「曾呂利物語」正規表現版 卷二 / 目録・一 信心深ければ必ず利生ある事
[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注の凡例は初回の冒頭注を見られたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『近代日本文學大系』第十三巻 「怪異小説集 全」(昭和二(一九二七)年国民図書刊)の「曾呂利物語」を視認するが、他に非常に状態がよく、画像も大きい早稲田大学図書館「古典総合データベース」の江戸末期の正本の後刷本をも参考にした。但し、所持する一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注の「江戸怪談集(中)」に抄録するものは、OCRで読み込み、本文の加工データとした。]
曾呂利物語卷第二目錄
一 信心深ければ必ず利生(りしやう)ある事
二 老女を獵師が射たる事
三 怨念深きものの魂(たましひ)迷ひありく事
四 足高蜘(あしたかぐも)の變化(へんげ)の事
五 行(ぎやう)の達したる僧には必ずしるし有る事
六 將棊倒(しやうぎだふ)しの事
七 天狗鼻(はな)つまみの事
八 越前國(ゑちぜんのくに)鬼女(きぢよ)の由來の事
一 信心深ければ必ず利生ある事
南郡興福寺の衆徒、なにがしの律師とかや、いふ人、有り。
又、かすが山の麓に、「しのやの地藏堂」とて、靈驗あらたなる地藏、おはしけり。
彼(か)の律師、年月、步みを運びけるが、ある日、少し紛(まぎ)るゝこと有りて、日、已に暮れて、酉(とり)の終り[やぶちゃん注:午後六時半過ぎ。]よりぞ、詣でける。
道芝の露、拂ふ人もなくて、心凄(こゝろすご)きところに、何處(いづく)より來りけるともおもえず、一人の稚兒(ちご)、忽然として、佇みたり。
「いかなる人にておはしければ、こゝには御入(おい)り候ぞ。」
ちごのいはく、
「そなた、いづ方へ通らせたまふぞ。まづ、わが方(かた)ざまへ、入(い)らせたまへ。こゝのほどこそ、わらはが庵にて候へ。」
といふ。
「いや、これは、地藏へ參り候へば、それへは、參るまじき。」
といふ。
ちご、重ねて、
「まづ、立ちよらせ給へ。」
とて、強ひて、手をとりてゆく。
月かげに、色あひ、定かならねど、蘭奢(らんじや)の匀(にほ)ひなつかしく、いとあてなる裝(よそほ)ひに、覺えず、心ときめきして、やがて、誘はれ行くかと思へば、程なく、かの家に至りぬ。
彼(か)の體(てい)、世の常ならず、宮殿・樓閣なり。
『不思議や。此の邊(へん)には、斯樣(かやう)の家居(いへゐ)は、なかりつるものを。』
と思ひたれば、衆從眷屬(しゆじゆけんぞく)、あまた出であひ、いろいろにもてなし、酒宴、さまざまなり。
あるじの稚兒も醉(ゑ)ひ、客の僧も醉ひ臥しぬ。
夜(よ)、ふけぬれば、たゞ假臥(かりぶし)とは思ひながら、行くすゑまでのかね言(ごと)も淺からずこそ契りける。[やぶちゃん注:「かね言」「予言(かねごと)」で、「前もって言っておいた言葉」、則ち、若衆道の「互いの睦びの約束の言葉」である。]
曉方に、ふと、夢さめて、あたりを見れば、ともし火、かすかにして有りけるに、かの稚兒、繪にかける鬼(おに)の形(かたち)なり。
恐ろしとも、いはん方、なし。
扠(さて)、ぬき足して、次の座敷を見れば、こゝに臥したるもの、十人ばかり、皆、鬼なり。
『いかゞして、拔け出でん。』
と、かたがた、見まはしけれども、隙間も無く、造り續けたる家なれば、もれて出づべきやうも、なし。
[やぶちゃん注:「国文学研究資料館」の「国書データベース」にある立教大学池袋図書館の「乱歩文庫デジタル」所収の画像(使用許可がなされてある)を最大でダウン・ロードし、補正(裏映りが激しいため)した上で、適切と思われる位置に挿入した。右上端のキャプションは、「しん心ふかきゆへ利生をゑたる事」である。]
まづ、緣の戶をあけて見れば、彼(か)の律師が飼ひける犬、何處(いづく)より來(きた)るともなく、尾を振りて、出で來りぬ。
『不思議なること。』
に思ひぬ。
彼の犬、僧の裾を、くはヘ、門外へ出でぬ。
宵に稚兒に逢ひたる所に、引きて行く。
僧は、つくづくと、犬を守り、
「汝は禽獸なれども、主(しう)を守る心、奇特(きどく)さよ。此の世ならぬ緣なれば、當來(たうらい)は、必ず、佛果菩提に至るべし。」
と、いうて、常に持ちたる念珠を、頸にかけてぞ、放しける。
未だ、夜(よ)深ければ、僧は、それより、地藏堂へ詣でけり。
暫く拜し、歸らんとしけるが、本尊を見れば、犬の頸に掛けたる珠數の、かゝりてぞ、侍りける。
「年月、每日怠らず、詣で侍りしが、其の日は、暮に及びしが、道にて稚兒に迷ひし事、犬の導きつる事、地藏の化現(けげん)にて、たうしんの眞諦(しんたい)を示し給ふにや。」
と、信心、肝(きも)に銘じしかば、いよいよ、步みを運びけるとかや。
「今生、後生、たのもしかりける悲願かな。」
と、感淚を押へかねてぞ。
[やぶちゃん注:個人的には、この話、好きだ。
『かすが山の麓に、「しのやの地藏堂」とて、靈驗あらたなる地藏、おはしけり』興福寺の東方が春日大社であるが、「地藏堂」は不詳。荒木又右衛門が試し斬りをしたと伝えられる、鎌倉時代の作の石地蔵で「首切り地蔵」が春日山の東方の谷のかなり奥にあるが、堂はない(グーグル・マップ・データ。実測、四キロメートルだが、半分は登攀路である)、軽々に比定は出来ない。
「紛(まぎ)るゝこと」ちょっと手のかかる仕事があって。
「蘭奢」ここは単に類い稀れなる奥床しい香の香りを喩えて言ったものであろう。狭義のそれについては、そうさ、「小泉八雲 香 (大谷正信訳)」の「ランジヤタイ」の私の注でもお読み下され。
「たうしんの眞諦(しんたい)」「眞諦」は、仏教で唯一無二の真実にして平等の不変の真理を指す。「たうしん」は「當身」であろうか。化現(けげん)でも垂迹でもないところのそのまま(等身)の「絶対の実体」に相「当」する物「身」の意か。]
« 早川孝太郞「三州橫山話」 鳥の話 「鷹の眼玉」・「鷹を擊つ方法」・「鷹の羽藏」・「クラマの鷹」・「鷄を襲ふ鷹」 | トップページ | 佐々木喜善「聽耳草紙」 八番 山神の相談 »