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2023/03/01

西播怪談實記 西播怪談實記二目録・佐用笠屋和兵衞異形の女を追し事

 

[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注凡例は最初回の冒頭注を参照されたい。底本本冊標題はここ。本文はここから。【 】は二行割注。目録(ここから)の読みは総て採用した。挿絵は所持する二〇〇三年国書刊行会刊『近世怪異綺想文学大系』五「近世民間異聞怪談集成」にあるものをトリミングして適切と思われる箇所に挿入した。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。]

 

 

 西播怪談實記  地

 

 

西播怪談實記二

一 佐用(さよ《う》)笠屋和兵衞異形(いきやう)の女を追《おひ》し事

一 林田(はやした)村農夫(のうふ)火熖(くはゑん)を見し事

一 山崎の狐(きつね)人を殺(ころせ)し事

一 佐用那波屋(なは《や》)長太郞怪風(くはいふう)を見し事

一 大屋(おほ《や》)村次郞太夫異形(いぎやう)の足跡(あしおあとを[やぶちゃん注:ダブりはママ。])を見し事

一 德久(とくさ)村兵左衞門誑(たふふらかせ)し狐を殺(ころせ)し事

一 新宮村農夫(のうふ)天狗に抓(つかま)れし事

一 網干(あほし)村獵夫(りやう《ふ》)發心(ほつしん)の事

一 德久村西蓮寺(さいれん《じ》)本尊(ほんそん)の告(つけ)によつて火難(くはなん)を免(まぬかれ)し事

一 東本鄕(ひかしほんこう)村太郞左衞門火熖(くはゑん)を探(さくり)て手(て)靑(あを)く成し事

一 六九谷(むく《たに》》村猫(ねこ)物謂(ものいひ)し事

一 佐用沖内(をきない)夫婦(ふうふ)雷に(らい)打(うた)れし事

一 姫路本町(ひめちほんまち)にて殺(ころせ)し犬(いぬ)形(かたち)變(へん)する事

一 下河㙒(しもかはの)村大蛇(《だい》じや)の事

[やぶちゃん注:「近世民間異聞怪談集成」では「下河㙒村」には「げこのむら」と振る。]

 

 

 ◉佐用笠屋和兵衞異形(いぎやう)の女を追《おひ》し事

 比《ころ》は元祿末つかたの事なりしに、佐用郡(こほり)佐用邑(むら)に笠屋和兵衞といふもの、在《あり》。

 恐《おそろ》しといふ事を知らぬ大膽ものなりしが、ある夜、自身番(じしんばん)に當(あたつ)て、町中を𢌞る。

 比しも、霜月廿日過(すき)、下弦の月も、明方近き霜に照(てり)そひ、嵐《あらし》は、肌(はたへ)に徹(とをる)斗《ばかり》なれば、甲頭巾(かふとづきん)に、目《め》斗《ばかり》を出《いだ》し、のさのさと、あゆみ、橫町《よこまち》半《なかば》を過《すぐ》るに、とある家の壁に、大きなる女の首斗の影、髮は、嶋田《しまだ》に結(ゆひ)、櫛・竿(かんざし)の影迄も、ありありと見ゆる。

 

Onnankubi

 

『こは。怪し。』

と、おもひ、あたりを見𢌞せば、西側の家の棟に、天窓斗を出して、和兵衞を見て、

「完爾完爾(にこにこ)」

と笑ふ。

 和兵衞、

「急(きつ)」

度(と)、ねめ附《つけ》て、

「己(をのれ)、此(この)和兵衞を誑(たぶらかさ)んために出《いで》たるや。いで、物を見せん。」

と、いふまゝに、脇指(わきざし)を、

「するり」

と、ぬく。

 此勢(いきほひ)にや恐(おそれ)けん、やねより、下(をり)て、㙒道(の《みち》)を眞下(ま《した》)に迯(にげ)て行《ゆく》を、

「のがさじ。」

と、壱町(いつてう)斗、追行(をいゆき)、

『今少(いますこし)にて追付べき。』

と思ふに、行方《ゆきかた》しれず、失(うせ)にけり。

 和兵衞も、目に、さへぎるものもなく、相手なければ、わが家(や)へ立歸《たちかへ》に、夜は、ほのぼのと明《あけ》し、とかや。

 右、和兵衞、享保の比迄(ころまて)は、存命にて、予、直(ぢき)に此物語を聞ける趣を書つたふもの也。

[やぶちゃん注:一種の巨大な「轆轤首」(ろくろっくび)である。

「自身番(じしんばん)」近世において、家の主人が、その成員とともに自身の家や村落・町内を治安・防衛するために警戒に当たること、また、その任務に当たる者。

「元祿末つかた」元禄は十七年までで三月十三日(グレゴリオ暦一七〇四年四月十六日) 宝永に改元している。「霜月廿日」は元禄十六年ならば、グレゴリオ暦一七〇三年十二月二十八日、改元したその年なら、一七〇四年一二月十六日となる。

「甲頭巾」(かぶとづきん)江戸時代の火事装束の一つ。騎馬の武士が被った兜形の鉢を細工した頭巾で、錏(しころ:鉢の左右・後方に附けて垂らし、首から襟の防御とするもの)の部分を羅紗(ラシャ)で作り、金糸などで縫い取りを施したもの。挿絵を参照。

「橫町」佐用村のそれは判らない。

「壱町」百九メートル。

「享保」一七一六年から一七三六年まで。著者春名忠成は宝永(一七〇四―一一)から正徳』(一七一一年から一七一六年まで)の初め頃に生まれ、寛政八(一七九六)年に没した可能性が高いとされるから、二十代の若き日の聞き書きとなろう。]

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