西播怪談實記 六九谷村の猫物謂し事
[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注凡例は最初回の冒頭注を参照されたい。本文はここから。]
○六九谷村(むく《たにむら》)の猫(ねこ)物謂(ものいひ)し事
揖東郡《いつとうのこほり》六九谷村に三木何某(みきなにかし)といへる農家あり。
產業、豐(ゆたか)にして、代々、庄官(せくわん)たり。
祖(そ)、騎乘の奧義(おふき)を極(きはめ)て、世に鳴(なる。今に名作の鞍(くら)など、傳けるとかや。
往昔(そのかみ)、豐臣の殿下(てんか)、姬路御在城の節(せつ)は、鷹野(たかの)の御往還には、必《かならず》、御腰(おんこし)を懸られしとかや。
寶永年中の事成《なり》しに、家に誓古(せい《こ》)といへる尼ありしが、用ありて、寢間(ねま)のふすまを明(あけ)ける時、後(うしろ)より、
「誓古、何をしらるゝ。」
と、いふを見れば、久しく馴(なれ)し手飼(《て》かい)の猫なり。
誓古は、女ながらも、氣のすこやかなる生質(うまれつき)なれば、少《すこし》もおどろかず、密(ひそか)に夫(をつと)何某(なにがし)に、
「かく。」
と告(つげ)ければ、
「是、必《かならず》、後(のち)には、人に害をなすべし。」
とて、工夫(くふう)ありけれども、
「人手にて殺しては、死期(しこ)の念、恐(をそろ)し。」
とて、蹄(わな)を懸置《かけおき》けるに、物をいふほどに年(とし)へても、畜生の淺ましさは、早速(さつ《そく》)、懸《かかり》て死(しに)けると也。
同所の何某、佐用へ來《きたり》し比《ころ》、我、近所にて、
「慥なる事。」
とて、物語の趣を書つたふもの也。
[やぶちゃん注:「六九谷村」現在の兵庫県姫路市林田町(はやしだちょう)六九谷(むくだに:グーグル・マップ・データ)。
「豐臣の殿下、姬路御在城の節」天正八(一五八〇)年、羽柴秀吉の中国攻略のため、黒田孝高は姫路城を秀吉に献上している。秀吉は三層の天守閣を築き、翌年に完成している。しかし、天正一一(一五八三)年、天下統一の拠点として築いた大坂城へ移っている。この三年ほどのこととなる。
「鷹野」不詳。地名ではなく、鷹狩のための野の意か。
「寶永年中」一七〇四年から一七一一年まで。]
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