの)ものにや。」

と探𢌞(さくり《まは》)り、漸(やうやう)、取得(《とり》ゑ)てみれば、「ばち」に似て、牛の骨のやうなるものなり。

 開《ひらけ》る方《かた》を上(かみ)ヘして、ふれば、

「はつ」

と、もゆる事、小《ちさき》明松(たいまつ)の如く、細き方を上へすれば、忽(たち《まち》)、消(きゆ)る。

「是を所持すれば、烑燈(てうちん)・明松の入《い》るにこそ。」

と独笑(ひとりゑみ)して、大事に懸箱《かけばこ》に納《いれ》てぞ、伏《ふし》たりける。

 然るに、翌《あく》る夜、家内(かない)も寢しづまりて、平右衞門が寢間の戶を叩きて、

「今のを、返せ、返せ。」

と、二、三人斗《ばかり》の声にて、いへば、内より、

「返す事は、ならぬぞ。いね、いね。」

と、いふて、臥(ふし)ゐたり。

 又、翌夜(よくよ)は、二、三十人斗、きたりて、

「戾せ、戾せ、」

と、いふに、平右衞門、敵《てき》ものにて、そしらぬ體(てい)にて、臥(ふし)ゐたり。

 三夜《よ》めには、百四、五十人もきたるやうにて、家の四方を取卷(とりまき)、

「返せ、返せ、返さぬと怨(あた)を、なすぞ。」

といふに、家内《かない》のもの共、恐《おそろし》ければ、平右衞門、止事(やむを)を得ずして、彼ものを取(とり)出し、戶を明《あけ》て、

「返すそ、請取《うけと》れ。」

と、いふて、庭へ抛出(なけ《いだ》)し、戶をさして、入《いれ》けるが、其後《そののち》は、何の音も、せざりけり。

 されば、世閒にて、誰(たれ)慥(たしか)に見しものは、なけれども、

「狐火《きつねび》は、牛の骨なり。」

と、いひ傳へり。

「誠に、似たるものにて、骨には、あらす。」

と、佐用村の大工、三大夫といひしもの、

「牧村《まきむら》へ細工(さいく)に行《ゆき》て、右の平右衞門、直噺《ぢきばなし》を聞《きき》ける。」

とて、物語の趣を書傳者也《かきつたふものなり》。

[やぶちゃん注:類話を読んだことがない。オリジナリティ満載の「狐の火附け器」は面白い!

「宍粟郡牧谷村」現在の兵庫県宍粟市山崎町上牧谷(かみまきだに)の周辺地区。佐用の東北東。可能性としては、南北に貫流する伊沢川沿いに家があったものと推察する。

「正德年中」一七一一年から一七一六年まで。徳川家宣・家継の治世。

「自用(しよう)に行」「じよう」。私事(わたくしごと)。ここは便所に行くこと。

「雪隱(せつちん)の下、谷川なれども」文字通りの「厠」(かはや:川屋)で、恐らくは伊沢川に張り出した、下は川岸に開いた解放式の便所である。以下の叙述から、河原の様子が見えることから、かなり高い位置にあることが判る。こうした雪隠については、谷崎潤一郎の「厠のいろいろ (正字正仮名版)」を読むにしくはない。

「十間」約十八メートル。

「牧村」この周辺ではあろう(グーグル・マップ・データ)。「ひなたGPS」でここだが、特に「牧村」の表示は、もう、ない。

 なお、実は底本の本篇最後の部分には、ご覧の通り、

   *

 ○西播怪談實記三

   *

とあり、二丁空けると、また、例によって、

   *

 寛政十三年

   酉正月中旬写之

      上州碓氷郡八幡村

             矢口牧太郎

                書之

(以下は左丁下方)   拾□□□(落款カブリ)

   *

という筆写者の記名があって(□は判読不能字)、全巻が終わっている。「寛政十三年」は一八〇一年。本書の板行は宝暦四(一七五四)年であるから、四十七年後である。「上州碓氷郡八幡村」は群馬県高崎市八幡町(やわたまち:グーグル・マップ・データ)に相当する。「矢口政太郞」は不詳。

 ところが、所持する二〇〇三年国書刊行会刊『近世怪異綺想文学大系』五「近世民間異聞怪談集成」では、まだ「巻三」は七話を残し、しかも「巻四」が、まだ、あるのである。全く以って私は大呆けで、電子化開始時に、底本が不完全であることを知らずに始め、最近になって、不全写本であることが判ったのであった。しかし、他にネットで視認出来るものはない。されば、以降は、北城信子氏校訂の上記「近世民間異聞怪談集成」の本文を恣意的に正字化(嘗つてはよくやった)して続行することとする。悪しからず。

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